第32話「百歩譲って」
「兄ちゃんは心配性だなー。今から十一層に行っても大丈夫なのに」
「百歩譲って、アカネが大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないからさ」
「仕方ないなー」
流石に何度も訪れている第五層は、僕もクロも道をおおよそ覚えていた。
大体の魔物は二人なら楽に、一人だけでもどうにか片付けることはできるだろう。
初めて加えるアカネというのは、不安要素でこそあれ、初めから戦力と数えるのは問題だろう。
「で、とりあえず貰った護符はつけているけれど……」
「この辺だったら、あたしに任せてくれれば大丈夫! アカネちゃんの力を見せてあげよう」
ふふん。と胸を張って見せる彼女は、随分な自信のほどをうかがわせる。
「あるじさま」
大丈夫でしょうか? という問いだろう。それに渋々、頷いて見せる。
「護符を見るに、実力は本物だろうから、大丈夫だ……と、思いたいね」
「お、早速、何か近づいてきてるみたいだよ」
「潜り屋とかではなく?」
「四本足の潜り屋が居るなら別だけれど」
アカネの耳が正面方向を向いてぴたりと止まっている。
コンの時も思ったのだけれど、その耳はやっぱり、元になった――元になったと言っていいものか――動物のソレと同等の仕組みをしているのだろうか。
「アカネって耳良いね」
「うん? 兄ちゃんは聞こえないの?」
「うん。まぁ」
「私も聞こえませんね」
もしかして、僕らの方がこの世界基準では耳が悪いのだろうか。
「ま、個人差も大きいから。そいえば兄ちゃんたち、変わった耳してるよね」
「変わった……」
「耳……?」
ごく普通の一般人であるという自負のある僕からすると、俄かには認めづらい事実である。
「変わっているかはさておき、やっぱり個人差は大きいんだ」
「そうだよ。兄ちゃん知らない……って稀人だったっけ」
そういえば、とアカネがポンと手を打つ。
「人は神様が作ったもので、色々な動物の神様が居るから、かくあれ、と神様がそれぞれの子に自らの特徴を与えたのだよ。だから、耳の形によって違いはあるの」
「神様って実在するの?」
「うーん。神、と名前のつくものはたくさんいるけれど」
ちらり、と、アカネはクロの方を見た。九十九神。そういえばクロも神という事になる。
「実際にその、動物の神様を見た人はいないかな。あくまでも伝承というか」
「なるほど。本当の神様、というか神話があるのだね」
「……何かこう、私が偽物と言われているような気がするのですけれど」
クロが頬を膨らませる。偽物、というのは彼女にとって禁句に近いのだろう。
「いやいや、クロ様は神様であらせられます?」
「何ですかその疑問符は」
神様、というには何かこう違和感があるのは確かである。
「ほらほら、兄ちゃん、クーちゃん。来たよ」
雑談に興じていれば、ヤマイヌの集団が迫ってきていた。団体さんご案内。
「どう戦うかな」
「普通にあるじさまが前線で」
「あたしたちが後ろ、かな」
まあ、それが定石だろう。術士を前に出しても仕方のないことではあるし。
という訳で、即席ながら隊形を組む。前衛一人、後衛二人で三角形を描くような形だ。
「手出しはいらないよ」
「うん?」
アカネの言葉に、柄に添えていた手を下ろす。お手並み拝見。という所だろうか。
射線を塞がないように壁際に寄った。取りこぼしがあっても、クロがどうにかするだろう。
「よっしよし! 腕が鳴るよ。ひっさびさにぶつけてやる」
やる気満々なアカネの調子は頼もしいというか、不安になるというか。
符を指に挟んだ彼女は、ヤマイヌを睨みつけた。その目はまん丸に開き、瞳孔も広げられる。
間合いを測って、詰めていた息をふっと吐きだしたと思えば、その符を投げつけた。
