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第1話「そうなん、でしょうね」

「――じさま」


 何者かが僕を呼んでいる。僕とは何だったか。ロウ。そう、ロウという名の個体だったはずだ。


「――るじさま」


 個体? 個体というのもおかしい話だ。そうだ、僕はロウ。ただのロウだ。


「あるじさま!」

「……誰だ?」


 瞼を開く。酷く眩しい日差しが、目を灼いた。思わずもう一度閉じようとしたところに、日差しを遮るように何かがこちらを覗き込んでいる。


「あるじさま! ようやくお目通りかないました!」


 喜色満面、といったその顔に、僕は何か、懐かしいような気持ちを抱いた。しかし、その気持ちは一瞬にして霧散する。

 艶やかな長い黒髪に、紫水晶を思わせる大きな瞳は、喜びの涙に輝いている。張りのある白皙の肌は上気して赤く染まっており、艶々とした桃色の唇は如何にも柔らかそう。


「君は、誰だ?」

「あるじさま?」


 形の良い眉の尻を落として、その顔は悲し気なものに一転して変わった。

 ようやく、僕は地面に寝転がっているのに気付いた。よっ、と上体を起こして立ち上がる。

 周りは木々が乱立した、森の中だった。息を吸い込めば、むっとするほどの植物と、地面の匂いで肺が一杯になる。

 思わず咳込んだ。まるで、こうして息をするのが初めてのように、自らの体の扱いに躊躇っている。


「私を……覚えておられない?」


 改めて、目の前の人物を見る。僕の腰ほどまでしかない身の丈の、全体的に線の細い少女だった。

 その身を包むのはまるでコスプレイヤーが着ていそうな、フリル満載の丈の短い和服……和服? で、足元はゴツいブーツで固められている。

 それらは一様に真っ黒で、彼女の黒い髪と併せて、小さな顔と、細い手首から手、これまた細い足だけが白く浮かび上がるようだった。

 うん、少しずつ思い出してきた。僕はロウ。そう、日本で生まれて日本で育った、ごく普通の人間だったはずだ。

 少なくとも、年端も行かない少女にあるじさま何て呼ばれる人生は歩んでいなかったはずだし、そういうのはアニメかゲームの話に留めておいて欲しい。

 未だ靄のかかったような記憶だが、これだけは確かだった。


「すみません、はしゃいでしまって」

「いや、別にいいけれど」


 となると、この子は少し、可哀そうな子なのだろうか。そう思ったのが顔に出たか、少女はようやく落ち着いた様子で謝ってきた。


「えーっと、そうだな、君の名前は?」

「私の、名前ですか?」


 どんな状況なのかは未だに掴めていなかったが、とりあえず、しゅんと落ち込んだような顔をしている少女に尋ねてみれば、今度は驚いたような、困ったような顔になる。

 随分ところころと表情の変わるものだ。そう思って眺めていると、おずおずと、その手に持ったものを差し出してきた。


「これを見ても、思い出しませんか?」


 どうして今までそれに気づかなかったのだろう。彼女の身の丈に対してはひどく大きく見える刀がその手には握られていた。


「刀? 持ってみてもいいのかい?」

「ええ。あるじさまのものですから」


 僕の物、というのはどういう事だろう。と思いつつ、受け取ってみればそれは実によく手に馴染んだ。

 黒石目の鞘に、使い込まれたように角の少し取れた捻り巻きの黒い柄糸。柄頭などの刀装具は鉄製で、金具のすべてに、鍔は透かし彫りで、桜の意匠が施されていた。

 思わず引き抜いてみる。体に染みついているように、ごく自然に抜けた。

 幅広く、厚めの、緩やかに曲がった刀身には樋が彫られていて、刃紋は直刃。僕には鑑る目がないが、その肌はぼうっと浮かび上がるようで、実に美しい刀である。

 刃の長さは二尺五寸辺り、柄は八寸ばかりであるから、全体で三尺三寸、約九十六センチ九十六ミリほどだ。


「これが僕の刀?」

「ええ」


