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カノン  作者: しき
第8.5話
205/206

閑話休題 1

 ~前書き~


 この話はひとつ前のお話である「聖蝶」で、訳あってカットされたエピソードになります。

 具体的に言うと「聖蝶 7」と「聖蝶 8」の合間のエピソードとなります。

 おそらく読んだ方全員がどういった状況か覚えていないと思いますので、その時の状況をかいつまんで書かせて頂きます。


 なぜか治安組織で武術の講師をやらなくてはならなくなった風音。

 本編では新人職員、中堅職員と二日間にわたって講師をしてから「聖蝶」本編に入っていくという流れでした。

 ここに実はカットされた上級職員を指導する三日目が存在した。という感じの話です。


 先にカット理由を書いておこうかなと思って、この場を借りて前書きに書かせて頂きます。


◦本編開始前に、特に本編とは関係ないエピソードが続き過ぎてダレてきたから。

◦その関係無いエピソードが約二万文字(大学の卒論と同じ量)で、作者の正気を疑ったから。


 です。 以上!



 今日はもう部屋の鍵をかけておこうか。

 直感としか言えないけど、また水筒持った変な奴が来訪しそうな気がする。

 もうあいつをこの部屋に入れては駄目だ。さすがに溜まった仕事を片付けないと。このクソ忙しい時期にあんな変質者にかまっている暇は無い。


 コンコン。


 予想通り悪夢のようなノック音が鳴る。

 やはり来たか。

 ウンザリしながら返事をする。


風音「・・・誰ですか?」


煉也「俺だ」


風音「帰って下さい。 回れ右」


 やっぱり来たか。もうこいつだけはしばらく出禁にしないと。


煉也「そう言いたい気持ちは分かるが、緊急事態なんだ。話だけでも聞いてくれ」


風音「話だけとか言って・・・最終的に、僕にまた生徒指導の仕事をやらせようとしてない?」


 ドア越しに尋ねる。


煉也「それはその通りなんだが、ただ今回は──」


風音「それはその通りってんなら、もう聞きません。今日は書類整理の仕事をしますんで」


 しばらく間があって。


煉也「そうか・・・。じゃあ仕方ないな。優希さんに頼むしかないか。 分かった、じゃあな」


 跳ね上がるように席を立つ風音。


風音「ちょっと待てっ!!!!」


 急いでドアを開けに行く。

 ドアを開けると、予想通り水筒を持っている煉也がいた。


煉也「おはよう」


風音「おはようじゃなくて! その脅しはずるいでしょ!? なんで母さんに頼むんだよ!」


煉也「まあまあ。ちゃんと理由があるんだ。 ここじゃなんだから、中で話していいか?」


風音「・・・・・・・」


 納得のいかない表情で、渋々部屋の中に案内する。

 互いに向かい合うように来客用のソファに座ったところで、煉也が口を開く。


煉也「お前さ。例の優希さんの写真を、シャロンの職員に見せただろ?」


風音「昨日の授業の時に見せたね」


煉也「今シャロン内の一部でそれが話題になってるらしくてな。 本来今日は俺が上位職員達に指導をする日なんだけどな。その生徒たちから、優希さんから指導してもらいたいっていう声が出てるらしい」


 風音が顔をしかめる。


風音「なんでまた?」


 確か昨日母さんの電話からの声ひとつで、シャロンじゅうの職員がビビって動けなくなってたとかって聞いたけど?

 なんでそんなのと直接対峙したいって思うの? 死にたいの?


煉也「その優希さんに育ててもらって完成したのがお前だろ? 上位職員ともなれば、上を目指したいような連中ばかりだ。 みんなカザくらい強くなりたいって事じゃないか?」


 はあ~~~・・・とため息を吐く風音。


風音「僕は母さんからは武術の基礎である運足うんそくしか教わってないよ。今となってはそれが一番重要だったんだなって実感してるけどさ。 でも武術なんて基本であればあるほど重要で地味で、すぐに結果が得られるような訓練じゃないからね。反復が力になるんだよ。 だから意味無いって、たった一日だけ母さんから僕と同じ指導を受けても」


 凄い人から教わると、一気に強くなれると勘違いしてるんじゃなかろうか。


煉也「と言うと思ってな。 ほぼ同じ事を伝えた。 じゃあせめて風音を寄越してくれって。お前が優希さんから受けた基礎修行の内容を、実感させるような指導をしてほしいそうだ。 でもお前が断っただろ? だから優希さんに直接頼もうかなと」


 風音が頭を抱えて。


風音「・・・ふたつ疑問があるんだけど」


煉也「答えられる範囲でなら」


風音「まずなんでそんな我儘わがままをこっちが聞かなきゃいけないの」


 子供じゃあるまいし。何でも言えば聞いてもらえると思われても困るんだけど。


煉也「要望は可能な範囲で聞くという契約だからだ」


風音「じゃあ母さんや風音を呼ぶのは不可能です。て言えばいいじゃない」


煉也「実際不可能ではないからな。 出来れば良好な関係を築いておきたい治安組織相手に、こんな事で嘘を吐くのは悪手だろ。 それにそもそもこんな話になったのは、お前が変に彼らのプライドを刺激したからだしな」


 勝手に刺激されただけだろ。って言いたいけども。


風音「あともうひとつ。 それ煉兄ぃがやればいいじゃない。 元々指導する予定だったんでしょ? 歩法の訓練なんて、煉兄ぃでも出来るでしょ。なんでやんないの?」


煉也「今回の依頼はお前の方が俺より適任だからだ。 俺が思うに、お前が俺よりも総合的に強いのは基礎の練度の高さにある。 その基礎を教えてくれって話なら、俺よりお前の方が適任だろう」


 だから基礎は教えたところで、一朝一夕ではできんのだけども。

 練度の高い方が教えるのに向いているというのは事実だが・・・。


風音「僕と煉兄ぃでそんなに差があるとは思わないけどな。 大体上位職員に指導って、普段は何をしてるの? もうすでに強い人ばっかじゃないの?」


煉也「まぁそうだな。普段は組手指導ばっかりだけど・・・俺でも三人相手だと互角かってくらいの連中だな」


 たったの三人で煉也と互角って。もう十分だろう。

 煉也なんて、カノンでも屈指の強さなのに。


風音「十分過ぎるくらい強いよ。 そんな人たちに何を指導する必要があるんだか」


煉也「治安組織内では彼らも十分に精鋭なんだよ。 そんな彼らからすると一人に対して三人も必要な時点で、十分教えをうに値するって感じじゃないか? カザだってもし、カザと俺とシノの三人がかりでしか互角に戦えない人がいたら、色々教えてほしいと思わないか?」


