遺物1
月明かりが射す薄暗い部屋の中。
体中が真っ赤に染まった男が一人、呆然と立ち尽くしている。
周囲には小さな子供達が十数人転がっていた。子供たちは皆喉を切り裂かれ、既に事切れている事が一目で確認出来る。
そんな凄惨を極める状況の中、唯一人、魂を抜かれたかのように血だらけのまま虚空を見つめる男が無言で佇んでいた。
その何の感情も宿していない青い目の先には、同じく喉を切り裂かれた成人男性と男の子が転がっている。
長い沈黙の後、男の眼に徐々に光が宿り、目が覚めたように周囲を見回す。そして目の前の二人の死体を見た瞬間。
天に向かって声にならない悲鳴を上げた。
「――――――――――――!!」
ガバッと起き上がり、急いで周囲を確認する。早鐘の様に鳴る心臓を手で押えながら、自分の置かれている状況をゆっくりと確認する。しばらくして、静かに呟く。
風音「またあの夢・・・・・か」
体中に嫌な汗をかいている。最悪の寝覚めに少し気分が滅入り、ベッドの上でため息を吐く。
宇宙暦五年。開星当初の混乱も徐々に沈静化し、地球の人々にもようやく『宇宙人』という存在が受け入れられ始めた。
今から約五年前。
音羽・風音という名の当時まだ十五歳だった少年が、人類で初めて異星人との接触に成功した。
宇宙空間における瞬間移動の実験に参加していたのだが、そこで思わぬ発見に至る。
今地球がある宇宙とは別の、全く違う宇宙が存在したのだ。
そこはこちらの宇宙とは違い、様々な星に様々な知的生命体が当たり前のように存在する、こちらとは全く様相の違う宇宙だった。
そしてその発見から、程無くして地球にも異星人がやってくるようになった。
宇宙人との接触後、暦を『宇宙暦』と呼び始めてわずか五年。このわずか五年の間に、地球は大きな変化を遂げた。
細かい変化は多々あるが、特に大きな変化が一つ。
それが、太平洋の真ん中に出来た異星人による人工の島『フェクト』である。
このフェクトは面積がおよそ日本の総面積の二十分の一ほどもあり、一般人が生活できる場所はその中でも三分の一くらいだ。
そして現在唯一の宇宙港が存在する場所でもある。五年経った今でも多数の異星人と地球人が共存しているのはここぐらいのものだ。
わざわざこんな島が作られたのには、もちろん理由がある。
宇宙暦元年、地球が開星したての頃、異星人が地球に来る際にどうしても必要だったのが宇宙港の存在であった。
当初様々な国に何ヶ所か作る予定だったのだが、当の異星人から。
「過去の経験上、開星して間も無い星はあまり宇宙の出入り口を量産しない方がいい。一つでもずさんな警備の宇宙港があればそこから凶悪な宇宙人が次々に入ってくる事になる。そうなれば、他星の知識が無い地球などあっという間に支配される。当分は一ヶ所にして、そこ以外の場所から地球に入ろうとした船や、定められたルートを通って来なかった船は問答無用で駆逐する。という形にしていただきたい」
という条件を出された為、当分はその形でいく事になったのだが・・・問題はそこからだった。
どの国に宇宙港を設置するのか。
当然地球上のほとんどの国が希望したため揉めに揉めた。公平にクジ引きで決めようという事になり、合意したにも拘らず、結果に納得がいかないと言って戦争を仕掛けようとした国さえあった。
結局半ば呆れた異星人達が、一番広い海の真ん中に人工島を作り、そこに設置しようと提案。
利便性が悪過ぎるとの声も多かったが、これが否決されれば本当に戦争が起こってもおかしくない。
結果、賛成をした国が過半数を占めたので現在に至る。
賛成票を投じた国の多くは、戦争どうこうと言うより自国やその近隣の国に宇宙人が入ってくる事に抵抗があるという、国民の意見を反映したもの。
利益を第一に考える権力者と現実的な生活を考える国民とは、少し考え方に違いがあったようだ。
最初は自分の国に宇宙港の設置を希望していた国も、結局世論に押され賛成票を投じたという事だ。
そんな変化にも人々が少しずつ慣れ始め、気軽に他の星へ旅行や仕事に出掛けられる様になり、逆に地球には色んな星から宇宙人がやって来る。
そんな時代―――――――
人工島フェクトに存在する宇宙最大の治安組織「シエロ」に対し莫大な借金を抱えてしまったせいで、他の星へ行けない可哀想な宇宙船が二隻。
船の名は『風音』と『炎火』
現在カノンは船の所有者である音羽風音の出身地、大和の山奥に。
炎火はフェクトの中心都市『ネロ』のど真ん中にそれぞれ停泊している。
ロストテクノロジーの中でもトップクラスを誇る簡易空間移動装置により、お互いの船を自由に行き来できるなど、全宇宙でも珍しいほどの高度な技術と高価な設備で作られた、(借金のせいで)飛ぶ事の出来ない宇宙船の中――――――
悪夢から飛び起きた青年。
最悪の寝覚めに軽くため息を吐いた。
上半身を起こしてベッドに座る。
音羽風音。
もうすぐ二十歳になる青年だ。・・・と言っても、見た目が若すぎるのでまだ十五歳くらいにしか見えない。
黒髪でセミロングまではいかないものの、少し長めの髪をしている。
他には少し目が大きめである事や、鼻がそんなに高くないとか小顔であったりなどなど・・・。
はっきり言って彼の見た目は、年齢の相違どころか男にすら見えない。
出会う人ほとんどが初見で女の子と見間違うほど、女性っぽい見た目をしている。
「どうかしましたか? 風音さん?」
少し離れた机の上から心配そうな声が聞こえた。
机の上に目をやると、手の平位の大きさの小さな人型の生き物が座っていて、眠そうな顔で風音の方を見ている。
彼女の名前はユニル・フレイアロウ。
裏側(地球が存在しない方の宇宙の地球での俗称)出身の妖精である。
彼女の本来の姿はもっと人間に近いのだが、妖精の姿は契約した者に影響される。そのため風音の頭の中の妖精のイメージがそのまま投影され、手の平サイズになっている。
全体的な見た目も可愛らしいお人形さんのような、ディフォルメされた見た目になってしまっている。
ウェーブのかかった薄赤色のショートヘアに、赤い目。そして彼女が起きている時は、常に髪や衣服が風になびくように動いているのが特徴。
風音「いや、何でもないよ。いつもの夢を見ただけだから」
言いながら電子時計を見る。午前3時20分。
風音(まだ真夜中もいいとこだな)
どうりで頭が重いはずだ。
風音(そういや仕事終わりでユニィと仕事報告の相談しながら寝ちゃったから、今日はここで寝てたんだっけ)
いつもなら隣の部屋で寝ているのに。
昨日までの仕事でユニルも疲れているだろうし、迷惑を掛けてしまったか。
風音「起こしちゃってゴメン。ユニィはそのまま寝てて」
と風音がベッドから足を下ろしたのを見て、ユニルが尋ねる。
ユニル「風音さんは? もう朝まで起きるんですか?」
風音が首を横に振る。
風音「ううん。ちょっと汗かいたからシャワー浴びに行こうかなって」
そう言ってベッドから降り、ドアの方へと歩いて行く。
ドアの前まで行ったところで、後ろから声がした。
ユニル「またあの夢ですよね? 本当に、大丈夫ですか?」
先程よりも心配そうにユニルが尋ねる。風音が少し困った顔をしながらも、笑いながら、
風音「本当に大丈夫だって。ユニィは心配性だねぇ」
と軽い口調で答えた。
が、ユニルが風音の言葉に疑問を抱く。
なら何故ここから出て行こうとするのか。シャワーならこの部屋にもある。それを使えば済む事なのに、わざわざこんな夜中に大浴場の方まで行こうとすること自体、一人になりたいという意思の表れではないのだろうか。
もし一人で全て抱え込もうとしているなら。
ユニル(このまま黙って出て行くのを見送る方がいいのかな? 以前癒々さんが一人になりたい時は一人にしてあげるのも優しさだって言ってたけど・・・・・・でも・・・)
ユニル「風音さん」
改めて風音を呼ぶ。
怒鳴っているわけでも、大きな声を出したわけでもないのに強い口調に聞こえたその言葉に、一瞬風音が気圧される。
ユニル「夢は所詮夢です。頭の中で作られた虚構にすぎないんですよ。そんなもので自分を責めないで下さい」
優しく言うユニルに応えるように、風音が無理矢理笑顔を作る。もうこれ以上心配させないようにそうしたつもりだったのだが、口から出たのは。
風音「虚構、か。虚構ならどれだけ楽だろ」
ユニルに反論する。というよりは、自分に言い聞かせるように呟く。
風音「僕が見るあの夢は、全部真実―――――――」
ユニル「の一部、ですよね」
風音の言葉をさえぎり、ユニルが告げる。
ユニル「風音さんはそんな事をするような人ではありません。それは私が―――いえ、カノンに居る皆が保証します」
真っ直ぐ風音の方を見つめて断言するユニルに、風音が一瞬何も言えず見つめ返してしまう。
ふと我に返り、再び笑顔になって言う。
風音「・・・・・・ありがと。少し気が楽になったよ」
ユニル「少し・・・ですか?」
残念そうに呟く。
風音「まあ、こればっかりはね。最終的には自分の中で決着付けないといけないし。でも、少しで十分。人間、暗い気分の時はどんどん暗くなっていくもんだけど、そうはならずに済みそうだし。・・・・ユニィのおかげだよ。今度お礼にパン粉あげるよ」
ユニル「パン粉て。いりませんよ。まるで私がパン粉大好きキャラみたいに言わないで下さい。・・・全く、ちょっと元気になったと思ったらすぐふざけて・・・・」
ブツブツと文句を言う。
風音「いやまあ今のは照れ隠しみたいなもんだよ。ホントに感謝してる。・・・じゃあ、シャワー浴びてくるね」
ドアを開け、部屋から出て行こうとする風音をユニルが呼び止める。
ユニル「あの、ここのシャワーは使わないんですか?」
気が楽になったと言っていたので、もう大浴場には行かないと思っていたユニルが疑問を口にする。
その問いに、風音が少し驚いた顔をして聞き返す。
風音「あれ? 修理したの?」
ユニル「・・・・・・・?」
ユニル「・・・・・・・・・・・・・・・・??」
ユニル「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
ユニル(そういえば数日前、風音さんが『シャワールームが凄い勢いで壊れた』とか言ってたような・・・)
かなりインパクトのある台詞だったのにすっかり忘れていた。
だとすれば。
ユニル(一人になりたいから行こうとしてたんじゃなかったんだ・・・)
ふと風音の方を見ると、いまだに少し驚いた顔をしている。
ユニル「いや・・・・修理は・・・してない、かも」
少し風音から目を逸らしながら答える。
結果的には風音を元気付けることに成功したのだが、話の発端が自分の勘違いだった事に気づき、恥ずかしくなる。
風音「? 顔が赤いよ? 大丈夫?」
ユニル「なんでも無いです。気にしないで下さい」
赤くなったまま、フイと横を向いて視線を逸らす。
風音「じゃあ気にしない事にして。行ってきます。・・・っとそれから、おやすみ」
ユニル「おやすみなさい」
お互いひらひらと手を振りながら別れた。
風音が大浴場の方へ向かって廊下を歩いていると、廊下の先、かなり離れた場所に人影が見えた。
風音(ん? 誰だ? こんな時間に?)
警備担当のゼロアを思い浮かべる。
風音(違うな。あの大柄な男なら人影だけで見た瞬間に分かるし。じゃあ誰だろ?)
