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貧乏お嬢様の政略結婚生活

作者: 山田かなた



「私が結婚、ですか?」


「あぁ、そうだ。お前も知っての通り、うちは名前だけの貧乏貴族だ。こんな貧乏貴族の娘を欲しがる物好きはそうそういないだろうと思っていたのだがな…。」


父はそこで言葉を区切ると、テーブルに上がっていた本を私の方に差し出してきた。その本の形と厚さには見覚えがある。

それを黙って受け取ると、隣にいた母に中を見るように促された。促されるまま本を開くと、そこには一人の男性の写真が貼り付けてあった。

そう、これは俗に言うお見合い写真というものだ。


「シオン▪エドフィンという男を知っているか?」


「エドフィン…最近国外との貿易で利益を上げていると有名な一家ですよね。」


「あぁ、元々は平民のエドフィン家だ。そこの長男が、お前が今持っている写真の男なのだがな、是非お前を嫁に欲しいと申し出てきた。」


もう一度写真をよく見てみる。前まで平民だったとは思えない品のある優しげな男性だ。

そういえばこの前のお茶会で奥様がシオン様という色男がいる、と言っていたのを思い出す。確かに女の私も羨むほど綺麗な容姿だ。これでお金も持っているならうちのような貧乏貴族でなくとも引く手数多だろう。


「金が手に入ったら次は爵位が欲しくなったらしい。うちが貧乏貴族ということを嗅ぎつけて結婚という名の取引を持ちかけてきた。断りたい気持ちもあるが、いかんせん我が家も限界がきているし、お互いに悪い話じゃない。お前には彼と結婚して欲しいと思っている。」


思っている。だなんて、本当はもう確定事項のはずなのに父はあくまで”私の意思で”結婚をしてほしいらしい。

母もじっと私の返事を待っている。否、肯定するのを待っていると言った方がいいかもしれない。

どこか重苦しい空気の中、私に残された選択肢なんて1つしかないではないか。



「私でよければ、喜んでお嫁に行きます。」



かくして私は一度もあったことがないシオンという男性と結婚することになったのだ。


その1週間後、私は夫となる人と初めて顔を合わせた。両親ににこやかにあいさつをする姿をみて、写真より実物の方が何倍もかっこいいと思った。それが私の彼に対する第一印象である。

しかし、初めての顔合わせだというのに彼は私とほとんど目を合わせることはなかった。


「この度は結婚を承諾してくださりありがとうございます。」


両親に向かって丁寧に頭を下げる姿は、とても元平民だとは思えないほど様になっていた。しかし、貼り付けたような笑顔や台本通りの台詞は少し気に食わない。もっとも両親はそんなことにも気がつかず満足気にシオン様を見つめていた。


「こちらの方こそ、君のような頼りがいのある殿方に娘をあずける事ができて嬉しいよ。」


「何の取り柄もない娘ですが、よろしくお願いしますね。」


「はい、ダリアさんを幸せにするとお約束します。」


このままでは売れ残りになりそうだった娘を思いのほか条件がいい家へ売ることができて喜んでいるであろう両親を冷めた目で見ていたところに、彼の口からすんなりと出た「幸せにする。」という一言は台本通りの台詞でも素直に嬉しかった。両親もその言葉に安心したのか、笑顔でシオン様と私の結婚を祝福した。



それからしばらくして私とシオン様は結婚式をあげた。

私は身内だけで小さな教会であげる結婚式に憧れていたが、そんなこと言えるはずもなく、派手好きで有名なシオン様のお父様の意向で国内外からお世話になった人を大勢呼び、城下町の大きなパーティー会場での式となった。

さすがは貿易で栄えただけある。数え切れないくらいの人々からお祝いを貰い、式が終わる頃には疲れてぐったりしてしまった。それにこの国は一夫多妻制であるため、結婚式という状況にも関わらずシオン様の二人目の妻にという女性も多くアプローチに来ていた。その度に彼はどんな対応をするのかハラハラしていたのもあり、心身共に疲れてしまったのだ。一方、シオン様はそんなことにも慣れているのか、いつもと変わらない穏やかな表情で私の横に立っていた。


