皇太子の共犯
厳つい顔立ちの老齢の男性を前に、ディリウスは鬱陶しいという気持ちを隠そうとしない。
老人は楽しげな笑みを浮かべたまま、給仕するエディオスに礼を言っている。
明らかに高位貴族であると分かるのに、子爵の息子でしかないエディオスに礼を言うとは妙な人物だ。
「…言っておくが、アリスもイルフィもやらんからな。ヴァラムハウト侯爵」
ディリウスの面倒くさげな言葉に、老人・ヴァラムハウト侯爵ランディウスはむっとした顔をする。
「あれだけ有能な奴らを抱え込んでおるんじゃから、いいじゃろう」
「あいつらもその有能な奴らの一人なんでな。連れていかれると困る」
あいつら、に該当するアリスとイルフィは隅の方で久々に会う兄・アイオンにべったり抱き付いている。ここは皇太子の離宮なのだが、裏道を使ってアイオンを連れて来たのだ。
15歳の活発そうな美少女であるアリスと12歳の中性的な美少年であるイルフィは、文武だけでなく魔術にも優れた有能な人材で、まだ伸びしろがあるとなれば目端の利く者は手元に置きたいと思って当然だろう。
その点において、ディリウス達はランディウスの能力を評価している。だが、それと養子の件は別問題だ。何より、アイオン大好きな二人が離れることを良しとするわけもなく、アイオンが『白銀の鷹』を離れるわけもないので、叶うはずのない願望である。
「まあ良い。じっくりと口説かせてもらうからの」
「…あぁそう」
靡くことが無いと知っているから、お好きにどうぞ、とディリウスは投げやりに返す。
「しかし、早いもんだ。もう7年か」
「…あぁ、あんたがボードン子爵家に突撃かまして俺を出せと脅しかけてきやがってからな」
「はっはっはっはっ。あれはお前さんが悪い。人の領地で不正を見つけて根絶しておいて、手柄だけをこっちに寄越して姿くらますんじゃから」
「それでボードン子爵家の私兵が混じってたことを突き止めてガチで突撃したりしねぇだろ。普通」
「わしに普通を求めるとは、まだまだ青い!」
胸を張って言うことか、と思ったが言っても無駄だとディリウスは沈黙を選んだ。
反応すればするほど面倒くさいと分かっていたから。
うんざり、と言わんばかりにため息をつくが、ランディウスはディリウスを見つめて懐かしそうに瞳を細める。
「お前さん、本当に祖父さんに似たなぁ」
「…俺はお祖父様を知らないんだが」
「そうじゃろう。トリオスが5歳の時じゃからな、あやつが逝ったのは」
寂しそうに呟くランディウスに、ディリウスは会ったことのない祖父を思い浮かべる。
肖像画でしか知らない祖父の姿は三つ。
皇太子時代の少年の姿、即位したばかりの青年の姿、そして、口ひげを蓄えしわが刻まれた初老の姿。
確かに、ランディウスの言うとおり、自分と良く似ていたな、とディリウスは思う。
怜悧で無口な性質だったという祖父の性格を明確に知る人物は、祖母である皇太后かランディウスくらいなのだがどちらも詳しく語らない。
皇太后は地方の避暑地にある離宮にこもっているので、会うことすら滅多にない。
だから、似ている、と言われても外見だけなのか中身も含めてなのかがわからず、言われるたびにディリウスはいささか複雑な心境になる。
祖父が民にも貴族にも慕われる皇であっただけに。
「外見しか情報のない人と似ていると言われても反応のしようがない」
「…そういう冷めた物言いもそっくりじゃ」
初めて、祖父の内面に関する情報を口にした、と思ったらランディウスの表情はニヤリと意地悪い笑みに変わった。
「そう、群がるバカな女どもを容赦なく切り捨て、素知らぬふりをして観察しておる様とかのう」
「…さて、何の事だか」
皇太子の婚約者筆頭候補がその立場を下ろされたのは、一週間ほど前。
