皇太子の縁談
ランディウスが訪問してきてから一週間。
皇太子に選出されてから一ヶ月。
ディリウスの元にやって来たのは、ふくよかな体格の中年男性・式部長官だ。
携えて持ってきたのはいわゆる釣書。
身分、血筋、容姿と整った令嬢達の姿絵と紹介文が書かれている。
ミアーネの存在が無くなったため、次なる婚約者を決めようと持ってきたらしい。
筆頭、というだけなので他にも候補がいたのだが、ミアーネで本決まりと誰もが思っていたので他に婚約を結んだりしている為選考しなおしになったのだ。
「やはり、最有力はカジュライド公爵家の二ノ姫ルシェリラ様かと思われます」
一通り説明し終えた式部長官の言葉に、ディリウスは白けた眼差しをあからさまに向けているのだが式部長官は気付いていない。
にこにこと笑み崩れながら差し出される絵姿に、呆れるしかない。
(最有力っていうか、こいつで決定なんだろうが…)
背後のエディオスが、追い出しますか、と気配で問いかけてくるのに何気ないそぶりで振った手で制し、大きなため息をつく。
「式部長官」
「はい」
「すべて却下だ。持って帰れ」
吐き捨てて立ち上がれば、一瞬理解できなかったらしい式部長官が慌ててディリウスに取りすがる。
「お、お気に召しませんで?! で、ですが、皇妃陛下はルシェリラ様を気に入られたようで…」
「結婚するのは俺だろう。皇妃陛下が気に入ったからとか関係ないだろう」
「それはそうですが、殿下は来年にはご成人でいらっしゃいます! 正妃様をお迎えするための準備期間も必要ですので…」
「別に成人したから結婚しなくてはならないというわけでもない。事実、祖父が正妃を迎えたのは皇位についてからだと聞いている。側妃すら皇太子時代にはいなかった、とも」
式部長官が押し黙る。
何代も前の皇を例に出されればいくらでも言い訳ができたかもしれないが、先代を例に出されては何とも言えない。
ランディウスを筆頭に、ディリウスの祖父と同世代の人間はまだ多く存命なのだから。
「確かに、隣国クランヴァールとの関係は良いとはいえず、先年の戦争も勝ったとはいえギリギリだった。次世代の事と情勢安定の為、早いうちに正妃を取って世継ぎとなる子をもうけておくのは責務かもしれない」
「ならばっ」
「が、その相手がカジュライド公爵令嬢である必要は、全くもってない」
ディリウスの真っ向からの正論に、再び押し黙る。
正妃の存在は必要だ、というディリウスの発言に喜色を表していた式部長官は困惑の極地にいた。
多くの官吏達にとって、ディリウスは無能という認識だったからだ。
文武に有能なトリオスと武勇に特筆したザグリスの陰に隠れ、可もなく不可もない無気力な姿は、無能の烙印を押される十分な要因となっていた。
それが意図したものであると気付かなかったのは、ディリウスの巧みさを称えるべきか、式部長官達こそを無能と罵るべきか、悩みどころだ。
無能と認識され無気力なはずのディリウスが見せた冷徹な言動と、冷静な情勢把握の洞察力に式部長官の困惑は深まるばかりだ。
ただ単に、ディリウスは皇太子になってしまった以上は責任と義務を果たそうとして、擬態を解いたに過ぎないのだが。
「それ以上に、考え、固めるべきことがあるはずだ。そんなこともわからないのか」
あからさまに見下した視線を向けて再び吐き捨てられ、困惑していた式部長官は自身のたるんだ頬がひきつるのを自覚した。
(無能が偉そうに…)
凝り固まった先入観から脱することが出来ず、擬態であったという結論に至れなかった式部長官はうっかり瞳に苛立ちを乗せてしまった。
それを見て取ったディリウスが浮かべた笑みの種類を見分けることが出来ず、式部長官は思わず言ってしまう。ディリウスが望み、されど、何よりも怒りを煽ることになる情報を。
「殿下、カジュライド公爵家は軍にも強い影響力を持つ質実剛健な性質にございます。何でもかの新鋭『白銀の鷹』とも誼があり、縁ある者が所属しておられるとか。必ずや、殿下の助けとなりましょう」
暗に、武におけるディリウスの力量が低いと言っているのだが、それはどうでも良い。
バージェスとクラネアからもたらされていた情報に加え、ランディウスの怒りの根源、そして、アイオンの調べた情報によってほぼ確信していたことが、式部長官の発言でゆるぎない真実となった。
だが、式部長官に感謝することはあり得ない。未来永劫、絶対的に。
「…そうだな、軍はザグリス兄上の支持母体と言ってもいいほどだからな。影響力がある者を味方につけるのは得策だろう。なるほど。理解した。考えておこう」
拒絶から一転、ある程度の許容を見せたディリウスに、式部長官は笑みを張り付けて感謝を述べるとそそくさと去っていく。
勝った、と思っているのかもしれない。そして、皇妃とカジュライド公爵家にディリウスが受け入れたと情報を流すことだろう。
ディリウスは一言も、婚約する、とは言っていないのに。
「エディオス」
「はい」
「おそらく、三日以内にカジュライド公爵家から顔合わせの為の申し込みが来るだろう。それまでに、集められるだけ集めろ」
「御意」
頷き、即座に行動を開始するエディオスを背中で見送って、ディリウスは笑みを消す。
式部長官に向けていた無機物を見るような眼差しはそのままに、無知な存在に向ける憐れみの笑みを。
「……あんた達の思惑通りには、行かせねぇよ。ばぁか…」
嘲りを含んだ力ない声で紡がれた罵倒は、『あんた達』に向けられたものか。
もしくは、ディリウス自身に向けられたものか。
それは、ディリウスにさえ、分からない。