 まぁ・・・そう言われりゃそうかもしれないが。

 そんな奴がいたら、そいつを師匠と呼びたくなるわ。

 冷静に考えると今まで十分過ぎるくらい頑張ってきてその実力を公的に認められた人たちが、四人くらいいないと勝てない敵ってヤバいよな。


 黙ってしまった風音を見て。


煉也「という訳で、ほら」


 とん。と水筒を置く。


風音「またか・・・」


 もうこの水筒を置く音大っ嫌い。面倒な仕事の開始の合図みたいな感覚だ。


風音「どうせまた癒々さんの指示で、口紅洗ってないとかいうオチなんでしょ・・・」


 水筒の蓋を開くとストローがピョコッと飛び出すが、そこに口紅の跡は無い。


風音「あ、今日はちゃんと洗ってあるね」


煉也「癒々に何か言われる前に洗ったからな。 先に洗っておいて良かったよ。今回は口紅が付いた方をお茶に突っ込んで飲ませようとしてたみたいだし」


風音「あいつ最近いらん事しかしないね」


 最近の風音に対する扱いの悪さから、ついにあいつ呼ばわりになる癒々。


煉也「まあまあ。 お茶に雑巾のしぼり汁を入れようとしたのは阻止したし、ちゃんと飲めるものだから安心してくれ」


 ・・・・・・もぅ。


風音「解雇しようかなあの子」


煉也「解雇しても居座るだろ。仕事が無くなって居候になるだけだ」


風音「でしょうね。 最近癒々さんがみんなから良い人って言われてる理由が見当たらないんだけど。みんな特に根拠もなく良い人って言ってない?」


煉也「俺達の前でだけ、素で接してるって事じゃないか? 良い事じゃないか」


風音「雑巾の汁飲まされそうになって、そんなポジティブな感想は出ないわ・・・」


煉也「いやいや。 あれは俺に対して「これくらい風音に怒ってますよ」っていうアピールをしたってだけだよ。俺が止めるのも計算に入れて、自己主張をしただけだろ。冗談の範疇だ」


風音「なにその、あらゆる意味でうざったい行動は。かまってちゃんの変種みたいな・・・」


 本当に合わないなと思う。

 よく煉也は素のアレとまともに接する事が出来るなぁと感心する。



 ================================


 ついに三日連続で来る事になったか。

 シャロンの受付でしみじみ思う。やんなきゃいけない仕事があるって時に、なんでこんな事をやってるんだろうか。


受付嬢「連日大変ですね」


 受付の女性が受付業務をしながら風音に言う。


風音「本当に。なんでこんなに指導しなきゃ・・・」


 ・・・あれ? 向こうから見知った顔が歩いて来る。

 こっちに向かって歩いて来てるのって。


風音「天狐さんだ。居てるじゃないの」


 会議に行ってるんじゃなかったっけか。


 天ヶ崎天狐。 ここシャロンで三番目くらいに偉い女性だ。風音の元弟子でもある。

 シャロンのスーツ姿で、アップスタイルという髪型で長髪を折り返して上の方で留めている。

 化粧美人というか、そのせいで一見きつい感じの印象も受ける。年齢の割に化粧が濃いが、これは歳をごまかす為にわざとやっている。

 若いと舐められる治安組織という組織の中で、わざと五~六歳年上に見せるようなメイクをしているらしい。


 風音に用があったようで、受付前に来るなり話しかけてくる。


天狐「あら師匠。予定よりずいぶん早くない?」


風音「あぁ僕が来るって聞いてたの? 確かに十五分くらい早いね。 煉兄ぃに急かされたからさぁ」


天狐「どうせ師匠の事だから、ギリギリにしか来ないと思っててさ。 受付で適当に雑談でもしながら待ってようかと思ったけど、待つ必要も無くなったわね」


 それを聞いて、急に鋭い目つきになる受付嬢。


受付嬢「音羽さん? 確か先程・・・自宅に忘れ物があるとか言っておられましたっけ?」


風音「え? そんな事は・・・」


 急に意味不明な事を言われ、受付嬢の方を見て察する。

 あぁそうだ。たしかこの人・・・天狐信者だ。

 天狐は女性職員からやたらと好かれている。

 この子にすれば風音が早く来さえしなければ、天狐と雑談できたのだ。

 それを無しにされたので、腹が立っているのだろう。

 忘れ物をしたとか言って、一回帰れや。と目が言っている。


 いつもならこんな奴の事は鼻で笑って、「忘れ物? なにそれ?」って言って一蹴いっしゅうするところだけど。

 この子には昨日世話になったしな・・・。


風音「あ・・・水筒・・・をね。水筒忘れたから、取りに帰ってくるよ。十分くらいで戻ってくるから」


 受付嬢に笑顔が戻る。


受付嬢「水分補給は大事ですものね。十分なら五分ほど余裕を持って帰って来られます。お気を付けて」


 と笑顔で送り出そうとするが。


天狐「わざわざ帰らなくても。 スポドリならいっぱい持って来てるから、一緒に飲む?」


 空気も読めずに余計な事を言う天狐。

 そして笑顔のまま、飲むとか言ったら殺しますよ。という表情で首を傾げて風音を見る受付嬢。


風音「コップが無いからね。 自分の持ってくるよ」


 受付嬢がうんうんと頷く。


天狐「コップ? 修行してた頃は気にせず一緒に飲んでたじゃない」


 はい惨殺します。という光を失った目に変わる受付嬢。


風音「あれは疲れ切った天狐さんが、僕のを奪って勝手に飲んでただけだよ。僕から天狐さんの私物の飲み物を飲んだ事は一回も無いよ。 って言うかもうそういうのいいから、黙って僕を帰らせてもらえないかな?」


 誤解の無いように訂正しつつ、チラッと受付嬢を見ると。

 もう風音の発言など耳に入っていないのか、彼女の目の焦点が合っていない。

 風音こいつを殺すのは殺すとして、どこでどう殺ろうかを考えている。


 駄目だ。この職場ってこんな奴しか居ないのか。

 もうこれ以上天狐信者と関わるのは避けたい。一刻も早くこいつの前から去りたいんだけど。

 そんな二人の空気を全く読まずに、風音の意見を拒否する天狐。


天狐「はいはい却下。時間が惜しいんだから、とっとと動く。 十五分前行動ができたなら、予定を十五分早めればいいだけでしょ。ほらさっさと行くわよ師匠」


 首根っこを掴まれて、引きずられて連れて行かれる風音。

 それを恐ろしい目つきで見送る受付嬢と、遠巻きに見ていた方々からの女性職員からの視線。


風音(しばらく受付には近寄らないでおこう・・・)


