第26話「私も、ですね」
「来るぞ!」
どうやら、守護者が生き残っているかという心配は的外れだったようだ。
爆炎の散った後から、幾つかのパーツが飛び散ったものの無事に残った鎧具足が飛び出してくる。
「って、早!?」
鎧をガシャガシャと鳴らしながら、重さを感じさせずにまるで弾丸のように突っ込んでくるソレは、まっすぐにクロに向かっていた。
慌てて鞘を払い、クロとソレの間に体を割り込ませる。あんなに早く動けるものなのか。
「クロ、下がって!」
「はい!」
邪魔に入った僕へとソレは狙いを変更した。一撃目は肩に担いだ太刀から放たれる袈裟懸けだ。
駆け込んだ勢いを乗せたそれを受け止めるのは愚策だと思い、後ろに大きく跳んで避ける。
それでも剣風が体を撫でていくようで、背筋に冷たいものを感じた。
「せいっ!」
コンが横から一太刀を放つが、どうやら有効打とはなっていない様子で、鎧との間に鋼のぶつかり合う嫌な音を立てたにとどまった。
それでも、意識は一瞬、そちらを向くだろう。その間に僕は態勢を立て直して、刀を下段に持って行った。
相手は人型で、得物は刀。今までの本能のままに突っ込んでくるだけの敵とは違う。どんな技を使うのか、どう動くのか、それを見極めるのが先決だ。
晴眼でも、あるいは他の構えでもなく、下段を選んだのはそれが理由だ。
「グヌゥゥゥ」
何やら、言葉になっていない唸り声をあげるソレは、生物とも何とも知れなかった。呼吸はあるのだろうか。
一撃を外し、コンの刀を受けて一歩退いたソレは、太刀を後ろに、深く腰を落とした構えを見せる。脇構え。
刀身の長さが隠れて間合いが掴みにくく、また、腰を落としたことで、鎧の防御力を最大限に活かす形だ。
「一筋縄ではいかないか」
と、一人ごち、間合いの離れているうちに息をする。
上から切りつけたのでは、有効打は望めないだろう。刀で兜を切り割るのは、まったくもって現実的ではない。
剣士の腕を見せるのに兜割り、というものがあるが、それですら据え物、固定して切りつけ、何分切り込んだ、というものだ。
それも熟達の腕があっての事であり、難しいからこそ腕試しとなるのである。実際に天覧兜割りでは二人が失敗している。
人が被っている兜は固定されているものではなく、とても切ることができるものではない。
精々が打撃を与え、相手の頭部に衝撃を打ち込む程度だが、打刀はそのような目的のために作られてはいない。
それに、丸く滑らかに作られたそれは、衝撃をも受け流す形だ。故に、古武術ではわざと相手の刀を兜に撃ち込ませ、間合いを詰めるという技もあると聞く。
そうして互いに間合いを測って、睨み合いは続く。相手が脇構えで間合いを隠しているのに対して、こちらも下段。互いに太刀の伸びが見極め難い構えだ。
「助太刀は」
「不要!」
コンの声にそう返す。ここでクロやコンに頼るのは何かが違う気がした。
一対一の勝負、気づけば、僕は口の端に笑みさえ浮かべていた。
その言葉を合図にしたかのように、地を這うようにして甲冑の太刀が脛を狙って繰り出される。
これに対するには太ももを蹴り上げるようにして足を上げると良い、というのは知っていたが、知っているのと出来るのとは違う。
下向きの横薙ぎ、というのはやってみればわかると思うのだが、そう間合いは伸びない。
咄嗟に下がったために、それもまた空振った。そもそも牽制の一撃だったのだろう、肩口から突っ込んでさらに間合いを詰めるのを、横に逃げた。
以外にも、と言うか、間合いを詰められて不利になるのは甲冑を身に着けていないこちらの方だ。
見るからに、具足姿の相手が使う剣は腕を伸ばしたまま振るう形の介者剣術で剣の伸びというものはなかったが、これらの技は相手も鎧を着ているのを前提に組まれている。
兜の切り難さは既に述べたところだが、もちろん、盾を肩に付けたようなものである袖や、半ば遊動的に固定されている胴も同様である。
鎧を着た者を相手にするには、その守られていない場所を狙うしかない。
具体的に言えば、可動性を高めるために装甲の施されていない手足の内側、首、肩の関節、そして草摺りと胴の間である。
これは決して刀が切れない、という訳ではない。
刀は鉄を容易く切るし、また、刀で刀は切れる。つまり、鋼は切れる。
硬いだけのものならば容易く切るそれでも、硬軟併せ持った、人の着た鎧というものが切れないだけである。
そのような理由から、介者剣術では半ば組打ちのように近づいて止めを刺す技を多用する傾向にある。そうでなければ、力任せにねじ伏せるかだ。
何れにしても肉を切らせて骨を断つ、と言わんばかりの様子で、当たれば切れるという素肌剣術とは大きく違うものだ。
ましてや撃剣、剣道とは比べるべくもない。
「っ!」
大きく叫ぶことはない。僅かに息を吐きつつ、八双に似た構えをとろうとしたその籠手を打ちにかかる。
それを恐れることもなく、近づいてくる鎧武者は確かに脅威だった。
踏み込めば、力が乗る前に当たるから威力はない。という話はよく聞いたものだが、それは嘘ではないにしても正しくはない。
どんな位置で入ろうと結果は変わらない。切っ先三寸で切れ、というのは近づきすぎるな、という話であり、実際に切るのは物打ちが多い。これだけでまず踏み込む利がないのは解るだろう。
続いて、威力、とは何か。人を殺すのに威力、などと言うものが必要だろうか? 実際的には、止まった刃に向かって喉を晒して歩み寄っていけば人間は死ぬ。
そもそも、重力に任せ、刃を下にして上から刀を落としただけでも人は死ねるだろう。そこに余分な力は必要だろうか?