「たくさんまわらせてしまって悪かったね。」


「いいえ、私の方こそ体力がなくて申し訳ありません。」


「女性なのだから、仕方の無いことだよ。今日はもう帰って体を休めよう。」


そう言ったシオン様に支えられながら、私は同じ帰路についた。

結婚式の後は初夜というものが待っていたが、それも彼の中では業務だと思っているのか、甘い雰囲気になることもなく、ただ淡々と行為を行うのみだった。政略結婚とはこういうものなのだろう、と自身の両親を思い出しながら私は朝を迎えた。


結婚式を終えてから、私はシオン様と新築のお屋敷で一緒に暮らしている。

一緒に暮らしている、と言ってもシオン様は結婚式の翌日から既に朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくるという生活をしていた。そのため、一緒にいれる時間はほとんどなかった。

夜中にベッドに彼が入ってくる気配は感じるが、もう3日ほどまともに顔を見ていない。新婚なのに。でも、愛のない結婚とはこういうものなのだろう。

一応私なりに毎日疲れて帰ってくる夫が少しでも癒されるようにとテーブルに飾る花を自ら生けたり、もっと夫と話したくて外国の本も沢山読んでいるのだ。しかしそのどれも夫は気付いていないようだった。別に気づいて欲しいわけではないけれど、独りよがりな感じがしてなんとなく寂しい気持ちになってしまう。


