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皇太子の真意  作者:
7/11

智者の警戒

アイオン編

 『白銀の鷹』本部における左翼の棟は、アイオンの居室と化している。

 作戦及び依頼受諾から完了までの情報を統括し、財源管理もしているアイオンには資料をため込む為の部屋がいくらあっても足りないからだ。

 依頼完了報告書に目を通しつつ、深いため息をつく。


 この部屋には、主であるアイオン以外には雑務を担当する秘書しかいない。

 大きなため息に気付いて苦笑をこぼす秘書は、アイオンよりいくつか年下の女性。

 淡い栗色の髪をハーフアップにして、大きな朱色の瞳がやや幼く見せる女性は、アイオンの側によると処理済みの書類を手に取る。


「…副団長にお渡ししてきます。ついでに、何か軽くつまめるものと飲み物をお持ちしますね」


「ありがとう。その前に、例の彼を呼んできてもらえますか?」


 一息入れたい、と思っていた時の申し出に、アイオンはありがたく厚意に甘えることにした。だが、その前に済ませておくべきことがある。

 いつも神経質そうに刻まれている眉間の皺も、けだるげに細められた瞳も緩められ、疲労を滲ませながらも申し訳なさそうな笑みを浮かべている。

それにほのかに頬を染めて女性は、快諾すると静かに部屋を出て行った。


 一人きりになった部屋で手に持っていた書類を机に叩きつけると、背もたれに全体重を預け天井を見上げる。

 不意に脳裏に浮かぶのは、まだ、弟が生まれて間もない赤子であった頃の事。

 そして、怨讐の相手を滅ぼし、手を差し伸べてくれた主の笑顔。






 アイオンは地方の小さな領地を有する準貴族グロムエル家の長男として生まれた。

 貴族と言っても名ばかりで、豪族、地主、と言った方が正しいような家だった。

 穏やかな気性の両親の元、領民達と同じように野原をかけ勉学に励んでいた。年の離れた妹が生まれても変わらず、弟が出来た時も領民を巻き込んでの宴が開かれたくらいに家族仲は良好だった。

 弟が生まれ、息つく間もなく母が亡くなるまでは。

 悲しみに暮れたものの、母が命懸けで生み託した存在だから、と父もアイオンも弟を大切にしようと決意した。


 それは、父の事故死により巻き起こった親族の争いで後回しにせざるを得なかったが。

 当時、わずか13歳のアイオンでは家督を継げず、後見人が必要となった。

 後見人を誰がやるかということで言い争いになり、アイオンが名前すら知らないような親族が出てきたりと当事者であるアイオン達兄妹は置き去りになった。

 知らぬ間に決まった後見人は、最初はアイオン達に優しくしっかりと屋敷内を整えていったのだが、しばらくしてアイオン達につらく当たるようになった。

 両親の死という衝撃から、まだ言葉もまともに話せないような幼い弟妹を抱えて立ち直らなければならなかったアイオンの精神は、最早限界だった。


 アイオン達兄妹が追い出されたのは、アイオンが14歳の時。アリスは4歳、イルフィは1歳だった。

 幼児と赤ん坊を抱えて生きて行くことの困難さを、アイオンは重々承知していたが二人を置いていくという選択肢はなかった。まともに育ててもらえるとは欠片も思えなかったから。


 領民が憐れみ、大衆食堂の主がアイオンに仕事を紹介し、兄妹三人で暮らせる部屋をほとんど無償で貸してくれた。今までの民と共に生きて行くアイオンの父親の方針と信念が、実を結んだ形だった。仕事、育児、そして、将来的に必要と思われる知識を得る為の勉強。

 14歳の少年が背負うにはあまりにも厳しい現実で、限界が訪れるのは早かった。


 しばらくして、食堂の主に、知人の仕事の手伝い、という名目で夜中に連れていかれたのは違法賭博の会場だった。

 食堂の主は、状況が呑み込めていないアイオンの背を突き飛ばし、自分はとっとと帰ってしまった。食堂の主は積もり積もった負けを清算する為、アイオンを売ったのだ。


 元々、領主の子供であるアイオンならばいくらかの貴金属を持っているだろうと踏んで恩を売った。それらを騙し取って返済にあてようとしたのだ。しかし、実際には高価な装飾品は一つももっていなかった。

