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カノン  作者: しき
第1話
4/149

遺物3

 同刻  シャロン内部 八階廊下


風音「ん?」


凌舞「どうした? カザ」


 足早に廊下を歩きながら二人が会話をしている。


風音「いや・・・・・・今何か、誰かに呼ばれたような」


凌舞「おいおい・・・。突然怖い事言うなよ」


風音「なんか凄まじい言いがかりを付けられたような気がする」


凌舞「何だそりゃ」


 風音が目を瞑って頭を振る。

 レイ長官に呼び出された二人だが、来る途中少し時間がかかってしまった為、実はもう約束の時間は過ぎている。

 少し速足で歩きつつ、二人でここまでの流れを整理する。


風音「とにかく、他に心当たりがない以上、そのゴミ箱の件で注意される事は確実っぽいな」


凌舞「ああ。受付の奴も電話では俺等の事知らんとか行ってたくせに、来てみればあっさり通しやがるし。受付に嘘吐かせてまで直接会う事にこだわる割には・・・・」


風音「こっちに何も伝わってないからね」


 時々電話やパソコン越しではなく、直接会わないと伝えられないような機密性の高い仕事が依頼される事もある。

 だがそういう場合、事前にそれとなく仕事の依頼である事は知らされる筈だ。

 ここまでの流れから二人の中では、やはりカノンに対して何らかの注意や警告がなされる可能性が高いと踏んでいた。


凌舞「はぁ・・・・・、覚悟して来たとはいえ、怒られに行くってのは嫌なもんだな」


 来る前は明るかった凌舞の表情も、長官室が近付くにつれ沈んでいく。

 やがて長官室のドアの前へと二人が到着する。

 誰か居るのか、部屋の中から話し声が聞こえる。


風音「なんか話し声が聞こえるね」


凌舞「ああ。もしかして煉兄ぃが代表で叱られてんのかな?」


風音「えっ!? 煉兄ぃ来てたの? てっきり寝てると思ってたんだけど」


 煉也れんやが来るというのは風音にとっては意外すぎる事だ。どうせ煉也の事だから寝る方を優先すると思いこんでいた。


凌舞「あぁ、ユニルの事で色々あったから伝わってなかったっけ。俺も意外だと思ったけどな、本人が言ってたから間違いない」


風音「じゃあかなりまずいな。 こっちからの連絡に応じない失礼な対応だから、ちょっと待たせるくらいでちょうどいいやとか思ってたのに・・・。 って事はシノの言う通り、煉兄ぃが今怒られてんのかな?」


凌舞「あぁ・・・来る途中お前がペットショップの犬とたわむれだした時は、頭どうかしたのかと思ってたけど、わざとやってたのかあれ。・・・だとしても一時間以上は遊び過ぎだろ」


風音「うん。反省してる。でもそこに後悔は無い」


 爽やかに言う風音を、凌舞が横目で睨む。


凌舞「そのせいで説教長引いたら恨むぞマジで」


 凌舞が小さなため息をつく。


風音「そんな説教説教って緊張しなくてもいいと思うけど。少なくとも今回の件は、シャロンの事件に対する中途半端な対応にも問題があると思うし。もういっその事、こっちが説教してやる! くらいの意気込みでのぞんでもいいんじゃない?」


 凌舞の緊張をほぐす為、風音が冗談っぽく言う。


凌舞「そうだよ・・・・・。むしろ悪いのはシャロンなんだよな。大体何で俺が・・・・・・・よし、やってやる」


風音「待て落ち着けシノ。今のはあくまで意気込みっていう意味で言ったんであって、実際行動に移すのはお門違い・・・・」


 と言った頃にはもう時既に遅し。


凌舞「ふざけんなコラァ!!」


 大声と爆ぜる様な大きな音と共に、凌舞がドアを蹴り開ける。

 凌舞がそのまま長官室に入っていき、風音も慌ててそれに続く。




 正午近く。  シャロン・長官室


レイ「遅いな・・・・・」


 その呟きと共に時計を見る。

 12時11分。


ジル「・・・・・・・・・・・・」


 豪華そうな机、来客用のソファとテーブル、そして他の調度品と比べると地味な感じがする本棚など。一目でこの建物の中の長が使っている部屋だと分かる。

 その重厚感すら感じる部屋に、現在三名の人物が居る。

 この部屋の主、レイ・ウィワイト。裏側出身。

 外見はシャロンの制服を着た五十半ばの男性。組織の長らしく歴戦の風格を漂わせ、見る者を威圧する風貌、そして顎髭を蓄えた厳かな雰囲気・・・などとは程遠い、普通のその辺に居そうな感じのおっちゃん。

 見た目初老の欧米人のような。ただし彼の本質を表しているのか、普段から目つきは鋭い。


 その秘書兼護衛である男性、ジル・クミミ。裏側出身。

 彼も同じくシャロンの制服を着ており、年齢はかなり若い。三十前後だろう。

 こちらはアジア系に近い見た目をしているが、目の辺りだけ欧米人に近いという感じ。

 ロボットの様に瞳に感情が感じられないが、本当に感情が無い訳ではなく、単に仕事中目が死んでいるだけ。彼はどちらかと言えばむしろ、感情をあらわにするタイプだ。

 地毛が色の薄い茶髪。後ろ髪のふちの部分から五センチほどだけ青く染めている。

 染めている理由は、仕事中に後ろから見た時に一瞬で誰か分かるようにするため。


 そして一時間強ほど前にこの部屋に現れるなり、何も言わずにソファで寝てしまった人物、片桐かたぎり煉也れんや


 レイの呟きの後、しばらく沈黙が続いていたが、ジルが軽くため息をついてから言う。


ジル「今日は一体何があるのか、と朝一番に尋ねましたが・・・・。たしか昼までには分かる、筈だったのでは?」


 今朝、レイ長官に『新任のキミにぜひ見ておいてもらいたい人物が居る』とだけ聞かされていたので、どんな人物なのかと期待していたのだが。

 難しい顔をしたまま答えないレイに、再び尋ねる。


ジル「もしかして、この方が起きるのを待っているのですか?」


 ソファで寝ている人物の方を見る。


ジル「確か片桐煉也師範、ですよね。この方なら着任してすぐに練武れんぶ室で紹介して頂いたので、既に知っていますが」


 そう言ってジルがレイに視線を戻すと、ようやくレイが口を開く。


レイ「いや、君に会ってもらいたいのは煉也君ではなく、別に居るんだが・・・・・君は『カノン』という名を聞いた事があるかな?」


ジル「人名、ですか?」


レイ「いや、宇宙船の名前だ。現在地球に滞在していて、全宇宙でも屈指の性能を誇る艦だ。そして、その艦には特殊な才能をもった者達が住んでいる」


 特殊な才能? と心の中で反芻はんすうしながらしばらく考え込む。 が。


ジル「知りませんね。それが何か?」


レイ「今日会って貰いたかった人物と言うのは、その艦の艦長だったんだが」


 再度時計を見る。

 12時15分。


ジル「どなたかは存じませんが、約束の時間もろくに守れない様な人物では、会う価値があるとは思えませんが」


 ジルがさらっと言ってのける。


レイ「多分さっき彼から連絡があった時に、こちらが応じなかったので不信感を抱いているのだろう。正規の依頼なら遅れて来るような人物でも無いからな。もしかすると、わざと遅れる事でこちらを牽制けんせいしているのかもしれん」


ジル「・・・・・・・・・・・・」


 話を聞く限り、一筋縄ではいかない人物の様だ。

 改めてジルが尋ねる。


ジル「どのような人物なのですか?」


レイ「音羽おとは風音かざね


 ただ一言、名を告げる。


ジル「!!!」


 それまで無表情だったジルが目を見開いて驚愕する。


レイ「さすがに驚いた様だな」


ジル「・・・・あの、こちらの世界では有名な、ですか?」


 有名と言っても一部では、である。そもそも宇宙人と初めて接触した人物という事も世間には伏せられている。


レイ「ああ。色々あってね。その辺は追々説明するが、彼はシャロンに大きく関わっている人物だ」


 ジルの記憶が間違っていなければ。

 音羽風音とは地球と裏宇宙の橋渡し役を務めたと同時に、過去に殺人容疑がかけられていた筈である。

 そして、そのような人物が一個人を超越した力を持っていた事を危険視され、シエロ(シャロンの親組織)のブラックリストに名が連ねられている。


ジル「何故そんな奴をシャロンに!! ブラックリストに名を連ねている者など、我々の敵ではないですか!!」


 興奮しながらレイに詰め寄る。


レイ「基本的にはな。だが例外もある。そもそも殺人容疑に関してはあくまで容疑。殺された子供達の家族は彼の犯行、もしくは彼の過失だと主張しているが、証拠は何も無かった。だから法的にも容疑は取り消されただろう? ・・・にもかかわらず、何故かブラックリスト入りしている」


ジル「何故かって・・・・そりゃ証拠不十分だろうが何だろうが、一度疑われた者は目を付けられて当然ですし。それに加えて確か彼は、世界の均衡きんこうを崩壊させかねない危険人物・・・だと伺いましたが?」


 過去に聞いた風音の噂を思い出しながら言うが、レイは呆れた様子で返す。


レイ「無理無理。個人がそんな簡単に世界を変えられる訳無いだろ? いちいち大袈裟なんだよ。監視対象かなんか知らんが、しょうもない理由でリスト入りさせるなよ。・・・・と、上の連中に言ってやりたいね」


ジル「しかし・・・・・」


 とジルが言いかけてやめる。

 ここで言い争っていても無意味だ。

 要は自分の目で実物を見て見極めれば良い。それだけの話だ、と自分に言い聞かせる。


ジル「分かりました。ブラックリストの件は一旦忘れましょう。それで、今日はなぜ彼を呼んだのですか?」


 まさか自分と会わせる為だけに呼んだ訳ではないだろう。

 何かしら用件がある筈なのだが、レイは沈黙したままジルの質問に答えようとしない。


ジル「長官?」


 改めて尋ねる。

 と、陰りのある表情でレイが逆に聞き返す。


レイ「君は新任だから知らないかもしれないが、彼らにはシャロンに対して借金があってね。だからよく返済も兼ねて依頼をする事はあるんだが、今回はそれではなく・・・・・・怒らずに聞いてくれるか?」


ジル「? ・・・・内容にもよりますが、余程の事がない限り上官に対して失礼な事はしませんよ」


 借金? シャロンに? などジルにとっては不明な点が多かったが、今回は関係無いというならまた次の機会にでも詳しく聞く事にして。まずは質問に対して一応形式的な返答をする。