それだけの時間があれば、尾ひれ背びれをつけて話は国中に回っている事だろう。
回らせたのは他ならないディリウスで、実行したのは『白銀の鷹』の団員達、つまりディリウスの部下達だ。
内容としては、事実しか流していない。
ルーセンベルク公爵令嬢ミアーネ姫はザグリス殿下と恋仲になり深い関係にあることから、婚約者候補から降ろされた。
…事実しかない上、『白銀の鷹』の団員が各地に散って広めた結果かなりの早さで知れ渡った為、ルーセンベルク公爵家はなすすべがなかった。
ディリウスにしても、兄に婚約者(あくまでも候補)を寝取られた、という醜聞になるのだが、皇太子という身分上誰も表立っては言わないし、野心家達にとってみれば好機なので大した実害はない。
また、相思相愛の恋人たちの為に身を引いた、という好意的解釈(からかいも多分に含まれているだろうが)もある。これは好印象になるだろうから、まあ良し。
侮られれば、その分だけやりやすい、という考えもある。
結果として、完全フリーとなったディリウスに婚約の話が浮上し、あからさまではない程度のアプローチが増えていた。ディリウスもその周囲も一顧だにしていないが。
「一つ、聞きたいことがあっての」
聞きたいこと、に粗方の見当がついているディリウスは沈黙をもって先を促した。
「わざわざ、公爵令嬢とザグリス殿下との婚約を皇に進言したのは何故じゃ?」
「面倒事は手っ取り早く片付けたかったのが一つ。もう一つは、危険因子は一纏めにした方が管理しやすい」
淡々と告げるディリウスを、ランディウスはじっと見つめる。
裏を見透かそうとするような眼差しに、そっと息をついたディリウスは渋々口を開く。
「…妹が俺の婚約者筆頭候補だったのに顔を一切出さなかった公爵家継嗣が、皇太子に決まった途端に面会を申し出て来た。しかも毎日。公然と俺を嫌っていると知られておきながら、だ。鬱陶しいことこの上ないが、あの女があの立場では断り続けるのも色々と面倒何で、面会拒絶の理由を明確に作ってやっただけだ」
いけ好かない相手と話など俺も相手もしたくないんだから双方の為だ、ときっぱり言い切って見せたディリウスに、ランディウスは楽しそうに笑う。
「なるほど、そして皇に進言してザグリス殿下の政務補佐を引き上げ、その後釜にルーセンベルクの倅を押し込み、小娘を婚約者にして一ヶ所に詰め込んだわけか。ついでに、お前さんは部下の一人を回収できる」
はっきりと言わなかったディリウスに、面白がるようにもう一つの事実を突きつけたランディウス。
ザグリスの政務補佐は、ディリウスが皇宮で見つけ臣下として見込んだ文官の一人。それとなくザグリスの政務補佐に選ばれるように裏を動かし、情報の横流しをする役割に据えさせたのだ。
脳筋の気があるザグリスに政務補佐が数人付けられることは予想できたので、早い段階から動いていたディリウスには造作もなかった。
ちなみに、ザグリスが今の領地を賜ったのは6年前である。
「で、本題は?」
これ以上裏側を掘り返されていらんことまで喋られまいという気持ちを隠し、軽い口調で言葉を投げたディリウスに、ランディウスは好々爺とした笑みを浮かべつつ瞳に憤怒の光を宿す。
歴戦の猛将と称えられ、皇の守護剣とも称されたランディウスの沸点は高い。自分の力があらゆる意味で群を抜いて強いことを自覚しているからこそ、非常に寛容で懐深い。
そんなランディウスを怒らせた事案である、と知ってディリウスとエディオスはその原因に対して内心で盛大に罵った。
ランディウスの口から語られた『原因』に、沈黙の限界に至ったディリウスがなけなしの冷静さで消音結界を張った上で盛大に喚き散らすのは、数分後の事だった。