 あいつは今度会ったら本当に飛び掛かってきそうだ。


 ================================


風音「ところでもう会議って終わったの?」


 練武室までの廊下で、天狐に尋ねる。

 確かメジーノさんの警備の話で会議に出てると聞いていたが。


天狐「いえ? まだ長官とジルは会議中」


風音「なんで天狐さんだけ帰って来たの? 戦力外通告?」


 天狐が風音の肩をペシッと叩いて。


天狐「失礼な。 警備は日勤と夜勤があるでしょ? 昨日はその日勤警備の話し合いが大体終わって、今日は朝からそれを詰めてきたの。 それでさっきそれが終わって、ここからが夜の警備についての話し合いよ。それは長官以外は関係無いから、夜勤の人達と交代になったのよ」


風音「ジルも日勤じゃないの? ジルはなんでまだ会議に参加させられてんの?」


天狐「メジーノさんの近衛兵の兵長がね。 長官以外にも一人くらいは、日勤と夜勤の警備体制を把握しておく職員が居た方が良いって言い出してね。 じゃあジルが・・・って感じで居残りになったのよ」


風音「へぇ・・・なんか真面目そうだね、その人」


天狐「変に真面目過ぎて融通が利かないってだけでしょ。 ハッキリ言ってジルが残る意味が分かんなかったもの。警備体制なんて、あとで書類で確認すればいいだけじゃない。 その書類を作る為の、どういう風に警備するかっていう話し合いをするための会議でしょあれは。だったら夜勤勢と話し合えば済む話でしょう? ジルに把握しておいてほしいってだけなら、残る意味なんて無いわよ」


風音「その兵長さん的には、ジルの意見が欲しかったんじゃない? 一見ただのパワハラ上司だけど、あれでも優秀ではあるしね」


天狐「本当にそうかも。 やたらとジルにいろいろ尋ねてたしね」


 そんな会話をしている内に、練武室に着いた。


風音「そういえば、天狐さんは何しに来たの?」


天狐「あれ? まだ言ってなかったっけ? 監視よ監視。師匠が悪さしない様に、監視要員としてきたのよ。今日は夕方まで会議の予定だったからさ。 この時間がちょっと空いちゃってね」


 なんか天狐と仕事をするたびに、まだ言ってなかったっけ? みたいなセリフをよく聞く気がする。

 言ってねぇよ毎回。いっつも事が始まる直前か終わってから聞くんだよ。

 こいつよくこれでこの地位まで行けたな、と思う。

 いや、そんな事はいいとして。


風音「え? また監視が付くの? 昨日は居なかったのに」


 信用されたんじゃなかったのか。


天狐「だからでしょうが。 ビオラさんがもう監視は要らないかって判断したと思ったら、中堅職員たちをボロボロにしてくれちゃってさ」


 などと勝手な事を言う天狐に、反論する。


風音「ボロボロになるまでかかってきたのは、あの子たちの方だけどな。 僕は組手を始めた直後に、一人一回しかかかって来ないでねって言ったよ。それをなぜか全員無視すんの。 武器は使わないでねって言っても武器使ってくるし。 汚い言葉は使わないようにねって言っても、全員が死ねとか言ってくるし。 ほんと普段どういう教育をしてんだか・・・」


 あいつら教わる立場だってのに、一つも言う事聞かないったら。


天狐「何があったのか知らないけど、結果的に師匠がウチの職員をベコベコにしたのは事実でしょ。ビオラさんが居たら止めてたわよ。 だから監視が必要ってなったの。言い訳してないで反省しなさい」


風音「そりゃビオラさんは彼らの上司なんだから止められるでしょ。 僕だから言う事を聞かなかったって話でしょうが。 なんで今のこっちの言い分を聞いて、僕が反省しないといけないなんて結論になるんだよ・・・」


 ぶつくさ言いながら、練武室のドアを開けると。


「「「おはようございます!!!」」」


 という部屋中に響く大きな挨拶が。

 二十名ほどの上位職員と呼ばれる精鋭たちが、部屋の中央に綺麗に整列している。

 やはり中堅職員達よりは、五~六歳以上年上の人達ばかり。数名若いのもいるが、三十代くらいが一番多いようだ。

 ただしほぼほぼ異星人で構成されているので、見た目はかなり若く見えるのが多い。


風音「こわ・・・。なんでここの職員はいっつも声が大きいの・・・」


 いつまで経っても大声に慣れない風音。


天狐「どこでもそんなもんでしょ。私が日本で研修した時だってそうだったわよ」


風音「あとなんか・・・。僕に続いて天狐さんが部屋に入った瞬間から、職員の子たちが緊張し始めたんだけど。 もしかしてこの人たちに、天狐さんが来るのって言ってなかったの?」


天狐「言ってなかったっけ? でもこれはビオラさんに頼まれたんだし、伝わってなかったらビオラさんの落ち度と思わない?」


風音「お前受付で雑談しようとするくらい暇そうにしてたのに、人のせいにすんのか」


 天狐が生徒たちの方を見て言う。


天狐「私は音羽風音の監視に来ただけだから。 あなた達の授業の評価をするつもりは無いわ。だから変に緊張しないでね」


 ・・・と言われても、緊張が解けるはずもない面々。


風音「そりゃそうだよ。 実力も権力も遥かに上の人から、訓練風景を見られるんだから。 ・・・仕方ない、僕がその緊張をほぐしてあげましょう」


 そう言って、携帯を取り出す風音。


風音「みなさん。 この動画を見てください」


 そう言って生徒たちの方に携帯を向ける。

 背景は広い空間に畳・・・。 どうやら道場での修行風景のようだ。

 最初は風音が飲料補給をするような場面から始まり。


風音「ここから天狐さんの醜態が映ります」


天狐「・・・・・・」


 ・・・と言われても、特に止めない天狐。


 動画内の風音が移動すると、それを自動で追うようにカメラの視点が移動する。そういう設定なのだろう。

 視点が移った先には化粧をしていないすっぴんで道着を着た天狐が、はだけた道着からお腹を出して転がっている姿が映っている。

 疲れ切っている様子で、丸見えのお腹部分は恐ろしく鍛え上げられた腹筋が見えている。


風音『もう、天狐さん。いつまで寝てんの。ほら起きて起きて』


天狐『いや・・・無理だって師匠。もう動けないって・・・』


 肩で息をしてゼェゼェ言いながら、起きようとしない天狐に。


風音『無駄な動きが多いから疲れるんだって。 それとは別に筋肉の質が瞬発力寄りすぎるね。もう少し持久力も持たせるべきだわ。普段やってる基礎トレーニングのメニューの見直しをした方が良いと思う。 あと返事は「はい」か「押忍」のみだって言ったでしょ。師匠の言う事には肯定しか許されません。 「いや」とか「無理」とかは思ってても口に出さない』


