30
先程まで黒一色に染まっていた空間はすべてが黄色い三角錐の物体に覆われている。あれほどいた『それ』らの姿は物体内には欠片も残っていなかった。
どうやらこれが斑鳩が云う結界のようだ。
竜はきょろきょろとあたりを見回した。
幼い頃にプレイしたゲームのようだと思った。
「これは…?」
斑鳩に連れて行かれた先には、宙に浮いた小さな黒い玉があった。
これまで竜は何度か屋上に足を運んだことはあったが、一度だってこんな不自然なものは見たことがない。
竜は眉根を寄せた。
「ゲートだ。ここで貴様の名を云え。認証されればこの中に入ることができる」
「名前って佐那戸竜って云えばいいのか?」
「違う、向こうでのお前の名前だ」
なんでもないことのように告げた斑鳩の言葉に、竜は困惑した。
「向こう? 何だよ、それ。知らないぞ。それに名前は口に出せないって、さっき云ってただろ」
「思い描けばいいだけだ」
意味の分からない解決法を提示してきた斑鳩に、竜の戸惑いは苛立ちに変わった。
「そんなの……、知りもしないのに思い浮かべるなんて無理だ!」
言下にひびが入ったような音がした。
音のしたほうを見ると、結界にほころびが出来ていた。
ぱらぱらとガラスくずのように落下し、地面に溶け込んでいく。
割れ目は深淵に染まり、『それ』らが外を覆い隠しているのがわかる。もしこの結界が崩れたら、そのときこそ命が終わるときだ。
「この結界はそうは持たない。ぐずぐずするな。ここで消えたいのか?」
竜は唇を噛んだ。
斑鳩が自分に何を求めているのかはいまだにわからない。どこに連れて行こうとしているのかもだ。だが『それ』らとは異なり、彼女は自分を殺すつもりがないことは何となく分かった。
竜は自宅にひとり残してきた弟のことを思った。
自分を接触している人間の記憶をすべて消し去るつもりならば、昴の記憶も多分消されているだろう。
もう『それ』らに消されるか、斑鳩についてゲートの中に飛び込むしか道が残されていないのだ。
ならば彼女に賭けてみるほかはない。
竜は大きく息を吸い、黒い球体の前に立った。
「俺の名は――」
だが想像していたとおり、名前が出てくることはなかった。
ゲートの前に立てば自然と名前が頭の中に浮かんでくるだろうと甘く考えていたが、そんな奇跡は起こらなかった。
ぴしりと音がして、結界の一部に入っていたひびを中心として縦に大きく亀裂が走った。