すでに借金がかさみ過ぎて身動きできなかった食堂の主は、返済にあてようと考えていた物が存在しなかったことに落胆し、やめるにやめられない賭博で重ねすぎた負けの数を前にして、倫理も法も吹き飛んだ。

 それが、人身売買。国家反逆罪に適用される重犯罪である。


 状況を理解しきれなかったアイオンは、下卑た笑みを浮かべ自分の腕をつかんで引きずり倒した男にのしかかられたところで、我に返り抵抗した。

 疲労を重ねていても、身に沁みついた動きは確かにアイオンの身を助けた。

 領主の跡取りとして学問だけでなく武芸もたしなんでいたアイオンは、筋肉がつきにくい体質な上にさほど才能はなかったらしくけして強いわけではなかった。だが、護身術の一つや二つくらいこなせる程度の腕はあった。

 結果として、それがアイオンを救った。


 悪あがきとしか思えない動き、疲労困憊な上に見知らぬ狭い空間。

 あっという間に追い詰められ、絶望に沈みかけたアイオンを助けたのは天井を突き破って地面に突き刺さった大剣だった。その際、アイオンを壁に押し付けていた男の腕を両断している。

 どこぞの家屋の地下に設けられていた賭博場に、大剣によってできた穴を広げ、文字通り降って来たのは赤髪の男・バージェスと数人の冒険者と傭兵だった。

 バージェスは単独で仕事をしていた時期だが、知り合いの傭兵が複数人でという条件付きの依頼を受け、それに誘われた為たまたまここにいた。

 依頼内容は、違法賭博場の壊滅とそれに関連した犯罪行為の証拠収集、だった。

 まさに、アイオンが連れ込まれ、被害にあっている現在を示していた。


 すでに二つ名で知られていたバージェスを筆頭に熟練者ばかりの臨時クランは、瞬く間に賭博場を制圧、壊滅してしまった上にアイオンというこの上ない証拠を手に入れるに至った。

 アイオンがいた理由を知ったバージェスはアイオン達兄妹を傭兵ギルドで一時的に保護し、その際、食堂の主以下違法賭博に関わっていた領民は全て検挙されることになった。

 後、様々な経緯とやり取りを経て、アイオンの知識と技能は有用だと判断したバージェスは知り合いに声をかけてクランを結成する。アイオンは15歳になっていた。

そのわずか2年後、衝撃的な出会い方をしたディリウスを頂点とした傭兵団を結成することになるとは、露程も思っていなかった。

 傭兵団を結成して1年経つかどうかの頃、ディリウスが唐突に、掃除だ、と言ってバージェスやアイオン、クラネアなどの出会った当初のメンバーだけを連れてアイオンの故郷へとやって来た。

 領民を信じられなくなって逃げるように捨てた故郷へと戻ってきたアイオンは、複雑な思いで生まれ育った屋敷の門前に立った。どこかしんみりしていたのだが、ディリウスは鼻歌さえ聞こえてきそうな軽い調子で門を開けてさっさと中へと入ってしまった。

 慌ててアイオン達が追って見たのは、真っ赤な池とそこに浮かぶ人であった者達。

 真っ赤な、血の池の中にたたずむのは初老の男性を筆頭とした屋敷の使用人達(男ばかり)。

 手には血に染まった武器を持ち、アイオンの姿に初老の男性は安堵したような笑みを浮かべた。


「お帰りをお待ちしておりました、若君。ご協力感謝いたします、銀鷹殿」


 初老の男性・グロムエル家の執事であるローウェル・ドゥイルの言葉に、アイオンは理解した。

 捨て去った故郷で、自分を待っていた者がいた事。そして、その願いを聞き届けて手を貸し、敵を葬る手助けをしてくれたのがディリウスである事。

 何も知らずに逃げた自分を恥じるアイオンを見上げて、まだ10歳になったばかりだったディリウスは笑って告げた。


「顔を上げろ。前を向け。お前も相手も生きてる。後悔するんだったら、しっぱなしにするんじゃなく、今、ここで、生きてる相手に対してこれ以上後悔しないように動け。その頭も足も腕も口も、飾りじゃないだろう?」