 その返答に満足したのか、


レイ「フム・・・実は昨日・・・・・」


 とゆっくりと事情を説明し始めた。







ジル「―――――――――で?」


 コツコツと指先で机の上を何度も叩きながら、ちらりと時計を見る。

 12時34分。

 約15分程レイの話を聞いていた事になる。

 ジルが視線をレイの方へと戻し、話を続ける。


ジル「10分程、話のほとんどが言い訳で構成された、ふざけた内容のお話を聞いた訳ですが」


レイ「いや、君、明らかに怒ってないか?」


ジル「怒ってませんよ上官に対しては怒らないって最初に言ったでしょう何度同じ事を言わせるんですか」


 早口でそう言いながら、指先で机を叩くのは止めない。


ジル「・・・要するに、民間人から脅迫された。 という事ですね?」


 話を要約するとこうだ。


 レイ長官は昨日の深夜、カノンの乗組員の女性、クリス・ク・ルミナに呼び出され、頼み事をされた。

一旦は快く引き受けたのだが、その内容が『風音さんを丸一日カノンに帰って来ないように、適当に仕事を押し付けてほしい』という変わった内容だったのでやはり断った。

 今のところ特にやって貰いたい仕事は無いし、まして当日で終わるような仕事では駄目、二日以上かかっても駄目、という期限付きでは話にならないからだ。

 しかし断られるや否や、ルミナは懐から写真を取り出した。

 写真にはレイ長官とシャロンに勤める若い女性職員が、二人で寄り添いながらホテル街で歩いている場面が映っていた。

 誰がどう見ても浮気現場にしか見えないものだ。(レイいわく『誤解だ』)


 そしてその後レイとルミナの大人の話し合いがしばらく続いたみたい。

 結局頼み事を引き受ける事にしたんだってさ。



ジル「もう舐めてますよね」


 レイが答えないのでたっぷり二分ほど沈黙した後、引き続き指先で机をコツコツと叩きながら吐き捨てる。


レイ「いや、脅迫と言うか、元々引き受けようとしていた頼み事を、やっぱり引き受ける事にしただけだ」


 それを聞いたジルが大きくため息をつく。


ジル「いいですか、長官」


 ジルが鋭い表情になり、強い口調で続ける。


ジル「シャロンは敵に後ろを見せてはいけません。少しでも弱みを見せるとそこから付け込まれ、シャロン全体が瓦解がかいする可能性も十分有り得ます。 例えそれが道端の犬のフンにも劣るような、イチ職員の薄汚い私生活などというくだらない弱みであったとしても、弱みである事に変わりはないのです。分かりますか? 私の言いたい事が。 確かに脅迫する方にも問題はあります。ですからそのルミナとかいう輩には私が直接後で制裁を加えておきます。しかしですね」


 ジルの目がレイを睨むように細くなる。


ジル「私に言わせれば、浮気した方にも問題が・・・・いえ、もうこの際ハッキリ言いましょう。浮気は絶対悪です。以後禁止です。もし今後浮気が発覚した際は、上官といえども私の制裁を受けて頂きます」


 余程浮気が気に入らないのか、どうもジルは浮気云々うんぬんの辺りで特に不快感をあらわにしている。

 目の前でくどくどと説教をするジルを見ながら、うんざりとした様子でレイが口を開く。


レイ「さっきから何度も言っているが、浮気に関しては誤解だ」


ジル「本当ですか? 下心は無かった、と?」


 ジルが疑わしい目つきでレイを見る。


レイ「ああ、有る訳ないだろ。彼女とは仕事で一緒になっただけだ。最近ホテル街で盗撮カメラを使った犯罪が頻発しているという報告を受けたのでね、二人一組で調査に向かっていただけだよ」


ジル「そんな仕事を長官直々に?」


 どう考えても末端、下っ端の仕事だ。


レイ「君はアレかな? 私の様な立場の者は部屋でじっとしているだけが仕事だと思っているのかな? 少しでも治安維持に繋がるのなら、動ける者は動け、というのが私の考えなんだが。・・・それにどうせ何か大きな問題があった時はシエロから直接指示が出るんだから、私が常にシャロン内で待機している意味もないだろう? 小さな問題なら私が出先で指示を出せばいいだけの話だ。 ただでさえ深刻な人手不足だ。時間は有意義に使わないと」


ジル「その考えが全くの誤りであるとは言わないですが、組織として見れば正しくありません。やはりどんな事情があれども、長官はここに居る事に意味が・・・まぁ、その議論に関しては今は脇に置いておきましょう。ところで・・・・・」


 ジルが胸ポケットから勲章を取り出す。


ジル「私はまだ新任で地球の事も詳しく知りません。それに、あなたから見れば私など下っ端かもしれません。それでも私の権力は過去の戦績のおかげで、シャロン内ではかなり上の方に置いて頂けました」


 レイが怪訝けげんな表情をする。


レイ「裏側での君の活躍なら知っているよ。でも突然何かな? 自慢大会でもしたくなったのかな?」


ジル「自慢ではなく事実です。つまり私が言いたいのは、やろうと思えば今すぐにでも私の命令でその写真の女性職員を別の星へ転属させる事も出来る、という事です」


 その女性に対して何の感情も持ち合わせていないなら、もしそうなっても当然困らないですよね? と、にこやかに目で訴える。


レイ「待て待て、その女性にも都合というものが・・・・・」


ジル「大丈夫です。ここに就任した際に皆の意識調査に目を通しましたが、シャロンで働くほとんどの者が現在の環境に不満は無いようですが、将来的には自分の生まれ育った星で働きたいと思っています。この写真の女性は裏側出身ですから、転属先を自由に選べる事にしてあげればむしろ喜ぶでしょう」


 ・・・半分嘘だが。

 裏側出身者の特徴なのか、あまり自分の星で働く事に拘る者は多くない。

 もちろん愛星心が無い訳ではない。長期休暇になれば自分の星に帰省する者も多い。

 ただこれはあくまで仕事の話。今の環境に不満が無いなら、たとえ母星であれ敢えて星を変えて働きたいと思う者は少ない。現在の働き易さを優先する者の方が圧倒的に多い。

 そんな実情などは伏せて、レイの反応を見る為に敢えて自信たっぷりに言う。


レイ「でも今すぐというのは・・・・・・、今度食事の約束もしたし・・・・・・」


ジル「・・・・・・・・・・・・・・・」


レイ「・・・・・・・・・・・・・・・」


ジル「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・死ねよ」


 かなり小さな声でぼそりと呟く。


ジル「いえ、何も言ってませんよ?」


レイ「え・・・うん。じゃあ何も聞こえなかった事にしよう」


 ガン見してくるジルから目を逸らしながら言う。


ジル「さて、それはそれとして」


 今のところ浮気に関しては本当に未遂の段階らしいので、この件に関しては以後対策を立てようと心に刻み、話を戻す。


ジル「分からない事が一つ。先程の話だと、脅迫の件が無くてもその依頼を引き受けようとしていた、と」


レイ「ああ」


ジル「何故です? 市民の声に耳を傾けるのは構いませんが、個人的なお願いを聞いてあげる程あなたも暇ではないでしょう?」


 今しがた深刻な人手不足と言っていたところだ。

 勝手な行動は控えて頂きたい、と目で忠告をする。


レイ「あ~~~~、まぁ、それなんだが・・・他言無用という事でいいなら理由を教えるが」


 職業柄、と言うべきかレイの言葉にジルが少し動揺する。

 シャロン内で『他言無用』という言葉が使われる時は、非常に重要、もしくは危険な情報である事が多いからだ。


ジル(しかし、何故こんな話題の中で突然―――)


ジル「・・・・分かりました。他では絶対口にしません」


 考えた所で答えが出るはずもない。言われた通り約束して続きを促す。


レイ「ふむ・・・。君と私が今普通に会話出来ているのは、少し前までは考えられない事だったのだが」


ジル「はい。この翻訳機のおかげですよね」


 ジルが自分の耳に付いてある超小型の翻訳機を触りながら言う。


レイ「その翻訳機は誰が発明したか知っているかね?」


 その質問をするや。

 ジルの表情が怒りを含んだものに変わり。


 パンッ!


 という高い音と共にレイのほっぺに衝撃が走る。

 ジルがレイの頬をビンタしていた。


レイ「え? 何で今私ほっぺた張られたんだ?」


 今のジルの行動があまりにも理解出来ず、怒る気すら失せて普通に尋ねてしまう。


ジル「知っているかですって!!? 今のは私を侮辱した罰です! いいですか? 私ほどこの発明に感動した者は居りません! これのおかげでシエロが抱えていた問題の七割が解決したと言っても過言ではないのですよ! むしろ私がシエロ、シャロンで働く全ての者に問いたい! 誰が作ったか知っているのか!? 毎日その方々に感謝して使わせて頂いているのか!?」


 バンバンと机を叩きながら、鬼のような形相で訴える。


レイ「いや、今の質問は別に君を挑発した訳ではないから落ち着きたまえ。というか君、上官に対して失礼な事しないって言ってたのに、いきなり何をしてくれるんだ」


 頬をさするレイの姿を見て、ジルがふと我に返り申し訳無さそうに告げる。


ジル「す、すみません。つい・・・・・」


 レイの机から離れ、姿勢を正す。


レイ「・・・まぁいい、話を戻そう。その発明に関わった者が五名居たのは知っていると思うが・・・ノウン博士とアガレア氏はよく講演で見かけるだろう?」


ジル「はい。私もよく話を聞かせて頂いています。特にこの地球に来られる事が多いので、これからは会える機会も多くなりますね。・・・本当に、地球に来て良かったと思います」


レイ「そ、そうか」


 しみじみと語るジルの目を見ながら、レイが若干引く。

 どうやらジルにとってノウン達は『尊敬している』という域を遥かに超える存在らしい。まるで神仏に対し崇敬すうけいしているかの様にさえ見える。


レイ「それで、残りの三人はどうなったか知っているかな? 先に言っておくがこの質問は、純粋な質問であって挑発ではないからな」


 またビンタされるのも嫌なので、先に言っておく。


ジル「もちろんです!!」


 勢いよく答えるジルに、またちょっと引くレイ。


レイ「そ、そうか。じゃあ、その三人がどうなったか教えてもらえないか?」


ジル「はい。講演で聞かせて頂きましたが、残念な事に三人共亡くなられたそうで・・・・・」


 言葉が詰まる。目にはうっすら涙を浮かべている。


ジル「R氏は運悪く地割れに飲み込まれ、O氏は突然落ちて来た隕石に頭を砕かれこの世を去ったのだと。そしてD氏は鬼と戦い、立ったまま絶命した・・・そうです」


 ジルの頬に涙が伝わる。


ジル「全人類の宝を・・・・・・!! 出来る事なら今すぐにでもその鬼を八つ裂きにしてやりたい!!」


 固く拳を握りしめ、怨念のこもった声で言うジルに対し、レイがポツリと言う。


レイ「ああ、その話な、嘘だ」


ジル「へ?」


 握り締めた拳から血を流し、男泣きの表情から一変、間の抜けた表情に変わる。


レイ「と言うか、ノウン博士は嘘を吐くのに向いてないな」


ジル「あの、ど、どういう事でしょうか?」


 ジルが完全に混乱している。


レイ「君も知っていると思うが、彼らが翻訳機を発明するまでの間、世間は彼らに奇異の目を向け、あざけった。だが、翻訳機が完成するや否や、手の平を返したように世界は彼等を褒め称えた」