 なるほど、言われてみれば、そして握ってみてわかったことだが、まるで手に吸い付くようで、腕の延長のように感じられる。


「それで、私の名前なのですが」

「ああ、そうだ、そういう話だった」


 刀に気を取られていて、すっかり忘れていた。少女の目は、若干呆れているようである。


「その、あるじさまが付けて下さいませんか?」

「え、僕が?」


 あるじさま、という呼び方には未だに慣れないのだが、正すのも面倒なのでそのままにしておいた。

 こうして名前を名乗らず、付けてくれ、というのは、何か理由があるのだろうか。

 面倒くささも相まって彼女を見て思った事がぽっと口から出た。


「じゃあ、クロ?」

「クロ……ですか」


 彼女は少々、複雑そうな顔を見せた。確かに犬猫につけるような名前だ。


「あー、やっぱり別の名前にしようか」

「……いえ、契約は成りました」


 契約? と尋ね返そうとしたそのとき、少女の身が光に包まれる。

 何事か、と思っていたら、右手の小指に熱く、締め付けるような痛みが走った。みやれば、まるで指輪のように赤い火傷跡のような傷が、小指の付け根についていた。


「あるじさまの刀、クロ。確かにお名前をいただきました」


 少々、拗ねたような表情をした彼女、クロだったが、彼女との間に何か繋がりを感じる。

 そこからは、嬉しい、といった感情が流れ込んでいた。


「気付かれましたか? それが契約です」

「契約?」


 クロの言葉に鸚鵡返しに問えば、少々自慢げに薄い胸を張って解説を始めた。


「そう、私は人間ではなく、神なのです」

「はぁ、神様ですか」


 とてもそうは見えない。


「その感情も見えているのですが……その、九十九神というやつです」

「ああ」


 古い物に宿るという。という事は結構な御婆ちゃんなのかもしれない。


「……わざとやってます?」

「何のことだかさっぱり」


 なるほど、考えた事がそのまま通じるのか、これは面白い。

 どこまで伝わるのかな、と、ちょっと思考をピンク色の方に飛ばしてみる。

 よく見れば、クロは美少女と言っても良い見た目だ。少々、見た目に幼なすぎる気もするが、神と言うからにはその通りの齢でもないだろうし……。


「何を考えているんですか!」


 見れば真っ赤になって怒っている。まだ少し服を剥いだ辺りだったのだけれど。不健康なほどに真っ白な肌は中々に……と、考えた辺りで拳が飛んでくるが、目前で止まった。


「むー! ちょっと、許す、って一言もらえません!?」

「ん? 許す」


 今度こそ殴られた。腰の入っていない一撃に思えたのだが、意外と重かった。顎がガタガタする。


「何をするんだ」

「何をする、じゃありません! 何考えているんですか!」


 まったくもう。そういって、自分の身を守るように、彼女は胸の前で腕を組んだ。


「あるじさまのお陰でこうして神になれたのには感謝しているのですけれど、私の事を忘れているなんて酷いですよ」

「そう言われてもなぁ」


 思い出そうとしても、どうやら頭の中は靄のかかったようにさっぱりだ。常識的なことは覚えているのだけれど。

 記憶喪失、というやつだろうか。けれどこれで問題がないような気がしているから不思議だ。


「ところで、ここはどこなんだ?」

「……森の中、ですね」


 そんなことは見ればわかる。しかし、どうして森の中に居るのか。

 神を名乗る少女がいたり、何やらよくわからない現象が起きたり、もうどうにでもなーれ、という心情だったが、とりあえずは何処かで一休みしたい気分だった。


「どこの」

「さぁ」


 二人して見つめあう。思わずにっこり。これはもう、契約に聞くまでもない。


「これってさぁ」

「はい」

「遭難、っていうやつじゃないの?」

「……そうなん、でしょうね」


 ははは、と乾いた笑いが、森の中に響いた。

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