第3話「かいもーん!」
「おーい、君たち何やっているんだい?」
街への道を歩いていたら、正面から馬が駆けてきた。すわ、また敵襲か、と身構えていれば、のんびりとした調子の声が聞こえてくる。
「どう思う?」
「敵対的な意図は感じられませんけれど」
クロの言葉の通りだった。襲撃するなら問答無用で来れば良いのだ。駈歩だった騎馬は、速歩まで速度を落として近づいてくる。
手綱を握るのは、どうにも防御面積の狭い和風鎧を着て、長弓を左の脇に手挟んだ女性だった。
「外は危ないよ?」
「いやー、どう説明したものか」
その女性の髪の色は緑だった。緑の黒髪、といえば綺麗な黒髪を表現する言葉であるが、そうではない。緑なのだ。そう、初夏の若葉を思わせるような。
「緑の黒髪、は、クロの髪みたいなのを言うのだよなぁ」
「褒めても何も出ませんよ」
現実逃避気味に呟いてしまう。クロは人見知りする質なのか、僕の後ろに隠れて袖をつかんでいる状態だ。
「ともかく、街まで送っていくから、私から離れないでね?」
「ありがとうございます」
僕たちが何も答えないのに業を煮やしたか、パンクなおねーさんは馬首を巡らせて常歩で歩かせ始めた。
髪色の衝撃から立ち直ってみれば、愛嬌のある顔立ちである。健康的な程度に日焼けした肌と、純朴そうなたれ目、瞳の色もまた緑。短く切った髪が丸い輪郭を強調するようで、だからと言って太っている、ということではない。
服装はこれまた若葉色の袴姿に鎧の袖と草摺り、そして右手に籠手を着けたような塩梅で、胴の守りはなかった。何と言ったか、そう、小具足の出で立ちに近い。そして、腰からは実用一辺倒で細工の一つも見られない太刀を佩いている。
「はい、到着」
道中は何事もなく、時折彼女が音の鳴る鏑矢を周囲に放つ程度だった。聞けば魔物避け、というものらしい。
門までたどり着けば、遠くから見ていた時には気づかなかったが、見上げるほどに大きい。高さにして五階建てのビルくらいはあるだろうか。
「で、どうして二人は街の外に出ていたの?」
「いやぁ、僕たちは遠くから来たもので……」
「え、遠くから!?」
思ってもみなかった反応にどきり、とする。対応を間違えたか。
「めっずらしいねー! ここ何十年と外から人が来るなんてことはなかったよー!」
ほっ、と胸をなでおろす。どうやら、排外的な場所ではないようだ。
「ほらほら、早く入って。かいもーん! かいもーん!」
彼女が大声で呼ばわると、鎖の重々しい音と共に、城門が開いていく。
「これは……」
城門の先に見えた景色に僕は絶句する。
幕末モノで見るような、木と瓦、そして漆喰で固められた壁を持つ家々が、広い石畳の道の両脇にずらりと並んでいる。
そこかしこには、満開の桜の木が生え、ともすれば色彩に乏しい街並みを鮮やかに染め上げ、しかし、僕の目を奪ったのはその美しさではなかった。
道行く人々、和服と洋服を足して二で割って少々和服のエッセンスが強めにでたそれに身を包み、自然にはあり得なさそうな色とりどりの頭の上に――
――ケモミミが、あった。
「なんて、ことだ……」
「至極、変な事考えてません? ません?」
脇に立つクロが不機嫌そうな声を上げるが、そんなことはどうでもいい。
猫耳、犬耳、アレは狐か、狸もいるぞ。それは作り物ではありえない、見事なもふもふで、頭飾りではない証拠に、ときおりぴょこぴょこと動いている。
眼球は大忙しだ。慌てて視線を下げてみれば、そこには当然のように尻尾がある。
「ここが、天国か」
「私は輪廻転生派ですねぇ」
「あのー、良いかな?」
ケモミミもない緑髪のパンクなおねーさんが困ったように頬を掻きながら言うのに気付いて、ぼくはしょうきにもどった。
「あっ、はい。すみません。あまりにも街が綺麗で」