ジル「ひどい話ですよね」


 あの頃は未知の言語対応の翻訳機と言えば、実現不可能だと思われていたとともに詐欺の代名詞だった事もあり、真面目に研究していた者まで肩身の狭い思いをしていたという。


レイ「ああ。 だが五名の内の三人、サルト・ハミルトン・クーラーズ氏と他二名がその扱いを予想していてね。自分の存在を公表する事を辞退したんだ。幸い顔が知れ渡っていたのはノウン博士と、護衛兼精神感応担当のアガレア氏だけだったからね。彼らは架空の人物をでっちあげて適当に死んだ事にして、普通に暮らす道を選んだんだよ。 翻訳機での利益も全てノウン氏達二人に譲渡じょうとする事にしたそうだが、確か二人の方がこれを拒否したのだったかな? 均等に五人に分けているらしい」


ジル「まさか・・・・・」


 内容だけ聞けば、そんな驚くような内容でもないのだが。

 講演での話を信じきっていたジルにとってはあまりにも突飛とっぴな話なので、半信半疑でつぶやく。


レイ「で、私にもそこからの流れがよく分からんのだが、サルト氏はその後自分の星には帰らず、親友だった風音君の艦〈炎火ほのか〉に住む事にしたらしいんだよ。 裏側では若い内から自立して他の星で住む者も多いから・・・まぁここまでなら分かるんだが、分からんのは残りの二人だ。当時まだ子供だったのに、何故かその二人も炎火の乗組員になる事を希望してね。 そして現在は、風音君の持つもう一つの艦〈カノン〉に三人共住んでいる」


ジル「う、嘘、・・・ですよね? からかってるだけ・・・ですよね?」


 ジルの声がブルブルと震える。


レイ「この部屋において他言無用という言葉を使ったんだ。こんなしょうもない嘘吐く訳ないだろ。それから――――」


 言い終わる前に、ジルがレイの机に身を乗り出して叫ぶ。


ジル「ぜ、ぜひそのカノンに!!」


レイ「まぁ落ち着け。最後まで喋らせてくれ」


ジル「落ち着いてなんかいられませんよ!! だってその話が本当だとしたら凄いなんてレベルじゃないですよ!! なんて言うか・・・・・もう・・・・・・すっっっごい事ですよ!! それは!!」


レイ「うん分かった落ち着け。面白いのはここからなんだから」


 まだあるのか、とジルがゴクリと息をのむ。

 そんなジルを見てにやりとしながらレイが言う。


レイ「その残りの二人の名前なんだが・・・姉弟していでね、弟君の方がクリス・ク・レスタ。姉の方がクリス・ク・ルミナ。もう気付いたと思うが、さっき君が『ルミナとかいう輩には私が直接後で制裁を加える』とか言っていた人物だよ。・・・まぁ、なんだ。制裁、頑張れよ」


 からかうように言う。


 それを聞いたジルが、 完、 全、 に。 硬直する。そして―――。

 パンッ! 

 と再び鈍い音が部屋に響く。


レイ「ええっ!!?」


 ジルが再びレイの頬を引っぱたいていた。


レイ「と、突然何を・・・・」


ジル「どうしてルミナさんの依頼を断ろうとしたのですか!!」


レイ「どうしてって・・・君もさっき個人的なお願いをいちいち引き受けるなって言ってたじゃないか」


 パチン!!


レイ「ええっ!!?」


 二発目。平手打ちが綺麗に決まる。


ジル「相手にもよるでしょうが! 彼らがシャロンにどれほどの功績をもたらしたと思っているのですか!? あなたが断ったせいで、ルミナさんは犯罪者まがいの事をしなければならなくなったのですよ!?」


レイ「いや断った私より、断られたぐらいで脅迫に走った彼女の方が責められるべきであって、私」


 バチン!!


レイ「ええええっ!!!?」


ジル「彼女にはどうしても引き受けて貰わなければならない事情があったのでしょう。そこをどうしてみ取ってあげなかったのですか。私には分かります。ルミナさんは普段ならそんな事をする人物ではないはずです」


レイ「いや、彼女は割と普段からそんな感じの―――」


 バチィッ!!


 またしても平手打ちが綺麗に決まるが、レイがひるむ事無く続ける。


レイ「たまには最後まで喋らせろ!! と言うか君! さっきから何回上司のほっぺたをはたけば気が済―――――」


 バチィィッ!!


レイ「ふっ!!!!!」


 乾いた音が部屋に響いた。


ジル「私に、よりによってこの私に! ルミナさんに対して暴言を吐かせた罰です! その頬の痛みは私の心の痛みです! 叩かれた頬より、叩いた者の心の方が痛い時もあるのです!」


レイ(それはないだろ、それは)


 と思ったが、ジルが本気で涙を流しながら訴えているので、色んな意味で怖くなり言い淀む。


レイ(これはちょっと話が通じそうにないな)


 これだけ叩かれて自分の方から折れるのもしゃくだが、トランス状態の人間とは会話が出来ない事はこの仕事をやっていれば重々承知している。

 ここはまず正気に戻って貰う為にも。


レイ「・・・・まぁ確かにからかおうとした私も悪かった。許してくれ」


 今の一連の流れの発端ほったんは自分がジルをからかおうとした事からなので、レイの方がいさぎよく折れた。


ジル「・・・あ、いえ、・・・こちらこそすみませんでした」


 突然の謝罪に、ジルの方もふと我に返る。

 そして気を取り直し、ハンカチで涙を拭いながら、改めて感心した口調で言う。


ジル「しかし、特殊な才能を持った者達が住んでいるとはよく言ったものですね。まさかそんな大物が三人も居るとは」


レイ「他にも驚くような人物が何人か居るぞ」


 ほっぺたをさすりながら話す。

 それを見て少し申し訳なさそうな表情をしながらも、ジルが首を左右に振る。


ジル「さすがにその三人と、音羽風音を超える人物は居ないでしょう」


レイ「まず、そこで寝ている片桐煉也君、他にも練武場で師範を務めている片桐凌舞しのぶ君やレノ・リロ君、黒人くろと亜稀あき君に春日かすがひじりさん。この五名は全員カノンの住人だ」


 ルミナ達の話の時ほどではないが、ジルが驚いた顔を見せる。


ジル「確かに凄い集団ですね。まさか同じ所から招待していたとは思いませんでした。今の所私が見かけたのは煉也師範とリロ師範、凌舞師範と変態ジジイ・・・・じゃなくて春日師範の四人ですが、四人共凄まじいの一言でしたよ」


 何も無い所から武器を取り出し、あるいは自分の付近から武器を発生させ、周囲を囲まれた状態から舞うように教え子を片付けていく凌舞。

 かなり広い練武室の端から端までとどく斬撃で、峰打みねうちであるにもかかわらず教え子達を近付ける事すらさせなかった煉也。


 ジルが目にした春日とリロは別の意味でも凄かった。

 春日は女性相手にしか指導せず、男性にはメンチをきっていた。

 リロは最初見かけた時は師範と言うより、ただ悲鳴を上げて襲い来る教え子達から逃げていただけだった。・・・はずなのだが、ジルが仕事を終えて、リロが帰った後の練武室をのぞくと、何故か指導を受けていたシャロンの職員達が全員重症には至らない程度に滅多打ちにされていた。

 まぁ下っ端職員を全員ボコるくらいジルでも余裕で出来るっちゃ出来るが、あんな怯えていた少女が・・・と驚いたものだ。


レイ「他にもロボット工学の第一人者、アリエイラ・フォクス君。元日本の治安組織〈警察〉の出身で、その名を聞くと世界中の犯罪者が震えあがると言われた九重双健ここのえそうけん君。裏側で有名な『名無し』と『メリオエレナの戦闘姫』も居るな」


ジル「・・・・・・・・」


 ジルが驚きを通り越え絶句ぜっくする。


レイ「驚いたかね?」


ジル「お、驚くも何も! 『名無し』は超危険人物ですし、『戦闘姫』は現在勝手に王家を飛び出している状態で、確かメリオエレナではかなり大きな事件になったでしょう!? 二人共そんな所で何をやっているんですか!?」


レイ「知らんよ。ただ現在『戦闘姫』の方は神楽かぐら歌縫かぬい、『名無し』の方はゼロアと名乗っている。せっかく名前が付いたのに、彼はこれからも裏側では名無しと呼ばれ続けるのだろうな」


 ははっと軽く笑う。


ジル「そんな事言ってる場合ですか・・・。何か問題を起こしたりしてないでしょうね?」


 ジルがあからさまに疑うような表情で尋ねる。


レイ「最近の彼らの情報と言えば、戦闘姫の方は最近“かぬちゃん”と呼ばれる事もあるらしい」


ジル「か、かぬちゃん・・・・・・あの武人が・・・・」


レイ「名無しの方はカノンの備品を破壊しては、事務のワグナさんに鈍器でシバかれる毎日だそうだ」


ジル「何ですか、その悲惨な毎日」


 レイの冗談の様な話に適当に相槌あいづちを打ちながら、ここまでに聞いたカノンの乗組員の事を改めて考えていたジルの背筋に冷たい物がはしる。


ジル(本当に何なんだその集団は? 大丈夫なのか放置しておいて。しかも宇宙の宝と言ってもよい三人と同じ場所に、ブラックリストの上位者が二人も・・・)


 ジルがうつむいて唇をかむ。


ジル「長官、質問があるのですが」


レイ「何か?」


ジル「今回音羽風音に依頼する仕事の内容はお決まりなのですか?」


レイ「それなんだよ」


 困ったように顔をゆがめる。


レイ「適当に難しい仕事を与えてみて、明日朝まででこなせない様なら呼び戻す。逆に今日中で終わらせてしまったら新たな仕事を続けて依頼する。・・・・しかないだろうな」


 当たり前の話だが、仕事の進捗具合はその仕事を請け負う人物の手腕によって異なってくる。

 風音がちょうど上手い具合に足掛け二日で終わる仕事とはどういう仕事なのかなど、実際にやらせてみないと分からない。


ジル「そうですか。でしたらここ最近フェクトに数種類の新種の花が、上空から降って来たという話があるのをご存知でしょうか?」


レイ「聞いた事無いな。本当なのかその話は?」


 レイもそれなりに忙しい身分だ。政治経済や星間情勢や国際情勢といった情報には詳しいが、そういったゴシップにはとことんうとい。


ジル「ええ。検索すればすぐ見つかると思いますよ。それの調査に行って頂くのはどうでしょう? 上空に隔離かくり出来ますし、調査期間を日をまたいで二日間にしておいて、何も見つからなければ二日目の早朝に報告書を書いてもらって帰還。もし原因を発見出来ても期間が終わるまでは調査を続行してもらう形、で、どうでしょうか」


 ジルが確実に丸一日拘束可能な案を出す。


レイ「まぁそれでも構わないが、彼はその話を知っているのかな?」


 知らなければどう思うだろうか? いきなり呼び出されたと思ったら、空から花が降って来たから調べて来いとか言われたら。


レイ「でも、私の案よりは確実か」


 ―――――と呟いたその時。


凌舞「ふざけんなコラァ!!」


 ガンッ!!ッと大きな音が部屋に響き、それと同時に何者かの怒号どごうが聞こえた。


ジル(侵入者!? 敵? 警備、護衛、何故!?)


