第2話「流石です」
「いやぁ、焦ったね」
「何とかなってよかったです」
見ず知らずの森をさまよう事数時間、木々の切れ目から遠くに大きな街が見えた時には、二人して抱き合って喜んだものだ。
互いの感情はほんのりと感じられる程度ということがこの数時間でわかったが、それでもやはり一心同体。ちょっとした口喧嘩なんてなかったものになった。
「ともかく、目の前には街がある!」
「はい!」
「でもね!」
「はい!」
「明らかにこれさぁ、日本じゃないよね」
「……はい」
森を出る前から気付いていたことだ。改めて遠く前方に見える街、街だろう。規模的には。を確認する。
何と言えばいいか、まず目に付くのは、天守閣である。そう、天守閣である。通天閣とかではない。敢えて例えるなら、テレビで見た熊本城。あの天守閣である。
いや、そんな和風な城があるという事は、日本で間違いないのか?
さておき、その天守閣を頂上に丘のように広がっているのが瓦屋根の並んだ城下町である。
その周囲を高い壁が囲んでいる。これはおかしくはないか。適当に齧った知識ではあるが、このように街を囲む城壁があるのは西洋のはずで、酷くちぐはぐな印象を受ける。
例えるなら、ゲームに出てくる和風の街。と言うか。そして、街中が桜色である。そう、遠目にも桜の花が満開である。
「今って春なのかなぁ」
「あるじさまって花粉症でしたよね」
花粉症で知る春。何とも風情のない話ではあったが、ともかく、そんな予兆は一切なかった。
「本当に僕の事よく知っているね」
そういうと、少々悲しい顔をされた。そう、随分と長い間、彼女とは一緒に過ごしていたらしいのだ。詳しいことは教えてくれないし、何故か聞こうとも思えなかったのだけれど。
まずい話を振ったな、と少々、後悔しながら左手に握った刀を見る。彼女はこの刀の九十九神だという。神、と言っても確か九十九神、付喪神のそれは妖怪に近かったかと思う。
「とにかく、街に向かってみるしかありませんね」
「そうだねぇ」
目算でどれくらいの距離だろうか。街……城? の周りは青々とした平原であり、こんなに広けた場所を見た事のない僕には、皆目見当のつかないことだった。
「よし、行こうか」
どれだけ遠くても歩かねば始まらない。何事も一歩からだ。そうして歩き始めたのだが。
「ちょい! ちょい! なにあれ!」
「解りませんが仲良くはできそうにないですー!」
数分と歩かないうちに全力疾走をしていた。後ろからは狼然とした四つ足の何者かが追ってくる。三匹からは数えてないが多数。
狼だと断言できないのは、体色が紫色で目が爛々とした赤色だったからである。
少なくとも、今は亡きニホンオオカミなどという生易しいものではない。
「あれ? 普通の狼って何オオカミなのだっけ?」
「何を悠長なことを言っているのですかー!?」
気になったことはすぐに調べないと気が済まない質である。しまった。スマホなんて持っていないぞ。
そういえば、今の服装は買った覚えのない羽織袴風の服装である。羽織袴風、と言ったが、シャツは襟のないタイプのワイシャツだし、靴はブーツ、袴の裾は靴に突っ込んであった。
和洋折衷もいいところ、大正の書生だってこんな格好をしていないだろう。
「ハイカラですね?」
「だから何を!」
ちょっと後ろを見やれば、音もなく不確定名狼は先ほどより近づいている。
そもそも、四足歩行と二足歩行でレースをするのが間違えているのだ。
「やるしかないな」
「っ、ええ。微力ながら支援させていただきます」
もう数歩しか距離は離れていない。八歩、七歩、六歩。
考えるより先に体が動いた。刀の鞘を袴の帯とその下、刀帯にねじ込んで、次に出す左足を右足に被せるように出す。
そのまま左足のつま先と右足の踵を軸に後ろを振り向きつつ、刀の鯉口を切ってねじり込むように鞘を引いた。