人影の方もこちらに向かって歩いて来ている。
風音(ゼロアが反応してないってことは、侵入者では無い筈・・・・・)
そう思いながらも、少し警戒する。すると、まだ少し離れた場所で人影が立ち止まり、声を上げる。
ルミナ「あら? 風音さん?」
はっきりとした表情は見えないが、声だけで不思議そうな表情をしている事が伺える。
風音の方も今まで寝ていたわけだから、暗闇に目が対応している。もうこの距離になると、風音の方もなんとなく相手の正体を掴みかけていたのだが。
風音「こんばんは。ルミナ。まさか先に声をかけられるとは思わなかったよ。その距離でよく僕だって分かったね?」
自分の視力にはかなりの自信があるので、こういう場面で相手に先を越されると少し悔しい。
風音が聞き返すと、パタパタと走り寄って来る。
嬉しそうな表情で目の前に現れた少女の名はクリス・ク・ルミナ。裏側出身。
色白でクリッとした目の可愛らしい少女。見た目の年齢は十五歳前後。
肩まで伸びた輝くような真っ白な髪が特徴。初対面の人が見ると、この髪の長さの違いでないと判別できないくらい瓜二つの弟がいる。
そしてその弟たちと共に開発した翻訳機が爆発的に売れた為、宇宙でトップクラスの金持ちでもある。
ルミナが風音の前まで来て、フフンと鼻を鳴らして胸を張る。
ルミナ「やっぱり風音さんでしたね。なんとなく動きがそんな感じでした」
風音「動き? 僕ってそんなに特徴のある動き方してる?」
ルミナ「いえ、一番特徴が無いんです。だから気付いたんですけど。ゼロアとか亜稀は音を殺して歩くし、事務の人達とかレスタや煉也はこんな時間にまず起きてこないし。あとジジイと双健は加齢臭で分かるし・・・・・・・」
風音「ちょっとそれは訂正しようね。できれば本人の前では言わないであげてね?」
ルミナ「あ、はい。ジジイと双健は若者には出せない渋さが漂ってきて分かりますし」
風音(ジジイっていう所も訂正してほしかったな・・・・・・)
ルミナ「他にも千丸とかクーラーズは全身から鬱陶しさが出てるんですぐ分かります。・・・・そんな感じで推理した結果、風音さんじゃないかなって」
と言って得意気に胸を張る。
風音「なるほどね・・・・」
所々引っかかる所はあったが風音が素直に感心する。
ルミナ「そんなことより、こんな時間に何してるんですか?」
ニコニコしながら聞いてくる。イメージ的には尻尾を振っている犬、といった感じだ。
風音「いや、それはこっちの台詞の様な気がするんだけど。僕はこれからシャワー浴びに大浴場の方まで行こうかなって」
ルミナ「こんな時間にシャワーですか?」
不思議そうに首を傾げながら、ルミナが考え込む。
ルミナ(深夜にシャワー? 何のために? 確か私が出掛ける前にはもう自分の部屋で寝てたはず・・・。なのに、わざわざ深夜に起きて来てシャワー? ・・・ちょっと怪しい。・・・・・・! もしかして、誰かの部屋に夜這いに行くとか!? ・・・いや風音さんに限ってそれは無いでしょ。・・・でも、絶対に無いとは言い切れないし・・・・・)
ルミナが考えるのを止め、近くの部屋のドアを指さしながら尋ねる。
ルミナ「あの、私の部屋はそこですけど、覚えてます?」
風音「へ? うん。知ってるよ?」
結構いつもの事なのでもう慣れたが、ルミナと話しているとたまに話が意味不明な方向に飛ぶ。弟のレスタ曰く、「適当に受け流してください」との事。
ルミナ「私の部屋に用は無いですか?」
突然の質問に風音が頭を捻りながら考え、一拍置いて答えた。
風音「まあ、今のところ、特には」
その言葉を聞くや、ルミナの顔から笑顔が消える。
ルミナ「じゃあどこに用があるんですか!!」
風音「えっ? 大浴場だけど」
さっき言ったと思うけれども。
何故か突然怒り出した相手に、訳が分からないながらも返答する。
ルミナ「お風呂から出た後は!!!?」
風音「部屋で寝るけど?」
ルミナ「へ、部屋で寝る!!? 誰の部屋で!!!!?」
風音「? 自分の」
そこまで言ったところで、ルミナがフーっと息を吐く。そして、笑顔に戻って言う。
ルミナ「まあ風音さんがそんな事をする筈が無いとは思ってましたけど」
風音(どんな事をすると思ってたんだよ・・・)
心の中で突っ込む。
風音「で、ルミナの方は何してるの? こんな時間に」
途端にルミナが目を逸らす。
ルミナ「少し、その、外出してたんですけど。外の空気が吸いたくて」
風音「あっちの方向から歩いてきたって事は、フェクトに行ってたってことじゃないの? ここは自然に囲まれてるから、外の空気ならこっちの方が綺麗だと思うけどな?」
ルミナ「え? ええ、まあ、そうなんですけど。 でも自然の空気と、夜の街の空気とは趣が全然違いますから。あれはあれで好きなんですよ」
どう見てもルミナの態度がおかしい気もするが、あまり個人のプライベートを詮索するのもどうかと思ったので無難に返すことにする。
風音「へぇ、そうなんだ。でもあんまり夜は出歩かない方がいいよ。襲われたりしたら大変だからね、特にフェクトは」
ルミナ「あ、はい。心配してくれるのは嬉しいですけど、その点は大丈夫です」
と胸を張りながら自信満々で断言する。
ルミナ「そこいらの悪漢なんてこれで――――」
ルミナがパチンと指を鳴らすと、右手に大きな腕型の機械が現れ、すぐに消える。
ルミナ「一撃ですよ」
ニッと笑って風音の方を見る。
が、それとは対照的に風音は、ルミナを見ながら少し頬を引きつらせる。
風音(いや、だから危険なんだよ。相手が弱かったら死んじゃうし。まあ、フェクトでは襲われた場合は反撃で相手が死んじゃっても正当防衛でお咎め無しになる事が多いけど・・・そういう問題じゃないしなぁ。 それに、ほんとにまずいのは相手が強かった場合か。こっちが武器を使うのが分かったら手加減してくれないだろうし、手加減抜きならルミナより強い宇宙人なんていくらでもいるからなぁ・・・)
風音「それでも危険だよ、やっぱり」
ポンポンとルミナの頭を掌で叩きながら、子供を諭すように言う。
風音「だから余程の事が無い限り、夜間は外出を控えた方がいいよ。もしどうしても用があったら、僕とか双健さんを呼んでくれたら付いて行け・・・・・・って聞いてる?」
少し気になった風音が尋ねる。彼女は風音の手が頭に触れた頃から目を細めたまま微動だにしていない。またいつものように考え事を始めてしまったのだろうか。
風音「あの、聞いてる?」
ルミナ「はい、効いてます」
いまひとつ会話が通じていない気もする。
風音「まぁ聞いてくれてたんだったらいいか。じゃあ早く寝るんだよ?」
・・・反応が無い。ぼんやりしている様なので、気付け代わりにもう一度今度は少し強めに頭をポンポンと叩いた後、その場を後にする。
約二十分後。
風音「うお・・・・まだ居たよ・・・」
風呂から出て来て自室へと帰ろうとした時、まだ先程の場所でルミナが立っているのが目に映った。
近くに寄ってみると、目を閉じたまま半笑いで静止している。
風音(立ったまま寝てんのかな?)
本人は幸せそうな顔をしているが、真っ暗な深夜の廊下のど真ん中。子供が見たらトラウマになりそうなほど異様な光景だ。
何度か呼びかけてみるが反応が無い。
ふと風音が周りを見渡す。よく考えてみれば、周囲の部屋には他の者達が寝ている。あまり声を出して迷惑を掛けるわけにもいかない。
もう放っておくのもアリかな、とも思ったが。
風音(これで明日風邪でもひかれたら困るし・・・・・)
そう思い直し、動かない彼女の首根っこを掴み、近くにある彼女の部屋へと放り込む。
風音「これでよし、と」
廊下よりはマシだろう。一仕事終えた気分で自分の部屋へと戻る。
艦長室に戻るとユニルが小さな寝息を立てている。起こさないように静かに隣の自室のベッドまで移動し、横になる。
が、今さっきユニルの方を見た時、机の上にあるスパコンの通信ランプが点灯していたのが見えた。
風音(こんな時間に通信?)
確かさっき起きた時は点いて無かった筈だ。このスパコンは仕事用の物なので、おそらく仕事の依頼なのだろうが。
風音(さて、ここで僕が取らなきゃならない行動はどっちだ? ①見なかった事にして寝る。 ②通信内容の確認のためクソ面倒臭いのを我慢してもう一度起きる)
気持ち的には躊躇無く①を選んでしまいたい気分だったが、借金を返すためにも仕事には貪欲に食らい付いて行かなくてはならない。
風音(はぁ・・・面倒臭いなぁ・・・)
仕方なく起き上がり、艦長室に戻ってスパコンの電源を入れ、内容を確認する・・・そんな夢を見ていた。
―――――朝。
ユニル「おきてくーださーい。 あーさでーすーよーーー」
朝の早くから元気な奴がいる。
ユニルだ。
風音の耳元で何度も叫び続けている。風音も負けじと何度も聞こえない振りをして寝続けようとしたが、止める気配が無い。
ユニル「起きてくーださーいなーーー。風音さふぁ~~い」
風音(なんで朝からこんなにハイなんだ)
風音が不快そうに寝返りを打つ。
風音は普段寝る時間が非常に短く、寝起きがいい。しかしその反面、仕事などで疲れた時は長い時間寝るうえ、非常に寝起きが悪い。今朝は後者の方だ。
ただでさえ寝起きが悪いのに一度夜中に起きている。もういっそ昼まで寝ていたかった。
ユニル「起ーーきーーてーー。起ー。きー。てー。」
これが目覚まし時計なら一叩きするだけで静かになるのに。
風音(・・・・・あー・・・うるさい・・・・・って・・・)
夢うつつにそんな事を考えながら、目覚まし時計を止める要領で音がする方向に向かって平手打ちをする。
バシッ。
ユニル「ガハァッ!!」
静かになるどころか、ひときわでかい音が鳴る。その大きな音のまま音は鳴り続ける。
ユニル「朝から何してくれるんですか!? 思わずやられ役みたいな声出しちゃったじゃないですか!」
以降、ず~~~っと大きな声で怒鳴り続けるので、さすがに辛くなり上体を起こす。
風音「ん~~~?」
ユニル「ん~~~? じゃないですよ! もういい加減起きて下さい!」
耳元で大きな声を出されているが、風音は未だに少し寝ぼけている。
風音「あのさぁ、ユニィ」
すぐ近くにいたユニルの赤い髪を、ちょいちょいと指で撫でる。
ユニル「何ですか?」
風音「ボタンを押すと音が大きくなる目覚まし時計って売れると思う? 僕は売れるとは思わない。だってそれはただの欠陥品だから」
ユニル「朝イチで何寝ぼけた事言ってるんですか」
ユニルが呆れたように嘆息をもらす。
風音「ははは、馬鹿だなぁユニィ。朝イチだから寝ぼけてるんだよ。馬鹿だなぁ」
ユニルにデコツンしながら、朗らかに応える。
ユニル「・・・そうですか」
怒気を含んだ声を出したユニルが、窓の方へと飛んでいき窓を全開にする。
外は気持ちの良い青空が広がっている。周りが木々に囲まれているので、窓を開けると空気がとてもきれいなのが実感できる。
ユニルが窓の下を覗く。
風音の部屋は二階に当たる場所にある。ただ二階とはいっても宇宙艦カノンの構造上、地面から見るとかなり高い位置に存在する。
ユニル「風音さん」
風音「ん~~~~?」
ユニルが傍から離れたのをいいことに、座ったまま寝ていた風音が寝たまま返事をする。
ユニル「ちょっと外で目を覚まして来なさい!!!!」
その怒鳴り声と同時に空気を裂くような物凄い音が部屋中に鳴り響き、部屋中に強烈な風が吹く。
風はまるで意思を持っているかのように風音を布団ごと持ち上げると、そのまま窓の外へと放り出した。当の風音はというと、寝ぼけているせいか状況が理解出来ていないらしく、慌てる素振りすら見せない。
落ちる寸前風音とユニルの目が合ったが、ユニルがそっぽを向いて窓を閉める。
およそ二秒後。
外から「いてっ!」という声が聞こえた。
――――しばらくして。
ユニルがぼんやりと窓の外を眺めていると、ドアの外からバタバタと走る音が近づいてくるのが聞こえる。
風音「起きたーーーーーーーーーーーーー!!」
ドアを開けると同時、布団を担いだ風音が元気な声を上げる。
ユニル「やっと起きましたね。おはようございます、風音さん」
風音「おはよっ。いやぁ何て言うかさ、空を飛んでると思ってたのに実は自由落下だった時ほど悲しい事は無いね」
ユニル「ふざけた事ばかり言ってるからですよ」
ユニルがふてくされる。
風音「まぁまぁ機嫌直して。僕が何言ったか知らないけど、寝ぼけてる時なんてほとんど無意識で喋ってるんだから。気にしたら負けだよ」
ユニル「何言ってるんですか。こっちは暴力まで振るわれたんですよ? ちゃんと謝って下さいよ」
風音がユニルに近づき、ユニルの頭を指でトントンと叩く。
風音「はいはい、痛いの痛いの飛んで~け~~」
ユニル「・・・・・私は謝って下さいと言ったのであって、私のストレスを溜めて下さいと言った訳じゃ無いんですよ? もう一回放り出されたいですか?」
つり上がった目で風音を見上げながら威嚇するユニルに向かって、風音がビシッと親指を立てる。
風音「寝てる時ならまだしも、今の僕なら受け身により落下のダメージをほぼゼロに―――」
ユニルが無言で窓を開ける。
風音「ごめん」
即謝る。
ユニル「初めからそう言って下さいよ、もう」
ブツブツ言いながら窓を閉める。
風音「それよりも、なんで今日はこんな朝早くから? 今日は仕事入って無かったんじゃなかったけ? 朝一で依頼が来たの?」
ユニル「ええ昨日の、じゃなくて今日ですね。一二時回ってましたから。夜中に一回起きましたよね?」
風音「うん。確かルミナに会った」
ユニル「は? ルミナ? 夜中にですか? ・・・・・チッ」
露骨に舌打ちする。
風音「あのさ、ユニィとルミナの仲があんまり良くないのは知ってるけど、名前聞いただけで舌打ちって。って言うか妖精が舌打ちって・・・」
風音が思わず苦笑いをする。
ユニル「仲が悪いというか・・・ただちょっと相性が悪いだけです。まぁ、その件については後で詳しく聞かせて貰う事にして。・・・話を戻しますね? 風音さんが部屋から出て行った直後位にスパコンの方に反応がありまして」