籠手に食い込んだ刃をすぐに引いて、接近する敵から間合いを取った。
例外といえば、一つはこれだ。相手が鎧を身に着けているとき。浅い。肉体を持っていれば痛みに腕の痺れが出る程度だろう。
こちらの手の内に帰ってきた衝撃もなかなかのもので、思わず握りを改めた。
「ウゥゥゥゥゥ」
地の底から響くような唸り声をあげて、鎧武者は再度、構えをとった。
こちらも、改めて下段に構える。今度は相手の出方を見るような、消極的な意味合いではない。
束の間、互いの視線が交錯した気がした。どちらも次の一撃を必殺にせんとする気概であると、何故か通じ合ったように思えた。
一触即発の空気に、時間すらも凍るようだ。
「来い!」
息が詰まる静寂に、大声を上げて気勢と共に空気を吐き出した。
声もなく迫るのは鎧武者の袈裟懸けの太刀。それはこの戦いの始めを再現するようで、違うのは此方の気組みだ。
声を上げつつも、すっと左足を右足に近づけた。これだけで幾ばくかの間合いを盗む。
長さもそう変わりはしない相手の太刀が当たる距離、となれば、それも本来は不必要なものだが、踏み込み過ぎて悪いことはない。
勝負は一瞬。結果は――。
「お見事。やはり素晴らしい剣の腕前だな」
――僕の勝利だ。
コンの言葉を耳に入れつつ、鎧武者の体に深々と突き刺さった刀を引き抜く。力を失った鎧武者はそのまま地に伏し、やがて燐光と共に消え始めた。
相手が半身に開いていた体を、足を前に出すために正対となった時を狙って、僕が放ったのは下段からの跳ね上げるような突き。
首を狙ってもよかったのだが、確実性を期して、鎧武者の心臓部を狙って放ったそれは、こちらの勢いと体重、そして相手の勢いと体重をも一点に集中し、鎧を刺し貫いていた。
身幅、重ね共に厚く、豪壮とも言って良い、クロの本体であるこの刀の強度を信じた形である。
「っふぅ。生きた心地がしなかったよ」
吐き切った息を今一度吸いなおす。空気が美味しい。
時間にすれば僅かであっただろうこの仕合だったが、これまでの探索よりもよっぽど体力と精神力を削っていた。
「クロもごめん、無理な使い方をして」
「いえ、あるじさまの為になれれば、それが私の幸せです」
本当に大丈夫だったらこんな言い方はしないだろうから、やはり、負担はかけてしまったものらしい。
切れ味が魔力によるものであると同時に、その丈夫さも同じく魔力によるもの、という話だったから、それを消耗したのだろう。
血振りをして柄と目釘の様子を確かめ、鞘に納める。常には感じない抵抗を感じたということは多少曲がってしまっていたのか。
「さて、これでお二人とも一人前の潜り屋だな。今日は帰って飲むとしよう」
「それは良いね。流石にもう動けそうにはないよ」
「私も、ですね」
実は十一層の魔石も入手済みだというコンの厚意に感謝して、今日はその言に従うこと。
「っぐ!?」
と、その時、胸に痛みを感じた。それはさながら心臓をそのままに掴まれるような。
とても立っては居られず、蹲って痛みが過ぎ去るのを待つ。目の前が暗くなるような、そんな痛みだ。
「どうした?」
「……いや、ちょっと疲れた、のかな?」
「そうか、では早く帰ろう」
「あるじさま……?」
どれだけの間だったか、それは解らないが、コンとクロは数歩前に進んでいた。
きっと、ほんの僅かな時間だったのだろう。今は何の痛みもない。
バクバクと音を立てる心臓は確かに異常があったことを伝えているが、それだけが名残だった。
首を傾げつつも、転移陣に乗る。流石に今日は疲れた。多分、そのせいだろう。