 そう言われてゆっくりと起き上がり、両膝を手で鷲掴みにして支え震えながら立ち上がり。


天狐『お・・・おしゅ・・・』


風音『おしゅて』


 そこで携帯の動画を切る。

 生徒全員が、食い入るように動画を見ていた。


風音「これが修行時代、疲れすぎて「押忍」を噛んだ天狐さん。この後結局倒れちゃったんだけどね。 この人にもこういう時期があったって思うと、ちょっとは緊張が解けるでしょ?」


 生徒たちにそう言うと、今度は風音に緊張し始める生徒たち。

 そりゃそうだ。今までビビっていた上司が、今目の前に居る男に徹底的に凹まされている動画を見せられたのだから。


 そんな動画を公開している事を特に止める事も無く、ここまでの流れを横で黙って見ていた天狐が。


天狐「そんな事より師匠、なんでまだそんな動画を持ってるの」


風音「あんたが消すなって言って送って来たからだよ。 今日の修行のどこが悪かったかを見てレポートをくれって。その為に自動追尾のカメラを二台回してたじゃない。 その面白部分だけを編集して携帯に保存してあるんだよ」


天狐「趣味が悪いわね・・・。消すなっていうのはあの修行期間中に、いつ過去の動画を見返してアドバイスが必要になるか分からないから保存しておいてって意味でしょ。修行が済んだら消してもいいわよ」


風音「あ、そうなんだ。消すなって言われたから、律儀に全部取ってあるわ」


天狐「まぁそういう私も記念に取ってあるんだけど。 あんなの面白い要素なんてほとんど無かったでしょ」


風音「いやまだまだあるよ。 修行初日の天狐さんが、化粧をどんどん剝がされていく動画とか」


 風音が携帯をいじると。


天狐「あんな長い動画見せてたら、練武の時間が無くなるでしょ」


 さすがに今日の趣旨から外れ過ぎているので止める天狐。


風音「え~~・・・。あれ結構面白いのに。 せっかくだからみんなに内容だけ教えるとね? 天狐さんが修行を始めた日に、今みたいな感じで化粧をしてきたんだよ。 それを僕が修行には必要ないよって言ってね。 「女子には必要です。文句があるなら師匠が力尽くで化粧を剥がしてみれば?」とか挑発するから、初日の修行は組手になったんだよ。 僕は両手にゴム手袋して濡れタオル片手に、隙を見つけて顔を拭きとる。天狐さんは自由に攻撃していいっていうルールでね。 その推移を追ったドキュメント動画が結構面白くて」


 途中から天狐が自分の顔面を囮にして、拭きに来た所をカウンターで殴る事に集中し始めてから風音も何度か殴られた。

 半狂乱の女が目的を見失い顔面を拭きとられる事を受け入れ、いかに風音を殴るかにシフトしていく瞬間とかが見られる動画だ。


天狐「あれ私も見返したけど、途中中途半端に拭かれて顔中汚くなってた時があったじゃない。よく女子にあんな事できるね」


風音「双方了承済みで、そういうルールでやったからね。 途中水では落ちにくいから、電子レンジ持って来て蒸しタオル作ったりして。 それでも取れないからクレンジング用品代わりにオリーブオイル持って来てさ。 動画では伝わらないけど僕が油の量を間違えたせいで、最後の方天狐さんの顔面がエクストラバージンオリーブオイル臭で凄かったよね」


天狐「ほんとにね・・・。ああいう所で師匠のがさつさが出てたわ。 化粧品で使われてるオリーブオイルは基本、食用じゃないからね? それを知らないもんだから、馬鹿みたいに台所から食用油持って来てさ」


 風音が生徒たちの方を見る。


風音「・・・とまぁ、こんな生意気な事言ってますけど。 最終的に化粧を全部落とした時にすっぴんの方が可愛いと思うよって言ったら、二日目からは化粧を落としてきてね。 この人にはそういった女子らしい一面もあります」


 やれやれと首を横に振る天狐。


天狐「勘違いしないでねみんな。 師匠にお世辞を言われたから辞めたわけじゃないわよ。 どうせ拭き取られるだけだし化粧品代も馬鹿にならないから、もったいないだけだと気付いたの」


風音「・・・とか言ってますけど、すっぴんを褒められた時の天狐さんのニヤケ顔が天井知らずで。みんなその時の動画見る?」


 ニヤケ顔が限界突破していたのは正確には風音に褒められた時ではなく、修行初日という事で見学に来ていた九重ここのえから褒められた時だが。


 ちょっと見たそうな生徒たちがいたものの、天狐がバッサリとその流れを切る。


天狐「もう動画はいいから。 時間がもったいないわ、さっさと授業に移って」


 そう言って部屋の端にあるパイプ椅子を組み立て、座って監視態勢に入る天狐。


 というか風音にとっては、ここまでの流れ全部がかなり予想外な展開だった。普通勝手にすっぴん動画見せられたりすると何かしら言いそうなものだが。

 風音の予定では緊張した生徒たちをリラックスさせるために、いきなり天狐が恥ずかしいと思いそうな動画を流して、それを天狐が必死で止めようとする様を見てもらってなごんでもらおうかなとか思っていた。

 もちろん天狐が本気で見られるのが嫌だったケースも考えて、みんなに見せる時に動画の最初の方は天狐が映っていない所から動画をスタートさせた。

 そこまで気を遣ったのに、止めるどころか「あったなぁ、そういう事」みたいな目で見てくるだけだった。

 お腹丸出しの動画を公開されても、あんまり気にした様子もない。 こういうのをサバサバ系女子とかいうのだろうか。違うか、単に恥じらいが無いだけか。


 まぁいいか。今は目の前の事態に向き合わないと。

 今回はちょっと困った事に。


風音「さてみなさん。今回の授業なんですけど、完全にノープランで来ました」


 何も考えて来なかった。

 この生徒達は風音の持つ技術を見たいらしい、って聞いて来たけど。


風音「なんでまぁ・・・。組手でもします? ウチの片桐煉也から聞いて来たんだけど、大体三人くらいであの人と互角ってのは本当?」


 特に誰に聞いたという訳でもなく、全体に向かって聞く。

 すると最前列に居た男性職員が。


「はい!! 謙遜されていると思います!! 片桐師範と互角に組み手をするのであれば、四人は必要だと思われます!!」


 と、でっかい声で答える。


風音「こわ・・・。 中堅職員よりも更に声が大きい・・・。 そっか。四人ですか。じゃあ・・・八人くらいでまとめてかかってきてもらおうかな」


 少し驚く生徒たち。


天狐「師匠・・・いくらなんでもウチの職員を舐めすぎじゃない?」


 天狐から駄目出しが入る。


風音「舐めてるって言うか・・・。 最近マテノさんとよく組手をしてるから分かるんだけど。 あの人がここに居る職員を全員まとめて相手しても、多分負けないでしょ。 だから僕はとりあえず八人くらいからと思って」