それを聞いた風音が少し考え込む。
ユニル「緊急ではなさそうなので、まだ内容は確認してませんが。その様子は、もしかして何か知ってるんですか?」
ユニルに尋ねられ、風音が不思議そうな顔で口を開く。
風音「いや、知ってるっていうか、それ確か風呂から帰ってきた後で確認したような気がするんだけど」
実際は確認せずに即寝落ちしてしまったのだが、その直後に夢で続きを見ていたので勘違いしている。
ユニル「え? そうなんですか?」
二人してスパコンの方を見た。
スパコンの下の方にあるランプが点灯している。このランプは依頼や仕事関係のメール等にのみ反応するように設定されてある。
依頼などは出来るだけ早めに内容を確認したいので、朝起きた時や外出後などは欠かさずチェックしている。
そして内容を確認をすればランプは消える筈なのだが。
ユニル「あ、じゃあそれ以降にもう一回入ったって事ですね。珍しいですね、一日に何回も点くなんて。最初の方の用件は何だったんですか?」
風音「確か・・・『たまには仕事を休んで皆でキノコ狩りに行かない?』って母さんから」
ユニル「夢ですね。それは」
ユニルが間髪いれずに言うと、風音が「あれぇ?」と言いながら首を捻る。
そんな風音に呆れたようにユニルが言う。
ユニル「内容を確認しようとしたけど寝ちゃったって所でしょ、多分」
風音「まぁ確かに素人だけでキノコ狩りに行ったって毒キノコとか見分けられないもんねぇ。そう考えるとキノコ狩りは無い、か・・・・・・確かに夢だったのかも」
と一人で納得する。
ユニル「いえ、毒キノコどうこうではなく内容が・・・」
風音「でもちょっと待ってユニィ。まだ夢と決めつけるのは早いかも」
実家には師匠兼親父の音羽研刃がいる。あの男はいつも突拍子もない事を言い出すし、やると言ったらやるのだ。
彼なら毒キノコとか考えずに何でも食べてしまいそうだし、かといって毒に耐性がある訳無いので、そのまま死んでしまいそうな性格をしている。
研刃の性格を考えれば考えるほど、あながち自分の見たメール内容も夢では無かったのではないか、と思えてくる。
風音「フッ・・・・・やってくれるね・・・敢えてそこに挑戦するのか父さん・・・その意気やよし」
ユニル「あの、何を考えてるのか知りませんけど、そういった問題では無くてですね」
風音「思わず行くって返事したのに」
ユニル「行く気だったんかい。ってもういいですよ、夢の話は」
ユニルが風音の『夢ではなかった説』を打ち砕く。
―――というか。あれこれ言う前にさっさと内容を確認すればいいだけの話だ。
風音「じゃあ、確認してみるか」
風音が机に向かい、スパコンの電源を入れる。
しばらく待つ。
風音は基本的に『待つ』という行為が嫌いではない。誰かと待ち合わせをした時、相手が大幅に遅れても気にしない。
病院(自分は病院の世話にはならないので付き添いだが)や銀行に行った時、数時間待たされても何とも思わない。
本を読むのが好きなので、待ち時間は本を持っていれば読む事が出来る。本が無くても考え事をすればいい。
今日の献立。借金返済。カノン等々。考える事は無数にあるし、考え事をしている時間は風音にとっては非常に有意義な時間だ。
が、逆に考え事も本を読む事も出来ないような、微妙な『待ち』という時間が嫌いだ。特に二十~四十秒程度の待ちが大嫌いだ。信号とか。ちょっとだけ並んでいるレジとか。踏切とか。
何の意味も無い。人生に於いて非常に無駄な時間だ。
―――――要するに。
風音「も~~何でさっさと点かないんだよ。スパコンなんだから起動なんてノータイムで行って下さいよ~、水ぶっかけますよ~~?」
スパコンに電源を入れてから作業が出来るようになるまでの数十秒の間、風音はいつもちょいイライラしている。
ユニル「さっき無駄話していた時に、電源だけでも入れておくべきでしたね」
風音「全く」
しばらくして、ようやく作業出来るようになる。
どうやらメールが二件来ているようだ。片方は仕事関係では無いらしい。
風音「ああ、文字の方か」
大抵の仕事の依頼は文字だけではなく映像付きで、依頼内容を依頼人が喋ってくれる形になっている。というか、出来ればそうしてほしいと告知してある。だから映像付きでない、文字のみの場合は仕事の依頼である事が少ない。
そのほとんどが仕事で知り合った人達からの、他愛もない内容の依頼である事が多い。
因みに、カノンではいつも決まった時間に出勤して仕事をしているわけではない。仕事の依頼があって初めて仕事が開始される。
職種はいわゆる『街の便利屋さん』とでもいうのか。
機械知識がある者は機械の開発や修理の依頼をこなす。
また、武術に心得のある者はフェクトの治安部隊『シャロン』の格闘技訓練の指導にあたったり、他にも内職に近い情報処理の仕事や、カノン周辺で育てた花や野菜をフェクトに持って行って売ったりもしている。
最近は炎火の近くに学校が建てられたらしいので、炎火の余りまくっている部屋を学生寮にして何とかお金を捻出出来ないか画策中でもある。
フェクトは人工の浮島だがかなり広い。自宅からは学校に通えない学生も多数存在する。そんな状況に学校側が対応を考えていた時、近くにあった風音の所有している土地が目に入ったようだ。
最初は土地を売ってくれと打診してきたのだが、それは断った。プレゼントされたものを売る訳にはいかない。
で、どうせ動かせない炎火をしばらくの間学生寮として貸し出すのはどうかという提案をした。現在精査中である。却下されればそこまでだが、もし認められれば生活費の足しにはなるだろう。
これらの仕事はあくまで自分たちが生活していくための収入源であり、借金返済の為の仕事は別にある。
風音はフェクト、正確に言うならシエロ(裏側最大の治安組織)に対し、ある理由で多額の借金がある。公的機関である治安組織に、というのも本当はおかしな話だが、・・・まぁ色々あったのだ。
借金の総額は大体二百兆円ぐらい。利息は付かないが。
一見すると目ん玉が飛び出るほどの金額だが、・・・いや実際目ん玉が飛び出てもおかしくない金額だが・・・・・
実は『カノンに居る人達の個人資産』を見ると、すぐに返せる額らしい。
なにせ未知の言語すらも対応している翻訳機を開発した、宇宙でもトップクラスを誇る大金持ちが三人(ルミナ、レスタ、サルト)もいる。
それこそ気分次第で星が幾つも買えるこの三人から言わせれば、二百兆円など庶民で言うところの数万円位の感覚だ。
実際レスタやルミナは風音さえ良ければいつでも払うと言っている。もちろん断ったが。
他人の資産に頼るのではなく、自分の判断が作った借金は自分のやり方で返す。という考え方だけは曲げたくなかったからだ。
と、一見格好良さげな事を言っているが、そもそもこんな額が借りられたのはサルトが保証人になってくれたからである。一応カノンと炎火を担保にしていたが、サルトが居なければ借りるのは難しかっただろう。あくまで返せなかった時の保険とはいえ、他人のお金にいきなりこの上なくお世話になっている。
そんな訳で、フェクトにあるシエロの出張所でもある『シャロン』からの依頼をこなした時は、お金が貰えない代わりにかなり多めに借金が減る。というシステムになっている。
風音「仕事の依頼だったらいいんだけど」
淡い期待を抱きながらメールの差出人を確認する。
一件は父親の研刃から、もう一件はシャロンのレイ長官からだった。残念ながら母親からは来ていない。やはりキノコ云々は夢だったようだ。
風音「何か両方とも可能性低そうだな。っていうか実家から来てるよ。いつも思うんだけど、何で実家からのメールって仕事メールに分類されてるんだろう? あっちで何か操作してんのかな?」
ユニル「・・・と言うか、本当に実家からメールが来てたんですね」
取り敢えず実家の方から開けてみる。
『風音よ。“仕送り”という言葉を知っておるか? 世間では家から出て立派に育った子供は、大きくなるまで育てて貰った礼として両親に金を送ろう。という実に画期的なシステムが・・・』
流れるような動きで削除した。
レイ長官からのメールを開ける。
『急ですまないが、少し個人的な話がある。他の仕事が入っていなければ、本日午前中にシャロン本部の私の部屋まで来てくれないか? 出来れば凌舞君と煉也君も一緒に来てほしいが、その二人に関しては無理強いはしない。が、音羽風音君。君には是が非でも来て頂きたい。よろしく頼む』
メ-ルの内容を読み終わり、風音、ユニル共に頭の上で「?」が踊っている。
風音「呼び出し?」
ユニル「何かしましたか? 風音さん?」
借金返済の為シャロンから仕事を受ける事は珍しくないし、レイ長官から直接依頼される事もよくある。
だがこんな風に仕事の話を一切せずに呼び出されるのは初めてだ。相手が相手だけに、何か悪い事でもしてしまったのかと思ってしまう。
風音「特に身に覚えが無いなぁ。基本的には品行方正に生きているつもりだけど」
ユニル「品行方正かどうかはともかく、こういった機関から呼び出されるような事はしないですね。風音さんは」
朝一番に顔を平手打ちされた事を少し根に持っていたユニルが、皮肉交じりに言うが。
風音「うん」
風音の方は褒められたと解釈した為、胸を張って頷く。
風音「やっぱり普通じゃないよなぁ、これ」
ユニル「電話で確認してみましょうか?」
風音「ああ、頼・・・・いや、レイさんの連絡先って紙にしか書いてないんだっけ? じゃあまず探さないとな。ユニィは二人にこの事伝えといてくれない?」
ユニル「分かりました」
任せなさいと言わんばかりに胸を張り大きく頷いた後、ドアの方へと飛んでいく。ドアの前まで来たところである事に気付き、風音の方へと振り返る。
ユニル「あの、風音さん。今気付いたんですが」
風音「ん~~~~~?」
風音はすでに机の引き出しと格闘していた。レイ長官の連絡先を書いた紙を必死で探している。
ユニル「わざわざ伝えに行かなくても、二人とも内線で呼び出した方が早くないですか?」
とユニルが尋ねる。風音が手を止める事無く答える。
風音「あ、多分それ無理だと思う。シノは今厨房に居るだろうから、緊急事態でもない限り料理の手は止めてくれないだろし。 あと煉兄ぃは部屋で寝てると思うから・・・あ、あった」
ようやく紙が見つかったようだ。机の上に紙を置きユニルの方を向いて続ける。
風音「多分内線に出ないと思う」
ユニル「あ、そうですか」
さすが幼馴染だ、と少し感心しながら部屋を出た。
ユニルが風音の部屋の二つ隣にある部屋の前まで来て、ドアをノックする。
ユニル「れーんやさーーん。起きてまーーすかーーーーー」
返事が無い。
これもいつもの事といえばいつもの事なので、遠慮なくドアを開けて中に入る。
この部屋は他の部屋と比べて少し空気が違う。
それもその筈。この部屋は家主の意向で、個人部屋としては唯一畳が敷かれてある。
他にも、コタツや刀、十二畳の部屋を六畳ずつに区切る壁が障子になっている等々。およそ宇宙船の内装とは思えない造りになっている。
本当は風音も自分の部屋を和室に改装したかったが、やたら来客が多いので他に合わせている。
それもあってか、たまに風音は用も無いのにこの部屋にくつろぎに来る。
ユニルが障子を開け奥の部屋に行くと、床に敷かれた布団の中で一人の男が眠っている。
片桐煉也。風音と共に道場通いをしていた幼馴染の一人。特技は剣術。太ももの辺りまで伸びた漆黒の髪と、いつでも眠たそうな顔でお馴染みの男だ。
風音よりも一つ年上に当たるが、ユニルの目にはどう見ても煉也の方が五~六歳は年上に見える。二人の幼馴染である癒々や凌舞によれば、煉也が老けているのではなく風音が異常なくらい童顔過ぎるのだという。
ユニルが煉也の顔を覗き込む。静かに寝息を立てながら、幸せそうな顔をして寝ている。
ユニル「はっ!!」
その横っ面をここぞとばかりに殴りつける。
気合の入った声と共に、ベチッと可愛らしい音が鳴ったと同時。
煉也「痛てぇ!!!」
叫び声とともに煉也が跳ね起きる。可愛らしい音とは裏腹に威力は高かったようだ。
煉也「何!? 何っ!? テロ!?」
寝起きのせいで突然の展開に思考がついていけない煉也が、キョロキョロと辺りを見回す。
その横から至って冷静なユニルが声をかける。
ユニル「おはようございます。煉也さん」
ユニルの姿を見た煉也がようやく状況を理解した。
煉也「ユニル、か。いきなり殴る事は無いだろう」
ユニル「どうせ呼んだところで起きないのは分かってますから。外に放り出されなかっただけ有難いと思って下さい。ほれ、早く着替えて下さい」
自分は何も間違っていないとでも言うように無表情で受け流す。
頬をさすりながらユニルを見ていた煉也が。
煉也「お前、友達いないだろ」
思った事をそのまま口にする。
ユニル「し、失礼なっ。沢山居ますよ。風音さんとか凌舞さんとか、フィリコヨーテさんとか癒々さんとか、風音さんとか」
それを聞いた煉也が疲れたように溜息をもらす。
煉也「たった四人で一巡しちまったじゃねぇか。つーか、お前の場合俺達と風音に対する態度の差が激しすぎるんだよ。最初人間不信か何かかと思ったからな」
ユニル「そんな事無いですよ。事務の人達からは良識人だと言われてます。・・・・ただ」
そこまで言ってユニルがぐっと拳を握る。
ユニル「風音さんと必要以上に親しい人間は、男女問わず全て滅んでもいいと思っているだけです」
煉也「よくぞその台詞を真顔で言った。ルミナといい勝負だ」
完全に呆れた様子の煉也が、やれやれといった感じで頭を左右に振る。すかさずユニルが反発する。
ユニル「アレと一緒にしないで下さい。私の中に滅んでもいい人間ランキングがあるとすれば、ルミナはぶっちぎりの単独トップです」
ユニルがフーッフーッっと息を荒げる。
