第14話「次はこうは行くものか」
「おお、ロウ殿、起きられたか」
「おはようございます」
「ああ、うん。おはよう」
目が覚めたら、部屋にはクロはもういなかった。
食堂に出てみれば、すまし顔でご飯を食べている。
つん、とこっちを見ない様子からするに、多分、拗ねているのだろう。
例の契約は、どうやら任意に切ることができるらしく、今は何も伝わってはこなかった。
コンは何故か、少々そわそわとした様子である。
「夜はもうちょっと、声に気を付けた方が良いのではないかな」
「ちょっと待って、また何か勘違いしているよね!?」
頬を染めないでほしい。何かこんなこと前もあった気がするぞ。
「私は他人の趣味には何も言わないぞ――さておき、納豆売りが居たので、購っておいたからよかったら食べてほしい」
「お、ありがとう。おいくら?」
「いやいや、ついでだから構わない」
「いいの?」
しかし、食卓を見ても納豆の姿が見当たらない。
「あれ?」
「あるじさま、汁、です」
クロの言葉に味噌汁を見れば、何やらネバネバとしている。
「え。これが納豆?」
「うん? 納豆と言えば納豆汁だろう?」
「納豆ってそのままご飯にかけるものでは……」
「確かにそうして食べる者も居ると聞いたことはあるが、やはり納豆は納豆汁だと思うのだが」
常識らしかった。コンが不思議そうな顔をしている。何か悔しい。
おそるおそる口をつけて見れば、この納豆汁というもの、なかなか悪くない。
要は叩き納豆を具にした味噌汁で、こういうものと分かれば納豆の旨みが味噌汁に溶けて味を良くしているのが解る。
「さて、今日は第五層に行くわけだが」
「層を増すごとに魔物が手ごわくなるんでしょ? 何が出てくるの」
「手ごわくなる、と言うよりも数が増える、と言う所かな。十層ごとにより強くなっていくのだが――」
コンの話によると、出てくる魔物は今まで通りのヤマイヌにチョチンオイワ、アブミクチといったものが出てくるらしい。
チョウチンオイワは提灯型で火を噴いてくるというし、アブミクチは鐙型で足に食いついてくるという。
「いよいよもって妖怪って感じだねぇ」
「魔物も妖魔とは言うが、妖怪もなにもそこに確かにいるものだから」
不思議でも何でもないらしい。カルチャーギャップである。
「私は妖怪じゃありませんよ」
「解ってるって、ごめん」
釘を刺してくるクロに軽く謝ると、またつん、と顔を背けられた。これはもうしばらく機嫌を直すのにかかりそうだ。
とにかく、食事を終えて、今日は一日中潜るつもりだからと前日に頼んでいたお弁当を、宿屋のおかみさんから受け取ってから出発する。
物は竹の皮だろうかに包んだおにぎりと漬物である。時代劇とかで見慣れたものだけれど、本物を見た事がなかったので、ちょっとテンションが上がる。
「そういえば、入り口から五層に飛ぶにはどうするの?」
「ああ、五層の魔石を使うことになるな。今回は私が持っているから、これで飛べる」
「何から何まで悪い気がするのだけれど」
「気にしないでくれ、ロウ殿とクロ殿が居なければ、これも売り払って後は路頭に迷っていた頃だ」
そう言うなら、有り難く使わせてもらおう。
相変わらずどう歩いてきたか解らないけれど、迷宮は既に目の前だ。
転移陣の間に入ると、コンはためらいなく魔石をそこに投げ入れた。
それまで淡く緑に輝いていたそれは、魔石と同じ赤色に輝きを変える。
「それでは、行くぞ」
「準備は大丈夫」
「こちらもおっけーです」
いざ、と足を踏み入れれば、一瞬の浮遊感の後に、目の前の景色が一変する。
「おっとっと。やっぱり慣れないなこれ」
周りを見回すと、一層とそう変わらない作りになっているようだった。
苔むした石造りの壁、床と天井も同じ材質で、五人は並べそうな広い道が幾重にも折れ曲がっている。という様子である。
「そんなに一層と変わらないんだね」
「環境が変わるのも十層ごとだからな。確か十一層からは森のようになっているとか」
「……迷宮で、森?」
「あるじさま」
気にしたら負け、ということだろう。木だけに。
そこまで考えたところで、契約の糸から呆れを含んだ感情が流れてきた。
「くだらないこと考えていません?」
「あはは」
笑ってごまかす。さておき、クロも流石に迷宮の中では遺恨は引きずらないつもりのようだ。
正直、助かる。この細い糸でも、戦闘中ではなかなか有用なのだ。
「さて、今日も稼ぐぞ!」
「おー」
相変わらず気合の入ったコンの声に、適当に合いの手を入れておく。
地図を見せて貰えば、確かにそこかしこにマークが入っていて、一層と比べるとかなり魔物は多そうだった。
「ここまで来ると、瘴気だまりから出た魔物がそこを離れて徘徊しているから、常に注意が必要になるな」
「そっか。じゃあ歩き回っていれば直に当たるかな」
五層からが稼ぎ目的に使われる、というコンの言葉通り、歩いていると別の伍と鉢合わせになった。
「おつかれさん」
「そちらもお疲れ様です」
などと挨拶を交わして、道を譲る。向こうも三人組くらいで、武器を見るに全員が剣士だった。
「そういえば、槍とか使う人いないの?」
迷宮の入り口を守っている衛士は槍を持っていたし、衛士のおねーさんは初めに弓を持っていたから、ない、という訳ではないだろう。
「迷宮では長物が使いにくてな。弓などはここを見てわかると思うが、使いようがない」
「なるほど確かに」
伍の人数が三から精々五人程度なのも、同じ理由からだろう。
「ああそうだ、足元には気を付けた方が――」
「ぬっ!?」
急に足をとられて転ぶ。変な声が出てしまった。
見れば、足の平と甲を捕まえるように、何かが引っ掛かっている。
外そうと足を振ってもがっちりと捕らえられていて、なかなか外れない。
「それがアブミクチだ。来る!」
コンの声に顔を上げれば、ヤマイヌが駆け寄ってくるところだった。
「まずっ!」
彼らは倒れた人間に向かって噛みついてくる習性があるのだった。この組み合わせは中々に嫌らしい。
「あるじさま! 焔よ!」
「ロウ殿はアブミクチをはがすのに集中してくれ!」
道の両方から挟み撃ちにしてくるヤマイヌを、片方はクロが魔法で弾き飛ばし、もう片方はコンが切り落としていく。
「厄介な!」
アブミクチをはがすために、刀で切ろうとするのだが、これが難しい。
下手に切ろうとすれば、自分の足を切りかねないのである。
「根元だ! まずは根元を切れ!」
「そうか!」
どうやら焦っていたらしい。アブミクチからは紐のようなものが地面につながっていて、そこを切ればくっついたままでも足を動かすことができそうだった。
「それっ」
そうしてみると、地面から切り離されたことで体が維持できなくなったのか、サラサラと消えていた。残ったのは魔石だけである。
「よし、無事に終わったみたいだな」
「こちらも片付きました」
どうやら、ヤマイヌの方も片付いたらしい。立ち上がってほこりを払う。
「何と言うか、不甲斐無い……」
「どういう魔物かは解ったと思う。足元には注意して歩いてくれ」
「うん。解った」
何と言うか、こんなものに引っかかって、しかも焦ってしまったのが少々、恥ずかしい。
「次はこうは行くものか」
汚名返上の為にも、次は足を取られる前に見つけて切らなければ。