第35話「何かいい仕事ないかな」
「酷い目にあった」
「本当に嫌いなんだねぇ」
あの後も蛇状の何かと格闘を繰り広げることになった。
思い出したくもない。虫は駄目なのだ、虫は。
「私もちょっと驚きました」
クロの目が心なしか冷たい気がする。
途中からいつもの契約の糸は切っていたようだ。
アレか、虫を片付けるのは男の役割とかいう男女差別主義者なのか。
「これからも虫状の魔物出てくるのかなぁ……」
何かしら口を開けようとしたアカネを手で制する。
これでまだまだ出てくると言われたら、心が折れかねない。
「ねえミカ。何かいい仕事ないかな」
「どうしたんや藪から棒に」
万屋に到着したと同時に、思わずぼやいてしまった。
ミカは困惑した様子で思わず煙管をとり落としかけ、何事かと尋ねるようにアカネを見た。
「いやいや! 今回はアカネちゃんじゃないよ!?」
「今回は、というのが何とも言えませんね」
クロも随分とアカネと打ち解けたものだ。というか、虫との戦闘で妙に連帯感を覚えていたように思う。
「それじゃあどうしてそうなったんや」
「いや、十一層に行ってたんだけど、兄ちゃん虫が苦手みたいで」
「……もしかして、話はそれで終わりかいな」
「うん」
頭痛をこらえるように、ミカは扇子を額に押し当てた。
はぁ、と肩を落として息を吐くと、僕の方を見た。情けないものを見る目だ。
「まぁ、気張りや」
「無理……」
彼女はそのまま扇子を開くと自らを扇ぎ始めた。
「他の仕事言うてもなぁ。後は日雇いの荷運びとかやけれど、兄ちゃんそんな細くてやれるんかなぁ」
「ぐぬぬ……」
車もない世界なもので、何を運ぶのにも人の手で行われている。
あるいは馬や牛も使っているのかもしれないけれど、街中はそれが歩くのには無理がある。
道行く荷運びの人たちは、実に重そうな木の柱を担いでほいほいと歩いていくものだ。
皆、太い訳ではないのだが、実に鍛えられた逞しい男たちである。
勘違いされてそうなものだが、ついている筋肉の作りが違うというのもあるが、剣士よりよっぽど荷運びのお兄さんたちの方が力持ちだ。
力士に棍棒を持たせる。等という話もあるが、その実、剣士は筋力で叩き潰している訳ではないのだ。
「とりあえず、もう少し続けてから考えてみいや」
「はい先生……」
先生って何や先生って。ミカは苦笑いしながら、目の前に置かれた魔石を見始めた。
「大丈夫ですよあるじさま、いつか慣れますから」
「そうだよ。大体、獣肉食べれて虫がダメってどういうことなの」
「随分とそれ引っ張るね」
よっぽどショッキングな話だったらしい。
「このところお肉食べてないし、お店に行ってみるのもいいかなぁ」
「そうですね。私は食べたことないので、ちょっと楽しみです」
クロの言葉に首をひねるが、そうだった。そもそも彼女はこっちに来るまで食事も必要なかったのだ。
「そうだ、アカネも付き合ってよ」
「えっ、何で」
「それはもちろん……」
復讐である。さんざん虫に関して好き勝手言ってもらったので、だったらこちらは肉だ。
「いやぁ、誰しも仕方のない好き嫌いってあるよね」
「大丈夫、慣れるんでしょ? ほら、肉は噛んだりしないから」
「ええ……」
うげー、という顔をしているアカネは、先ほどとは言っていることが違う。
「多分、食べたら気に入ると思うんだけどなぁ」
もしかして、料理の方法が悪いとか。そういうことも考えられた。
肉をメインにした食事が一般的ではないということは、その料理法も研究されていない可能性もある。
「ねぇ、ミカも薬喰いはしないよねぇ」
「うち? うちはたまに食べるなあ。意外と悪くはないで」
「ほらやっぱり。食わず嫌いは駄目だよ」
やっぱり、食べる人は食べるものらしい。
アカネの反応が一般的なのかと思ったが、そう言う訳でもなかったようだ。
「牛肉の味噌漬けが好きでなぁ。たまに取り寄せとるんや」
「へぇ、そういうものがあるんだ」
「せやで。薬やけどな」
滋養強壮に、という事で売り出されているらしい。
「でもさぁ」
「好き嫌いしていると背が伸びないよ」
アカネはまだまだ育ちざかりだろう。
それに、肉を食べない、ということなら背が伸びないというのは嘘ではない。
細かい理屈は忘れたけれど、肉を食べていれば身長は伸びやすくなったはずだ。たぶん。
「そんなこといったらミカも小さいじゃん」
「それは……」
否定できない。
アカネと違って年齢不詳のミカではあったが、とてもこじんまりとした体形だ。
みごとな尻尾と耳があるが、尻尾になかば埋まるような体躯は、とても軽そう。
「待ちぃや。聞き捨てならん言葉が聞こえたで」
「あっ」
振り返れば、ミカはその瞳を妖しい色に輝かせてこちらを見ていた。
口元には笑みが浮かんでいるが、そこからは鋭い犬歯が覗いている。
こう、空気が震えるほどの怒気、というか、屋内なのに風が吹いている気がした。
「に、兄ちゃん。お金は明日で良いから、ここは任せた! おつかれ! ありがとう! じゃあね!」
「ちょっ、待っ!」
言うが早いか、アカネはしなやかに跳び上がると、脱兎のごとく逃げ出した。
「まったく。誰が小さい言うねん」
気にしてたんだ。という言葉は飲み込んでおいた。
「あはは……」
「まあ、ええけどな。ほら、ロウはん、今日の稼ぎやで」
乾いた笑いを上げるしかなく、意外と重い硬貨の束を受け取って、真ん中に紐を通して持つ。
「悪くない稼ぎだね」
「ま、十一層やからな。魔石の質も悪くないわ。よう見てみ」
と、彼女が差し出したのは二つの魔石。
片方は濁りもなく反対側の様子も透けて見える赤、もう片方はそれよりも僅かに色が濃い。
「こっちの色が濃い方が上玉や」
「へー、不純物が少ない方が高いと思ったのだけれど」
ほとんど透明な方が安いものらしい。
「正確には青が混じった方が高いんや。これがさらに濃くなると……」
とミカが言って、目を向けたのは先ほどから我関せずを貫いていたクロ。
「なるほど、紫色か」
「ちょっと照れるのですが」
クロの瞳は紫水晶のように澄んだ色をしている。その色になるという訳だ。
「クロはん並みの魔物は多分、いないんやないかと思うで」
そういえば、九十九神は魔物にほど近いと、先ほど逃げたアカネ先生も言っていたか。
「それを聞いて安心したよ」
「……どういう意味です?」
「頼りになるってこと」
「それなら、まぁ」
クロは顔を背けた。たぶん、照れ隠し。
さておき、顔をじろじろと見ているのも失礼だ。
「それじゃ、また明日待ってるでー」
「うん。いつもありがとう」
「こちらこそ毎度おおきになー」
少し重くなった懐に喜びを感じつつ、宿への帰路へ着く。
「あっ」
「どうしました?」
「獣肉屋の場所を聞くの忘れてた」
まぁ、いいか。いつだって聞けるし。