ユニル「大体ルミナはいつもいつもいつもいつも事あるごとに風音さんにベタベタひっついて来て・・・・・・弟が風音さんと仲が良いのをいいことにすぐ便乗するし・・・・・最近その弟も風音さんと引っ付きすぎだし・・・・・ルミナの唯一役立つ所といえば、街の中で風音さんに近づこうとする輩を排除してくれるところくらいで・・・・・でも暴力はいけないって風音さんに注意されてる時、なんか嬉しそうなのが見てて腹立つし・・・・・大体あの訳の分からない変な妄想が」
煉也「いや、もういいから」
ユニルの愚痴をほぼ完璧に聞き流しながら横で着替えをしていた煉也が、着替え終わると同時にユニルを黙らせる。
やはり気慣れた服はだんだん着る者に似合うようになっていくものなのだろうか。後ろ髪を後頭部で縛り羽織袴姿に着替えた煉也は、まるで先程までとは別人のようだ。
これで眠そうなしまりのない顔さえしていなければ武人に見えるのだが。
ちなみにこの着物姿が私服という訳ではない。シャロンから依頼を受けた時に着る服装だ。
以前シャロンから技術指導の仕事を依頼された際に着物を持って行ったところ、その場で着さされたらしい。それ以来、着てくるように頼まれたので渋々着ている。
こんな格好で日本の街を歩いていたら注目の的だが、フェクトでは多種多様な種族や格好の人達がいるので思ったより目立たないようだ。
最初の頃は「日本の文化を知りたいとか言われたから持って行っただけなのに、なんで・・・・」と仕事の度に愚痴っていたが、最近は特に文句も言わずにこの格好で仕事に行くようになった。
そして朝からユニルが来たという事は、どうせ仕事だろうと思ってこっちに着替えたようだ。
まだ眠いのか欠伸を噛み殺しながら煉也が感想を言う。
煉也「まぁ、あれだな。風音には同情するよ。お前みたいな姑もどきが居るんじゃ当分結婚とか出来そうにないだろ」
ユニル「そんな事無いですよ。例えば癒々さんとかなら一緒になってくれてもいいですし」
ユニルの意外な台詞に少し驚いた煉也が、感心したように聞き返す。
煉也「そうなのか? あの二人の相性ってどうなんだ? ・・・と言うか。お前って独占欲むき出しの鬱陶しいハエみたいな存在かと思ってたんだけど、そんな考え方も出来るのか」
そう言われたユニルが難しい顔をする。
ユニル「本音言うと嫌なんですが。確かに煉也さんの言うとおり、風音さんが私のせいで一生独り身っていうのは何か違う気もしますし・・・。ならせめて風音さんに見合う人物でないと。癒々さんなら聡明だし優しいし、何でも出来るし。ギリギリ合格です」
煉也「さすが姑。癒々の人柄をもってしてギリギリとはな。いくらなんでも採点厳しすぎるんじゃないのか?」
と言いながらも、煉也はユニルの建設的な考え方には感心する。
ユニル「でももしそうなったとしても、結婚式が終わったらすぐ別々の場所に住んでほしいですよね。会うのも十年に一回、三分くらいで充分でしょ。それ以上私と風音さんの時間を邪魔されたくないですし」
煉也「どんな結婚生活だよそれ・・・・・」
駄目だコイツはやっぱり馬鹿だ。
煉也「まぁいいか。どうせ風音にとっても借金返すまでは結婚なんて無縁の話だろうし。そんな事より何の用だ。今日は俺休みじゃなかったか?」
話が一段落したせいか、眠気がぶり返してきた煉也が再び大きな欠伸をする。眠いのでさっさと用件を終わらせるつもりで話題を切り換えたのだが。
ユニル「なるほど。借金返すまでは大丈夫なのか・・・へぇ・・・」
ユニルが視線を彷徨わせながらブツブツと呟いている。
煉也「お前、何か馬鹿なこと考えてないか?」
不審に思った煉也が、目の前で浮いているユニルの顔を覗き込む。
突然顔を覗きこまれたユニルが、少し驚きながらわずかに後方へ飛ぶ。
ユニル「な、何ですかいきなり」
煉也「いや、話の流れから考えてな。お前今『借金増えればいいのに』とか考えてなかったか?」
ユニル「な!? そんなこと考えてませんよ!」
何を言ってるんだこの人は。とでも言いたげな不審者を見るような目で煉也を見る。
ユニル「借金増えたって生活苦しくなるだけじゃないですか。借金を返しつつ、それでいて一生完済出来なければいいのに、と考えていただけです」
煉也「お前正直に言えば何言っても許されると思ってないか?」
ユニル「でもちょっと待って下さいね? 確かに借金を増やす方が効率良いかも。・・・・よし、採用!」
ユニルが満面の笑みで煉也を指さす。
煉也「ちょっと待つのはお前だろ阿呆。俺も一応カノンの副艦長だ。お前を追い出す権限とかあるんだからな。分かったら借金増やすようなマネをするなよ?」
差された指を払いのけながら軽く脅しをかける。思ったよりもこの脅しは効果があったらしく、ユニルが焦った表情に変わる。
ユニル「じょ、冗談ですよ。大体そんな事したら風音さんに嫌われるじゃないですか。・・・良い案だとは思いましたが」
それでもなお本音が出ているところから見て、ユニルは相当大物なのか相当アレなのか。
煉也(アレの方だな)
煉也がため息を吐く。
煉也(俺なんで朝からこんな不毛な会話してるんだろ?)
と心の中で愚痴りながら話を本題に戻す。
煉也「で、用件は?」
ユニル「ああ! そうでした」
そもそも何をしに来たのか軽く忘れかけていたユニルが思い出したように声を上げる。
ユニル「実はシャロンからメールが来まして・・・・・」
先程見たメールの内容を簡単に説明する。
煉也「風音と凌舞も? で、俺等はおまけってか? 全く意味が分からんな」
内容を聞くなり煉也が怪訝な表情になる。
本来なら三日間休みをもらって、ずっと寝て過ごす予定だっただけに、出来れば訳の分からない依頼は受けたくなかった。自分たちがおまけ扱いされていて、不参加でも構わないと言うのなら尚更だ。
煉也「でもシャロンだからなぁ。 しかもレイって確か一番偉い奴じゃなかったっけ?」
誰に問うでもなく、依頼人の事を口に出しながら考え込む。
別に権力が高い人物からの依頼だから迷っている訳ではない。単純に何故そんな奴から呼び出されたのか、その内容が少し気になるというだけだ。少し悩んだ後、決断する。
煉也「うん、やっぱりやめとくわ。寝る」
内容は後日風音にでも聞けばいいかと判断し、休みを優先する事にした。
ユニル「あら? そうですか? じゃあ風音さんにはそう伝えておきますね」
そう言ってユニルが部屋を出て行こうとする。
その後ろ姿を見ていた煉也の頭の中に妙な疑惑が持ち上がる。
煉也(もしこの呼び出しが何らかの依頼だったとしたら・・・コイツさっきの俺の言葉真に受けて、本気で風音の借金返済の邪魔するつもりじゃないだろうな)
それは困る。直接的にはユニルのせいかもしれないが、間接的には自分のせいになってしまう。
煉也「ユニル。ちょっと待ってくれ」
ユニル「はい?」
突然呼ばれ、ユニルが振り返る。
煉也「やっぱり俺も参加するわ。風音にはそう言っといてくれ」
ユニル「はぁ。別に構いませんけど、何でまた急に?」
煉也「馬鹿の監視が必要だからな」
ユニル「はぁ? 馬鹿の監視? レイさん監視して何か面白い事でもあるんですか?」
不思議そうに首を捻る。
煉也(いや、馬鹿はお前だけどな。コイツほんと怖いもの知らずだな)
煉也「ま、お前には関係ない。こっちの話だ」
素っ気なくそれだけ言い終わると、煉也が傍に置いてあった刀を取り、袋に入れて口を縛る。フェクトに出掛ける時はいつもこれを持っていく事にしている。
もちろん日本では見える場所に許可証をぶら下げてないと捕まるが、フェクトには銃刀法違反などの罪が無い。
理由は単純。銃、刀を持っても地球人の素人では太刀打ち出来ない宇宙人(素手)がいくらでも居るからだ。だから一応護身用に携帯を認められているが、心得が無いと飾りにしかならない。
煉也が準備する様子をしばらく眺めていたユニルが、やがて興味を失くしドアの方へと振り返り出て行こうとした時。
ユニル「あ、そういえば最後に一つだけ」
ユニルが煉也に向かって振り返る。
ユニル「誰が鬱陶しいハエだコラァァ!!!!!!」
怒鳴り声と同時に煉也に向かってもの凄い勢いで風が吹く。
煉也「!」
反応する間もなく壁に向かって吹き飛ばされ、煉也が不自然な体勢で壁に叩きつけられる。
バランスを崩し倒れそうになりかけたのを何とかこらえ、壁を見る。
煉也(ふぅ、何とか掛け軸は無傷で済んだな)
吹き飛ばされた後、やろうと思えば受け身を取れたのだが、叩きつけられる先に掛け軸があったので思わず身をよじってかわした。
その結果無様に壁に叩きつけられる格好になってしまった。
煉也(コイツ多分こうなると分かっててやったな。・・・よし、仕返しにちょっとからかってやるか)
煉也「痛ってぇなあ。いきなり何すんだハエ」
ぶつけた部分を軽く手で払いながら軽い口調で抗議する。
ユニル「ハエって言うな! 私は地球で言うところの妖精なんだから! 気高く、美しく、それでいて見る者全てを癒す至高の存在なの! それをハエなんかと一緒にするなぁ!」
煉也「おいおい、ハエだって日々一生懸命生きてんだろ? どんな生き物も命の重さは一緒なんだから、見下すような発言をしてやるなよ」
ユニル「そういう話をしてるんじゃないぃ! 妖精の私を、よりによってウ〇コを、ウ〇コを処理してるような生き物と一緒にするなって言ってんのぉ!」
煉也「気高く美しい至高の妖精が下品な単語を連発するな。少なくとも俺はお前見てて癒された事なんか一回も無いわ」
そう言いながら鼻で笑ってからかう煉也に、ユニルがキレた。
ユニル「もう・・・何でもいいから・・・・・」
ユニルの全身がぶるぶると震える。
ユニル「くたばれぇーーーー!!!!!!!」
その叫びと同時に先程よりも強い風が煉也を襲う。
しかし、煉也は手に持っていた刀の先を壁に当てて支えにしていたので、その場からピクリとも動かない。
しばらくその状態が続いたが、やがてユニルが諦めて。
ユニル「・・・これ以上やったら船が壊れて風音さんが悲しむから止めてあげます。命拾いしましたね」
と捨て台詞を残して部屋から出て行った。
一息ついて煉也が壁に目をやると、刀袋の先がユニルの風に押されたせいで数ミリ壁にめり込んでいる。
それ程の風だったにもかかわらず、煉也と煉也の後ろにあった掛け軸以外の部屋の物はほとんどその場から動いてすらいない。
煉也「相変わらず滅茶苦茶だな、あいつ」
少しからかいすぎたかな、と苦笑した。
深呼吸して怒りを抑えながらユニルが食堂へと向かう。
食堂が近付くにつれすごくいい匂いが漂ってくる。風音の予想通り凌舞が料理を作っている様だ。
ユニル「はぁぁ~~~~♪ 良い香り~~~♪ 今日はフレンチトーストとコーヒーの最強タッグにしようかしら~~~~♪」
数瞬前まで怒っていたのが嘘だったかのように、ユニルの表情がほや~んと緩む。
ユニル「和食もいいけど朝はパンよね~~~~♪」
カノンには結構な人数が居るので食事一つにしても手間がかかる。
そのため三人(風音、凌舞、癒々)が持ち回りで食事当番をやっているのだが、風音と癒々は面倒臭いので皆の好き嫌いは無視して全員に同じ食事を用意する。
面倒臭いので、という言い方をすれば二人が手抜きしているようにも聞こえるが、大所帯ならそれが普通だろう。
だが凌舞は食事の度に全員が何を食べるか選択できるように、様々の料理を一気に作る。
ユニルにとって基本和食の風音と謎料理の癒々の朝食も嫌いではないのだが、その日の気分で好きな物が食べられる凌舞の朝食は、怒りを忘れさせるのにうってつけである。
ユニルが緩みきった表情のまま食堂へと入ってゆく。
まだ料理が全部出来上がっていないせいか、食堂にはまだ一人しか来ていないようだ。厨房に行く前に、その唯一食事をしている人物に声をかける。
ユニル「おはようございます。フィリコヨーテさん」
フィリコ「ん? あ、おはよ~ユニルちゃん。今日は風音ちゃんとは一緒じゃないのかな?」
フィリコヨーテが食事を中断してユニルの方を向く。真後ろから声をかけたユニルに対し、全く体を動かす事なく首から上だけがぐるりと回転しユニルの方を向いている。
ツィコ=フィリコヨーテ。愛称はフィリコ。裏側出身でカノンのマスコット的存在。
身体のほとんどが植物で構成されているため、森の中で擬態されるとまず見付けられない。
基本的には周囲に合わせて人の姿を模している種族なので、一見すると十五~六歳の少女に見える。
だがよく見ると首が細い蔓になっており、それをとぐろ状にして無理矢理首のように見せている。他にも顔に木目模様が入っていたり、髪が緑色で葉っぱで構成されていたりと、見れば見るほど植物なのだと実感する。
フィリコ「何か用~~?」
間延びした声でフィリコが尋ねる。
実はユニルが真後ろから声をかけたのにも理由がある。
フィリコの種族は動物とは体の構成が全く違う為、日常生活における些細な行動にも様々な違いがある。
特にその違いが顕著なものが食事であり、まず食べ物に向かって強力な消化液を吐き出す。しばらく待ち、その後対象が五~六割程溶けたところで食べ始める、という食事方法をとる。
細長い首の部分で栄養を摂取するので、早い段階で食べ物を溶解させておきたいというのも理由の一つだが、一番の理由は獲物を狩るためである。
元々虫や小動物を主食にしている種族なので、消化液が飛び道具代わりになり、命中すれば小さな生き物なら即行動不能に陥らせる事が出来る。
以前、フィリコの食事中横から話し掛けてきたユニルをでかい虫と間違え、反射的に消化液を浴びせた事がある。
ユニルはその時リアルに死にかけました。
それ以来食事中のフィリコに話しかける時は、後ろから声を掛けてからという事になった。
ユニルがふと溶かされかけた時の事を思い出し、体を小さく震わせる。
フィリコ「ん? ユニルちゃんどうしたの? あ、これ分けてほしいの? 半分食べる?」
ユニルの視線が食べ物の方に向けられていたので、勘違いしたフィリコがユニルに料理を一皿差しだす。
ユニル「え?」
目の前に出された皿を見る。もうすでに消化液がかかった後らしく、料理が半分溶けている。
フィリコの目にはこの皿の上の料理がどう映っているのだろうか?
