皇太子の冷怒
タイトルは冷怒とお読みください
式部長官から縁談の話を持ち寄られた日から数えて五日。
ディリウスの予想通りに二日前にカジュライド公爵家から謁見の申し出があり、一日の間をあけて許可したディリウスは、現在、新たな婚約者候補筆頭となったルシェリラ・カジュライドと対面していた。
離れた席に、カジュライド公爵と長子がいるが、ディリウスは存在を無視している。ぶっちゃけ、めんどくさい。
(ルーセンベルクよりはまし、程度だな)
ルシェリラは最初の挨拶以降、伏し目がちに視線を落としたまま口を開こうとしない。身分の低い者から口を開くことは不敬ととられかねないからだろうが、ミアーネならばとっくに自分勝手な話を始めてディリウスをこき下ろしていただろう。
その点、ルシェリラは常識を弁えていると言える。
だが、ディリウスを見下している点では全く変わらない。
元々、ルシェリラは表情が変わらず笑みを浮かべないことで有名な令嬢だ。感情が読めない為、『人形』と揶揄されるほどに。
ディリウスやエディオスには通用しなかったが。
「…不可解だな」
ふいに、ディリウスは声を向ける。本当にそう思ったのではなく、この先につなげる為に口にしたに過ぎない。
「心から蔑む男に自ら嫁ごうとするとは。いや、見下している人間に掌中の玉を差し出そうとするのがおかしいのか」
伏し目がちだったルシェリラの緑色の瞳が見開かれた。離れた場所で、わずかに強張った空気を感じたが無視しておく。
「式部長官からどのように言われた知らないが、俺は『考えておく』と言っただけでお前を婚約者にするとは一言も言っていない。そもそも、『考えておく』なんて言葉は遠回しな断り文句だろう。まさか式部長官ともあろう者がそれを知らなかったとは思わなかったがな」
ここで頷き、低姿勢を見せれば全ての責任は式部長官に持っていける。頭の回転が速く、状況判断が出来るだけの目があれば、そうするだろう。
だが、二呼吸分の間をあけてもルシェリラは唇を震わせるだけで何も言わない。離れた場所にいる二人も動かない。
「クランヴァールならばともかく、皇国で女が力を得る為には権力者に嫁ぐか魔術師になるしかない。公爵令嬢が魔術師となるのはまず不可能だからな。残った道は一つだ。―――皇妃は、女にとって最高位の地位だからな。蔑む男の側に侍り、その子供を孕まなければならなくとも、それらを我慢してでも得るに値する、と判断したんだろう」
震わせていた唇をかみしめたルシェリラは、憎々しげにディリウスを睨む。
それは、羞恥からであるとディリウスは理解したので、心からの嘲笑を向けてやる。
「自分の美貌と体に自信があったんだろう。俺を籠絡し、意のままに出来ると思っていた。残念だったな。―――人形が愛でられるのは『外見が整っており、心を持たず口答えしない』からだ。内面ブスに用はねぇよ」
「ブッ…」
ガタンッ。
堪え切れず漏れたであろう笑い声と怒りのあまりに立ち上がった為に起きた耳障りな音は、ほぼ同時にディノリスの耳に届いた。
今まで無視していた離れた席の存在にディリウスは視線を向ける。
椅子に座ったまま上半身を倒して全身を震わせているのは、カジュライド公爵家長子ラムディス・カジュライド。
その隣で、怒り任せに立ち上がったのに長子の様子に虚を突かれて固まっているのは、カジュライド公爵ルドヴィク・カジュライド。
兄の様子に顔を赤らめて怒りに震えているルシェリラを一瞥したディリウスは、ふぅんとどうでもよさそうに呟く。
「…そっちの方が、良いな」
端的に思ったことを言っただけなので、それを聞いたルシェリラの様子をディリウスは知らない。気にも留めなかったから。
「さて、先にも言った通り、俺は令嬢を婚約者にする気は端から一欠片とてない。顔合わせはしたんだ。とっととお帰り願おう。―――あぁ、そうそう、ラムディス殿はここに残ってくれ。少し、話したいことがある」
エディオスに視線で指示し、ルドヴィクとルシェリラを追い出す。どこかで見た光景だ、と思ったのはディリウスだけではないだろう。
ルドヴィクは色々とやかましかったが、ルシェリラはぼんやりとした視線でディリウスを見つめていた。それがどういったものであるのか、察することが出来たのはエディオスとラムディスだけだった。
ディリウスに促され、さっきまでルシェリラが座っていた席に座り治したラムディスは、まだ愉快気に笑っている。
「いやはや、予想外に面白い方ですね」
目下からの発言だが、ディリウスは不快に思わなかった。それ以上に不快な事があるから。
「妹が虚仮にされたのに、その発言はどうなんだ」