 二十人以上の上位職員達を見ながら言う。

 つい二日前新人生徒たちの前でも見せたが、そのマテノと互角にやり合えるのが風音だ。


天狐「それが舐めすぎなんだってば。 師匠が想像してるマテノは、全然師匠と性質が違うもの。マテノは最初からただ倒すつもりで敵と対峙するの。 相手の人数なんて関係無いのよ。自分の周囲の手の届く範囲の奴らが自分より格下なら、触れた奴から倒して終わり。数はどんどん減っていくから、時間が経つごと自分が有利になっていく。そういう性質なの。 でも師匠は組手では一人ずつ対応して、欠点を指摘して倒す立ち回りをするわけでしょ? ただ一撃で黙らせるだけとは難易度が違うわ」


 相手に何もさせずに倒すだけの組手と、指導としての組手。 どうせマテノは前者の組手をするし、風音は後者の組手をする。

 前者の組手で良ければ、風音も全員を相手に戦う事ができる事くらい天狐でも分かる。


風音(いや・・・だから八人って言ったんだけどな・・・)


 そしてそんな事は風音も言われなくても分かっている。

 強力な個を多で倒したければ、連携などを重視し個で向き合わない事だ。

 それを理解している上位職員の複数名に対し、個別指導という形で相手をする。つまりは個で向き合おうとしない大勢を相手に、個で向き合う講習的な指導をするという事だ。

 八人相手にそれは不可能だというのが天狐の言い分なのだろう。

 でも風音としてはそれを踏まえた上で、八人くらいが妥当だと思ったんだけども。


風音(どうしたもんかね・・・。ここは天狐さんの顔を立てて、六人くらいに減らしてみるか?)


 と考えていると。


「はい。 少しいいでしょうか?」


 男性職員が手を挙げる。


風音「はい、どうぞ。 先生嬉しいです。初めてまともな子が居ました。出来れば全員その声量でお願いします」


 珍しく大きな声で叫ばない生徒発見。

 多分ここではこの男性の声量の方が間違ってるんだろうけど、一般的にはこれでいいと思う。


「我々にもプライドがあります。 八人まとめて指導なんて、やはり舐められているのではと感じてしまいます。ですのでどうでしょう? こちらは三人でお相手します。 もしこちらが勝てば、発言の撤回を要求します」


 風音の主張に、少々ご立腹だったようだ。

 上司である天狐の前で恥をかかされていると感じたからだろう。


風音「それはいいけど・・・」


天狐「ショウイ。あなたの言い分は分かるわ。 でも相手を侮っては駄目。この人は三人でどうにかできる相手じゃないわ」


 ショウイと呼ばれた男性が、首を振る。


「ジルさんからよく言われています。 できないと最初から決めてかかっていて、治安組織職員は務まりません。 我々が音羽師範を倒して見せます」


 風音が少し笑う。


風音「その気概は良いね。 でも現実を直視するのも大事だからね? 出来ないと決めてかかる事と現実を見るって事は、全っ然同じじゃないからね。 例えばジルに絶対に無理な量の仕事を出されてさ、不安そうな顔をした時とかに言われた事あるんじゃない? 最初から出来ないと決めてかかるなって。 そんな時はね、お前には現実も見えてないのかって言い返してやればいいんだよ。その目はビー玉か、って。瓶サイダーの中に詰めたろか、って」


天狐「それをジルに言った時点でクビだけどね。師匠は縦社会の仕組みを分かってなさすぎ」


風音「そうかなぁ・・・。 じゃあ彼の言う通りやる前から決めつけない事にして、三対一で組手しましょっか。もしあなた達が勝ったら・・・そうだな・・・。 何か欲しいものある? 僕が用意できるものなら、何でもあげるけど」


「いえ、これはあくまで能力向上を目的とした組手。褒賞などは必要ありま・・・」


 ショウイが言いかけたところで。


「何でも!? 本当ですか、音羽師範!?」


 別の女性職員が大きな声で反応する。


風音「やっぱりショウイさん以外は声がでかいんですね・・・。 まぁ、なんでもどうぞ。ただし用意できるものに限るけどね」


「それでは先程の動画を含め、あなたが持っている天ヶ崎さんの修行風景動画の全てを頂いても?」


風音「えぇ・・・?」


 内心ちょっと引く風音。

 ああ・・・こんな所にも居たか。天狐信者が。


風音「いやそれは・・・天狐さんの許可がいるでしょさすがに」


 天狐の方を見る風音。


天狐「別にいいけど、何の為に?」


風音(別にいいのか・・・)


 ちょっとは嫌がらないもんかね。天狐がこてんこてんにされている動画なのに。


 女子職員が真面目な顔で答える。


「我々のこのクラスは最上位クラスとはいえ、それはあくまで講習を受ける職員の中で最高位というだけ。 まだまだ上には上がいます。 あなた方二人の実力であれば我々などと違い、おそらくかなり高度な内容の修行をされていると思います。 そして先ほどその動画は天ヶ崎さんの欠点を指摘する為に撮られた動画だと言っておられました。 では我々がその格上の二人による修行動画を見て、何をどのように指摘され、それをどのように克服したのかを見るのも勉強になるのではと思いまして」


 ペラペラと、即興で考えたにしてはよく舌の回る事で。


風音(天狐さんの動画が欲しいだけなのに、物は言いようだなぁ・・・)


 心の中で苦笑する風音。

 そしてもちろん、そんな生徒の主張を真っ向から信じた天狐が。


天狐「ふぅん。 まぁいいんじゃない? でもせっかくのアミルの向上心に水を差すようで悪いけど、三人で師匠に勝つのなんて絶対無理よ。どうせ手に入らないと思うけど、いい?」


「死んでも勝ちます」


 天狐から許可を得て、気合が入るアミルと呼ばれた女性職員。


風音「じゃあやるのはさっきのショウイさんとアミルさんと・・・」


「いえ? 私はやりませんよ? 勝率が下がりますから」


 あっさりと断るアミル。


風音「じゃあさっきの死んでも勝つって何だったの・・・。他人の命を懸けてたの?」


「どんな手を使ってでも勝ちに行くと言ったまでです。 サモン。ショウイ。頼んだわよ。 私はCクラスからミュグロスロインを連れて来るから」


「なんでCクラスから・・・順当に行けば三番手のルッカでいいんじゃ?」


 どうやらこのクラスで一番強いのがショウイ。その次がサモンという人物のようだ。

 そしてここは上位のAクラス。先程アミルが言っていたが、講師を付けた練武が必要とされる職員の中では一番成績優秀な者たちが集まる教室だ。

 だったらこの部屋から上位三人でいいんじゃないのかと、ショウイが戸惑っている。


風音(ミュグロスロイン・・・)


