08
部活で疲れがたまった体は眠らないことをよしとしなかったらしく、竜は気がつくと眠っていた。
目覚めた瞬間、自分がまだ消えていなかったことを確認し、安堵と同時に驚いた。
敷地内にも入ってこられるような『それ』ならば、寝ている最中に襲うことも可能だったはずだからだ。
いなくなるというのは具体的にどうなる状態のことを指すのだろうか。
竜はいなくなってしまった少年と、昨夜の少女をそれぞれ思い起こした。
二人に共通するのは煙のような黒い影が入り込んでいたということだ。あれは『それ』に襲われて食べられているという状況なのだろうか、それともどこかに連れ去られる途中なのだろうか。
仮にそうだとしても他の誰の記憶にも残っていないのはおかしい。
何か自分には到底理解出来ないような巨大な組織のようなものがかかわっていて、それが後始末のようなことをしているのだろうか。
考えるだけで恐ろしくなってきた。竜はかぶりを振ってリビングに降りた。
「あら、今日はずいぶんはやいのね」
夜遅くに帰ってきたであろう母親はもう起きて、食事の支度を整えていた。
竜は冷蔵庫をあけ、昨夜購入したスポーツ飲料を飲んだ。
天気をチェックするためにニュースをつけると、自己進化型ニューロコンピュータ『アズライール』について専門家が語っていた。
この手のニュースには必ず出てくる黒髪の少女の写真が専門家の後ろに映し出される。
天気は晴れだ。
「それ、昨日、玄関に置いてあったわよ。買うのはいいけど、ちゃんとしまうものはしまいなさい。果物だって置きっぱなしになってたわよ」
フライパンに油をひきながら、小言めかして云う母の言葉に竜はうなずいた。
昨夜は結局眠りにつくまで、おそろしさのあまりずっとふとんの中で震えていた。
今思えば情けない話だが、この世から抹消されてしまうかもしれないという恐怖心で、他のことなど考えられなかったのだ。
その恐怖は今もあるが、学校に行かなければ家が『それ』に襲われるかもしれないと思うと、休んでなどいられない。
「昴は?」
せっかく買ってきた薬も昴に飲ませることができなかった。
風邪が悪化していたらどうしよう。ペットボトルのキャップをしめながら、竜はおそるおそる訊いた。
「熱が下がらないみたいだから、今日は休ませるの」
いためた野菜をさっと皿に盛り、母は声をあげた。
「暇なんだったら、お父さん起こしてきて」
「暇じゃねーよ」
云いながら竜は二階にあがり、両親の部屋をあけて父親を起こした。
普段のようにドアを力いっぱい蹴りつけようとも思ったのだが、すぐ向かいの部屋の弟が起きてしまうかもしれないと考え、自粛した。
「昴……」
そっと声をかけながら竜は弟の部屋に入った。昴は軽い寝息をたてながら眠っている。年齢の割に幼い容姿は昔から変わらないように思えて、何だか悲しくなってくる。
今日、家を出たきり帰ってこられなかったらどうしよう。誰がこいつを守ってやればいいのだろう。
そっと額に手を当てた。熱はまだすこし高い。薬を飲ませなかったせいかもしれないと思うと、余計にやりきれなかった。
弟を見ていると、守らなくてはならないという思いにとりつかれる。
それは言葉にできないくらい強い思いで、過去に何かあったのだろうかと自分でも考えてしまうほどだった。
「……おにいちゃん……?」
吐息を漏らすようにかすかな声が部屋の中に広がった。
「起こしちゃったか?」
昴は黙って目を細めた。
「もう行くの?」
「ああ。お前はちゃんと休めよ。母さんが作りおきもしておいてくれたから、ちゃんと食べるんだぞ。冷蔵庫に飲み物も入ってるからな。水分もちゃんと――」
昴はふきだすように笑った。
「何だよ」
「別に。――はやく行きなよ。遅刻するよ」
竜は昴の頭をかきまぜるように撫ぜ、ゆっくりと立ち上がった。
「いってくる」
「いってらっしゃい」
昴はおかしそうに笑い、ベッドの上で上半身を起こしたまま、手を振った。
後ろ手に扉を閉めたあとも、弟の笑顔が脳裏に焼きついている。
必ず帰る。
竜は心の中で意気込み、大きく深呼吸をして階下へおりていった。




