十二
「少し早いな」
丸野は、スマホの時計を見てつぶやき、窓から校庭を窺った。
ボスの使用許可をもらい、集めることができたI市立南高校の荒くれ共が集結していた。
県内では、三大校に入れられている不良高校の猛者たちだ。
東の正門に、リーダー格の沢木を含んで十人。
沢木は、ボクシングで全国大会に進んだほどの強者だ。
間口の広い西門には、兵隊が五人。
南門に三人。
加えて、三人のチーム六組に周辺を巡回させている。
囲い込みは、これくらいで十分だろう。
誰にも気付かれずに、学校を出ることは不可能だ。
残りの人員は、終業時刻と同時にこの教室へ向かうように指示してある。
丸野は、自分の席から右に一つ、前に四つ離れた位置に着席している有利香の後姿に注目した。
有利香は、何食わぬ素振りで、授業に集中していた。
クラスの何人かが、校庭で起きている事態に気づき始めた。
(ガラの悪い生徒が集まってるよ)
(『南高』の生徒みたいだ)
(学校の周りをウロウロしてる)
ざわめきの中から、それらのつぶやきが耳に入った。
丸野は、鼻をフンと鳴らした。
騒ぎが大きくなると、矢吹嬢も早く出てきちまう。
あいつが出てくるのは、一秒でも遅い方が良い。
丸野は、スマホを耳に当てた。
「沢木か。予定より時間が早いぞ。今、十五分前だよ。できるだけギリギリが良かったんだ……わかってるけど、矢吹嬢は手強いぞ。一秒でも、あいつを足止めしてほしいんだ……頼むんだぞ。あとで合流しよう」
丸野は、スマホをしまった。
たぶん、アイツとは合流できないな。
丸野は、ほくそ笑んだ。
「丸野クン」
甲高い叫び声が響いた。
最後の授業を担任している女教師の声だった。
先ほどから、何度も丸野の名を呼んでいたらしい。
丸野は、声の主を睨んだ。
「何だよ」
丸野は、ドスを利かせて言った。
女教師は、か細い声で丸野を注意した。
息苦しそうにしている金魚のようだ。
丸野は無視して、外の様子を窺った。
女教師は怒りに任せた最後の二言三言を残して、教室を出ていった。
同時に、何人かの生徒が席を立ち上がる雑音が耳に入った。
「終業だ」
廊下側の擦りガラスに、黒い人だかりが映った。
丸野が指示しておいた捕獲チームが、すでに教室の前まで集まっていた。
封印完了だ。
さて、この状況から、いつものように抜けられるかな。
丸野はニヤリと笑い、有利香の後姿に視線を向けた。
有利香は、淡々と帰り支度を始めていた。
その時、丸野のスマホに着信が入った。
発信元は、沢木だった。
「何だ?」
丸野は、視線を有利香に向けたまま、スマホを耳に当てた。
《オマエのところのな、生徒会長が現れてな、挨拶してくれてるよ》
沢木は、動揺した声を上げた。
「そいつが矢吹嬢だよ。予定通りやってくれ」と、丸野は伝えた。
《この女、おっかないな。オレより背が高いし、胸デカいし。一人、カラんでいったら、思い切り腹を蹴られたぞ。何か武道やってるみたいだ。それに付き添ってる大きいヤツも手強そうだ》
丸野は、沢木が待機している正門に目を向けた。
パンナの背後に、長身の彼女より背が高く、ガッチリした体格の、まるで山のような大男が立っているのが見えた。
登場したのは、この二人だけらしい。
「巡回メンバーを呼び寄せた方が良い。二十人くらいいれば、何とかなる」と、丸野は忠告した。
《了解》
沢木はスマホをしまい、目の前に立ちはだかる女子を見た。
ゆうに百八十センチを超えている長身。
くびれた無駄肉の無い腰回り。
一見アンバランスな印象を与える小さな顔には、黒瑪瑙の光沢を持った大きな瞳が輝いていた。
沢木は、そんな容貌のパンナのことを、率直に美しいと思った。
「聞いてるかな?」と、パンナは言った。
沢木は、ハッとして唾を飲みこんだ。
「もう一度言いますが、私は当校の生徒会長をしております」
パンナは、足元でうずくまっている男子の股間を蹴った直後とは思えない落ち着きぶりで話し始めた。
「当校の風紀を乱す行為を見逃すわけにはいかないのですね。当然、校門を通せんぼして、下校する生徒たちに威圧、恐怖心を与える行為も、これに該当します」
これが、丸野の言ってた『生徒会警察』というヤツか。