 様々な単語がジルの頭の中に一気に浮かぶが、それよりも早く体が反応する。

 最初のドアの音が鳴った瞬間振り向きざまに腕を広げ、部屋中に鋼線こうせんを張りドアの方をにらむ。

 その直後、怒鳴り声と共に一人の人物が部屋にズカズカと入り込んできた。大股で歩くその人物には意外にも見覚えがあった。


ジル「えっ! 片桐師範!? いけません! 今この部屋で動いては―――」


 まさか関係者がドアを蹴り開けて入って来るとは想像すらしていなかったので、既に部屋中に罠を仕掛けてしまった。


凌舞「だいたい元はと言えばお前らが―――――――」


 既に怒り頂点に達している凌舞にはジルの制止は聞こえておらず、躊躇ちゅうちょ無くレイ長官の方へと歩を進める。


風音「片桐凌舞!!」


 と。凌舞の後ろから付いて来た人物が、部屋に入るなり凌舞に向かって叫ぶ。


凌舞「!!!」


 途端、金縛りにでもかかったかのように、凌舞の動きがピタリと止まる。


凌舞「これは・・・・・?」


 凌舞がぐるりと部屋全体を見回して呟きを漏らす。そして、無言で右手の人差し指を自分の首の位置の約十センチほど前に持っていく。


凌舞「・・・・・」


 何かに触れた感覚はほとんど無い。痛みも感じない。

 だが凌舞の人差し指から血がしたたり落ちる。


凌舞(痛みを感じない。これは確か裏側のキュエリ・・・何とかいう素材で出来た武器、か)


 キュエリエル。裏側で「天使の口づけ」という意味を持つ素材。

 武器に加工された場合、主に遅効ちこう性の毒を塗って暗殺に使われる。

 この素材で出来た武器で切られた部分は痛みを感じない。

 違和感すら無いので切られた側に切られた自覚が無い。基本的には丸一日以上無痛状態が続くが、調整次第で痛みを早めに戻す事も出来るので、しばしば拷問にも利用される。


凌舞(この切れ味、もしあと一歩進んでたら首が落ちてたな)


 すうっと自分の身体から体温が消えて行くのが分かる。


凌舞「冗談で使っていい物じゃないな、これは」


 凌舞が先程までとは違う、本物の怒気を含めた声でそう言うと、冷たい目でレイを睨む。


レイ「いや、違う! 誤解だ! 少なくとも私は無実・・・!!」


凌舞「二式!!」


 叫ぶと同時、凌舞の手に身の丈ほどもある巨大な白銀の槍が現れる。


凌舞「ふっ!」


 前方に槍を振り下ろしながら跳躍する。

 一閃。

 一呼吸で瞬く間に凌舞とレイの直線上にあった鋼線を全て断ち切りながら、跳ねる様にレイの目前まで移動する。

 そして一呼吸ついてから、レイの目を見て言う。


凌舞「さて、何か言い残す事があれば聞いてやる」


 レイを見下ろしながら言う凌舞の手にはもう既に槍は無く、代わりのレイの机に置いてあった辞書やファイルなどが鷲掴わしづかみにされている。


レイ「だから誤解だ。というか、そもそも君がなぜ怒っていたのか理解出来んのだが」


凌舞「はぁ? このに及んでまだシラを切るか。この間のひったくりの件に決まってるだろうが! お前らあの時凶悪犯罪の対処に忙しいとか何とか言って、まともに捜査しなかったろ? そのせいで・・・せっかく俺達が捕まえたってのに・・・まぁ何か色々あって・・・・・最終的に俺がワグナさんに近い将来シバかれる事になったんだぞ!」


レイ「知らんがな」


凌舞「しかもそん時の事で説教くらいにこんなとこまで来たと思ったら、いきなり命を狙いにきやがって。下手したらマジで死んでたぞ、おい? なぁ? ここまでされて怒らん奴はおらんだろ? ええ?」


 そう言いながら、完全に座った目でもう既に左手に握った辞書を振りかぶっている。


レイ「だから命を狙うとかに関しては誤解だと言ってるだろう。それに、今日は別に説教する為に呼び出した訳じゃない」


凌舞「言い訳は聞きたくない!!」


レイ「君さっき言い残す事があれば聞くって言ったじゃないか!」


凌舞「あぁ? 知らんな。年齢のせいで幻聴でも聞こえたんだろ、かっわいそうによ」


 言うが早いか、凌舞がレイに向かって全力で辞書を投げつける。そして続けざまに近場にある物を掴んでは、次々にレイに向かって投げつける。


レイ「お、おい! まて!」


 レイの悲痛な叫びの横で、風音がジルに向かって話しかける。


風音「キュエリエルを使った武器なんて、ずいぶん悪趣味だね? その素材は、医療を中心に然るべき状況や場所でのみ使用されるべきだ、って習わなかった?」


ジル「ハハ・・・・・。よく言われます。でも私は別に趣味の悪い使い方をする気はありませんよ? ただ職業柄と言うか、凶悪犯を相手にする事が多いので仕方無く使っています」


 と複雑な表情で言うジルの説明に。


風音「? なんで?」


 風音が首をひねる。


ジル「な、なんで・・・って。そりゃ私はシエロに勤めていた訳ですから。自ずと凶悪犯と対峙する事は多くなりますし」


風音「いや僕が聞きたかったのは、なんで凶悪犯を相手にする事が多いのか? じゃなくて、何で凶悪犯の相手をする事が多いとその武器を使わないといけないのか? なんだけど。別に普通の武器使えばいいんじゃない?」


ジル「えーと、そうですよね。確かにさっきの説明だけじゃ分かりませんよね。要するに、死をもって償わなければならない様な凶悪犯でも、人としての尊厳はある、という事です。私がこの武器を使うのは、彼等をせめて最期くらいは苦しまないように、安楽死させてあげる為です」


 と説明するジルの瞳がわずかに揺れたのを、風音は見逃さなかった。


風音「建前たてまえはともかく、本音は?」


 少し意地悪な顔をして聞いてきた風音の質問に、ジルが少し驚いた表情をしたものの、すぐにニヤリと笑って答えた。


ジル「犯罪者なんて極限まで苦しんでから死ぬべきです。最低でも自身が手にかけた被害者達と同じ苦しみは味わってもらわないと、不公平でしょ? と言うのが本音なんですが、いろいろとうるさい団体がいましてね。立場上、仕方なく使っています」


 同じ人物とは思えないほど正反対の意見が返ってきた。

 今度は逆にジルが風音に尋ねる。


ジル「どうして最初の主張が建前だと分かったのですか?」


風音「も~すんごい顔に出てた」


 と言いながら、風音が両手で自分の顔を挟んでサンドイッチにした。

 ジルが混乱する。


ジル「あの、その行為には何か意味があるのでしょうか?」


風音「どれくらい顔に出てたか表現しようと思って・・・」


 サンドイッチにされ、潰れておちょぼ口になった口を必死に動かして喋る。


ジル「はぁ。少し大袈裟な気もしますが」


 そのジルの真面目な反応に、風音が焦ったように言い訳をする。


風音「良かれと思って。・・・・・今となっては猛省してます」


ジル「え? はぁ。別に文句がある訳ではないので構わないのですが」


ジル(これが異能集団のトップ・・・・。確かに普通とは何かが違うな)


 目の前の人物に軽い戦慄を覚えながらも、くじけずに会話を切り出す。


ジル「さっきもレイ長官と会話している時に思ったのですが、私この秘書という仕事が向いて無いのではないかと思うんですよね」


風音「え? なんで?」


ジル「どうも感情をすぐに表に出してしまうというか・・・・・。上司相手に手をあげてしまったり、今も初対面の相手にいきなり本音を暴かれたり。私の性格は一番秘書に向いてないような気がするのですが」


 ジルが顎に手を当てて考え込む。

 真剣な表情をしているジルの横で、軽く笑いながら風音が努めて明るく言う。


風音「僕は好きだけどね。感情を押し殺す人よりも表に出してくれる人の方が。まぁ確かに秘書に向いてるか向いてないかで言うと、完全に向いてないけど」


ジル「はぁ、正直ですね」


風音「あぁそれと、ポーカーフェイスが上手くなった所で意味無いよ? 僕なんてポーカーフェイスにはかなり自信あったのに、心を読んでくる友人の前では何の役にも立たなかったし。アレは体験した人にしか分からない恐怖だよ」


 思い出しただけでもぞっとして、風音が身震いする。


ジル「はぁ。あの、というか、その顔の状態はいつまで続けるつもりなのでしょうか?」


 未だにサンドイッチ状態で唇をピコピコ動かしている風音の顔が、真面目なジルにはどうも落ち着かないらしい。


風音「止め時が分かんなくて。もうこうなったら行けるとこまで行こうかなって」


ジル「猛省した時に止めれば良かったのではないかと思いますが」


風音「猛省? 今もしてるよ?」


ジル「じゃあ止めましょうよ」


風音「はい・・・・・」


 ゆっくりと顔から手を離し、フゥッと一息つく。


風音「あ、申し遅れました。わたくし風音。音羽風音と申します」


ジル「あそこまでやっといて今さら紳士ぶらなくてもいいですよ。というか知ってますし。有名人ですからね」


 ジルが改めて風音の顔を見る。


ジル(そう、我々の間では有名人なんだ。この男は・・・)