「奥様、今日はどのようなお花を生けますか?」


「そうね、シオン様はどんなお花が好きなのかしら?」


「旦那様は昔からよくダリアの花を好んでいますよ。」


奥様のお名前と一緒ですね、と侍女は微笑んだ。なんだか気恥ずかしくて、微笑むことしかできなかった。

屋敷の使用人達はシオン様と私が想い合って結婚したと思い込んでいる。彼からそんな素振りは1つもないのに、使用人は疑おうともせず毎日私に優しくしてくれるのだ。


「あと、最近は外国から輸入した新種の花を大量に持ち帰ってきていましたよ。よほど気に入ったようで、自室に全て運ばせていました。」


「まぁ!そんなに素敵なお花があるのね。でも私が来た時にはシオン様のお部屋にはお花なんて見当たらなかったけれど、それはもう余ってない?」


「えぇ、それが育て方が難しいのか、1週間も経たないうちにすべて枯れてしまったみたいなんです。お掃除に伺ったときには一輪もなくなっていました。」


1週間も経たないうちに枯れてしまうなんて、とても繊細な花なんだろう。今度シオン様にお願いして1輪だけでいいから貰えるようお願いしてみようかしら。


「とりあえずダリアはなんだか恥ずかしいから、今日は黄色のお花を持ってきてちょうだい。」


「かしこまりました!早速準備してきますね。」


ぱたぱたと遠ざかる足音に耳を傾けながら窓から見える外を眺めていると、ガチャリと遠くで玄関の開く音がした。それに続いて侍女の元気な声が屋敷に響いた。


「旦那様、おかえりなさいませ!」


こんな早くに帰ってくるなんて初めてではないだろうか。急いで玄関に向かうと、片手に大きな袋を抱えたシオン様がいた。私を見つけると、優しく微笑んだ。


「ダリア、ただいま。」


「おかえりなさいませ。随分と早いおかえりですのね。」


「あぁ、今日は少しやらなければいけないことがあってね。僕はこれから自室に篭るから、絶対に入ってきてはいけないよ。」


そう言って私の頬を優しく撫でほほ笑みかけるシオン様。その微笑みはいつもと変わらないはずなのに、どこか気味が悪くて、私は無意識に頷いていた。


「それと、いつまでかかるかわからないから今日は別の部屋で寝て欲しいんだ。」


「では、客間の掃除をしておきますね。」


侍女の返事をきくや否やシオン様は足早に自室に向かった。急いでいるような足取りからみるに、彼の頭の中に私はもういないのだろう。


その日だけだと思っていたが、それから何日たっても私は夫と同じ寝室になるとこはなかった。

別の部屋に移されてから更に数日後、若干疲れた顔をした夫は有無を言わさぬ物言いで使用人に指示を出していた。


「僕の部屋には誰も入らないでくれ。掃除もしないでくれ。」


「左様ですか…それではお掃除は誰が…。」


「自分でするから心配しないでくれ。」


「もしでしたら、奥様にしていただいては…?」


「いい。ダリアには入って欲しくないんだ。いいかい、決してダリアを僕の部屋に近づけないでくれ。」


私が茶会で席を外している時になされていたその会話は、運悪く私の耳に入ってしまっていた。

優しげな言い方ではなく何処か厳しい様子に、自身が彼に愛されていないことを知り、悲しくなった。


私にその会話を聞かれていたとは思ってないのだろう。その日も夫はただいつも貼り付けたような笑顔でそこに座り、当たり障りのない世間話をしていた。

それでも今思えば、その当時の新婚生活はそれなりに幸せなものだったように思う。

ただしそれはお互い上辺だけの薄っぺらい笑顔を張り付けて過ごしていたからなのだが。上辺だけだから喧嘩もしないし、お互いの内面に干渉し合うような話もしなかった。

しかしそんな関係が長く続くはずもなく、気が付いたらかろうじて一緒だった寝室も別々になっていたし、その夫の部屋には使用人ですら立ち入り禁止になったなんて、夫が私に心を開いてくれていないことは誰が見ても一目瞭然だった。


そうしている内に、夫と結婚して半年が経とうとしていた。この頃から私は社交界でいろいろな夫の噂を耳にするようになる。夫の噂を聞くためにパーティや茶会にも積極的に参加した、といっても過言ではないかもしれない。奥さま方の噂話は私の好奇心をくすぐるものが多いのだ。


”シオン様は昔から心に決めた人がいるらしい。その女性がくれた首飾りを今も肌身離さずもっている。”


シオン様とは言わずもかな私の夫のことなのだが、私はこの噂に心当たりがあった。

夫は私と話している時や考え事をしている時、無意識に胸元の何かを触る癖があるのだ。しかし目立たない銀色のチェーンにどんなものがぶら下がっているのか、いつも服で隠れているため私は知らない。

でも私があげたものではないことは明らかだ。なぜなら自慢ではないが私は夫に物をあげたことがないのだから。

そもそも夫と出会って1年も経っていない。つまりプレゼントをするほど長い付き合いなどしていないのだ。


妻以外から貰ったものを肌身離さず持っている、そのこと自体が本当は許してはならないことで、本来は咎めるべきことなのだが、正直私は疲れていた。

当たり前だろう。だってよく考えてみてほしい。

一生愛すると心に決めた人が自分の事を愛しておらず、それどころかほかに好きな女性がいる。それに加えて私の努力なんて気付きもせずに薄っぺらい笑顔を貼り付けて帰ってきたと思ったら淡々と食事を済ませ、朝まで部屋に篭る。

そんな毎日を過ごしていると、ただひたむきに夫を愛することに疲れてしまった。


それに私が夫の愛を諦めたのにはもう1つ理由がある。

それは夫は私を殺そうとしている、ということを知ってしまったからだ。

夫は屋敷のものに指示をして、私の食事に微量の薬物を入れている。

決して被毒妄想などではない。これは事実なのだ。

なぜ私が気づいたのか、というと理由は簡単だ。

私は貧しいといえ爵位を持った貴族、むしろ貧しいことを理由に命を狙われる機会があったため、両親に匂いや味で毒が入っているかどうか分かるように訓練するよう言いつけられていたのだ。貧しい貴族は毒味をしてくれる使用人さえ雇えないのである。


そのため料理を口に運んだその瞬間から、それに毒が入っていることに気づき、それと同時に夫が何を考えているのかを悟った。

私は爵位を得るためだけに結婚し、邪魔になったため排除されるのだ。すぐに効果が出ないことから、遅効性の薬物だろう。不自然じゃないように、じわじわと体を弱らせて最後に死んでもらおうと思っているに違いない。

