第33話「下へ参りまーす」
「下へ参りまーす」
「十一層になりまーす」
「何しているのですかあるじさま。アカネさんまで」
クロの呆れた声をスルーして、遂に第十一層への到着だ。
噂に聞いていた通り、森、といった様子である。しかし、ジャングルという感じではない。
熱帯のそれではなく、山中のような感じだ。ただ、斜面にはなっていないけど。
「ここが、十一層か」
「兄ちゃん、十層より後は初めてなんだっけ?」
「うん。アカネはどこまで行ったことあるの?」
「そだねー、十三層までだね」
入る層について誰も知らないということは避けられたようだ。
「それじゃこの層の特徴について説明よろしく。センパイ」
「ふふーん。任せたまえ」
アカネ先生は、軽く鼻を鳴らすと腰に手を当て、付けてもいない眼鏡を持ち上げるような仕草をした。
「さて、基本は十層まで、正確には九層までと変わらないよ」
「つまり、入り口があって下に向かう転移陣があって……」
「そうそう。ただ単に見た目が変わっただけ、と思って良いかな」
それでも、上に視界が開けている分、今までの層よりも圧迫感は少ない。
「うん? 視界が開けている?」
「そう。どう見ても空だよね」
雲一つない青空が頭上には広がっていた。
それは頂点に行くほど色が濃くなるようで、美しいようで、吸い込まれそうな妖しさを感じた。
「これって本物の空、ではないよね」
「そうだろうね。としか言えないかな」
ヒトは飛べるわけではないのだ。
「それに、もし飛べたとしても空の果てには行けないからね」
「それもそうか」
すっかり忘れていた。というよりも、当り前のように考えていたのだが、空の果てに宇宙があるのか、世界は丸いのか、というのは疑問だ。
海岸に立って船が来るのを見れば、世界は丸いのかわかるかもしれない。いや、それでもただドーム状の外側なだけかも。
夜空に満天の星々、あれは本当に星なのだろうか。常識が通用しないとはそう言う事だ。
科学というものがこの世界でどれだけ意味があるのかはわからない。
「いつか空が落ちてくるかもしれない」
「そういう話もあるね」
空を支えるために柱を立てたのは、何処の話だったか。
「さておき、注意するべきことは道を外れないこと、かな」
「と言うと?」
言われてみれば、森の中に道がある。という形だ。今までの壁と違って、森の木々の間には隙間がある。
ショートカットして行けそうなものだけれど。
「うーん。道を踏み外すとぱっくりいかれる」
「ぱっくり」
「食人植物というか」
「なるほど」
それは恐い。少し端に近づいていたところを、道の中央に寄った。
「あとはここに出てくる魔物だけど……」
「だけど?」
アカネがふと音に集中するようにその手を耳に当てた。
「早速来たみたい」
来たばかりなのにまったく。すぐに隊列を整える。
「どんな魔物?」
「見えない、かな」
「見えない」
それは厄介そうな相手だ。どうやって対応をすればいいのか。
悩む暇もないだろう。刀を引き抜いて待ち構える。
「ん? この音は」
チチチ、という、雀の鳴くような声が聞こえる。
それは徐々に近づいてくるようだ。それに伴って、羽ばたくような音も聞こえてくる。
「来るよ!」
「何だって? くっ!?」
ガン、と、体に衝撃が走った。思わずふらつく。
「あるじさま! 何か魔力が」
「それが魔物だよ! アオジっていうんだ!」
雀のような鳴き声が、周囲を回ってまた近づいてくる。
「この鳴き声は!」
「また来るよ!」
なるほど、見えない魔物。確かに何も見えはしなかった。
目の前からは、さらに今や見慣れたヤマイヌが駆けてくるのが見えた。
「ヤマイヌもいるのか」
「ここではアオジとヤマイヌが連携してくるんだ」
これは厄介だ。どうしても目に頼ってしまうので、ヤマイヌが来ればこれに注意が集中してしまう。
アオジ、と呼ばれた魔物は、音だけが頼りになる。どうやら、クロはそれ以外のものが見えているようだが。
「でも、これなら……」
「あるじさま! アオジの方は此方に任せてください!」
「解った! よろしく!」
という具合で分業すればよい。アカネはアカネで耳もあるので大丈夫だろう。
「二人ともがんばれー」
がくっ、と膝の力が抜ける。それはアカネの声だ。
いや、ここに来る前に話しておいたのだが、彼女の主な役割は索敵と道案内だ。
どうやら、符術というのは金食い虫らしい。
クロは血吸いコウモリだが……おっと、後ろから冷たい視線を感じる。
ともかく、危険でもないのに軽々しく使うような代物でもないとのことだ。
だからこそ、研究のためのお金にも困っている訳だし。
「さて、ちゃちゃっと片付けますか」
ともかく、目の前に集中だ。
すっかり慣れ切ったヤマイヌの相手なら危なくなるような要素はない。
迫りくる一匹を袈裟に切りつけるが、上手いこと切れなかったようだ。
動物の毛並みというのは、思っていた以上に斬りにくいものだ。毛並みに沿って切りつけても滑って仕様がない。
それに、硬いのだ。まさに天然の鎧と言っても良いだろう。
「ごめん! 一匹そっちに抜けた!」
「了解です!」
吹っ飛ばしてしまった一匹を追いかける訳にはいかない。
意識から外して、次の一匹に集中する。刀は振り下ろしたままだから、逆袈裟に切り上げる。
全力で斬る、というのは必ずしも正解ではないと気付いたのは最近の事だ。
余分に力が入っていては、次の対応が遅くなる。残心も結構だが、敵は一人ではないのだ。
しかしまぁ、そのせいで仕留め損なっては元も子もない。ここは腕の足りなさを恥じるところだ。
「焔よ!」
後ろからは魔術を使う、クロのいつもの掛け声が聞こえてくる。
その言葉の意味を尋ねてみても、本人も特に理由はないものらしい。何となく、だそうだ。
数匹が飛んでくるのを片付けて後ろを……いや、上が気になった。
「たーまやー」
アカネがそういって面白そうに眺めているが、いくつもの爆発が空に咲く姿は花火のように見えなくもない。
いや、どちらかというと、そう。対空高射砲の榴弾のように見えた。
「何匹いるのかな?」
「んー、数匹。今はクーちゃんの魔法で音が聞きとりにくいのだけどね」
クロは渋い顔で空を見ている。当たらなくて苛立っているようだった。
「クーちゃんは魔力の動きが見えているみたいだねー」
「アカネには見えないの?」
「そんな目を持っているヒトはそうそういないよ」
見えたらよかったのだけれど、と、アカネは溜息をつく。
「参ったなぁ。僕には手も足もでないや」
「まぁ、アオジは驚かせるくらいの力しかないから、追い払えばそれでいいのだけれどね」
断続的に続いていた爆発の音が、ふと止まった。クロは一度下を向いたあと顔をこちらに向ける。
「あるじさま、すみません」
「どうなったの?」
「仕留め損ないました」
実に悔しそうな様子である。空を飛びまわる小さな鳥というのは狙い難いものだろう。
アオジから攻撃を受けたのは一度だけで、後は逃げ回っていたようだ。
「これは中々、儲けも減りそうだね」
「アオジとヤマイヌ以外も出るし、魔石の品質も上がってるからトントンかもね」
そういうものか。また厄介な魔物が出たものだ。
刀を鞘に納めて、溜息をつくしかなかった。