それは分からないが、少なくともユニルの目には嘔吐物にしか見えない。ユニルの顔が引きつり、一筋の汗が流れる。
ちらっとフィリコの方に目をやると何がそんなに嬉しいのかニコニコしながらユニルを見ている。
人には必ずどこかに少しは黒い部分があるという。本当に真っ白な存在など生まれたての赤ん坊くらいのものだと。
だが、フィリコにはそういった黒い部分が微塵も感じられない。植物だからなのだろうか。特に笑っている時など、白く光り輝いている様にさえ見える。
・・・・この笑顔を向けられると非常に断り辛い。が、ユニルが心を鬼にして言う。
ユニル「いや、その・・・実は今お腹いっぱいなんです。気持ちだけ受け取っておきますね」
少し心に痛みを感じながら、嘘を吐いて断る。
案の定、露骨にがっかりした表情になったフィリコが皿を下げる。小さな声で「そっかぁ。お腹いっぱいかぁ」と呟いている。
想像以上に精神にダメージを受けつつ、ユニルが尋ねる。
ユニル「溶けた料理を食べるのってどんな感じなんですか? 特に味が気になるんですけど。溶ける前の味と同じなんですか?」
突然の質問にフィリコが頭をひねる。
フィリコ「ごめんね、分かんないよ。溶ける前のやつ食べた事無いから」
そりゃそうだ。ユニルが頷く。
フィリコが申し訳無さそうに続ける。
フィリコ「でも前に煉也ちゃんと凌舞ちゃんも似たような事聞いてきたよ。『食感が無いと味が半減するだろ?』とか『味が全部混ざるんじゃないか?』とか。その時もなんて答えていいか分かんなかったよ」
あはは、とフィリコが小さく笑う。
フィリコ「そしたらね。凌舞ちゃんが『俺がそっくりな料理を作って味比べしてやる』って言ってね。自分の料理を手当たり次第ミキサーに入れてドロドロにし始めたの」
ユニル「馬鹿だ・・・・・」
ユニルが素直な感想を漏らす。
フィリコ「『第一弾はカレーだ』とか言ってね。丸ごとミキサーでドロドロにして食べてた」
ユニル「感想はなんて言ってました?」
フィリコ「『こんなのはカレーじゃない』って」
ユニル「へぇ」
ユニル(そんなのやる前に気付こうよ、凌舞さん)
心の中で呆れながら呟く。
フィリコ「『第二弾はパスタだ!!』って言ってた」
ユニル「第二弾で既にキレ気味だったんですね。感想は何と?」
フィリコ「『この食べ方は食材をぼーとくしている!』って」
ユニル「なるほど」
ユニル(あの人料理が絡むと前が見えなくなるのかな?)
フィリコ「泣きそうになってたのが第三弾の牛丼だったよ。一口目の感想が『死ぬ』だったの」
ユニル(あの人どこまでチャレンジャーなんだろう)
フィリコ「だから半分私が貰ったの。おいしかったよ。死ななかったし」
ユニル(半分食べたのか凌舞さん・・・って、あんまり長く話してられないんだった)
ふと用件を思い出し、話を中断させる。
ユニル「話の途中ですけどごめんなさい。私凌舞さんに用があってここに来たんでした」
フィリコ「そうなの? じゃあどうして私に声をかけ・・・あ、分かった。ユニルちゃん私と凌舞ちゃんを見間違えたんでしょ? 私、凌舞ちゃんじゃなくてフィリコヨーテだよ?」
人違いで話しかけられたと解釈したフィリコが、笑いながら“違う違う”といった感じで顔の位置より遥か後方で両手を左右に振る。
ユニル「大丈夫です。あなたが凌舞さんでない事は、かなり早い段階で気付いてましたよ。フィリコヨーテさんには挨拶しようと思って声をかけただけです」
凌舞とフィリコを見間違えて声をかける者などこの世に存在しないだろう。あまり二人の事を知らない人でも、見ただけで全てにおいて違うのが分かる。・・・というかそれ以前に人違いも何も、のっけから挨拶と共に名前を呼びながら声をかけた筈だ。
ユニル「とにかく凌舞さんの所へ急ぎますね。ではまた」
フィリコ「うん。ばいば~い」
手を振っているフィリコに軽く会釈してからその場を離れ、厨房の方へと向かう。
ユニル「し~~のぶさ~~~~ん。依頼で~~す」
ここに来るまで二ヶ所で無駄話を繰り広げてしまったせいで、意外に時間がかかってしまった。
今回は単刀直入に用件を言いながら厨房へと入る。
厨房の奥で忙しそうに料理を作っている人物が一人。
片桐凌舞。こちらも煉也と同様風音と道場で修行していた幼馴染の一人。特技は槍術、銃技等。端正に整った顔立ちに少しつり上がった目つきをしており、長い金髪を後ろで縛っている。
片桐という名が煉也と同じだが、別に血が繋がっているとかではない。単に偶然幼馴染が同じ名前だったというだけだ。分かる範囲で調べてみたが、近しい親戚ですら無かった。
趣味は料理。・・・とは言っても作るよりも食べる方が好きなのだが。色んな料理が食べたいから自分で作れるよう努力した結果、料理の腕が上達してしまったせいで食事当番をさせられている。
そして凌舞が作った料理が一番美味しいらしく、自ずと厨房に立つ回数が多くなっている。(別に他の二人の料理がまずい訳ではない)
ユニル「凌舞さーん、聞こえてますかー」
凌舞「聞こえてるよ。依頼の件なら煉兄ぃから聞いたから。必要なら俺も行くってカザに言っといて」
とこちらを振り向きもせず、料理の手を休める事無く淡々と答える。
普段は気さくな人物なのだが、料理を作っている時はいつもこんな感じだ。いつもならこの状態の凌舞とはあまり会話をしないのだが、どうしても一つ腑に落ちない事がある。
ユニル「煉也さんから? いつ聞いたんです?」
煉也なら自分よりも後に部屋を出ている筈である。一体いつの間に伝えたのだろうか。
凌舞が食堂ではなく直接廊下につながるドアを指さす。
凌舞「ついさっきそこから入って来て、用件だけ言ってまたそこから出て行ったよ。先にシャロンに行くってさ。ユニルの弁当箱持っていったから」
ユニル「な!? 何で私の、よりによって私の弁当箱を!?」
凌舞「・・・・・・」
顔を真っ赤にして怒るユニルを無視して、凌舞は黙々と料理を作り続ける。
ユニルは現在見た目こそ小さいが、契約者である風音のイメージでそうなっているだけで本来なら人間と同じくらいの大きさである。そのためカロリーは人間と同じだけ必要になる。
小さな口でかなりの量を食べないといけないので(いくら食べても見た目は変わらない。カノンの女性陣はコレを凄く羨ましがっているが、ユニルにとっては苦労の方が多い)苦労していたところ、凌舞がお昼の弁当を作ってくれるようになった。
食べやすく一つ一つの料理が小さくされているだけでなく、飽きないようにこれでもかと言う位多種のおかずが詰め込まれている。
ユニルは凌舞が食事当番の時はいつもこれを楽しみにしている。だからこそ「風音と特別仲の良い人間は男女問わず全て滅んでいい」と今しがた言い放ってきたユニルでさえ、凌舞には寛容なのだ。
今日一日の楽しみを奪われた気分でユニルが怒りにまかせて叫び続ける。
ユニル「凌舞さん!! ねぇ! なんで持ってったのよあの猿!! 私の分! 私の分は!!?」
凌舞のエプロンをぐいぐいと引っ張りながら、ユニルが半泣きで訴える。
――――約十五分経過―――――
凌舞が持っていたフライパンの中の料理を皿へと移し、その皿を他の料理と同様に大きなトレイの上に置く。
凌舞「ふぅ・・・」
と一息ついて、肩をぐるぐると回す。
凌舞(やっと終わった)
手を洗い、布巾で手を拭きながらエプロンの左下の方を見る。凌舞のエプロンを握りしめたまま、ユニルが嗚咽している。
凌舞「で? 何で泣いてんの?」
ユニル「凌舞さん・・・気付いてたんなら・・・・話くらい・・・・聞いてくれたって・・・・無視するし・・・・・・・」
ユニルが泣きながら呟く。
凌舞「無視っていうか・・・・仕事の話にはちゃんと答えてたつもりだったんだけど。自分で言うのもアレだけど、料理中に仕事以外の話は放っとくのって今に始まった事じゃないだろ?」
ユニル「そうだけど・・・・でも・・・私の弁当・・・・・・」
既に泣き止んではいるが、目を真っ赤にしながら凌舞を見上げている。
凌舞「えっ、その事で泣いてたのか?」
子供かお前は、と心の中で言っておく。
凌舞「え~~~っと確か、煉兄ぃが『ユニルに殴られたから、弁当ぐらい貰う権利あるよな』って言ってたけど?」
ユニル「そんな権利ある訳ないでしょうが!!」
再びユニルが怒り出す。
だが事情を知らない第三者の凌舞としては、どちらに非があるのか判断出来ない。
凌舞「俺は事情を知らないけど、煉兄ぃの口ぶりからしてユニルの自業自得って可能性は無いのか? どういった経緯で煉兄ぃを殴ったりしたんだ?」
また泣かれても困るので、出来るだけ優しく尋ねる。
ユニル「寝てたからね? 殴ったの」
凌舞「・・・・・・・」
もうどの裁判所に出しても大敗確定な程の自業自得っぷりだ。
どうしたものかと返答に困った凌舞が、仕方なく大皿を取り出し、その上に数種類の料理をのせてユニルに差しだす。
凌舞「え~~~~っと。じゃあ、煉兄ぃの分を逆に食べてやればいいんじゃないかな。お昼は別で用意するからさ。これ食べながらカザの部屋に行こうか?」
多少甘やかし過ぎな気もしたが、復讐とはいえ人の物を勝手に取って行った煉也にも非はある。何より、この場で説教して泣かれると非常に面倒臭い。ユニルの躾は風音の役目だと判断し、この場は適当に収めることにする。
ユニルがコクリと頷いて、皿に乗って朝食を食べ始めた。
凌舞が一息つくと、食堂の方が騒がしくなってきた事に気付く。
ルミナ「あ~の子~はく~まさん♪ ハチミツも~ぐもぐ♪ 肉球も~ぐもぐ♪ 腕ごとも~ぐもぐ♪ くまさんパンチは首をもぐ♪」
レスタ「姉さん大声で歌を歌う時は選曲を大事にしようよ」
食堂から声が聞こえてくる。
凌舞(あぁ、もうこんな時間か、さっさと行きますかね。それにしてもルミナ、相変わらず歌は上手いよなぁ。歌詞はクソだけど)
凌舞が皿をユニルごと持ち上げながら、
凌舞(朝から何やってるんだろう、俺)
わずか数分前に、ユニルに関わり同じような感想を持った人物がカノン内に居たとは知る由もなく、その人物と同じように溜息など吐きながら風音の部屋へと向かう。
凌舞「まいど~~~お届けもんで~~す」
挨拶と共に凌舞が艦長室へと入る。
この部屋は正確には仕事用の艦長室なので、普段から人の出入りが激しい。その為か、いつ入っても小奇麗に片付けられている。
仕事用の机と来客用のソファにテーブル。あとは大きな棚が二つ。観葉植物。目に留まるのはこのくらいか。
風音自身の部屋はこの部屋の更にドア一枚隔てた向こう側にある。
凌舞が部屋の中を見渡すと、艦長室の机に置いてあるスパコン(クリス姉弟が作ってくれた物で、風音の部屋にある物と同じ。どちらの部屋でも作業出来るように全ての情報を共有している)の前で風音が髪をいじっていた。髪留めを付けている様だ。
風音はユニルと行動する事が多いので、ユニルの技である風の影響を受けることが多いのだが、以前風音が情報動画を見ていた時の事。毛根に強い刺激を与え続けるとハゲ易くなるという情報を偶然聞いてしまった。
その話の信憑性がどの程度のものなのか分からなかったが、その時からユニルが風を出す度、自分の髪がバサバサと動いている事を気にした風音が、風の影響で髪の毛が動かないように大量の髪留めを付けるようになった。
ただでさえ女と間違えられ易い顔立ちをしているのに、この大量の髪留めのせいで(風音にとっては不本意以外の何物でも無いが)女っぽさに磨きがかかっている。