 まじまじと風音の顔を見つめる。


風音「あの、一応言っとくけど、僕そっちの趣味は無いからね? よく女の人と間違われるんだけど、見た目と中身は関係ないよ?」


 無言でじっくり顔を見つめてくるジルから、引きつった表情で後ずさる風音に、慌ててジルが反応する。


ジル「いえいえいえ! 違いますよ! 私もそんな趣味は無いですから! ただ、有名人が目の前に居る事を改めて実感していただけです!」


風音「本当に?」


 引き続き引きつった表情で尋ねる。


ジル「本当ですって。と言いますか、こう言っては何ですが顔をしばらく見られたくらいでそんな事を言うのは、少し自意識過剰気味ではないかと思うのですが」


風音「あなたもずいぶんとストレートに物を言うね。でもどんな些細ささいなフラグも立たない様に潰しておきたいから」


 額に手を当て、ややうつむき加減で言う。


ジル「過去に何かあったのですか?」


風音「過去にっていうか、現在進行形で男に言い寄られてるんだよ。カノン・・・僕が住んでる艦の乗組員にこと千丸ちまるっていうのが居るんだけど。その子が雌雄同体しゆうどうたいなのになぜか・・・って、まぁいいかこの話は」


 風音がひらひらと手を振る。


 風音が続きを語るのをやめたので、ジルの方から思い出したように切り出す。


ジル「そういえば、自己紹介して頂いたのにこっちはまだ名乗っていませんでしたね。この度シエロよりシャロンに転属してまいりました、レイ長官の護衛兼秘書のジル・クミミです。以後宜しくお願い致します」


 自己紹介の終わり際に右手を胸に当て、軽く礼をする。


風音「クミミちゃんは犬好き?」


 なんかやたら可愛い名前だったので、ちゃん付けで呼んでみた。


ジル「クミミちゃん!? ジル、ジルで結構です。あ、犬? 犬は好きですよ。あの生き物は生まれてしばらくした時の姿が、どの生き物よりも可愛らしいですよね」


 風音の表情が今日一番明るくなる。


風音「あ! やっぱりそう思う!? シャロンのトップが言ってるんだからもうこれは完璧だな。真理に認定されたと言ってもいい。ああ、こうしてる場合じゃない。何とかして今のコメントを全世界に配信する方法を考えないと」


ジル「それは無理だと思いますけど」


風音「いや、頑張れば無理な事なんかこの世に・・・」


ジル「いくらでもありますよ。そもそも私はトップではないですし。どうしたんですか風音さん。冷静さを失ってますよ」


 犬に関してはこれが風音のいつも通りなのだが、ジルにはキャラが豹変ひょうへんしたように映ったらしい。


風音「ついに犬時代の到来かと思ったのに」


 風音が下唇を噛む。


ジル(犬時代・・・・・・)


 平和そうな時代ではある。


ジル「いつか来るといいですね」


 作り笑顔と共に適当にコメントする。

 ジルがふと横を見ると、未だに凌舞が本やバインダーを投げているのが見えた。

 レイの方はだんだん避けるのが上手くなってきている様で、飛んでくる物のほぼ八割方を避けるかもしくは椅子でガードしている。


ジル「そういえば、先程片桐師範がここに入って来られた時、風音さんは師範の事をフルネームで呼ばれていましたが、アレは普段から・・・」


レイ「いつまで喋ってるんだお前らは!!! って言うかジル! お前今一瞬こっちを見ただろう! 何普通に雑談に戻ってるんだ!!」


 突然の怒鳴り声に、風音とジルの二人が会話を中断しレイの方を見る。

 凌舞の執拗しつような攻撃を喰らい続けたせいで、さっきまで綺麗だったシャロンの制服がヨレヨレになっている。


風音「シノ! もうそろそろいいんじゃないか?」


 風音の声に凌舞の手がピタリと止まる。

 そしてゆっくりと風音の方を向いて呟く。


凌舞「あと五分、いや、二十分俺の自由にさせてくれ」


レイ「何故要求する時間を増やした?」


 かなり疲れているのか、レイが椅子に手をやり肩で息をしている。

 やれやれ、という感じで風音が首を振る。


風音「じゃあ二十分だけだよ?」


レイ「えっっっ!!?」


ジル「それ以上は待てませんからね?」


レイ「おいっ!」


凌舞「感謝する。二人は世間話第二ラウンドにでも華を咲かせていてくれ」


 そう言うと、改めて近場に落ちている本を拾い上げ、レイの方に向き直る。


レイ「ちょっ、待てっ! 考え直せ!」


 説得むなしく、凌舞の腕はレイの方に向かって振り下ろされた。



  約二十分経過――――――


凌舞「ハァ、ハァ・・・・・疲れた」


 先程のレイの様に、今度は凌舞が肩で息をしながら壁の方まで歩いて行き、壁に背を預け座り込む。


レイ「し、信じられん。まさか本当に二十分やるとは・・・・・・」


 ちなみにレイはこの二十分間で更に椅子の扱いが上手くなり、飛んで来る物の九割方を打ち落とす事が出来る様になっていた。

 さすが治安組織のトップといったところか。

 結果延長戦では思ったほど怪我はなかったのだが、それでも満身創痍まんしんそうい、虫の息状態になっている。


レイ「だが、もっと信じられんのは――――」


 風音とジルの方を向く。


レイ「いつまで世間話してるんだお前らは!!」


ジル&風音「え?」


 不細工なのに何故か人気の動物というのが地球にも裏側にも居る。良い意味で不細工とでもいうのか。

 しかし本当に不細工で気持ち悪がられている動物もいる。

 ・・・ああいうのはどのラインから仕分けされているのか、についての議論が白熱していた所に再びレイから怒鳴り声が聞こえた。


レイ「ジル! 君は私の護衛だろう!? 何故何もしない!?」


 レイがジルをにらみながら言うと、ジルが困った様に答える。


ジル「助けようかとも思ったのですが・・・・・。片桐師範の言う事ももっともだと思いまして。私自身以前からシャロン、ひいてはシエロの捜査のやり方には疑問を感じておりまして。民間人から軽犯罪を軽視するなという声が上がるのは時間の問題だと思っておりました」


レイ「だからと言って目の前の暴力に目をつぶってどうする!!」


ジル「いえ、ですから。 民間人代表の声である片桐師範の意見に心を痛めた長官が、文字通りその身で皆の怒りを受け止めているのではないか、と思いまして。それなら邪魔しては悪いかと」


風音「そうだったんだ。漢だね、レイさん」


 風音がレイに尊敬のまなざしを向ける。


レイ「節穴ふしあなかお前らの目は! 一体どうすれば私の行動が民の怒りを受け止めている様に見えたんだ! 必死で避けてただろが!」


ジル「だから‘何故避けるのだろう?’と心の中で思っていました」


レイ「アホかお前は! 察しろ! 助けろ!」


 椅子の背もたれの部分をバンバンと叩きながら怒鳴る。


風音「まぁこればっかりはしゃあないわ」


レイ「そしてそのノリ!! なんだお前ら!!」


 レイが風音に怒鳴る。


風音「だってあれ正当防衛でしょ。僕等はレイさんの呼ばれてここに来たのに、ここに来るなり突然殺されかけたんだよ? 冷静になって考えてみてよ。僕が止めるの遅かったら、人が一人本当に死ぬ所だったんだよ? 今。そこで」


 先程凌舞の首が落ちそうになった辺りを指差して言う。


レイ「そ、それはそうかもしれんが、ドアを蹴り開けて入ってくる方にも問題があるだろう?」


風音「シャロンではドアを蹴り開けて入ってきた者は殺していいの?」


 間髪いれずに聞き返す。


レイ「場所にもよるだろ。ここは長官室だぞ? 強引に入ってこようとする者は敵と見なされても仕方ないだろう?」


 風音が壁に背を預けて座っている凌舞の方を見て言う。


風音「だってさ、シノ。レイさんはシノの行動が全面的に悪いとおっしゃっているみたいだよ」


 凌舞がかすかに笑みをこぼす。


凌舞「・・・・あと一分くれ。そうすれば息が整う。次は手加減抜きだ。ブチ抜いてやる」


 そう言いながら、ゆっくりと、ゆっくりと立ち上がる。そして、元々つり上がった目つきの凌舞の目が、更につり上がる。

 その光景を目の当たりにしたレイが全身に冷や汗をかく。


レイ「いや、だからね? もちろん私の方にも非があるという考え方も出来るのだけどね? 何と言うか、もっとお互い多角的にモノを見ようじゃないか、という事が言いたかったんだよ」


 レイにはレイの立場や事情があるという事を分かって欲しい、と伝えようとしたが、


凌舞「多角的に? 次はもっといろんな角度から本を投げてほしいのか?」


 やはり伝わらなかった。


レイ「まず物を投げるという考えを捨ててほしい。原始人かキミは」


凌舞「原始人? おいおい、こんなに部屋を散らかしているような奴にだけは言われたくないな」


 そこいら中に物が散乱し、メチャクチャに散らかった部屋を見渡す。


レイ「これ全部君がやったんだけどね。さっきまでは快適な空間だったよ」


 そう言ってレイも部屋を見渡す。ソファには煉也が静かに寝息を立てながら眠っている。


レイ(よくこの状況で寝られるな・・・)


 呆れを通り越し感心する。


風音「確かに不可抗力とはいえ散らかっちゃったからね。一緒に片付けようか」


 これ以上続けさせても仕事が始まらないので、凌舞を止めて片付けを提案する。


レイ(不可抗力・・・・)


 レイの中に何か釈然としないものがよぎる。


風音「おっと、その前に。レイさん、ちょっとこっち来て」


 風音がレイに手招きする。


レイ「?」


 よく分からないが、レイが言われた通り風音の方に近付く。と、風音が突然レイに抱きついた。


レイ「なっ!?」


 レイがとっさに逃れようともがく。


風音「いいからじっとしてて」


 静かな声で言われ、諦めてレイが体の力を抜く。

 しばらくして、風音の体が青白く光り始め、その光が風音とレイを包み込む。


レイ「これは・・・・」


 自分の体から先程の本をぶつけられた痛みが和らいでいくのが分かる。しばらくその状態が続いた後。


風音「ああ、駄目だ。僕じゃこの辺が限界か」


 悔しそうな顔をしながらそう言って、風音がレイの身体から腕を離す。


風音「やっぱり癒々さんみたいにはいかないな」


 しかめっ面でぼやいた。


レイ「確かこれはきみの自己治癒能力じゃないか。他人にも使えたのか?」


風音「うん、まぁ少しはね。さすがに癒々さんみたいに完璧にはいかないみたい。自分の治療なら僕の方が性能高いと思うんだけどなぁ」


 自分の掌を見ながら悔しそうに呟く。確かにレイの体にはまだ完璧に治っていない場所がいくつかあった。癒々なら完璧に治せただろう。


レイ「単純に、もう一回同じ事を私にやってみたらどうだ? 少しずつ治っていく訳だから、その内完治するんじゃないか?」


風音「そういう訳にもいかないんだよ。レイさんには分からないかもしれないけど、今レイさんの体には僕の力っていうか、エネルギーみたいなものが充満しててね。明日には消えると思うけど、とにかくその間はもう一度やったって効果が無いんだよ。薬に例えると分かり易いかな? 一度に飲む量と効果は決まってて、それ以上飲んでも効かないどころか逆効果、みたいな? そんな感じ」


