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第6話「風呂屋が八文」

 結局、借りたお金は一人千文ほどだった。どれほどの価値があるものかは解らないが。


「必要な物、って何だろ」

「あるじさま、服がありません」


 そういえばそうだ。寝間着すらなく、替えの服もないのは落ち着かない。


「一度迷宮に潜れば、半日は戻れないと思った方が良い。そうなると、水筒や磁針、それに深く潜るなら階層ごとに環境が違うから防寒着や手袋なども必需品だな」


 と、若干説明できるのが嬉しいのか機嫌がよさそうなコンが続く。


「こんな世界なら傷が一瞬で治るポーションとか売っててもおかしくないとは思うのだけれど、その辺りは?」

「ぽーしょん? 何の事だか解らないが、薬師が傷に効く軟膏をよく売ってるな。あとはガマの油とか」


 どうやら魔法こそあれ、そこまで便利な物はないようだ。残念。

 ガマの油といえば、油売りが居合抜きをして一枚が二枚! とかやるアレだろうか。


「コンの宿代もあるからそれほど手元には残らないのだけれどね」

「面目ない。確かにこれだけでは碌に物も揃えられないだろう」


 しゅん、と耳を伏せてコンが肩を落とす。

 彼女も一緒に相部屋で、という訳にもいかないので、個室とすると三百文だっただろう。


「いいよいいよ。コンが居なければどうにもならなかったし、これからもよろしく。センパイ」

「先輩……先輩か」


 先輩、という言葉に感じるものがあったのか、口の中で繰り返しつつ、彼女はまた目を輝かせた。

 市場や店を軽く眺めていくと、実に様々な品揃えに驚かされる。

 米が一升百文で、どうやらそれが基準になりそうだった。一升は十合程であるようだから、二人で一日に十二分だ。

 食材を見れば豆腐、沢庵、大福餅にようかん。日本酒から甘酒、魚市場には鰯から鰹、蛸に烏賊に浅利まで。

 この中で米よりも値が張るのは良いお酒が二百文ばかりで後はそれほど根が張らない。大福餅など、一つ五文ばかりだ。

 千文もあれば、数日は暮らせそうである。なお、聞いてみれば、蕎麦はやはり二八の十六文らしい。


「うわ、服はやっぱり高いのか」

「そのようですね。新しい服は我慢しなきゃいけないかも」


 安いのは食材までで、服を買おうと思えば、袴が一着一千文といった次第で、さらに上を見ればキリがない。


「うーむ、この着物は見事な文様だな」


 などとコンが唸っている着物には、十両、と書いてある。実に四万文だ。

 そんなものを買うような余裕もなく、とりあえず古着から、着れそうなサイズの単衣を二つ、見繕って買う。

 ちょっと麻でちくちくしそうだけれど、この際文句は言っていられない。ちなみに単衣、と言うのは文字通り一重の布でできて着流しみたいなものだ。

 さっき買うときに教えてもらった。ついでに帯もおまけしてもらったので、ちょっと嬉しい。


「迷宮に潜るようになれば、すぐ新しい服も買えるさ」


 というのはコンの言であるが、潜り屋の一日平均の稼ぎが一千文程らしい。確かに、上下でそろえるのに二日もあれば十分で、中々の高給取りに思えた。

 そのあとは下着に歯磨きに手拭いに石鹸と必要な物を買いそろえていく。そうすると、あっという間に初期資金の一千文はなくなっていった。


「あっ、あるじさま。この化粧水だけ買ってもよいでしょうか」

「勿論。半分はクロのお金なのだから」

「ありがとうございます。でも、私の物はあるじさまのものですよ?」


 そもそも、自身が物である。という理論は譲れないらしい。しかし、本当に市場には多くの物が溢れている。

 クロは化粧水を所望したけれど、その横には当然、白粉や紅なども置いてある。


「まぁ、必要ないか」


 そんな齢でもないだろうし。


「むっ、私も年頃の娘なのですけれど」


 そういえば考えは筒抜けなのだった。目を逸らす。


「あっ、店主さん、この櫛もつけて下さい」

「あいよ。妹さんかい? 別嬪だねぇ」


 木でできた朱塗りの櫛を買ってクロに渡すと、こんなのに騙されないんだから、と言いつつも口元が緩むのは隠せていなかった。

 ちょろい、と考えた瞬間にまた視線が鋭くなった気がした。この契約とやらの糸、中々に厄介である。


「そうだ、丁子油や打ち粉は……」

「それは私の方から貸そう」


 コンも刀を差している以上は確かに刀の手入れ道具は持っているだろう。その言葉に甘えることにした。


「ああ、何かいろいろとありがとう」

「いいさ、伍と言うのは互いに助け合うものだ。そう、そういうものだ」


 うむうむ、と頷くコンだったが、どこか自身に言い聞かせるようである。そういえば、仲間を引き抜かれたのだったか。


「これでもう百文程になったけど、食事とか風呂とかってどうなっているのだっけ?」

「あ、そういえば……」


 櫛を胸に抱えながら、クロも今、思いついた顔だ。ちょっと軽率だったかもしれない。


「ああ、食事は宿で朝晩と出る。風呂は風呂屋が八文だな」

「意外と安く済むな」


 垢ぬけた、っていうのは江戸っ子が一日に何度も風呂に入ってたから言うのだっけ。ともあれ、風呂屋がある、というのは朗報だ。

 その後も暫く店々を冷やかしながら歩いていると、鐘の音が聞こえた。空を見れば夕暮れに赤く雲が照らされている。

 烏の鳴き声がして、数羽が連れだって住処へ向かう姿が見えた。


「ああ、綺麗だね」

「そうですね」


 僕は以前にこんな風景を見たことがあっただろうか? どうだろう。

 幼い時分に見た記憶もあれば、実際には見たこともないような気もする。けれどどこか、これが心の原風景に残っている気がした。

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