「虚仮にした方に言われる筋合いはありませんね」
それもそうだ、とため息をついて話を流したディリウスは、瞬きで切り替えた。
改めて向けられた緑青の瞳に、冷徹な怒りを見て取ったラムディスは笑みをひきつらせた。
そして、理解する。自分達カジュライド公爵家の行動は、ディリウスの逆鱗に触れているのだと。
「お前は、父親や妹の様に抜けてはいないようだが、俺もそろそろ我慢の限界だからな。単刀直入に言おう」
対応を間違えれば首が飛ぶ、と何の根拠もなく反射的に思ったラムディスは背筋を伸ばす。
「ウェルヴィット領と『白銀の鷹』への干渉、懐柔策、何より、手に入れようと首脳部に手を出そうとした行為、どう償うつもりか、言ってみろ」
全て知られている、とラムディスは理解した。
ウェルヴィット領は、アイオンの故郷であり領地。そして、ヴァラムハウト侯爵領の端っこだ。カジュライド公爵領からは随分ある。
そこに商人を装って工作員が入り込んでいる事に気付いたのは、新人団員の背後関係を調べていたエランというアイオン配下の諜報部隊員だ。正確には、カジュライド公爵家に探りを入れている最中、ウェルヴィット領に干渉しようとしている事に気付いて人員を増やして探らせるようにエランが進言して来たのだ。
結果、ルドヴィクが差し向けた物であると判明したのだが、それに隠れる形でラムディスが個人的な策を持って手を出していることも判明した。
しかも、ある程度、ディリウスとの関係を念頭に置いたうえで、だ。
これだけならば、逸材だ引き抜こう、という話になるのだが、現時点、ラムディスはルドヴィクと同じようにウェルヴィット領もしくは『白銀の鷹』に介入し、支配下に置こうとしていた。可能ならば、という段階かもしれずとも、そういう意図があったことは確かである以上、ディリウスがラムディスに情けをかける理由はない。
何もかもを隠して騙しているディリウスが、『白銀の鷹』に関わっていると高確率で考えながら、幹部であるアイオンの所領に手を出すという間抜けをやらかしたのだから、囲い込む必要性もない。
ルドヴィクを追い払い、ラムディスと話をしているのは、それこそルドヴィクよりはまし、というだけの話だ。
「…能ある奴を処断するのは惜しいが、間抜けをさらして敵に尻尾をつかまれ、弱みをさらけ出すような輩は、どんな場面で間抜けをやらかすかわからないからな。手元に置いといても、捨て駒にしか使えんのなら、どうでもいい」
言外に、殺すこともいとわない、と言わんばかりの威圧を向けるディリウスを見つめ、ラムディスはふっと息を吐いた。無様にも、喉がひきつれた歪な音が漏れたが無視をする。
ゆっくりと、膝をついて平伏するラムディスを、ディリウスもエディオスも冷ややかに見下ろす。
「これよりの生涯、身命全て殿下に捧げます」
「お前一人の人生が、これまでの所業の償いに相当すると。自意識過剰も甚だしい。分を弁えろ、愚物が」
隠しようもない蔑みとあからさまな罵倒に、ラムディスの肩が震えたがディリウスは構わない。
「俺の大切とお前一人が等価というのなら、その価値を示してからにしろ。…下がれ」
突き放し、切り捨てたように言い捨て、顔を背けるとラムディスを一顧だにしない。
一瞬、それに絶望したような表情を浮かべるが、ディリウスの後ろでエディオスが苦笑しているのを見て、ラムディスは言葉の裏を知る。
価値を示せ、と言ったのだ。示せなければ文字通り切り捨てるだろうが、示すことが出来れば道は開ける。そして、それはラムディスの弟も含めて、だ。
静かに一礼し、決意と覚悟を定めて去っていくラムディスの背中を見送り、小さく息をついたエディオスは眉を寄せたままのディリウスを見下ろす。
「…相変わらず、お優しいですね」
「どこが」
「皇太子への不敬及び侮辱で斬首も可能です。それをせず、救いを差し出したでしょう」
「間抜けなんかどうでも良いだけだ」
「示せ、という事は、結果に期待している、とも取れますよ」
「…随分と楽観的な考えだな」
「でも、そういうことですよね?」
「………………チッ」
生まれた時から片時も離れた事のなかった乳兄弟にごまかしも嘘も通じず、悔しげに沈黙して舌打ちをするディリウス。
怒りは冷めやらず、くすぶり続けている。だが、それを発揮するのは今ではない。
一欠片、見せたのは牽制と本気を示し、相手の本気を引き出す為。
それを描いたとおりにやり遂げたディリウスは、しなくていい指摘をしてきたエディオスから逃れるように、不機嫌な表情を崩さないまま部屋を出て行く。
照れ隠しゆえの表情と行動であると知るエディオスは、黙ってその背を追う。