 だが癒々の治療はその制限も克服しているので、同じ日に何回でも同じ人物を治療できる。そういう意味でも他人の治療においては風音は完敗している。ちなみに、風音も自身の治療なら一日に何回でも出来るのだが。


風音「特にその顔の傷なんてよっぽど強く打ったのか、腫れがほとんどそのまま残ってるし。―――――おい、シノ! 人の顔に向かって物なんて投げちゃ駄目だろ!」


 風音が壁にもたれている凌舞に向かって一喝する。


凌舞「いや、顔になんて投げてねぇよ。アレじゃないか? 元々怪我してたとかじゃないのか? 多分」


風音「んま~~~~~~この子ったら! しょ~もない言い訳して! すいませんウチの子アホで」


 風音がレイの方に向かって頭を下げる。


凌舞「やってないっての・・・。あとうちの母親の真似すんのやめろ」


 あらためて反論する凌舞。


レイ「いや別に顔の傷は気にしなくて良いが・・・・・」


 レイがちらっとジルの方を見る。ジルはこの会話に対し、


ジル(というかあの顔の腫れは私が引っぱたいた時のやつだな。まぁ長官もわざわざ言う気も無いみたいだし放っておこう)


 と我関せずを決めこんで黙々と片付けを続けた。




風音「うん。こんな感じかな」


 綺麗に戻った部屋を見渡して満足そうに言う。


凌舞「しかしもう一時回ってるじゃねぇか。無駄な時間を過ごしたもんだ」


 やれやれ、と首を振る。


レイ「本当にその通りだ。が、君が言うな」


 半分投げやりにそう言うと、改めて風音と凌舞を見る。


レイ「ようやく本題に入るが、まず君等を呼び出した理由についてだが、どうしても引き受けて貰いたい仕事があってね。個人的な頼みであると同時に内容が・・・その、かなり特殊だから直接会って話を付けないと断られそうな気がしてね。敢えて内容を伏せさせてもらったのだが」


風音「だから電話とかメールにも出なかったのか」


レイ「ああ。すまない」


 レイが二人に向かって軽く頭を下げる。


風音「もっと僕等を信用してくれていいよ。真摯しんしに頼まれた時は断ったりしないから。だから次からはちゃんと伝えて貰えると助かるんだけど」


レイ「本当にすまなかった。君が怒ってわざと何時間も遅れてくるのも仕方ないな」


 再びレイが頭を下げる。


風音「?」


 レイの言葉に、風音がお手本の様な愛想笑いを浮かべて首を傾げる。

 わざと何時間も?

 思い出したように風音が手をポンと打つ。


風音「あぁ、遅れてきた理由? 確かにこっちの連絡に答えなかったから、ちょっと遅れて行くくらいでいいやってなってたんだけどね。 でも長時間遅れた理由は、わざとっていうか単にペットショップのお姉さんが、触れ合いコーナーに新しい子犬を迎え入れたって言ってたからだよ。 確実にレイさんよりは優先だなって思って」


レイ「風音君の中で私の立ち位置ってそんな低いのか?」


 呆れるレイ。


凌舞「いやこいつの中で犬の位置が高すぎるだけだ」


 凌舞が代わりに答えておく。


風音「それと、そこでお金を使ってしまったせいで朝ごはんがパン一つと、外の給水所の水だけになっちゃってさ。シノはパン三つにコーヒーまで飲んでたのに、反省しろとか言って分けてくれなかったし。だから今ちょっとお腹空いてて・・・・」


 お腹を押さえながら辛そうな顔をする。

 レイを回復したせいでもある。

 回復は何度も使えるが、カロリーを大きく消費する。カロリーが無くなった時点で回復技はもう使えない。


ジル「何か軽食でもお持ちしましょうか?」


 ジルが風音に尋ねると、風音の顔がパァッと明るくなる。だが凌舞がその横で手をひらひらと左右に振る。


凌舞「あー、いらんいらん。コイツは甘やかすと際限なく調子に乗るからな。無計画にお小遣いを使ったらどうなるか、身体に覚えさせる必要がある」


風音「うぅ・・・・・」


 風音がうなだれる。


レイ「君たち見てるとテレビドラマなんかによくある、しっかり者のかあさんと駄目亭主の構図を見てるみたいだな」


凌舞「いやいや・・・」


風音「あぁ・・・・・」


 しっかり者と言われた為か少し照れている凌舞と、悲痛な表情の風音を見て思う。


レイ(何と言うか、微笑ましい光景だな。世の中こういう者たちばかりなら我々など必要無いだろうに)


 治安部隊の長になってからというもの、こういう考え方をよくするようになった。


レイ「さて、話を戻そう。これから二日間、と言っても正確には明日朝までだが、君たちにある植物の調査をして貰いたい」


 ようやく依頼の本題に入る。


風音「植物?」


 珍しい依頼内容に思わず声をあげる。


レイ「ああ。調査が完了するまでは帰還せずに徹底的に調べてほしい。だが、期限が来ても何も進展が無ければすぐに帰還してくれたまえ」


風音「??」


 植物の調査というだけでも珍しいのに、奇妙な条件まで付いている。複雑な表情をしている凌舞を横目に、風音が尋ねる。


風音「結局その調査は重要なの? そうでもないの?」


レイ「重要だ」


 あまりに簡潔に答えられたので、風音も反論せず口をつぐむ。


レイ「期間を限定しているのには理由があるが、それは言えない。とにかく、調査する事にはとても重要な意味がある」


 ―――と、思いたい。とレイが心の中で呟く。


風音「ふぅん。で、調査って具体的には?」


 まだ少し納得いかないが、取り敢えず先をうながす。


レイ「ふむ」


 少し下を向いて何か考える様な仕草をした後、ゆっくりと風音達の方を見据えて言う。


レイ「空に咲いている花を探して来て欲しい」


 ・・・・・・・・・・・・・・


 レイの言葉を聞いた二人が、何か不可解なモノと遭遇したような表情へと変わる。

 風音達が何度も今聞いた言葉を頭の中で繰り返してみるが、自分の目の前の人物が何を言っているのか理解できない。


 しばらくして風音が、ゆっくりと言い聞かせるように、


風音「あのね? 空にね? 花はね? 咲かないんだよ?」


 とレイに向かって優しく告げる。


レイ「そ、それはそうなんだが」


 やはりそんな情報は知らなかったようだ。レイが予想していた通りの反応をされる。

 何か焦っているレイの頭に向かって、凌舞が手を近付ける。


凌舞「あのな、花が咲いてるのは空じゃなくて・・・・・」


 そのままレイの頭を指でトントンと叩く。


凌舞「ここだ」


 あきれ顔で言う凌舞の横では、風音が『この近くに老人ホームってあったかな・・・』などと怖い事を呟いている。


レイ「本当に容赦ないな、君達」


 レイが冷や汗をかきながら言う。


風音「そりゃそうでしょ。じゃあ逆に聞くけど、空に花が咲いていると思った根拠は?」


レイ「私も詳しくは知らんが、何も無い上空から新種の花が何種類も降ってきたらしいんだよ」


 ジルが検索してくれと言ってたくらいなので、実際にあった話なのは間違いないだろう。

 しかしレイ自身はその話を詳しく知らないので何とも言えない。

 話に信憑性しんぴょうせいを持たせる為にももっと詳細をジルに聞きたかったが、絶妙なタイミングで凌舞が怒鳴り込んできた。


 しばらく考えていた風音が。


風音「降ってきたって、どこに?」


レイ「フェクト各地で。ここは海のど真ん中だからね、どこかから風で運ばれてきたとも考えにくい」


風音「・・・・・・」


 風音がしばらく考え込む。


風音「ユニィ」


 その呼び声に応じるかのように、風音の前でヒュウッと小さな風が吹く。

 そして、風音の目の前に。


ユニル「はーーい。何ですか? 風音さん」


 くるりと回転しながら、陽気な声と共にユニルが登場する。


ジル(!!!)


 何も無い空間に突如現れた妖精に、ジルが驚く。


レイ「おや? 君は彼が妖精持ちだと知らなかったのかな?」


 ジルの反応を見たレイがジルに尋ねる。


ジル「いえ・・・・・」


 ジルが首を振る。

 当然知っていた。大気を操る妖精と契約しているという事はブラックリストに載っていた筈だ。

 だが、ジルが驚いたのはその妖精が空間内に溶け込んでいた事の方だ。

 自分が司るモノに溶け込む事が出来る妖精は、妖精の中でもかなり上位に位置する者だけだったはず、しかも今風音は彼女の事をユニィを呼んでいた。


ジル(大気に溶け込む・・・・この妖精は、もしかして風の王ユニル・フレイアロウじゃないのか? もしそうだとすると、何故そんな重要な情報がブラックリストに載っていない? ただの大気の妖精とは意味が全く違う・・・)


 裏側では、万物に妖精が宿る星があるというのは有名だ。

 彼女はその星の出身であり、何らかの形で風音と契約したのだろう。

 木には木の、岩には岩の。目に見える物だけではなく概念にも。重さ、美しさ、優しさ、歌、音、味、秩序、世界、生、死、など。その星では文字通り万物に妖精が宿ると言われている。


 普通に考えるなら、秩序や死、世界などを司る妖精達は強力な力を持っていそうに思うが、実の所これらの妖精達には大した力は無い。

 例えば『死を司る妖精』の場合、誰にでも自由に死を与えられる訳ではなく(風音とユニルの様に)誰かと契約した場合に、契約した者の死期をある程度操れたり、その者の死期が近付くと安らかな死を与える事が出来たりする程度である。

 これに対し、目に見える物や自然界に存在するものに宿る妖精達はかなり大きな力を持つ。


 ジルはシエロで研修生活をしていた頃、妖精を敵に回してしまった時の対処法を聞いた。

 相手はこちらがどんな戦略を立てても戦略ごと握り潰せる力を持つ。とにかく自分へのダメージを一時的に無視してでも無理矢理相手に近付き、一気に妖精本体を討つ。

 もうそれしか方法が無いらしい。

 そして仮に、敵に回した妖精が何かに溶け込んだり、もしくは何かの中から突然現れたりしたのを見た場合は、全力で逃げろ、闘おうなどと考えるな。・・・だそうだ。


ジル(しかし・・・・・確かあの時教官が言っていたな・・・・・)