 生きているからこそ後悔して終わるのではなく、その先に行ける。

 それを示してくれたディリウスに促され、アイオンはローウェル達の手を取った。

 重税などを課して領民の恨みを買っていたアイオンの親戚筋の男は、後の調査でアイオンの父を事故死に見せかけて殺していたことが判明した。

 平民である使用人達が曲がりなりにも貴族を殺害した罪は、主家への忠義として評価され罰せられることはなかった。

 何より、アイオンの故郷はディリウス派であるヴァラムハウト侯爵領の中にあった。ディリウスの演技を見抜いた侯爵の後見を得て、アイオンは正式に領主となった。とはいえ、ディリウスの手足である傭兵団の運営をほぼ任されているアイオンは、定期的に帰るだけでローウェル達(復讐の実行者達)に領地運営のほとんどを任せているが。






 怒涛過ぎる父を亡くしてからの4年あまりに遠い目になったアイオンは、近づいてくる気配にゆるく頭を振る。

 今は、すべきことがある。返しきれない恩を一つでも返す為にすべきことが。


 領主となる煩雑な手続きを終えた時、非公式に面談したボードン子爵に言われた言葉はきっと一生忘れない。


『殿下が、救える者は全て救いたい、と仰った。だから、依頼を出した。―――動いて正解だった。殿下にとって、これ以上ない臣下が出来たのだから』


 違法賭博場の検挙を依頼したのは、表向きはボードン子爵家とは何ら関わりのない個人事業主だった。だが、実際はボードン子爵が、そして、その裏でディリウスが糸を引いていた。

 当時、わずか7歳の子供がそれを行ったと言われて、信じられるわけがない。だが、現実離れした剣の腕も行動力も頭脳も全て目の当たりにしたアイオンは、信じるしかなかった。


 ノック音に半分過去へと飛んでいた意識を完全に引き戻す。

 忘れられないのは、傑物と名高いボードン子爵に認められたからではない。現実離れしたディリウスの能力が大きな衝撃だったからでは…多少はあるがそれではない。


 8年前と同様に、それ以前から、見も知らぬ誰かを護る為に躊躇いなく行動に移すその心。


 何よりも、国を支配する皇族が、『救える者は全て救いたい』と言い、実行してくれたことが嬉しかった。


 領民に裏切られたことが尾を引いて、アイオンは未だにディリウスに全幅の信頼を向けることが出来ないでいる。それでも、感じたことも思ったことも誓ったことも偽りではなく、ディリウス本人もそんなアイオンの心情を理解したうえで、信頼を寄せてくれている。


 態度で言葉で示せないのならば、行動とその結果で示そう。

 強い覚悟と確かな決意を込めて、女性と入って来た少年を見据える。

 警戒と緊張がわずかに垣間見える少年と視線が交わった瞬間、少年がわずかに怯んだことを知る。

 その様子に、アイオンは小さな笑みを浮かべる。


「いきなり呼び立ててすみません。少し話が聞きたいんです。クライエル・カジュライド」


 火の上級魔力を有する新人団員である少年・クライエルは、袖口に仕込んだナイフを取り出そうとして、背後に控える女性に腕を拘束された。そのまま床にうつぶせに倒されて、身動きを封じられる。

 女性とて傭兵団に身を置く存在。普段は事務方でアイオンの秘書という立場にあるが、その実、接近戦に果てしなく弱いアイオンの護衛が本職だ。

 …そう決まった時、アイオンが影を背負って黄昏ていたのは余談である。


「素直に話をしてくれれば、手荒なことはしないと約束しましょう」


 クライエルの前に膝をつき、視線を合わせたアイオンは笑みを深めながら瞳に鋭い光を浮かべる。

 わずかな表情の動きさえ見逃さない鋭さに、クライエルはあらゆる意味での敗北を悟る。






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