おそらく今日は仕事に行く事になるだろうと見越しているのか、風音は既に仕事用の制服を着ている。半年くらい前まではシャロンからの依頼は私服でやっていたのだが、シャロン側からの勧めもあり制服が導入された。
白いシャツに黒のジャケット、青みがかった黒っぽいズボン。あと一応ネクタイもあったが風音は一度も付けた事が無い。
服の胸の辺りにはカノンオリジナルのワンポイントが描かれてある。
風音が犬をイメージした絵を描いて仕立て屋さんに提出したところ、なんか意味不明なでんぐり返しをしている最中のウサギみたいなマークになった。
いっそアート調のウサギとして考えれば、センスのあるデザインとも言えるか。
そして恐ろしい事に、せっかく制服を採用したのにダサいからとかと面倒臭いとか、様々な理由で結局風音ともう一人以外誰も着ない。こんなんなら採用しなきゃよかったとつい最近も風音が愚痴っていた。
ちょうど風音が髪留めを付け終わり、凌舞の方を向いて返事をする。
風音「まいど。って、えらい遅かったねぇ。何かあっ・・・た、みたい、だな」
喋りながら凌舞の方を見た風音が一瞬言葉を失う。凌舞の持っている皿の上で、明らかに泣き腫らしたと思われるユニルが一心不乱に朝食を食べている。
風音「それは何? 新しいジャンルの遊び? 餌付けごっこ?」
凌舞「・・・が、もし存在したとしても俺はやらん」
風音「だろうね」
軽く会話を交わしながら、凌舞が近くにあったテーブルの上に皿を置く。
凌舞「・・・まぁ、これは置いといて。レイ長官からの依頼内容は?」
風音「それが・・・最初のメールには書いてなかったから電話してみたんだけど、出ないんだよ。本日午前中に、って指定してあるから午前中は間違いなく出てくれると思ったんだけどな」
それを聞いた凌舞が不審がる。
凌舞「シャロンには? 直接繋がらないならシャロンに問い合わせて繋いでもらうってのは?」
風音「それもやった。民間人からの電話は長官に繋ぐ事が出来ないってさ」
凌舞「民間人って。こっちはシャロンからいっつも依頼受けてるし、俺に至っては定期的に格闘技の指導しに行ってるのに?」
風音「ザ・御役所仕事。上の人ならともかく電話番の対応なんてそんなもんでしょ。実際僕等って未だにシャロンを勝手に出入りする事禁止されてるし。電話番の人からしてみたら、上からの許可が無ければ僕等なんて只の一民間人って事じゃない?」
凌舞「上からの許可どころか、こっちはシャロンの長官直々に依頼受けたんだろ? その事を伝えれば・・・」
風音「そのような報告は受けておりませんってさ」
こういった事はよくある事だ。電話受付の担当者にはシャロンがカノンに依頼したこと自体伝わっていない事がある。敢えて伏せているのか、単にシャロン内の連絡系統が拙いだけなのかは知らないが。
いずれにせよ、この状態で長官が電話に出ないのはおかしい。凌舞が少しの間考えを巡らせる。
凌舞「・・・そのメールは本当に長官が送ってきたのか? 悪戯とかの可能性は?」
風音「それも調べた。長官のスパコンから送られてるのは間違いないみたい。・・・そりゃやろうと思えば長官のスパコンに侵入して、長官のフリしてメール送る事が出来る奴が居るかもだけど・・・・・」
凌舞「わざわざ俺達三人を呼び出すためにシャロンに喧嘩売る奴は居らんわな。・・・いや、むしろシャロン自体が既に悪者に乗っ取られていて、そいつが長官室のスパコンから俺達を呼び出している、とかどうかな? これなら辻褄が合う」
凌舞がまたとんでもない事を言い出す。
風音「僕と会話した電話番の人も一味って事? シャロンを制圧出来る奴等が居たとして、そいつらが僕等に何の用があるんだよ」
凌舞「最強は俺達だ、腕に覚えのある奴はかかってこい。みたいな?」
風音「じゃあ直接来ればいいじゃないか」
凌舞「カノンには戦える奴がいっぱい居るから、警戒してる・・・とか?」
風音「・・・で、仕方なく二~三人ずつ呼び出して順々に潰そうとしているって事? なんかちょっと情けない話だなそれ。・・・っていうか、最強を証明したくて僕等に喧嘩売る理由が分かんないし」
そんなのは余所でやってほしい。それにシャロンを制圧出来たのなら、もうその時点で勝手に地球最強を名乗ればいい。別にこっちが文句を付ける訳でもないし。
風音が首を軽く振って続ける。
風音「まぁ冷静に考えれば、その線は無いな。もしそうなら今頃大騒ぎだ」
凌舞「そりゃそーだな。俺も別に本気で言ってたわけじゃないし。 でも仕事の依頼なら連絡が取れないのはおかしいだろ。もし依頼じゃなかったとしたら呼び出された理由は何だと思う?」
風音がしばらく考える仕草をしてから口を開く。
風音「やっぱり・・・最初に思ったのはカノンの誰かが何か問題を起こした・・・・とか」
風音が難しい顔をして、一番考えたくない可能性を口にする。
凌舞「なるほどな。それでカノンの責任者三人がまとめて呼び出された、と。もしそうだとしても連絡がつかないのはおかしい気もするけど・・・。まぁ、その可能性は十分にあるな」
少しの間、場に沈黙が訪れる。
先に口を開いたのは風音の方だった。
風音「少なくとも僕は心当たりないんだけど。そっちは何か思い当る事ある?」
その問いに、凌舞が目をつぶって考え込む。
そして目を開け、風音の方を見た。
凌舞「・・・もしかしたら」
風音「あるん!?」
当然「無いよ」という答えが返ってくると思っていたのに、「もしかしたら」ときた。
風音「で、何?」
恐る恐る続きを促す。
凌舞「イチから説明すると時間かかるけど、どうする? 聞く?」
風音「ダイジェストで。要点だけを話して」
凌舞「とりあえず、俺とルミナの二人で街中のごみ箱を壊して回ってて、急ぎだったのに邪魔があって、焦ってたらその時に、」
風音「ごめん。やっぱりイチから頼む」
凌舞「え、なんで?」
風音「全然意味が解らんかった。ただ、僕の理解力が乏しいって訳じゃないと思うな。話し手の話の要点の掘り出し方に問題があると思う。以後精進するようにね」
凌舞「・・・カザは他の奴らに対する優しさを、少しでいいから俺に分けた方がいいと思うな」
言いながら、凌舞がやれやれといった感じで近くにあった椅子を引き寄せ腰を掛ける。
凌舞「つまりだな・・・」
先週の木曜。風音が休み(休みと言ってもデスクワークや依頼以外の仕事が休みというだけで、依頼が入ると働かなくてはならない)をとっていた日。
フェクトの中心都市『ネロ』の市民から依頼があった。
依頼内容は『連続窃盗犯の調査と、可能であれば犯人の捕縛』というものだった。
風音「ちょっと待った」
話の途中で風音が割り込む。
凌舞「何だ人が話してる最中に」
風音「先週って・・・僕に全く報告が来てないんだけど。報告書書いた?」
凌舞「それは話を聞いてればおいおい分かる」
風音「なるほど」
風音が肩をすくめて続きを促す。
凌舞「え~~~~っと。どこまで話したっけ」
依頼を受けた凌舞が、風音に連絡しようとした時、依頼内容を偶然一緒に見ていたルミナが一言。
ルミナ「風音さん折角の休みなんだし、休みの日ぐらいゆっくり休ませてあげましょうよ」
凌舞「いや、そうは言っても・・・」
その後五分ぐらい話し合った後、取り敢えず二人で調査に向かい、二人で何とかなりそうなら自分たちで解決しよう。という結論に至る。
被害者の聞き込みを続けている内、妙な事が分かってきた。
犯人はどこからともなく突然現れ、被害者達の所持品を奪った後逃走。当然被害者は犯人を追うのだが、いつの間にか消えてしまうのだと言う。
それだけではない。被害者の何人かが犯人が消える瞬間を目撃していたのだ。
消える、と言っても目の前で忽然と消える訳ではない。ネロの各所に置いてある『物』の中に一旦隠れ、その後消えてしまうそうだ。
風音「・・・・なるほど。それがゴミ箱って訳だ」
ぽつりと風音が呟く。
話の流れが分かってきたところで、先程凌舞が言っていた言葉を思い出して軽く頭痛がしてきた。
が、それは一旦置いておく事にして。
風音「それってどう考えてもシャロンの管轄じゃないの? 何でうちにそんな依頼が? しかもシャロンからの協力要請の依頼ってんならともかく、市民からとか言ってなかった?」
話を聞いている間に浮かんだ疑問を一気にぶつける。
凌舞「俺もそう思ったから聞いてみた。シャロンは慢性的に凶悪犯罪の対処に追われているらしいから、人手が足りないせいで軽犯罪には対応が雑なんだとさ。で、こっちを頼って来たとかなんとか」
そういう事情があったのか。と言うかそれよりも。
風音「ひったくりって軽犯罪なん?」
凌舞「俺に言わせりゃ重いけどさ、シャロンの言う重犯罪っていうのは殺人とかテロだしな・・・ともかくそんな人手不足だっていうのに、ちょっと面倒な事件も起こってるらしくてな。 シャロンとかその親組織のシエロって宇宙全域の犯罪者の恨みをかっている組織でもあるだろ? 犯罪者に襲われたのかそれともそういう状況に身を置くのを嫌ったのか、職員の失踪事件とかが最近多いみたいなんだよ。 今回の件も市民がシャロンに相談に行ったらしいけど、対処が雑だったって。市民に注意を促すのと、夜間のパトロール強化位しかしてくれなかったそうだ」
風音「え? その対処のどこが雑なの? 警察の仕事ってそんなもんじゃないの?」
凌舞「やっぱり市民としては捜査をしてほしかったんだろ。現場の調査とか、関係者の事情聴取とか」
風音「あ、そういう基本的なのもやってなかったんだ。それ位は最初に当然やった上での対応かと思ってたよ・・・そりゃ市民も怒るよな」
風音がシャロン本部を頭に思い浮かべながら溜息を吐く。
凌舞「・・・でも今回は、そのシャロンの対応のおかげで犯人の行動が分かり易くなっててな。まず夜は出て来なくなったらしい」
風音「・・・・・・・・・・」
凌舞「しかも昼と夕方の、大体決まった時間に出没している事が分かった」
風音「何か・・・・・分かり易い犯人だね」
呆れた風音が微妙な表情で呟く。凌舞が構わず先を続ける。
凌舞「それで、俺たちなりに考えた結果、犯行後に捕まえるのは難しいと判断した」
風音「時間が分かってもどこに出るか分からないもんねぇ。ただでさえすぐ消えるらしいのに」
凌舞「ああ。そこで俺達が注目したのは被害者が言ってた『犯人はどこからともなく突然現れる』って所だ。ここ重要だろ?」
風音「ふ~ん?」
よく分からないので風音が曖昧に返事をする。
凌舞「被害者達の話を聞いてたら、犯人は予めどっかに潜んでるような印象を受けたんだけど」
風音「あぁ。そうなんだ」
凌舞「ルミナと二人で話し合った結果、毎回消える時にゴミ箱に隠れるんだから、出てくる前も多分ゴミ箱付近に潜んでんじゃないかって事になってな」
風音「う~~~~ん。まぁ可能性は無くもないけど・・・」
凌舞「それでルミナと二十秒程会議した結果、犯行が頻発している時間帯の直前に、街中のゴミ箱を破壊して回ろうって事になって」
風音「おいおい! さっき多分潜んでるかも、みたいな事言ってなかったか? そんな確証もない段階で街中の・・・ちょっと待て! 何だ二十秒って! もうちょっと真剣に考え―――」
あまりにも突っ込み所が多かったので風音が思うさま叫ぶが、気にせず凌舞が続ける。
凌舞「全体の三割程破壊した頃にゴミ箱の中から気絶した宇宙人が出て来て、叩き起こして事情聞いたらそいつが犯人だった」
風音「凄いな・・・・馬鹿の行動力・・・」
風音が感心する。
凌舞「馬鹿ってお前・・・。別に俺達だって何も考えずに行動してる訳じゃないからな? 一通り過去の犯行現場を全部調べて、隠れられそうな所が他に無いか調べた上での行動だったし」