 妖精というものは何者かと契約すると、著しく使える力が制限されるとも言っていた。

 人間が妖精と契約する時は、その妖精の存在全てを自分の内に受け入れなければならないのだが、妖精とはその存在そのものが大きすぎるのだ。

 どんな偉大な人間でも自然の偉大さの前にはまるで及ばない様に、妖精と人間の間にはそれに匹敵ひってきするほど『生まれ持ったもの』に差がある。

 妖精と人間が契約し、共生するにはその差の分だけ妖精側がある程度能力を抑える必要がある。

 そうしなければ妖精の力が人間側の持つ容量を超えてしまい、その力を抑えきれずに、その人間が“内側から”死んでしまう―――要は廃人になってしまうのだ。


ジル(この弱体化は妖精の格が高いほど顕著になる・・・つまり、今のユニルはそれほど脅威ではない、と言う事か? だからと言ってそんな重要な情報をブラックリストに載せないというのは考えられないが。やはり長官も言っていたように、上の連中の考えはよく分からないな)


 ユニルを見ながら、ジルがまた一つ溜息を吐く。

 そんなジルをよそに、風音とユニルはあーだこーだと議論を交わしている。


風音「実は遠くから飛ばされてきたとか? 植物とか虫が上空の気流に運ばれて海を渡る事なんて、そう珍しい事じゃなかったような?」


ユニル「虫ならともかく植物はその可能性は低いんじゃ・・・・さすがにここは太平洋のど真ん中ですし。運良く気流に乗っても、ここにたどり着くまでに分解されるか枯れちゃうでしょ? ましてそれが全て新種の花なんてありえないと思いますが」


風音「そういうもんかな?」


ユニル「多分・・・。まぁ私みたいに自在に風を操る事が出来れば大陸からここまで完全な状態で運ぶ事も可能だと思いますけどね。凄いと思ったら褒めてくれてもいいですよ?」


風音「ああ、凄い凄い」


 言いながら風音がぐりぐりとユニルの頭を撫でる。

 撫でられながらユニルが羨ましいだろう、と言わんばかりの視線を凌舞に向けたが凌舞が鼻であしらう。


風音「じゃあやっぱりレイさんの言う様に、元々空に存在していた花が降ってきたと考える方が自然?」


ユニル「その花を見てみたいですね。実物を見れば案外答えがすぐに分かるかも」


 そして二人がレイの方を見る。思わず目を逸らしかけたレイが、何とか平静を装いつつ二人に向かって言う。


レイ「残念ながらここには無くてね。今は別の場所で調べてもらっているから、しばらく見る事は出来ない」


 ・・・という事にしておく。詳しい事はレイにも分からないので、今ここには無い事にしておいた方が面倒が無くていい。


風音「その花の特徴とか覚えてないかな?」


レイ「すまん。私は見ていないし、あまり花には興味が無くてね。仮にそれらを見た事があったとしても、花なんてどれも同じに見える。当然普通の花と新種の違いなんて見ただけじゃさっぱりだと思う」


 ここは真実を語る。


風音「・・・・・・・・・・」


風音(・・・・・・・何と言うか)


 何と言うか全体的にこの話は胡散臭さ全開の様な気がしてきたが、これ以上踏み込んだ質問をした所で何か答えてくれるとも思えない。

 少し考えた後、


風音「ちょっとゴメン。少し時間下さい」


 と、レイとジルに軽く頭を下げてから、凌舞に目で合図を送る。そして少し離れた場所、部屋の隅まで移動する。


風音「どう思う?」


 あちらの二人には聞こえないように、声をひそめて話す。


凌舞「ウソくさい」


 歯にきぬ着せずとは正にこの事だ。


風音「うん。所々嘘くさいっていうか、レイさん自身が都市伝説レベルのものだと解釈しているものを依頼してきてるような感じ。もしくは本格的にボケちゃったか、だね。 レイさんの出身とか知らないけど、星によっては五十過ぎで高齢っていう所もあるし」


ユニル「二人ともレイさんの話を信じるという選択肢は無いんですね」


 ユニルが苦笑いしながら言う。


凌舞「だってウソくさいし」


風音「うん。老人ホームを紹介した方が早い気がする」


ユニル「アハハ・・・・・・・」


 乾いた笑いをもらす。


凌舞「何か今日はやけに奴を老人ホームへ放り込む事にこだわってるな」


風音「放り込むって表現は不謹慎だけどね。何て言うか・・・そう、彼を老人ホームに入れてあげる事が今日の僕の仕事の様な気がする」


 そう言ってぐっと拳を握る。


ユニル「さすがにそれは気のせいじゃないかな」


 ユニルが引き続き乾いた笑いをもらす。


風音「だって知り合いが認知症になるのは見てて辛いからねぇ。まだ症状が軽い内に、同世代の話が合う人達がたくさん居る場所に連れて行ってあげた方が良いと思って。そこでたくさんのコミュニティを作って会話を重ねる事が、ボケ防止にもつながって――――」


レイ「まだかな?」


 語り部と化していた風音の話に割り込む様に、少し大きめのレイの声が部屋に響く。


風音「あ、もうちょっと待って下さい」


 笑顔で会釈しながら応じる。


風音「・・・・やれやれ、年取ってからせっかちになるタイプの人って居るよねぇ」


凌舞「カザ、音量絞らねぇとあっちに全部聞こえるぞ。それよりどうすんだ? この依頼」


風音「うん。重要なのは、あの話を信じるか、じゃないんだよな。嘘であれ何であれ、依頼を引き受けるかどうかなんだよ。ちなみにシノは?どうしたい?」


凌舞「まぁ、真偽はともかくシャロンの依頼は引き受けといた方が良いだろーな。それが借金返済の一番の近道だし」


風音「・・・・・だな」


 風音がうなずくと、風音の肩に座っていたユニルも頷く。


ユニル「ですよね。こんな面白そうな話を断るなんてもったいないですよ。借金の方は別に返せなくてもいいですけど」


風音&凌舞(・・・・・? 何で?)


 二人して不思議そうな表情でユニルを見つめる。


ユニル「どうかしましたか?」


 キョトンとするユニルに二人が口々に言う。


凌舞「どうかしてるのはお前だろ」


風音「今朝から思ってたんだけど、ユニィの借金に対する考え方が昨日までと180度変わってるのは何で?」


 ユニルがそんな疑問を持つ二人とは対照的に、ニコニコしながら風音の耳元に近付く。


ユニル「それを私に聞くのは野暮やぼってもんですよぉ」


 照れながらペチペチと風音の肩を叩く。


風音(??)


 野暮?

 隣で凌舞も眉をひそめている。


ユニル「ホントに風音さんも凌舞さんも乙女心が分かって無いですねぇ」


 風音の顔の真横でユニルがやれやれと首を振る。


風音(乙女・・・心・・・・・・・・)


 凌舞なら分かるんじゃないか? と風音が凌舞に目配せする。

 分からん、というジェスチャーが返ってきた。


凌舞「・・・まぁこいつは放っとこう。とにかく引き受ける方向で」


風音「そだね」


 プチ会議を終わらせ、レイの前へと戻り結果を報告する。


レイ「そうか、引き受けてくれるか。ありがたい。いや、本当にありがたい」


風音「ただ・・・」


レイ「ん? 何か問題でも?」


風音「空に・・・行くって? どうやって? 炎火ほのかを動かしていいの?」


ジル「ぁあ、それでしたら私の―――」


レイ「どうやって? もなにも、キミ確か空飛べただろ?」


 ジルとレイがほぼ同時に喋り出したが、ジルの方がゆずったのか途中で喋るのを止めたので、風音がレイの方に答える。


風音「確かに僕もユニィの影響で多少風は操れるんだけど、空を飛ぶのはちょっと僕の力では無理なんだよ。だからあれはユニィにやって貰ってるんだけど。・・・・・ユニィ?」


ユニル「ほえ?」


 突然呼ばれたユニルが間の抜けた声をあげる。


風音「聞いてた? 今の話。今回の仕事はユニィが頑張らなきゃならないみたいだけど」


ユニル「あぁ、そうなんですか? ごめんなさい、今何となく煉也の寝顔を見てたら怒りが沸いてきて、話をちゃんと聞いてませんでした。・・・で? 具体的には何をするんですか?」


 風音が少し首を傾げる。何か煉也とユニルの間に確執かくしつでもあったのだろうか。


風音「僕達三人を二日間空に浮かせ続ける事は出来る?」


ユニル「えっ――と。しんどいです」


 せつない答が返ってきた。

 が、風音も食い下がる。


風音「―――それは、頑張ればいけますって言っていると解釈しても良いのかな?」


ユニル「・・・と言いますか、風音さんだけならともかく、他の二人の為に私が疲れるのは割に合わないと言いますか」


凌舞「ひでぇな」


 凌舞が吐き捨てるが、ユニルも負けじと口を尖らせて言う。


ユニル「だって本当に疲れるんですもん。例えば凌舞さんだって、48時間正座しろって言われたら辛いでしょう?」


 言われて想像してみる。


凌舞「きっっついな、確かに。そんな感覚なのか?」


 それなら断りたくなる気持ちも分かる。


ユニル「いや、そこまできつくは無いですけど。あくまで例えですよ。でも風音さんと二人きりならこのユニル、高度何千メートルだろうが何日だろうが、力尽きるまで頑張っちゃいますよ」


 ユニルがそう言いながら、可哀そうな程貧しい胸を精一杯張って微笑む。


風音「うん、ありがと。ユニィ」


 同じくユニルに向かって微笑む風音の横で、凌舞が呆れる。


凌舞「はいはい。イチャつくんなら余所よそでやってくれ。っていうか、高度何千メートルに居る時にお前が力尽きたらカザ終わりじゃねぇか」


 凌舞がユニルのおでこを軽く指ではじく。


風音「ハハッ、確かにそうかも。でも真面目な話、ユニィに無茶をさせて本当に三人共落ちる事になったら洒落じゃ済まないし、それ以前に他にもいろいろ問題もあるしねぇ」


 風音があごに手を当てて悩む。


凌舞「例えば?」


ユニル「私にも出来る事に限界はあります。空中である程度自由に行動が出来る様に浮かせるっていうのは、結構難しいんです。対象の周りの大気半径数メートルに半球状の空気の壁を作って、その大気ごと対象を持ち上げるっていう感じなんですけど。空気の壁と言っても、風を完全に遮断する訳じゃ無く・・・・」