料理人も黙っていることから、この家の者は全員グルと考えてもよいのだろう。


気づいているなら何故咎めたり両親に言わないのか、といわれるとやはり心の何処かで夫のことが好きな自分がいるのかもしれない。それにこのまま離縁して家に帰ってしまえば両親はまた貧しさにあえぐことになる。こんな無理やりな政略結婚をさせる両親だが今まで育ててくれたことを考えるとどうしても夫のことは言えなかった。


それに、これはまだ誰にも言ってないことなのだが、最近足が痺れて動かしづらく、あまり自力で歩けないのだ。

夫や使用人達の前では平然を装っているが、この足では今度のお茶会はおろか、屋敷の外にも行けないだろう。

おそらく、私の予想が間違えてなければこれはあの毒の効果なんだろう。


「ダリア、スプーンが止まっているけれど、どうかしたのかい?」


夫の心配そうな声で現実に引き戻される。


「(いけない、夫には気づかれないようにしなくては。)」


無意識にそう思っている自分がいた。夫にバレたらどうなるのか、想像しただけで恐ろしかった。悲しいことばかりだが、死になくはないというのが私の本音だ。


「い、いいえ。なんでもありません。」


「そうか、体調が悪いならすぐに言ってくれていいんだよ。すぐ医師に見せるから。」


そう言って目元を緩ませる夫に心の中で悪態をつく。

嘘つき!どうせその医師もあなたの息がかかっている者なんでしょう。私を安心させるようなこといって、優しく微笑んで、でも腹の中では早く死んでほしいと思っているんでしょう。泣きたくなるのを必死に耐えて、夫に負けじと笑顔を作る。夫に気遣われて幸せだという妻の顔を必死に貼り付けるのだ。


「ありがとうございます。お心遣い感謝いたします。」


「そんなかしこまらないで、僕らは夫婦だ。支えあうのは当然だろう?」


「はい…。」


私はまた食事を再開させた。私が毒を口に運ぶ瞬間、夫の笑みが深くなるように見えるのは私の目の錯覚だろうか。夫は私が毒を全て飲み干すまでずっと私を監視している。私が「ごちそうさまでした」といっておいしかったと微笑むまで夫は笑顔を貼り付けて私を見つめている。その目が私に早く死んでくれと訴えかけている。


「ごちそうさまでした。」


私がそう発するや否や、夫は席を立って自室へと去っていった。私も数分遅れて自室に戻ろうと廊下を歩いていると、夫が私の自室の前に立っていた。こんなこと結婚してから今までになくて目をうたがった。


「旦那様、どうかいたしましたか?」


「いいや、少しダリアに確認したいことがあってね。」


夫は壁に寄りかかるのを止め、私との距離を少しだけつめた。それだけのことなのに私は酷く怯えてしまい、夫に気づかれないように後ずさる。

まさか、私が気づいたことがバレたのだろうか?


「私に?なんでしょうか…。」


「僕のことを愛しているかい?」


次にどんな詰問がくるのかと怯えていた私にとって、その質問はとても唐突だった。そんな質問、結婚する前も結婚式でも結婚した後でもされたことがなかった。なんで今さらそんなことを聞くのだろうか。しかも私の後ろには侍女も控えている。こんな第三者のいる環境でそんなデリケートな質問をする夫のことが、本当にわからなくなっていた。

だから私はただ一言、「ええ、愛しています旦那様。」そう言って微笑んだ。その台詞は私の本心であったが、精一杯言わされているように取り繕った。それは夫に対しての小さな抵抗だった。しかし、それを聞いいた夫は満足気に微笑んだ。