「そう言って貰えると嬉しいね。とりあえず、軽く調書を取りたいから詰所に来てよ」
「はぁ」
城壁の中に半分埋まるようにして、衛兵詰所はあった。いや、衛兵って言うのか知らないけれど。
和風な街並みだったので畳かと思いきや、机と椅子が備え付けてある。明りは日差しだけで薄暗く、カツ丼とか出てきそう。
おねーさんは屋内に入ると、小さな烏帽子のような帽子を脱いで、パタパタと自らを扇いだ。少々、汗をかいているようだ。
「いやー、驚いたよ。外から魔物の遠吠えが聞こえるもんだからさぁ」
「魔物、ですか?」
「おんや、知らない? 動物と違って魔石落とすやつ」
「魔石?」
あー、こいつは説明するのに時間がかかりそうだ。別に口に出した訳ではないけれど、おねーさんの目は明らかにそう言っていた。
掻い摘んで言えば、魔物とはモンスターである。以上。
と、言うのはあまりにも乱暴であるが、要は人と見れば襲い掛かってくるもので、倒すと魔力の塊、通称魔石を残して雲散霧消してしまう。
魔物学者(居るらしい)が言うには、魔石が本体で、魔力や妖力、瘴気が集まって実体化しているのがこの魔物だ、とのことだ。
この魔石、実に有用で、おねーさんが目の前で見せてくれたのだが、蛍光灯みたいな電灯から手持ちのライターまで、魔石から出る魔力で動いているらしい。
魔力を使い続けるうちに、擦り減って消えてしまうので、使い捨ての乾電池みたいなものだろうか。
「外はあの手の魔物がうようよしているから危ないんだよ」
「……わかった?」
「……」
長々とした話を半分ほど聞き流して、クロの方に話を振れば、うんともすんとも答えは返ってこなかった。
どうしたものかと思えば、寝てやがる。椅子に座ったまま、まっすぐの姿勢で寝るとは器用なものだ。
面白いくらいすまし顔で、傍目には寝ているようには見えない。意外とまつ毛長いな。頬っぺたをつついてやると、ぷにっと指が吸い込まれた。
「はっ、寝てませんよ!?」
「……まぁ、今度から気を付けてね」
おねーさんは明らかに呆れた調子で言うと、もうどうしようもないと判断したか、二枚の紙を出してきた。
特に文字を書けるかーとか聞かれなかったという事は、このあたりの識字率は高いのだろう。文化のレベルは正直、よくわからない。
「あれ? 日本語?」
「に、見えますね」
「何を言っているんだい?」
異世界問題その一、言葉についてはどうやら通じるようで、その二、文字についてはどうにも日本語に見える。
それも、何らおかしなところは見えない。氏名、住所、性別、年齢、職業。ごく一般的な個人情報の記入欄だ。
「……あれ? 僕ってどこに住んでいたのだっけ?」
考えてみれば、自分の名前以外は定かではない。名前はロウ。住所不定無職というやつか。
クロに聞いてみても、解らない、と言う。
「あー、外から来た人はそうみたいだねぇ」
奥の棚でガサゴソと何かしら探し出して開いているおねーさんはそう言った。
「何十年も前の事だから、すっかり忘れちゃってたよ」
そうか、何十年か前には僕のように遠く、地球からやってきた人間もいたのか。
おねーさんの言葉の中に、何か引っかかることが有るような気がした。
「忘れてた? という事はおねーさん」
「それ以上はアウトだと思います」
クロが冷静に突っ込みを入れてきた。駄目だ。歳を聞いたら駄目だ。何故かは解らないが、背筋に寒気が走った。
「そ、そういえば桜が咲いてますけれど、今って春なのですかねー、陽気でぼんやりしてしまってハハっ!」
無理やりに話の方向を捻じ曲げた。最後にはどこかのネズミみたいに声が裏返ってしまう。
「いや。ここは時間が止まっているのさ」
今までの明るかった雰囲気を消して、おねーさんは静かにそう告げた。