風音「今回は結果捕まったから良かったけどさ。被害者の話を聞いただけで犯人がどこかに隠れてた、って決めつけること自体早計な気がする。そもそも隠れてたんじゃなくて気付かれないように尾行してたって可能性もある訳だろ? もしそうなら街中のゴミ箱破壊してからゴメンナサイでは済まないよ?」
普通なら軽率な行動はきつく注意するべきだが、今回はその行動が犯人を捕まえているので怒る訳にもいかず、風音が言い聞かせるように話す。
凌舞「そりゃそうだな。反省はしてる。でも尾行の件に関しては被害者の中に獣系の宇宙人がいたから、その可能性は低いかなって」
風音「そっ・・・か。それはまぁ・・・そうか」
獣系の宇宙人と一言で言っても様々な種類があり、非常に戦闘力が高いのもいれば、ペットにして飼ってしまいたいくらい可愛いのもいる。
因みに風音は、おとなしい犬系の獣人に弱い。遠くで眺めているだけで一時間は暇を潰せる。人懐こいのと戯れだすと三時間は仕事をしなくなる。
そんな様々な種類がいるにもかかわらず、全ての獣人には一つの共通点がある。総じて勘が鋭いのだ。野生の勘とでもいうのか、この手の宇宙人を尾行しようものなら、達人でもない限りものの数分でばれてしまう。
確かに凌舞の言う通り、被害者に獣人が居るのなら何らかの形で不意を衝いたとしか考えられない。
風音「なるほどな。まぁ済んだ事はともかく、結局犯人はどうやって消えてたん?」
実はそこが一番気になっていた風音がわくわくしながら尋ねる。
凌舞「何か身体が小さくなる特殊能力持ってたみたい。でも大きくなる所とか小さくなる所を見られたらまずいだろ? 特に小さくなる所見られたら被害者に踏み潰されても文句言えないし。んで、街にあるゴミ箱が一番隠れ易かったんだとさ」
と凌舞が事の真相を話すと。
風音「あんまり・・・面白くないな。推理小説で例えるなら、密室殺人のトリックを必死で考えていたら、実は壁を自由にすり抜けられる奴が犯人だった。みたいな感じ? 僕としてはそんなんじゃなくって、もっとこう、トリックっていうかイリュージョン的なものを期待してたんだけど」
と風音がつまらなそうに呟く。
凌舞「お前の期待なんか知らんわ。でもトリックなんかより凄いだろ。実際に小さくなるんだぞ。本人の身体は流動型の不定形な異星人だったから、なんとなく伸び縮みするのは分かるんだけどさ。 驚きなのは手を広げたら団扇みたいなでっかい手ぇしててな、自分だけじゃなくって、その手で包み込んだ物も小さく出来るんだと。やっぱり宇宙人てのは色んなのがいるなぁ」
しみじみと感想を漏らす凌舞の横で、風音が机の上にあったコーヒーメーカーから愛用の犬カップにコーヒーを注ぎながら尋ねる。
風音「でもさ、街のゴミ箱壊して回るのはどうかと思うけど、とにかくそれで犯人は捕まえたんだろ? だったらその件で僕等が呼び出しなんてくらうかなぁ? むしろ褒められてもいいくらいじゃない?」
途端に凌舞がバツの悪そうな顔をする。
凌舞「いや、実は・・・破壊活動の最中にシャロンの連中が駆けつけて来て、注意されたんだよ。で、事情を説明しても『とにかくシャロンに来い』みたいな事ばかり言って、こっちの話全然聞いてくれなくてな。その間、刻一刻と時間だけが過ぎていった。こっちは時間と戦っていると言ってもいい状況だったのに、だ。そして段々と俺の怒りが溜まってきた時! 何が起こったと思う?」
風音「ルミナが先にキレた」
不意の質問にも、風音がコーヒー片手に冷静に答える。
凌舞「ああ、良く分かったな。気付いたら三人居たシャロンの連中が二人遠くへ投げ飛ばされて、一人になってた。やっちまったもんは仕方無いってんで、最後の一人を俺が気絶させて逃げた」
風音が話を聞き終わると同時にコーヒーを一気に飲み干し、カップを机の上に置く。
一息ついて凌舞の方を見ると、凌舞が怒られると思ったのか少し緊張する。
風音「じゃあ、そろそろ謝りに行こうか」
凌舞「あれ、怒らないのか?」
風音「何で怒るんだよ。そりゃあその三人を怪我させたってんなら問題だけど、ルミナとシノの事だからほぼ無傷で済ませたんだろ? まぁ常識的に考えるなら器物損壊と公務執行妨害やらかしてる訳だから、褒められたもんじゃないけど。でもそもそもこの件はシャロンの連中が市民の声に応えなかったから、カノンに依頼が来たんだしさ。まぁそん位なら良い薬だよ。・・・・・それよりも」
風音が少し考える仕草をとる。
凌舞「何だ?」
風音「僕に報告が来てなかった理由が分からないな。話を聞けばおいおい分かる、とか言ってなかったっけ? ・・・もしかしてその三人の件で怒られると思ったから?」
凌舞「いや、言うの忘れてたけど今回の謝礼はかなり高額だったんだよ。・・・にもかかわらず、ゴミ箱の修繕費で・・・」
風音「ほとんど無くなっちゃった?」
凌舞「いや・・・・」
風音「まさか・・・使い切った、とか?」
凌舞「それでも足りなくてカノンの貯金結構使った」
凌舞の言葉で風音の中の時がしばらく止まる。辛い現実から逃れるための一種の自衛である。
しばらく黙っていたが、ふと我に返り大声で吠える。
風音「依頼受けて金減らして来てどーするんだよ!!!」
凌舞「ま、まぁ落ち着けカザ」
案の定怒られたので凌舞が必死になだめる。
風音「何で!? ゴミ箱の修繕費ってそんなに高いのか!?」
凌舞「ゴミ箱っていうか、ほれ、あの貨物船に乗ってるやつ。あれの地上版みたいなゴミ箱」
風音「コ、コンテナ壊して回ってたのかキミら!!! それはゴミ箱じゃなくて共同のゴミ捨て場じゃないのか!?」
バンバンと平手で机を叩く。
凌舞「いや、ネロでは本当にアレがゴミ箱なんだと。フェクトが出来た当初別の目的で使ってた物らしくて、今は使い道が無いから少し改造してゴミ箱代わりに使ってるとか。どうせ近い将来撤去される筈の物だったらしいけど、今回の事でその時期が早まるんじゃないかな」
風音「その内撤去される物に何で修繕費が必要なんだよ! 処分すればいいじゃないか!」
凌舞「その内撤去されるったっていきなり無くなったら市民が困るだろ」
風音が自分を落ち着かせるように、ハァーっとため息を吐く。
風音「じゃあ使えれば問題無いんだろ? だったら撤去されるまでの間は応急処置で良くないか? 何も完璧に直さなくても」
凌舞「景観の悪い街ほど犯罪率が上がるからだってさ。ボッコボコに半壊したコンテナ周辺の荒れた姿を想像してみ? ガラの悪い連中の拠点になりかねんだろ? だから綺麗に修復しないと駄目なんだとさ」
あ~~~もうっ、と声を上げて風音が机に突っ伏す。
風音「・・・元々シャロンのせいで・・・でも二人が壊して・・・・そもそも犯人が・・・・景観がちょっと悪くなったくらいで悪くなる治安・・・・ガラの悪い市民・・・」
机に伏したままブツブツと言っていた風音が顔を上げ、凌舞を見る。
風音「つまり僕は誰を殴りに行けばいいのかな?」
凌舞「いや別に誰も殴らんでいいけどな」
風音「だったらこの怒りは一体どこにぶつければ良いと思う?」
凌舞「トレーニングルームでサンドバッグでも殴って来たら?」
風音が少し笑い、虚ろな目で呟く。
風音「ああ、それいいかも。丁度ここにもあったわ、サンドバッグ」
凌舞の肩をぽんと叩く。
凌舞「マジかよ」
凌舞が冷や汗をかく。
風音「・・・いや冗談だけどさ。僕だって出来れば守銭奴みたいな事は言いたくないし、シノとルミナを責めても仕方ないのは分かってるけど、でも・・・」
そこまで言って、力尽きた様に再び机に頭を落とす。
風音「仕事して来て出費が出たってのはダメージでかいよなぁ・・・」
凌舞「・・・悪ぃ」
凌舞が目を伏せて謝る。と同時。
ユニル「許す!!!」
突然テーブルの方から大きな声が聞こえた。
二人が同時に目を向けると、食べ物で口の周りをこれでもかという位汚したユニルが二人の方を向いていた。
風音「どうしたの? ユニィ、突然大声上げて」
ユニル「どうしたもこうしたも無いですよ、風音さん。凌舞さんに謝ってください」
突然のユニルの発言に風音が首をひねる。
風音「な、何で?」
ユニル「いいから早く」
風音「す、すみませんでした。凌舞さん」
凌舞「いえ、こちらこそ?」
二人とも意味が分からず言われた通りにする。
ユニル「私は感動してるんですよ。凌舞さん」
目頭を押さえ、流れる涙を抑えるような演技をしている。
風音「ユニィ? 何で突然シノの肩を持つような・・・。あ、なるほど、これが噂の餌付け効果か!」
凌舞「いや、餌付けなんかしてないけどな」
凌舞自身、今この瞬間までユニルは風音の味方しかしない生き物だと思っていた。
ユニルが風音に向かって笑顔で尋ねる。
ユニル「あのねぇ風音さん。今回使ったお金なんて、借金の全額に比べたら微々たるものでしょう?」
風音「うん」
ユニル「そのわずかなお金と引き換えに、凌舞さんは市民の不安を取り除いてくれたんですよ?」
確かに事実を好意的に受け止めれば、そういう表現も出来なくはない。
風音「うん」
渋々、といった感じで風音が返事をする。
ユニル「風音さんは自分のお金と市民の安全、どっちが大事ですか?」
風音「どっちも大事」
ユニルの笑顔が少し引きつる。
ユニル「どちらが、と聞いてるんですよ?」
風音「ん~~~~~。微妙なラインだけど、やっぱり僅差でお金・・・」
ユニル「はぁ!?」
風音「市民の安全ですよね」
ユニル「でしょう? だったら犯人を捕まえてくれた凌舞さんには感謝しないと。怒鳴るなんて以ての外ですよ」
風音もユニルの言いたい事は分からなくもないが。
風音「でも、市民の安全の為に何でうちのお金が、という感は否めないと言うか。大体なにもコンテナ壊さなくても中を調べればお金がかからなかった訳だし・・・」
ユニル「しつこい!!! 女々しい!!!!」
風音「あっはい、すみませんでした」
つい反射的に誤ってしまったが、やはりまだ少し腑に落ちない、という表情のまま風音が口を閉ざす。
ユニルが視線を凌舞の方に移す。
ユニル「ですから、凌舞さん」
凌舞「はい?」
しばらくカヤの外だったので、おとなしくコーヒーを飲んでいた凌舞がユニルの方を見る。
ユニル「これからもその調子で、湯水のようにお金を使ってでも市民の安全を確保しましょう」
風音「待て、それはほんとに困る」
風音が慌ててユニルを制止させる。
制止させられたユニルは、何事も無かったかの様に食事を再開しだした。
今日のユニィはどうしたんだろう、などと考えつつ、気を取り直して凌舞に尋ねる。
風音「そういえば、金庫のお金を使ったんだっけ? ワグナさんには何て言ったの?」
途端に凌舞の表情に陰りが差す。
凌舞「実はまだ言ってないんだよ。金庫の中の金を勝手に持ち出したんだけど」
風音「うわぁ」
やりやがった。とでも言うべきか。
実はカノンには厳しくお金を管理する人物が存在する。
風音とは違い、金庫のお金を少しでも無駄に使うとかなり本気の説教を始める人物で、割と頻繁に暴力を振るう。
名はワグナ・トリミア。裏側出身。外見年齢二十歳前後、実年齢四十七歳(地球の周期で換算)。怒り状態の精神年齢十歳前後。
事務能力に秀でており、カノンの会計を一任されている。
長く美しい黒髪に眼鏡が良く似合う、見た目通り知的な人物。普段は冷静沈着で物静かな大人の女性、といった感じだ。
が、一度怒れば鈍器で相手を殴打する時もある。
同じ事務の仲間に癒々(治療が得意)が居る為、最悪治療すればいいやと思っているらしく、鈍器で殴るという行為に躊躇が無い。故にカノンの皆から恐れられている。