沢木は、近くにいる兵隊に巡回メンバー全員を呼び寄せるよう指示し、目の前に立ちはだかるパンナと、その後ろに立つ巨体の男の顔を交互に見比べた。
巨体の男の顔は、岩のように起伏のある顔つきで、落ち込んだ目のあたりに影を生み、視線はどちらへ向けられているのか確認できないほど彫りが深い。
くさび形の大きな鷲鼻。
万力のように固く一文字に結んだ口。
木の幹のような、鍛えられた首筋。
幅広の肩。
それに高い身長。
百八十センチ超のパンナが、肩ほどの高さにしか及ばない。
そんな大男が、長身の女子を保護する壁のように立ちはだかっていた。
巡回メンバーが全員集結した。
他の門番や、校舎に潜入済みの捕獲チームを動かすわけにはいかない。
集められる人員は、正門メンバとあわせて二十八名。
パンナに股間を蹴られて、うずくまってるヤツを差し引いて二十七名。
これで十分だろう。
いかなる強敵でも、二十七名ものメンバが一斉にかかれば、太刀打ちできるはずがない。
パンナは、集まりに集まった人相の悪い男子たちを見て苦笑する。
「キミ」と、パンナは、沢木を指差した。
「さっき、電話してたね」
沢木は、敵意に満ちた目で、パンナを睨み返した。
「たぶん、ウチの生徒にだと思うけど、誰と話してたか、自分から白状するつもりはあるかな?」
対して、パンナは優しさに満ちた目で沢木を見つめた。
何でだろう、と沢木は思った。
何で、この女は、腕っぷしの良い大勢の男子たちを前にして、こんなに落ち着いていられるんだろう。
「どうやら、私の質問に答えるつもりは無いみたいだね」
とたんに、パンナの目が鋭く光った。
まるで、カメラレンズのような無機質な輝きだった。
沢木は目を凝らし、ギョッとした。
パンナの黒い瞳に、十字に走る緑色のラインが映っている。
これは照準器だ、と沢木は直感した。
オレは、観察されている。
この女子は、何でもお見通しなんだ。
「じゃ、観念してくれるんだね」と、パンナは言った。
「物わかりが良い人は好きだよ」
沢木は、上唇を舐めた。
視線を、パンナの豊満な胸のあたりに向けてみた。
「あいにくだけど、そういうのには慣れてるんだよね」
沢木は、またもや唾を飲んだ。
やはり、コイツは……
「回りくどい試みをしなくても教えてあげるよ。キミの考えていることは、私にはわかってる。全部筒抜けなんだよ」
パンナは紺色のブレザーを脱いで、そばに立つ大男に手渡した。
大男は丁寧にブレザーを畳んで持ち、パンナから少し離れた位置まで下がった。
パンナは白いブラウスの袖を、肘の上までまくり上げた。
左の上腕に、十字架のような模様の彫り物がちらりと見えた。
男子は、参戦しないのか。
この女一人で、オレたちを相手するつもりか。
沢木の拳に力が入る。
パンナは、左手を頭上に挙げ、ギュッと力強く握り拳を作ると、ゆっくりとした動作で胸のあたりまで下ろし、脇を引き締めた。
「あと私が知りたいのは、キミたちの目的だけ。できれば、自分から話してほしいんだけど」
次に、右の手の平を相手に見せるように前へ伸ばした。
そして、右脚を前に踏み出し、グッと腰を落とした。
戦闘態勢だな。
沢木も脇を締め、兵隊たちに「おい」と声を掛けた。
二十七名の兵隊たちは、すばやくパンナを取り囲んだ。
「話し合いをするつもりは無いみたいだね。私の見込み違いかな。キミは、物わかりが良いと思ってたのに」
沢木は、兵隊の一人に目配せした。
パンナの真後ろにいた兵隊が素早く動き、羽交い締めにしようと試みた。
すかさず、パンナは右拳に力をこめた。
またたく間に、拳に大量の汗が流れ始めた。
キラキラと光るモノが汗に混じっていて、拳全体を光が包んだ。
その輝く拳は、突撃してきた兵隊の鼻っぱしに、正面から直撃した。
まるで兵隊自らが顔面を撃ちつけに来たように見えた。
赤い鮮血が両の鼻から噴き出し、兵隊は前のめりに倒れこんだ。
「えっと、これだけは忠告しておくけど」
パンナは、兵隊に打ちつけた拳を、沢木たちに見えるように突き出した。
輝きはすでに治まり、ケチャップのような粘っこい鮮血が地面に滴り落ちていた。
「私は、すごく強いからね」
パンナの黒瑪瑙のような瞳がキラリと光った。