第9話「わくわくするじゃないか!」
「なるほどー、ここで魚とってたのかー」
「ああ。迷宮第零層、表層だな」
今、僕らが居るのは迷宮の入り口である。大きな洞穴、といった風情のそこには広大な湖が広がっていた。
そこには小さな漁船がいくつも浮いており、船着き場は魚を入れた籠で溢れている。
周りが草原で、海などなさそうな桜国でどうやって魚を取っているのか、と思ったら、こういうことらしかった。
「どう考えても淡水なのだけれど、海魚がどうやって生きているものやら」
「あるじさま、そこは考えたら負けな気がします」
クロは早々に思考放棄を勧める。確かに、人の頭にケモミミがあって、魔法の存在するような世界だ。
というか、個人的に一番謎な生態をしているのはクロ本人で、それに諭されるのも大概である。
「迷宮付近には龍脈、と呼ばれる魔力の流れがあって、そこでは生産物が豊かに実るのだ」
「……何か副作用とかない? 大丈夫?」
コン先生の講義によるとそういうことで、だから桜国では特に食糧に不自由することはないのだと言う。
作物の異常成長というと、何かしらの害がありそうだと思うのだけれど。
「洞窟の入り口はこっちだ。いや、一時期はどうなるものかと思ったが、ロウ殿とクロ殿に会えて本当に良かった」
コンの眩いばかりの笑顔を見ていると、まぁ、どうでもいいか、と思えるから不思議だ。
何より、尻尾がぶんぶんと振られているのが良い。思わず掴みたくなるそれを意識して視界から外す。
「あれ? 昨日の稀人さんたちじゃない」
「あ、昨日のおねーさん。どうも、その節は」
迷宮第一層の入り口で門を守っていたのは、昨日お世話になった第一村人の衛士さんだった。
「潜り屋始めたの?」
「ええ、どうにも稼ぎ口を見つけなくては生きていけないので」
「そういえばそうだよね。いや、うっかりうっかり」
おねーさんはどうやらそこに思い至っていなかったらしい。
「んで、入るんだったら名前書いて、この割符持って行ってね」
「割符? 何に使うんですか?」
「そりゃもちろん、死んだときに」
つまるところドックタグか。
ご丁寧に首からかけられるよう紐をつけてあるそれは、名簿と見比べて誰が死んだか確認するための物らしい。
「いや、滅多にいないけれど、やっぱり魔物の居るところで死体を回収するの難しいでしょ?」
「それに、迷宮で死ぬと、その者の体は迷宮に吸収されると聞くな」
「初耳なのだけど、凄く恐いこと言ってない?」
外の魔物の時もそうだったが、ゲーム感覚でいくと痛い目に会いそうだ。
「ま、低階層ならそんなに危険もないから、頑張ってね」
「はぁ。ありがとうございます」
次の伍が既に後ろに来ていたので、おねーさんは切り上げるように言った。
「大丈夫だ、私も刀は多少使える。今日は後ろからついてくるだけで良い」
「お言葉に甘えようかな……」
とりあえず今日は下見である。さっさと入り口の階段に足をかけるコンの背中を追いかけて、僕も迷宮に足を踏み入れた。
「なんだこれ」
「転移魔法陣だな。その階層の魔物から取れる魔石を使えば、一瞬でそこまで行ける」
早速迷宮が広がっているかと思いきや、そこは淡く輝く複雑な幾何学模様、まさに魔法陣が中央を占めている広場だった。
今日の仕事を終えたのか、それとも今から潜るのか、数人の戦士然とした者がそこかしこに屯している。
「ここは安全地帯だからな、ほら、そこには忘れ物があったときの為に小物屋などもある」
「なるほど、なかなか商魂たくましいね」
値札を見るにちょっと定価より高め程度の値段設定をしているようだ。
外に出るのは面倒だという利用者を狙ったそれは、駅の売店かコンビニか、といった様子だ。
「後は、地図屋が踏破済みの層だと地図もあるな」
「そういえば、今まではどこまで踏破されているの?」
「三十層までが地図屋の踏破したところで、それ以上に行ったという者も少なくないな。時々、百層まで攻略したという話も聞くが……」
「聞くが?」
「百層まで到達して、帰ってきた者はいないと聞くな」
なにそれこわい。
「十層ごとに強力な守護者が居るが、百層はそれまでと異次元の者が居るだとか、そういう噂だが」
「実際にどうなっているかは、百層から帰ってきた者が居ないからわからない。と」
出来の悪い怪談だとよく『見たら生きて帰れない』などと言いつつも、何故か全容の知られている幽霊とかが出るが、本当に帰還者がいないのなら、どうなっているのかわからないだろう。
「そういうことだ。他にもいろいろ噂はあるが、自分の目で確かめるしかないだろうな」
「……もしかして、コン、百層まで行くの狙ってる?」
「勿論。何があるかわからないとか……わくわくするじゃないか!」
あ、駄目だこいつ。
「駄目そうですね……」
クロも同じ考えらしい。途端に、この背中についていって良いものか不安になるが、今はそうするしかないのだ。
「ま、まぁ、とりあえず、今日は下見でね?」
「勿論、任せてくれ、迷宮に関しての知識は一角のものだと自負している。大船に乗ったつもりで任せてくれ」
本当かなぁ。少々コンの自信を疑いつつも、さぁ行くぞ、と鼻息を荒くする彼女に勧められるまま魔法陣に足をかける。
「おっと」
一瞬の浮遊感の後にたどり着いたのは、石壁でできた通路だった。
五人は横に並ぶことができるくらいに幅は広く、高さも同じくらいにはある。
床も石畳のようになっていて、足を踏みしめてみると滑る、という事もなかった。
刀を振るうのに不自由はしなさそうだ。
ところどころ、苔は蒸していたが、不思議と風化しているという感じでもなく、石壁からは圧迫感もそう感じられなかった。
この通路は見当たる限りでもいくつもに枝分かれし、曲がっていて、十メートル先も解らない有様である。
ここまでで気づいたのだが、そういえば暗くもなく、不思議と明るい場所だった。
「ここが、迷宮か」
これまでの不安はどこへやら、僕は期待に胸が躍るのを感じていた。