「その言葉、決して忘れないように。」


そう言い残して夫は自分の自室へと姿を消した。

一体なんだったのか、これから何があるのかと震える私に侍女が遣うように声をかけるが、それに対応できるほど、私には余裕がなかった。


しかし、それからも夫の行動は以前と変わることはなく、その数週間後、私はとうとう歩くことができなくなった。

十中八九あの毒だろう。

夫は表面上心配する素振りを見せていたが、目が嬉しそうに輝いていたのを私は知っている。

夫の息のかかっているであろう医師に診察してもらった結果、足の神経が麻痺状態になっており、原因もわからないという。もしかしたら一生歩けないかもしれないと言われた。

ショックだったが、どうせしばらくすれば死ぬのだ。歩けなくなるくらいなんてことなかった。

ただ、歩けないとなると生活に支障が出る。侍女には迷惑をかけるな、と思っていた所、予想外の出来事が起こった。

なんと夫が私の世話をすると言い始めたのだ。


「ダリアが私の部屋にくればいい。私の部屋のベッドの方が柔らかくダリアの足にも負荷をかけないし、仕事中でもダリアの世話ができる。」


これを聞いた私は殺到しそうになった。必死にお断りしたものの、夫は引きそうにない。それどころか執事や侍女はそれが当然だというように淡々と準備を始めてしまった。


唖然としている私を置いて、侍女も夫も準備をしてくるといって部屋からいなくなった。誰もいなくなった部屋で、私が出した結論はこうだ。


夫は『病気の妻を愛した心優しい夫』を演じているのではないか。献身的に看病をしていると周りにアピールするために私を自らの自室に置くのではないのだろうか。そうして私が死んだら夫は『愛する妻を亡くした悲しい夫』となり、周りに不自然に思われることはないだろう。

そう考えれば辻褄が合う。

私は最後の最後まで夫に利用されて死んでいく。

悲劇のヒロインも裸足で逃げたすほどの悲しい人生だったな、と思っていると扉が開いて夫が姿を表した。


「ダリア、今夜から僕の寝室で寝なさい。」


「はい。」


私に拒否権はない。

夫は私を横抱きにして自室へとゆっくりと足を進めた。

私は死刑を待つ死刑囚の気分で大人しく夫に運ばれていた。



*****


夫の部屋で生活することになってから1週間が過ぎようとしていた。

しかし、おかしい。私は今大いに混乱している。


「今日はダリアの好きなパンプキンスープなのに、あんまり食べていないね。」


おかしい。


「どうしたの?歩けなくなって体力を使わないからって食べないのはだめだよ。」


おかしい。


「それともおいしくなかったのかい?」


夫は心配そうに私の顔を覗き見ている。

その表情はとても演技にはみえない。

それにこの食事、味がしないのだ。

味がしないっていうのは食事の味ではなく毒の味のことである。ただのおいしいパンプキンスープなのである。

前も毒なんて入ってなかったのでは?と思うほどここ数日でてくるご飯は毒が入っていなかった。でも歩かなくなった私の足が何よりの証拠だし、もしかしたら新種の毒物かもしれない。


「ダリア?」


「はいっ!と、とてもおいしいです。でも…」


「でも?」


「い、いいえ。なんでもありません。ただ、なんだか味付けが変わった気がして…料理人が変わったのでしょうか?」


「そうなのかい?料理人は以前と変わっていないが、味付けは変えたのかもしれないね、伝えておくよ。」


「そんな、そこまでして頂かなくてもいいのです。」


「でも、君の食が細くなってるのはいただけないよ。それ以上痩せてしまっては僕が心配なんだ。」


そういって優しく私の頭を撫でるこの男は誰なのだろうか。あんなに頑なに部屋に入れたがらなかったのに、歩けなくなった途端ここに住まわせているし、むしろここから出したがらなくなっている。


私は夫が怖くて仕方がない。

今までのような上辺だけの笑顔ではなく、心の底から笑っているはずなのに、どこか薄気味悪いあの笑顔なのだ。

これは、利用されて死ぬ妻を哀れんだ夫が最後くらいは優しくしようとしてくれているという、死ぬ前のつかの間の幸せなのだろうか。


「シオン様。」


「なんだい、ダリア。」


「私、こうして歩けなくなってしまいましたが、お茶会には行きたいのです。あなた妻としての役目をさせていただきたいのです。」


「必要ないことだ、ダリア。君は病人なんだよ、ここで安静にしていなければだめだ。暇ならばもっと刺繍や本を用意させよう。僕がいる時は散歩も許可する。けれど茶会なんて遠出はまだだめだ。わかったね?」