「きゅうきゅうにょりつりょう! 顕現せよ!」
言えてない気がするが、急急如律令、律令の如く速やかに、だろう。
符を焼き尽くし、そこから延びるのは数条の火箭。
蛇のように身を捩る炎が、互いに混じりあい、その身を大きくしていく。
炎はあっという間に通路を塞ぐほどに大きくなり、その火勢に感心する間もなく目前に迫る。
「って、ちょっ!」
避けようがない。咄嗟に顔を腕で庇って、しゃがみこんだ。
一秒、二秒。しかし、覚悟していた熱と痛みは幾ら待っても来なかった。
「兄ちゃん、顔上げても大丈夫だよ」
「あるじさま、大丈夫ですか?」
アカネとクロの声に恐る恐る顔を上げてみれば、悪戯気に笑うアカネの顔と、心配気にこちらを窺うクロの姿が見えた。
「殺す気か!」
「やだなー。忘れたの? 護符があるじゃん」
そういえば、アカネの魔術は護符で防げるのだったか。いやしかし。
「それでもさ……」
「むー、何? あたしの腕を疑うの?」
率直に言えば、はい。だろう。
「もし護符を外したりしてたらどうするつもりだったんだ」
「それは、あたしのいう事を聞かないのが悪いんじゃないかな。初めに言ったでしょ?」
あるいは偶々、護符がずれていて効果を発揮しなければ。
アカネが自信たっぷりにしていただけあって、その魔術は軽く死ねる程の火力があった。
「ともかく、力の程はわかったでしょ?」
悪びれもしない様子。というか、本当に、悪いとは欠片も思っていないのだろう。
頭を抱えたくなる。というか、実際に頭に手を当てている。
「まぁ、確かに強力な魔術を使えることは解ったけれど、もちろん、いつもはもっとセーブできるのだよね?」
「せーぶ?」
そういえば、何故か言葉は通じているのに、度々、英語ベースの言葉が通じないのは不思議だ。
「抑えられるよね?」
「えー、そんな面倒くさい」
「面倒とはそれはまた……」
「だってさ、符術って先に魔力を符に込めて使うんだよ?」
いわく、どうせ符に魔力を込めるのなら、弱いのをたくさん作るよりも、強いものを一つ作る方が楽だということらしい。
紙や朱色の墨といったものは符術の為に作られた特別なもので、無駄に使えるようなものでもないと言う。
「弱くて倒せないよりも、強くて燃やし過ぎる方がマシでしょ」
「それも一利あるけどせめて、巻き込まないようにできないのかな……」
「そのための護符、でしょ」
「さいですか……」
こう、とても理路整然としているようで、何処かがずれている。
とはいえ、確かに護符のお陰か、体はもちろん、服や小物に至るまで、焦げの一つもない。
「でも、この護符つけていると、別の護符は使えないのだよね?」
「そうだね。でも、その護符も改善版だから、ある程度は大丈夫だと思うよ」
アカネから買った護符よりも、少し劣る程度らしい。
しかしまぁ、どうしてアカネと組んだ伍が次々と彼女を投げ出したのかはよく分かった
「どう? 何か問題がある?」
「うーん。釈然としない」
「あるじさま」
お任せします、のあるじさま、だろう。
「解った。確かにアカネの実力は確かだし、悪くない話だろう」
「ふふん。当り前でしょう」
仕方ない、という訳ではない。実際に、彼女は戦力として十分。いや、十分に過ぎるだろう。
先ほどまで、迷宮を歩いていた足取りも確かで、地図を読むのも多分、僕より上手い。決まり手は、敵の察知だろう。
どうしても、初めての仲間だったコンと比較してしまうものだが。
「これからよろしく」
「うんうん。よろしくね、兄ちゃん」
伍は互いに助けあうもの。ならば、信頼できなければ組むことはできない。
組むのならば、彼女を信用するべきだろう。
「クーちゃんも、ね」
「あるじさまがそう言うのならば」
クロは相変わらず、少し硬かったが。