 知らない職員の名前ではあるが、その名前を聞いただけでアミルの狙いが分かった。


風音(なるほどね。 それで勝てると思ってるのか・・・。舐められたもんだね・・・)


 しばらくしてアミルがCクラスから、フードを被ってマスクをした女性職員を連れて来る。

 彼女がミュグロスロインさんだろう。格上の上位職員に囲まれて、緊張しているようだ。


 「ミュグ。私が合図したら、言われた通りに攻撃して。それまでは待機」


 アミルからの指示を受け、緊張しながらコクリと頷く。

 そして風音と、相手をする三人が部屋の中央に。

 残りを部屋の隅に寄せて。


天狐「じゃあ早速、始め」


 天狐が開始の合図を出すと、まばたきする間に風音との距離を詰めるショウイとサモン。

 サモンが風音の右腕に向かって殴りかかるが、触れる直前で手を開いて掴みにかかる。そのまま服を掴んで投げるつもりのようだ。

 そして風音の肩を掴んだ・・・と同時に、サモンは半回転して宙を舞っていた。

 周囲からは風音が掴まれた瞬間にその場で足を踏み込み、少し肩を動かしたようにしか見えなかった。


風音「サモンさん。最低限僕に伸ばした手が、打撃を狙ったものなのか投げを狙ったものなのかくらいは分からないようにしないと。 全力で殴りかかる人は、そんな後ろに重心を残さないよ。 露骨に投げようとしてくるって分かっちゃうと、こっちはわざと掴ませてサモンさんの体を操作できる態勢が整っちゃうからね。 戦闘中は出来る限り、狙いを隠すようにしようね」


 サモンを背中から地面に叩きつける頃には、風音の目の前に居たショウイが体勢を崩している。

 まだ彼は風音に触れてもいない。もちろん風音もショウイに触れていない。


風音「ショウイさん。これがあなた達が見たかった運足です。 この一瞬で三回。僕は踏み込み位置と重心を移動させて、攻撃を撃ち込む気配を変化させました。 それに対応するように、ショウイさんも無理に重心を移動させたでしょ? それは見事でした。 もしそうしてなければ、こっちが優位な状況でショウイさんの攻撃は流され、逆に全力で踏み込める僕に手痛い一撃をもらう所でした。 でもその短時間の重心移動のせいで体勢を崩したでしょ? 僕がそういう風に操作したから。 そうならないようにするには、ここ」


 ショウイの左足をスッとすくい取るように足払いをすると、ただでさえバランスを欠いていた態勢が大きく崩れる。


風音「踏み込みじゃない方の足とその足に繋がる半身で、全身に芯を作る。 踏み込んだ足と半身が、どれだけ不安定な態勢になっても支えてみせる。 そんな芯を作っておく。そうすれば急な重心移動にも芯がブレない。慣れればどっちの足とか考えなくても、体の中心に芯が立つようになるけどね。 あとこれは僕はあんまりやんないけど、イメージだけでもちょっと効果があるらしいね。足から大地に根が張ってるイメージをする。それだけで安定感が少し増すんだって。 要はそうする事で足裏のつま先重心と、かかと重心のバランスが安定するっていうのと、イメージする事で無意識に足が地面を噛むようになるからだろうね。 まぁ僕はやんないから、知らんけど。適当に解説してるけど」


 そう言いながら体勢を崩したショウイの後頭部をポンッと叩くと、ショウイが成す術なく崩れ落ちる。

 畳に倒れている二人を見下ろしながら言う。


風音「ただいろいろ言ったけど今僕が二人に言った事は全部基礎で、ハッキリ言って二人とも言われなくても上手に出来てたよ。文句なしにマスタークラス、空手だと優に黒帯レベルだね。 ただ格上と戦うには、まだまだ練度が足りないってだけ。 あとは・・・そうだな・・・」


 教習なので基礎だけでなく、もう少し今の組手の内容に関して個々に何か言った方が良いのかな。と考えて。


風音「一個ずつ助言するなら・・・サモンさんは打撃と見せかけて掴みたいなら、ストレートよりもフックみたいな回転系の打撃の方が、相手にバレずに打撃と投げをスイッチしやすいよ。そこから練習してみるといいかも。 ショウイさんは体勢を崩されそうになってしまった時は臨機応変に、いっそ踏ん張らずに自分から体を崩してもいいかも。そのやり方は一対一だと不利になる事も多いけど、今みたいに二人掛かりなら有効な時もあるから。 例えば今の状況なら僕がサモンさんを投げる為に半身を使わざるを得ないから、その瞬間必ず足を踏み込んでる訳だよ。 って事はショウイさんはサモンさんが投げられるのを見た瞬間、やろうとしていた攻撃をやめて、あえて下に体勢を崩して足払いに移行すれば軸足を刈れる可能性が高・・・まぁ・・・そうなってても僕は避けたと思うけど・・・その・・・有効な場合もあると思う」


 二人が風音を見上げながら、キョトンとしている。

 何が起こったのかも分からない内に負けてしまった感じなのだろう。特にサモンはまだ状況が理解できていない表情だ。


天狐「ショウイ。サモン。 共に一本負け。 二人とも二秒弱で決着ってとこね。まぁ頑張った方だわ」


 二秒程度という短時間で(正確には風音が講釈している時間は数十秒間あったが、二人が風音に攻撃をしてからいわゆる「死に体」になるまでにかかった時間という意味で)、あっという間に二人が沈んだ。


 周囲で見ている生徒たちは、そのほとんどが悔しそうな表情で見守っている。

 シャロンで最もレベルが高いこのクラスの、一位と二位がこんなにあっさりと片付けられてしまった。

 途方も無いほどの差を見せつけられ、無力感に打ちひしがれている。

 先程は八人でかかって来いと言われて、舐められているのかと思っていたが・・・。

 むしろこれは八人でどうにかなる相手なのか・・・? と。


 風音がアミルの方を見る。


風音「アミルさん。あまりに決着が早すぎて、ミュグロスロインさんに指示を出すタイミングが無かった?」


 突然話しかけられて、アミルがビクッとする。


風音「あなたが何をしたかったのかを当てましょうか? ショウイさんとサモンさんが僕と戦いを始めて、二人がほんの数秒でも僕を足止めしたり、優位な状況に持って行く事が出来た時。 そこのミュグロスロインさんのフードとマスクと腰巻を取って、僕に彼女の姿を見せて戦わせるつもりだったでしょ?」