さっきまでの穏やかな表情ではなく、諭すような、少し怒りを孕んだ瞳で見つめてくる。その目はいつでもお前を殺せるのだと言っているようで、私は小さく震えた。


「あぁ、怖がらせてしまったね。ただ君が心配なんだ。」


そう言って夫は私の頭に軽くキスをして、仕事へと出ていった。


やはり私はまだこの生活に慣れそうにない。

歩けなくなってからというもの、ご婦人方からの誘いの手紙もめっきりこなくなってしまった。

私は仕方なく手元にあった読みかけの本を開く。それは平民と王族の身分違いの恋の話だった。

平民の主人公と王子の彼との間には様々な邪魔が入るのだが、その中でも彼の婚約者は、かなり意地悪で、主人公を殺そうと暗躍したり、逆に彼女に濡れ衣を着せようと様々なことをするのだが、どれも上手くいかず最終的には牢屋に入れられてしまうのだ。婚約者というだけで2人の邪魔になる存在なのに、更に何かをしようとする婚約者の姿からは王子が好きだということがよく分かる。

しかし王子は平民の女のことが好きで、2人は相思相愛。そりゃ邪魔したくもなるわね。


「彼にとって私は、この婚約者と同じ立場なのかもしれないわ…。」


気分転換のために読んでいた本なのに、予想外に気分が落ち込んでしまった。

侍女に飲み物を持ってきてもらうと顔を上げた時、タイミング良く扉がノックされ、侍女が入ってきた。しかしその表情はどこか焦っていて、息も少し上がっていた。


「あの、奥様…お客様がこられているのですが、旦那様の知人だと……しかし、平民で………あっ!こら!」


「あなたがシオンの奥さんですか!!」


「無礼ですよ!この方は…」


「そんなのどうでもいいです!ダリアさん!私はシオンを取り返しに来ました!」


侍女の後に大股で入ってきた女性は、頭が痛くなるような大声でシオン様を取り返しに来た、と叫んだ。

突然の訪問者に驚いて目を丸くしていると、シオン様の知人という女性は次々と私に言葉をかけてきた。


「シオンはあなたと結婚すると決まってから、変わってしまいました!爵位にこだわるような人じゃなかったのに!昔は私にも優しくて、私達恋人同士だったんです!体の関係もあります!なのに、あなたと結婚することになってから私にも冷たくなってしまった、相当ショックだったんだと思います。シオンはあなたとの結婚は望んでないんです!シオンを返して!」


シオン様の恋人。そう言った彼女は可愛らしい顔立ちの女性だった。確かに私とは似ても似つかないタイプである。シオン様が私を殺そうとしたのは、私が死んだ後に彼女を妻にするためだろうか。

それにこの状況、ついさっきまで読んでいた本にそっくりだ。もちろん私はあの婚約者だ。私の場合は牢屋ではなく彼自身に殺されるのだけれど。


「シオン様を捕らえているつもりはありません。それに見ての通り私は今歩くことも出来ない、妻として役に立たない女です。そのうち旦那様から用がないと言われますわ。それまで待つこともできませんの?」


なるべく悪者っぽく、しかし彼女と彼の弊害にならないように振る舞う。侍女は何か言いたそうにしており、耐えきれず彼女が何か言おうとしたが、第三者の声がそれを遮った。


「なんの騒ぎだ。」


「旦那様!」


「シオン!」


「忘れ物を取りに帰ってきたのだが…。それに、僕と彼女以外はこの部屋には入るなと言ったはずだかな?」


「申し訳ありません。この娘が奥様に会わせろと走り出してしまいまして、止めるまもなく…。」


「シオン!私よ、シノよ!」


「あぁ、シノ。久しぶりだね、何のようかな?今ダリアは療養中でね、あまり人に会わせたくないんだよ。」


「違うのよ、シオン。この人にシオンを解放してって頼んでたのよ。」


「解放?」


「そうよ、だって本当は私達結婚するはずだったのに、この人のせいで私達離れ離れになったのよ?だからね、もう爵位もあなたのものになったし、この人ももう少しで用無しになるって言ってたしね、だから……!」