 ユニルが手で円を描いて説明する。


凌舞「何でそんなややこしい事を? そのまま対象を風で持ち上げりゃいいだろ?」


ユニル「はぁ・・・・・・・・・・」


 やる気の無い返事をした直後、凄まじい風の音と共に突然凌舞の足元から強烈な風が吹き、天井ぎりぎりの辺りまで凌舞が飛びあがる。


凌舞「うお!! ちょっ! 待て!! 降ろせ!!!」


 突然足元をすくわれる形で飛んだので、ぐるぐると回転しながら凌舞が叫ぶ。


ユニル「言われた通りにやってみましたが、どうです? まともに動けます?」


 ニコニコとしながら尋ねる。


凌舞「展開!!!」


 叫び声と共に、凌舞の両手に平らな形の槍がおうぎ状に並んだ状態の物が出現する。


凌舞「ぅお・・・っと!」


 それを泳ぐような手振りで器用に操り、何とか体勢を立て直した瞬間に足下に扇を差し込む。

 風に持ち上げられ、空中に静止している二枚に重なった扇の上に立つ事に成功した。

 凌舞がバランスを取りながらゆっくりと座る。


凌舞「ふぅっ、焦った~~。・・・・・なぁユニル。お前、友達少ないだろ?」


ユニル「なっ!!? い、いますよ失敬な! 風音さんとか凌舞さんとか、癒々さんとかフィリコヨーテさんとか、風音さんとか」


 あれだけたくさんの人が居る宇宙船で生活していながら、四人で一巡した交友関係を聞いて凌舞がため息を吐く。


凌舞「四人ってお前・・・・・俺入ってんのかよ・・・・じゃあ大事にしろよ・・・」


ユニル「し、仕方ないでしょ? 説明するより体験してもらった方が早いし、ほら、百聞ひゃくぶんは体験にかずとか言うでしょ?」


凌舞「言わねぇよ。とにかく一旦降ろしてくれ」


 扇に向かって吹いていた風が徐々に緩やかになっていき、舞い降りる様にゆっくりと凌舞が空中から帰還する。

 凌舞が手元に残った扇状の槍をたたむと、槍が跡形もなく消え去る。


凌舞「カザ、ユニルがこういう事したらたまには注意しろ。どうせこいつカザの言う事しか聞かねぇんだから」


風音「今のやり方でも慣れれば普通に活動出来るようになるんだけどね。 そんなことより、扇に乗って空中浮遊って仙人みたいでめっちゃかっこ良かった」


 風音が心底うらやましそうに凌舞を見る。


凌舞「お前がそんなんだからコイツが調子こくんだよ・・・・まぁいいや、ユニル、話の途中だっただろ」


 続けろ、と促すようにユニルに向かって言う。


ユニル「とにかくさっき説明したやり方で三人を空まで飛ばすと、そこに力を使いすぎて他の事が出来なくなります。上空には気圧の変化や酸素濃度の低下、寒さや、他にも長時間の浮遊っていうのはお勧めできませんし・・・・」


風音「僕みたいに空の環境に慣れてないと、すぐ高山病こうざんびょうになるかな。・・・ユニィが僕と契約してなかったら本来の力が戻るから、今言った事全部、問題無くカバーしてくれると思うんだけど」


 そこで風音が閃いたようで、ポンと手を打つ。


風音「あ、そっか。期間中ユニィとの契約を一旦解除すればいいんだ。そしたら――――」


ユニル「嫌です」


 話している最中に断られ、風音が口を尖らせる。


風音「えー? 結構いい考えだと思うんだけど」


ユニル「そんな事言って、私との契約が切れたのをいい事に、他の妖精(オンナ)と契約するつもりじゃないでしょうね!?」


風音「他のオンナて。って言うか、その辺にゴロゴロ妖精が居る訳無いだろ? 仮に居たって、ユニィ以外とは契約しないよ。だから・・・」


ユニル「いーやーでーすーーー。そんな事するくらいならこの仕事受ーけーまーせーんーーーーー」


 頬を膨らませてそっぽを向く。


凌舞「な? 普段甘やかすから、ここぞという時に駄駄こねだすんだよ」


風音「ふぅ・・・・・。だったら仕方ない。一旦カノンに戻ってレスタとルミナに相談してみようか。多分あの二人なら上空の環境に耐えられる装備を開発してくれるだろうし」


 とは言っても今日からさっそく調査開始なので間に合うかどうかが心配だが。

 いや、普通に考えればイチから作るのは間に合わないか。

 でも万能な宇宙服を元にして、作り替えるとかならすぐにやってくれそうではある。無理なら最悪宇宙服をそのまま着ていくのもアリだ。


ユニル「え~~~? ルミナに頼むんですか~~? あいつに借りを作るのは嫌ですよぉ」


 ユニルが露骨ろこつに嫌な顔をする。


風音「そう言えば前にユニィが借りを作っちゃった時は、しばらくアゴで使われてたもんねぇ。・・・でも大丈夫。今回借りを作るのは僕であってユニィじゃないから」


 涼しげな顔で言う風音をよそに、ユニルがため息を吐いた。


ユニル(だからそれが嫌なんだけどな・・・・・)


 なんとなく窓から外を見る。

 今日もいい天気だ。


レイ「ちょっ、ちょっと待ってくれ君達」


 ここまで無言で眺めていたレイが突然口を挟む。


風音「あっごめんなさい。ここで会議してたら仕事の邪魔ですよね。もう大体方向性は決まったんで。じゃぁ失礼します」


 そう言ってきびすを返し、部屋から出て行こうとする風音達に向かってレイが叫ぶ。


レイ「いや! だから待ってくれ! 一旦カノンに帰る? いや、それは無い。それは無いよ君達。怖いよその発想」


凌舞「その意味不明な内容の台詞せりふの方が怖いわ」


 風音と一緒に(ちなみに面倒臭いので煉也は放ったらかしにしたまま)一旦帰ろうとしていた凌舞が首だけ振り返って言った。


レイ「だって君達、借金返すのが目的なのだろう? そんな物開発していたら逆にお金が掛かってしまうだろう?」


 確かに凌舞の言う通り不自然な物言いだったので、一応もっともらしい理由を付ける。


風音「大丈夫だよ。シャロンからの依頼に対する出費に関しては、あのワグナさんでさえ何も言わないから。だって明らかに見返りの方が大きいし。―――んじゃ、急いでるんで」


 笑顔でそう言うと、再びドアに向かって歩き出す。


レイ「そ、そうかもしれんが―――――――」


ジル「私のエレガを出しましょう」


 本気で焦り出したレイの横からジルが助け船を出す。


風音「えれが?」


 風音が足を止めて振り返る。


ジル「はい。言うなれば『空に浮く小型の家』と言ったところでしょうか。元々は未開の星を観察する為に作られた乗り物なので、長期間の飛行やホバリングは得意ですし、長期生活の備えも整っています。この上なく今回の仕事に最適な乗り物だと思いますが」


風音「ほほう・・・・・」


 風音がエレガとやらに興味を示す。


レイ「それが出来るのならもっと早く言ってくれないか」


 ジルに向かって非難の声をあげる。


ジル「言おうとしましたよ。長官が『風音さん達は空を飛べる』という様な事を仰って、私の発言を妨害されたのは覚えておられないのですか?」


 さっき同時に喋り出した時だ。


レイ「そんな事あったか? ・・・まぁいい。というわけだ風音君、遠慮しないで使ってくれたまえ」


風音「あ、はい。じゃぁ有り難く」


 空中に家。その中での生活。昔からよく想像されていた光景だが、実際にはどんな感じなのだろうか。

 景色は楽しめそうだけど、宇宙の時と同じく、すぐ飽きてしまうんだろうな。でも2~3日ならちょうどいい感じかな。長期間だと色々と不便な事もあるんだろうな。


 などと、風音が頭の中でリアルに想像していると、ある疑問が浮かぶ。


風音「えっ? それ誰が運転すんの?」


ジル「私ですが」


 ジルが即答する。


風音「・・・・・・」


レイ「えっ? キミも行くのか?」


ジル「はい」


 やはり即答。


風音「いいの? レイさんの警護はどうなるのかな?」


 ジルを自分たちの仕事に付き合わせたせいで、レイに何かあったらどうするのか。

 不安そうに尋ねる。


ジル「最悪もし私が居ない間に長官が何者かに襲われて死んだとしても・・・・まぁ・・・後釜あとがまはいくらでも居るでしょうし」


風音「そっか。じゃあいいけど」


 不安が解消され、心からホッとしたように笑顔になる。


レイ「お前ら最低だな」


 冷めた目で言うレイとは対照的に、凌舞はゲラゲラ笑っている。


ジル「もちろん冗談ですよ。代わりに護衛を何人か配置しておきます。秘書の仕事に関しては、代わりの者の方が慣れない私より役に立つでしょう」


 自虐じぎゃく的なコメントを残し、机の上に置いてある電話の受話器を取り、内線で指示を出し始めた。


風音「あっ、じゃあ煉兄ぃどうする? 連れてく?」


凌舞「・・・・そだな。カザが運んで」


 凌舞の返答を聞いて、風音がソファの方へと近づき煉也を無造作むぞうさかついだ。


レイ「さっきから思ってたんだが、煉也君は何をされても起きないねぇ」


 風音が煉也を乱暴に担ぐ様を見ていたレイが呟く。


風音「んっ? そんな事無いけど・・・・。攻撃すれば起きるし」


レイ「そりゃ攻撃されりゃ誰だって起きるだろ。そういう意味じゃ無く」


 風音がフルフルと首を振る。


風音「ウチには攻撃されても起きないのが一人居るよ。初めて見た時はびっくりしたし。 遅刻が理由でさ、ワグナさんにうつ伏せの状態で足首だけ持たれて引きずられてた事があったんだけど、思いっきり廊下に顔ぶつけてんのに全っ然起きないし。その状態で敢えてエレベーターを使わずに、階段で移動してたワグナさんにも背筋が凍ったけどさ。あんまり可哀想だったから思わず『これからは気の済むまで寝かせてあげて』って艦長命令出したぐらい」


 レイが片方だけ目を細める。


レイ「カノンには変人しか居ないのか?」


風音「ははっ、冗談きついなぁ。まず一番まともな僕を筆頭に――」


レイ「キミが一番まとも・・・・・・じゃあ終わってるじゃないか」


風音「終わってる、の意味が分からないよ。そもそも煉兄ぃの、この・・・・寝てるのだって、ちゃんと意味があるんだよ?」


 途中、煉也を担ぎ直しながら言う。


レイ「ほう? どんな?」


風音「『人は寝越ねごしと食いめは出来ない』って聞いた事無いかな? この男は鍛錬によりその常識をくつがえし、食べたら食べた分だけ、寝たら寝た分だけそのエネルギーを体内に備蓄しておいて、いつでも好きな時に解放できる・・・・・つまり、やろうと思えば何週間も食事無し睡眠無しで活動できるんだよ。その代わり、その分あらかじめ食べまくって寝まくらなきゃならないけど」


レイ「いやだから、そういうのを変人と言っとるんだが」


風音「そっかなぁ? 便利だと思うけど。ただまぁ強いて苦言を言うなら、仕事始まってから寝んなよ事前に寝とけよ、って思う事もあるかな。 ・・・今とか」


 風音が再び煉也を担ぎ直す。

 そうこうしている間にジルの準備も整った様だ。

 レイとの会話も適当に打ち切り、案内されるままに部屋から出て四人(煉也入れると五人)でエレガへと向かった。



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