 うぐ・・・、と何も言えない顔で風音を見るアミル。


風音「例えばキコキニ。サスサス。キキラコㇺ・・・。これらの名前は犬系獣人が住む星、ラーマスート星に多い名前の付け方。 地球でも国ごとに名前の付け方に大きな特徴があるように、星ごとにも特徴がある。 さっきミュグロスロインさんって名前を聞いただけで分かったよ。 同じく犬系獣人の星、ヴァン星出身に多い傾向の名前だ。僕が犬系獣人が大好きだってのは、みんな知ってるからね。そんな種族が突然目の前に現れたら、一瞬攻撃を躊躇して隙を作るだろうと考えた。 そして一瞬でも隙が出来たなら、ショウイさんとサモンさんの実力ならそのまま決着まで持って行ける」


 アミルがうつむいて唇を噛む。名前を聞かれた時点で、アミルの作戦は全部バレていたようだ。


風音「アミルさん。そんな悔しがらなくても、あなたが今日一番良い線行ってたよ。その作戦は悪くないし敵の弱点を事前に調べて、そこを的確に突くのは大正解なんだから。 ミスがあったとするなら、僕の犬獣人知識を見誤っていた事だよ。まさか名前を聞いただけで作戦がバレるとまでは想定してなかった。 ま、しいて駄目だしするなら偽名を使わせた方が良かったかもね」


 風音がミュグロスロインの目の前まで近付くと、彼女がフードとマスクと腰巻を取る。

 腰巻が外れて見えた尻尾は、恐怖でクルクルと巻いてしまっている。不思議とこの辺の反応は、地球の犬と一緒だ。怯えると巻くし、喜ぶと振るし、怒ると立つ。

 フードとマスクが取れた顔は、人に近い方の犬系獣人のようだ。 見るからに震えて怯えている。

 茶系の毛色で耳は大きく、毛でフサフサの耳が頭の上から人間の耳があるくらいの位置まで折られている。

 顔全体は人や猫系獣人の様な、平面的な顔立ちだ。犬に近い系の獣人の様に、口の部分が出っ張っていたりしない。


風音(かっ・・・! 可愛いなこの子・・・!! 耳の造形が神、神だよこれは! この可愛さはマリアさんと張るんじゃないか!? いや・・・性格的にはマリアさんよりも・・・)


 余裕の表情を保ちながら、心ではそんな事を考える風音。

 最近カノンに出入りするようになった、花屋のマリアさん。

 彼女もとても可愛らしい犬系獣人だが、性格は結構強気な子だ。

 それに対してこの、おとなしそうな顔。絶対普段の性格もおとなしいのが見て取れる。

 犬大好きの風音としては、やんちゃな犬よりおとなしい犬の方がわずかに好きであり、獣人に対してもその傾向がある。

 この子なんてもう、ストライクど真ん中だ。


風音(ヤバい・・・これは可愛い・・・)


「あの・・・私だけじゃ相手にならないと思うので・・・その・・・」


 怯えながら言うミュグロスロインに。


天狐「ミュグロスロイン。あなたも中堅上がりのCクラスとはいえ上位職員。ここで闘わないという選択肢は無いわ。あなたは実戦でもそうやってすぐに逃げるの?」


 「ミュグ。負けると分かってても行きなさい。 それを乗り越える事で、いつかあなたも私と同じAクラスになれるのよ。 ここで逃げているようでは、一生Aクラスになんてなれない」


 天狐とアミルの二人から発破をかけられる。

 逃げ道を絶たれて薄く涙を浮かべ、恐怖で鼻息が荒くなるミュグロスロイン。

 風音がため息を吐いて。


風音「ミュグロスロインさん、あの二人の言う事はね。無理に聞かなくてもいいよ。 いやあの二人の言う事も正しいよ? でもあの二人は結局、絶望を知らないんだよ。 僕は知ってるから。 自分よりも遥かに、絶望的なほど格が違う敵と向き合った事がある。僕も当時馬鹿だったから、あの二人同様に自分を鼓舞して向き合った。 そしてそのせいで周囲に犠牲を出しそうになって、思いっきり後悔した。 後になってようやく気付いたよ。その時の一番正しい選択肢は逃げる、だった。 戦おうとしてはいけなかったんだよ。 ここであなたが逃げる事を誰かが侮辱するなら、僕がそいつを叩き潰してあげるから。 たとえそれがアミルさんでも天狐さんでもジルでも、シャロンの職員全員でも」


 風音が過去の自分の事を考える。

 周囲が逃げようと説得しているのを拒否し、戦いを選んだ自分。

 その独りよがりな考え方で、仲間を殺してしまいそうになった自分。

 そして今急に連れて来られたミュグロスロインさんに、そんな過去の自分と同じ事をさせようとしている、この部屋の上司たち。

 風音の瞳が、過去の自分に対する怒りで青く光る。なぜなのかは知らないが、風音は昔から怒ると目が青くなるという体質だ。

 そのまま周囲の職員達を見ると、その冷たい視線に全員が恐怖で凍りつく。天狐ですら息を呑むような張り詰めた空気になる。


風音「相手が絶望的なほど格上だと分かっていながら、この子に対して軽々しく戦えって指示を出すならさ。 じゃあまずはあなた達がお手本を見せてあげれば? 一切の手加減はしないから。 ほら、誰でもいいから。全員まとめてでもいいからかかっておいでよ」


 突然連れて来られて圧倒的な格上と戦わされそうになっている子に、逃げ道を与えてあげる風音。

 生徒たちは誰一人として、その場から動けないでいる。


 しかしミュグロスロインは自分の顔をポンポンと叩いて。


「いえ、私がやります。やらせて下さい」


 気合を入れ直して風音に向かい合う。


天狐「・・・よし」


 軽く微笑んで、頷く天狐。

 スッと風音の目の色が元に戻って。


風音「え・・・」


 風音がミュグロスロインの頭に手を伸ばす。


風音「えらいっ! よく自分で乗り越えたね!」


 めちゃくちゃ頭を撫でて褒めてあげる。


「え・・・へへ・・」


 ちょっと笑って尻尾を巻いたまま振るミュグロスロイン。

 この手の種族は、褒められるのと撫でられるのが大好きだ。


風音「ああは言ったけどさ、それも大正解だよ。犯罪者がいくら格上でも、あなたが逃げちゃうと市民が犠牲になるからね。 でも本当に絶望的な相手の時は、僕の言葉も思い出してね。状況によっては僕が言った事も、決して間違いじゃないから」