鞘から飛び出た刀は、まっすぐに狼の鼻面に向かった。
「ギャン!」
と、大した手ごたえもなく、狼の顔が切れた。勢いのまま、その一匹が突っ込んでくるのを……避けれない。
走っていた勢いをねじり込むように後ろに向けた姿勢のままで、今は前傾している。
「焔よ」
それはクロの声だった。目の前で爆発が起きる。狼は大きく吹き飛ばされて、動かなくなった。煽りで火の粉が頬にかかる。
「熱っち!」
「あるじさま! 次が来ます!」
僕を呼ぶときのクロは少々舌っ足らずな感じだ。見た目に対しては落ち着いた印象だけれど、そこだけは見た目相応である。
刀を引き寄せるようにして、すぐに晴眼から振り上げる。唐竹に切り下ろすつもりだった。次の狼を大上段から刀を叩きつけて留める。
思った以上によく切れる。骨を感じる暇もなく、地面まで切り下げていた。
「失敗した」
「それくらい大丈夫です」
刀は繊細な武器だ。地面に叩きつける、などという事をすれば、刃が欠け、曲がることを覚悟しなければいけないだろう。
しかし、戦い慣れている訳ではないはずなのに、頭は実に冷静だった。現実味がないのも一因だろう。もしかしてこれは夢なのではないか。
「応えよ!」
また一匹、クロの……あれは魔法だろう。魔法で吹き飛ばされる。そもそもがファンタジーな存在だったが、彼女もまた現実離れしている。
気を逸らしていたのが悪かった。次の狼が死角から飛びついてくる。何とか体を逸らして首に噛みついてくるそれを避けた。
「うぐっ!?」
声もなく振られた爪が、右肩を切り裂いていく。飛び散る血が目に入った。遅れてきた痛みがじくじくと、肩に広がっていく。
「あるじさま!?」
「大丈夫だ!」
やはりこれは夢ではないらしい。気を引き締め直して刀の握りを改める。
狼の動きを刀で防ぐのは困難だろう。そも、剣術では刀対刀、精々が刀対長物程度しか想定されていない。
剣術? そんなものやっていただろうか。これもまた何かで調べた無駄知識の一つか。
「僕たちは何処から来て、何処へ行くのか……ってねぇ!」
なんとかの一つ覚えのように襲い掛かってくる狼に、肩に刀を担ぐような八双に似た蜻蛉の構えから袈裟懸けの一撃を放つ。
今度は地面に切り込まないように、腰辺りでしっかりと右手を引き絞り、止めた。哲学的な命題と共に、二枚おろしが出来ていた。
「どうだ! まだ来るか!」
勢いのままに叫んでみれば、狼たちは怖気づいたように、後ずさりを始めた。
群れのボスだろうか、富に大きい一体が唸りながらこちらを見たかと思いきや、天高く遠吠えをして見せた。余りの大音量に思わず眉根が寄る。
アレが来るのか、と思ったが、それが撤退の合図だったようで、狼達は続々と離れていった。逃げ足も速い。
「……何だったのかな、アレ」
「さぁ、少なくとも、私たちの世界には居なかったものに思われますけれど」
私たちの世界にはいなかった、か。それは良い。ここはどうやら異世界であるのかもしれない。
そんな突飛ながら、今までの現象を見るに信じざるを得ない結論に至って、思わず笑いが零れる。
「ははっ、ナイスジョーク」
これでもまだ、悪い夢であると思った方がまだ現実的である。しかし、肩の傷はまだじくじくと痛みを残している。血は止まっただろうか。
軽く刀身を確かめると、特に刃こぼれもなく、それどころか血脂もついていない様子だった。そういえば、狼達の血を見た覚えはない。死体は、影も形も残っていなかった。
釈然としない気持ちのまま、血振りをして目釘を確かめると、刀を納める。どうやら曲がってもいなかったようで、すんなりと鞘に納まった。
「あ、そうだ」
「ん、どうした?」
さて行くか、と歩き始めたところで、クロがふと何かを思い出したように手を打ち合わせて立ち止まる。
「流石です、あるじさ……」
「おいやめろ」
全力で走ったおかげか、街への道の半分は踏破したようだった。