「なんだって?」


「え?だから…」


「だれが用無しになるだって?」


シオン様の声が今まで聞いたことがないくらいに冷たくなり、シノという女性を睨んだ。睨まれた彼女も固まってしまい、なんでそんな目を向けられているのかわかっていない様子だ。私も彼がこんなに怒りをあらわにしている理由がわからない。ただ私が余計なことをしてしまったのは確かなようだった。

シオン様は固まったシノを一別してから侍女に冷たく指示を出した。


「彼女を追い出してくれ。」


「なんでよ!シオン!ようやく解放されるのよ!」


「解放?彼女がいつ僕を縛ったんだ?むしろ縛っているのは僕の方だし、結婚を望んだのも僕だ。ようやくここまできたのに、邪魔しないでくれないかな、シノ。」


「えっ…だってシオン、私達…。」


怯えながらもまだ何か言いたそうだったシノだったが、使用人達が数人がかりで退室させる。

歩けていた頃なら私もどさくさに紛れて出ていけたのに、歩けない自分が憎い。

シオン様はじっと私を見つめている。


「あ、あの…シオン様。」


「君がいつ用無しになるんだ?」


「…申し訳ありません…歩けなくなった私はもうお役に立てないと思って…。」


「ダリア、君は馬鹿な子だ。君を歩けなくしたのは僕だ。わざわざ歩けなくしたのに、僕の望む姿になった君を何故用無しにする必要があるんだ?」


「なんで、なんでなのですか。」


それはずっと聞きたくても聞けなかったことだ。

なぜ私に毒を盛ったのか、なぜ私を殺そうとしたのか。

憶測は立てていたが、実際に彼の口から聞くのは怖かったし、そのまま殺されると思っていた。

しかしここまできてしまえば聞くしかない。こんな機会二度とないのだから。


「君を閉じ込めておくためだよ。足があると、君はフラフラと何処かへ行ってしまうだろう。やれ茶会だ夜会だと、行かなくてもいいようなところにまで行くし、毎日心配だからね。本当は事故に見せかけて足を馬車で轢いてもらおうと思ったんだけどね、君の痛がる姿は見たくないし、その足が傷付くのも気に食わなかったんだ。そうしたら丁度いいモノが手に入ってね、君を苦しめずに閉じ込めることが出来たんだ。」


いつの間にか私の座っているソファの端に腰掛け、毛布が掛けられている私の足を優しく撫でるシオン様。そしてあの気味の悪い笑顔だった。その笑顔の正体はこれだったのだ。彼の私を見つめる瞳は、決して優しさではなく、愛情ではなかった。それがなんなのか、今ようやくわかった気がした。


「私を、殺そうとしてたわけじゃなかったのですか。」


「殺す?君を?そんなことしたら本当に手の届かないところにいってしまうじゃないか。」


本当に馬鹿な子だ。そう言ってシオン様は笑を深くした。

その瞳にはやはり愛情なんて綺麗なものは見えなかった。


「君は覚えてないかもしれないけどね、僕はずっと昔から君を知っているんだ。その時から僕は君を捕まえるって決めていたんだよ。」


シオン様が、首元のネックレスを触った。私が覚えてないだけかもしれないが、もしかしたからそれは私が彼にあげたものなのかもしれない。


「ダリア、君を閉じ込めた僕を恨むかい?」


「い、いいえ、シオン様が私を大切に思っていてくださっていたならば、それでよいのです。」


私は震えそうになる体を必死に押さえつけ、できる限りの笑顔で応えた。


もしかしたら殺された方がよかったのかもしれない、そんなことを思いながら私は、至極幸せそうに笑う彼の腕にだかれて瞳を閉じた。


花言葉を入れようとして力尽きました。

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