 尻尾をブンブン振りながら頷く。


「状況を見極めろという事ですよね? 逃げないだけが選択肢ではないと」


風音「そう! 偉い! 偉すぎるよ、もうあなた僕の中では天狐さんを超えたよ。 一位。シャロン職員暫定一位」


 撫でながら褒め倒す。


「ありがとうございます。 えいっ」


 ミュグロスロインが風音の腹を殴る。

 実のところ全然ダメージとかは無かったけども。


風音「あ、しまった。そうか、もう始まってたね。全然警戒してなかったよ」


 一旦試合が停止している状態だと思い込んで、獣人と語り合うモードになっていた風音。

 そういえば特に、試合を中断したというようなくだりは無かった。

 わざと負けてあげたとかではなく、本当に不意打ちをくらった形だ。


天狐「・・・はい。 一本」


 つまらなそうに判定する天狐。

 何を見せられてるんだ。という感じだ。

 これがもしわざと風音が負けてあげたのであれば一本ではなく注意して続行だったが、付き合いの長い天狐だから分かる。

 今風音は完全に不意打ちをくらっていた。ならばこれはれっきとした勝利だ。


 してやられた風音は、むしろ感動している。


風音「本っ当に・・・えらい!! 話しかけて相手の油断を誘って不意打ちなんて、治安組織の常套手段だよ! ちゃんと上からの言い付けを守ってるね!」


 更に撫で回す。


「へ・・・へへ・・・」


 尻尾を伸ばして振りながら喜ぶミュグロスロイン。


「俺達はこれに負けたのか・・・」


 その横でヘコむショウイとサモン。


「まあでも、勝ちは勝ちよね」


 外野でホッとしているアミル。

 天狐は今の風音のみっともない負けに呆れている。


天狐「師匠。今日でもうあなたを師匠って呼ぶのやめていい?」


風音「そっちが修行の時に勝手に呼び始めただけで、一回も呼べって言った事無いよ。 それになんで僕への駄目出しが先なんだよ。 上司ならまずはこの子を褒めてあげてしかるべきだと思うけどね」


天狐「師匠が十分褒めてるじゃない」


 この会話中も、ずっと頭を撫でている風音。

 そして褒められ撫でられている事の悦びと、試合が無事に終わった安心感とで今まで以上に尻尾を振るミュグロスロイン。

 

天狐「いつまでも撫でてないで、講習なんだから何かアドバイスとか無いの?」


風音「アドバイスねぇ。 負けた僕が何か言っても説得力が無いからね。 でもアレだ。攻撃の威力が低すぎるね。多分力を入れると不意打ちに気付かれるから、可能な限り脱力して打ったんだろうけど。それにしても威力が無さ過ぎたから、当たる瞬間に全体重が拳に乗るようにする打ち方とか覚えてもいいかもね」


 意外にも戦闘センスは、お花屋さんのマリアの方が上かもしれない。

 あの子は以前風音が冗談を言った時、風音のお腹にツッコミを入れるように手の甲で叩いた事がある。

 それが本当に痛かったから。風音が痛がるという事は、一般人なら悶絶しているレベルだ。

 あの威力で攻撃の気配を見せないってのは、大した技術だ。

 あれを誰に教わるでもなく鍛錬したわけでもなく素で出来るんだから、おそらく元々戦闘に特化した種族なんだろうなと思う。でもお花屋さんにしておくのはもったいない、とかは思わない。あの子は間違いなくあれが天職だ。


「何かコツとかはありますか?」


 ミュグロスロインが尋ねる。

 それこそ同種族のマリアに聞けばいいんじゃないかな、と思いながら。


風音「結局あなた達もすでに知ってると思うそのやり方の、練度を上げていくしか無いかな。 打つ瞬間に足で地面を強く踏み抜く。そこで体に勢いが付く。その勢いを全身の筋肉で、回転して伝えるイメージで拳に向かって集める。当てる瞬間は全身の筋肉を引き締める。ただ練度が低いと足から得た勢いが拳に全部乗るまでに拳が当たってしまう。もしくは拳が当たるまでに勢いが抜ける。脱力した状態からインパクトの瞬間に全体重を乗せた一撃を、それも動いている相手に当てるのって、実は相当難しいからね。動いていない相手なら・・・ちょっと天狐さん。肩貸して」


天狐「なんで私が。 ミュグロスロインに借りればいいでしょ」


 ブツブツ言いながら椅子から立って、風音に近付く。


風音「天狐さんがアドバイスしろって言ったんだから、責任持ってよ。動かないでね」 

 

 そう言って、ゆ~~~っくりと拳を天狐の肩に近付ける。まだ拳を握り込んでもいない。脱力し軽く開いた状態だ。

 そして触れそうになる瞬間、天狐がサッと身を引いて避ける。

 その引いた分だけ追いかけるように腕を伸ばし、拳を握り触れた瞬間。

 ドンッという音と共に、天狐が側転をするような形で吹き飛ぶ。

 二回転ほどして着地し、体勢を整える天狐。


天狐「相手が動いても当てられるじゃない」


 ポンポンと肩を払いながら言う。


風音「どうせ動くと思ったよ、この馬鹿弟子は。 ・・・今みたいな一撃を、さっき僕のお腹に撃てていれば百点満点だったね」


 ミュグロスロインを撫でながら言う。


「が、がんばります・・・!」


風音「えらい! そのひたむきさ! そういうのが一番大事!」


 もう彼女が何を言っても、褒めて撫でる風音。


「あの。そんな事よりですね。勝利報酬の件ですが」


 アミルが風音に尋ねる。


風音「あぁ。そういえば言ってたね。えっと? このクラス全員に渡すって事? 天狐さん、一応動画を全部検閲する?」


天狐「そうねぇ。 勉強になるってんなら全部渡してもいいんだけど、見る必要の無い部分も多いわね」


「できれば多く勉強したいので、カット少なめでお願いしたのですけれども」


風音「って言われても。 ただただ天狐さんが胃液吐いてるシーンとか、いらないもんね」


天狐「別にそれはいいんだけど」


 いいのかよ。と思う風音。こいつNGは無いのか。


天狐「修行中師匠が疲れてる私を励ます為に、よく犬の話をしてくれてたでしょ?」


風音「うん。それが一番元気が出ると思って」


天狐「その今日のわんこコーナー? あの無駄な時間を見せるのが生徒達に申し訳なくて」


風音「もうお前の事は今日から弟子と呼ばんからな」


 微笑みながら言う風音に。


天狐「呼んでくれと言った事なんて一度も無いわ」


 満面の笑みで返す天狐。

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