因みに彼女がどういった時に一番怒るのかというと。
風音「よりによって無断で金庫のお金を使ってたとはね。金庫の中のお金を全部数えるのって、確か月に二回だっけ? ばれて怒られるのも時間の問題だと思うけど」
先程まで凌舞に怒っていた風音でさえ、心配そうな口調に変わる。
そんな風音の言葉にかなりビビりながら、凌舞が重い口を開く。
凌舞「そこでカザに頼みがある」
風音「嫌だ」
凌舞の台詞が言い終わる前に即答する。
凌舞「まだ何も言ってないだろう」
風音「だいたい分かる。金庫のお金はカザが使った事にしてくれ、とか言うつもりだろ?」
凌舞が無言で頷く。
風音「いや無理があるだろ、それは」
呆れた様子で凌舞を諭す。
凌舞「そこを何とか。あの人ってカザだけはお金どれだけ使っても怒らないだろ?」
ワグナは物凄く上下関係を重んじるタイプなので、艦長である風音の言う事はよく聞くし、風音だけは金庫のお金を何に使っても怒られる事は無い。
ただ、ワグナは何故か副艦長の二人(凌舞と煉也)は自分よりも下だと思っているらしく、この二人の指図は受けない。もちろん金庫の金を無断で使うと鈍器コースだ。
風音「僕だって怒られたり殴られたりしないってだけで、無駄遣いしたら延々小言聞かされるんだよ?」
凌舞「俺が鈍器でシバかれるのに比べたら、小言ぐらい耐えてくれよ」
風音「僕時々思うんだけど、小言に比べたらシバかれる方がマシなんじゃないかな? だって怪我したって癒々さんに治して貰ったらそれで終わりだろ? それにこの前ゼロアが頭を鉄パイプでド突き回されてるの見かけた時に、頭だけは殴らないように艦長命令出したし。・・・小言はひどい時なんて五時間以上続くんだよ? むしろ僕だけ罰ゲームくらってるみたいな気分になってくるんだけど」
ついこの間も半日近く御小言を頂いた。
数日前、昼過ぎに風音とワグナが二人でフェクトの大型スーパーに買い出しに行った時の事。
風音が帰り道で『女性陣の髪の毛のケア用品がかなり高額なんだけど、これは無駄遣いにはならないの?』と何気なく聞いたのが、思いっきり藪蛇だった。
近くのベンチに座らされ、無駄遣いになるものとならない物の違いを夜空に月が輝くまで聞かされた。
どうも女性の髪の毛のケア用品は無駄遣いにはならないらしい。それは風音の胸にしっかりと刻み込まれた。
そんな中、風音は凄ぇ安物のシャンプー使ってます、今でも。
風音「もうあれだけは経験したくない。ずっと敬語で話されるのが逆に辛いんだよ。怒鳴られるより責められてるみたいで。皆みたいにいっそ殴られて、一瞬で終わる方が百倍マシだ」
ベンチの感触を思い出しながら遠い目をする。
凌舞「だったら俺が謝りに行く時に一緒に謝ってくれ。カザと一緒なら殴られる事は無いだろう」
風音「甘い、甘いよ。シノブさん」
悲しそうな目で凌舞を見据えながら、同情するように呟く。
風音「ちょっと前にね、ゼロアがそれと同じ事考えて、トレーニング器具を壊した事を僕と一緒に謝りに行ったんだよ。そしたらワグナさん『分かりました』って笑顔で許してくれたんだけど・・・。その後ワグナさんの部屋から出て行こうとした時、『あ、そういえば夜間警備の事でゼロアに相談したい事があったのよ』とか言って、ゼロアだけを呼び止めたんだよ。―――で仕方なく僕だけ部屋から出たんだけど、ドアを閉めた直後、背後から・・・何かを殴り続けるような鈍い音が、何度も、何度も、何度も」
凌舞「ホ、ホラーじゃねぇかそれ」
これが怪談なら救われるのだが、残念ながら実話であろう事は、普段のワグナを見ていれば容易に想像できる。
凌舞「クソ・・・やっぱり素直に事情を説明して謝るのが一番か」
風音「残念だけど。それが一番軽傷で済むね」
ま、仕方ないね。と風音が意地悪そうに微笑む。
凌舞「・・・やだなぁ」
凌舞が情けない声を上げてうなだれる。
その頭を風音がポンポンと叩く。
風音「心配しなさんな。骨は拾ってあげるから。そんな事より、レイさんの件なんだけど」
凌舞「そんな事よりって・・・お前、俺に対する優しさは無いのか・・・」
凌舞の呟きは軽快に聞き流す。
風音「午前中に来いって書いてあったから、とっとと朝ごはん食べて、ちゃっちゃと終わらせて来ようよ」
凌舞「あ、そーいや飯まだだっけ。でも結構長い時間喋ってたからな、もう皆に食われてるんじゃないかな? 食材ほとんど使い切ったから追加は作れないし」
この艦には遠慮というものを知らない者がたくさん居る。
その為食事の時間など時間通りに食べに行かないと、他の者に食べ尽くされ食いっぱぐれてしまう可能性が高い。
その場合カノンでは、遠慮なく食べた方が悪いのではなく、時間通り来なかった方が悪いのだ。
風音「それなら大丈夫。いくら僕が艦長にしては頼り無くて、威厳も無くて、その上借金だらけで甲斐性が無いって言っても一応はこの艦の艦長だよ?」
凌舞「何でそんな自虐的なんだよ」
風音「艦長の為に、って残してくれている人が一人位は居る筈だ」
凌舞「居ねぇと思うけどな。その発言自体が死亡フラグだし」
凌舞の言葉は気にせず、風音が内線を食堂に繋ぐ。
しばらくコールして。
『はいはいはいはい。琴でーす』
内線から少年っぽい声が元気よく響いてきた。
風音「あ、千丸。おはよう」
千丸『おはよです。朝から僕に内線かけるなんて、愛の告白でも始めるつもりですかぁ?』
風音「いや、全然違うし。何の前振りも無く突然何を・・・」
千丸『照れなくてもいいですよぅ。分かりましたぁ。後で部屋に行きますから、その時にでも思いの丈をぶつけて貰いますねぇ』
風音「今日僕部屋に居ないし。って、いやそうじゃなくて。朝ごはん残ってる? 僕とシノの分」
数秒の間が空く。
千丸『え? 風音さん達まだ食べてなかったの?』
風音「え?」
千丸『今食堂に来てももう何も無いですよ。いや、違うな。食堂から溢れ出んばかりの僕の愛なら受け取れますよ。幸せですかぁ?』
とここまで言った所で電話の向こうが突然騒がしくなる。
ルミナ『琴!! さっきから聞いてたら、あんた何訳の分かんない事ばっか言ってんのよ!!』
千丸『あれ? ルミナちゃん』
よく聞き取れないがどうやらルミナが来たらしい。
千丸『ごめん。ルミナちゃんの前で風音さんへの愛を語るのは無粋だったねぇ。でも心配いらないよ。そんなに風音さんに嫉妬しなくても、僕は風音さんと同じくらいルミナちゃんの事も本気で愛して―――』
ルミナ『やかましわ!!』
ドズッと鈍い音が聞こえた。その後電話越しに誰かが咳払いするのが聞こえる。
風音「おい、千丸?」
何があったのかよく分からないので、取り敢えず呼びかけてみる。
ルミナ『おはようございます。風音さん』
ルミナが出た。
風音「おはよ。・・・あの、千丸は?」
ルミナ『突然倒れました。もしかしたら食中毒かも。早く良くなってほしいものです』
風音「えっ、ホントに? 大丈夫? 癒々さん・・・は居ないか。僕が行こうか?」
風音が少し取り乱すが、ルミナが落ち着いた声で答える。
ルミナ『いえ、見た感じ大丈夫そうですよ。凄い笑顔で倒れてますし』
実は本当に満面の笑みで倒れている千丸の状態を、ルミナが見たまま伝える。
風音「それは・・・逆に危なくないのかな?」
ルミナ『多分、大丈夫でしょう』
少し心配な気もしたが、そばに居る人間が大丈夫だと言っているのだ。おそらく症状は軽いのだろうと判断し、話を続ける。
風音「それと、なんかさっきそっちで凄い音がしなかった? こっちまで微かに聞こえてきたんだけど」
ルミナ『あ、それは気にしないで下さい。大きな害虫がいたので駆除しただけですから。危険な害虫かもしれないので踏み潰しておきますね』
と言って千丸の顔を踏む。
風音「うん。可哀想だけどその方が良いかな。増えられても困るし。やっぱり山の中だからさ、どうしても虫は多いよ。ルミナも気を付けてね、変なバイ菌とか持ってるやつもいるし」
ルミナ『そうですね。今やっつけたのもバイ菌持ってそうな感じでしたよ。ちゃんと止めは刺しときますね』
そう言って千丸の顔を足でぐりぐりする。そして、突然不安そうな声で尋ねる。
ルミナ『あの、さっき琴が『僕の愛が~』とか言ってましたけど、大丈夫ですか? 気持ち悪さで耳が腐り落ちたりしてませんか?』
誰が聞いても冗談にしか聞こえない台詞だが、ルミナは本心で言っているのか本気で心配そうに聞いてくる。
風音「いや・・・、さすがにそこまでは」
返答に困ったが辛うじてそう答えると、ルミナがトーンの下がった声でボソリと呟く。
ルミナ『・・・もう埋めようかな』
風音「えっ? なにを? どこに?」
突然の意味不明な単語に思わず聞き返す。
ルミナ『あ、こっちの話です。それより結局用件は何だったんですか? 私に出来る事なら何でもしますよ?』
心強い言葉に期待しつつ、風音が事情を話す。
・・・・・・・・・・・・・
ルミナ『まあ、無い物は出せませんよね』
風音「・・・ですよね」
ほぼ予想通りの返答に風音がうなだれる。
ルミナ『あ、でも少しで良かったら私のパンがまだ余ってました。凌舞の分と合わせて二個要るんでしたら、アレ二つに割りますね』
風音「いやいやいや! そこまでして貰わなくても」
慌ててルミナを止める。
ルミナ『そうですか? でも私の食べさしだからって、そんなに気を遣わ・・・なくても・・・・・』
と、途中で喋らなくなる。
もう慣れたが、多分考え事を始めたのだろう。こういう時は考え事が終了した後、会話がそれまでの話とかみ合わない事が多い。
明日の晩御飯の献立を考えながら、たっぷり二分ほど待っただろうか。
ルミナ『いやいや、私は自然いっぱいの夜景でもいいんですよ?』
やはりよく分からない言葉が発せられた。
風音「え? あ、うん」
ここはいつも通り適当に相槌を打っておく。
風音「とにかく、状況は分かったよ。後はこっちで何とかするから。―――――――うん。――――――――――うん。ありがと。それじゃ」
最後に二、三会話をしてから内線を切る。
横で雑誌を読んでいた凌舞が、本に目を落としたまま尋ねる。
凌舞「何が残ってた?」
風音がしばらく考えてから。
風音「千丸の愛とルミナの食べかけのパン・・・だけかな」
凌舞「片方なんて食べ物ですらないな」
言いながらも、凌舞の方はどうせ無くなっていると踏んでいたのか、別に動じる様子も無く足をぶらぶらとさせながら本を読んでいる。
風音「あ、でも千丸が食中毒で倒れたかもって言ってた」
途端、凌舞の頭が跳ね上がり、風音の方を見る。
凌舞「えっ!? ホンマに!? 傷んだ食材なんかあったっけ・・・」
驚いた凌舞が調理していた時の事を思い出そうと頭をひねる。
そもそも即効性の自然毒が入っている食材ならまだしも、普通痛んだ食材や調理不良などで起こる食中毒というのは最低でも半時間ほどの潜伏期間が存在する為、食べてすぐ倒れることは滅多に無い筈なのだが、焦っているのでそんな事にすら気付かない。
風音「まぁ癒々さんが帰ってきたら治して貰えば・・・・」
凌舞「いや、食中毒は無理っぽくない? 身体の中の菌とか毒は取り出せなかったんじゃ?」
風音「その辺は大丈夫だと思うけど。最近相手の身体を丸ごと活性化させて、抵抗力を上げる事で菌とかも間接的に倒せる。とか言ってたけど」
凌舞「そうか、それだったら良いんだけどな・・・」
安心したのか、凌舞が止めていた足をまたぶらぶらと振り始める。
結局。行く途中で食料を調達、消費しつつシャロンへと向かう事になった。