95.試練の後で
ミステルが怒り狂い、ヒルダが呆れ果てている間に、テオとハインツもこちらにやってきた。
「アローさん、あの何か強くて怖いやつ倒したんですか?」
テオがビクビクと辺りを見回す。どうやら彼は矢が尽きてしまったようだ。矢がないと、彼は間違いなくこの中で最弱だ。怖がるのも無理はない。
アローはそんなテオの様子に、どこか日常の気配を感じて何だかホッと一息ついた気持ちになった。
「ウィッカーマンだ。倒した、というか、和解した。今はこの杖になっている」
ベルの杖を振ってみせると、杖の中にいる彼女が《どうも》と答えた。まさか話すとは思わなかったようだ。テオが「ヒェッ」と声を上げてしりもちをつく。
「ふむ、君がウィッカーマンの中にいた魂か」
ハインツはベルの身の上について察しがついたのだろう。興味深げに近づいたが、ベルの方が勝手にアローの手をすり抜けて背の後ろに隠れた。
《貴方は何かいや》
「嫌、とは心外だな。偉大なる女神フライアは君の神様とは相容れないのかい?」
《フライアは我々、北の霧の国の地を見放した。だから、我々の地ではフライアは信仰されない》
ベルが固い声で答え、ハインツは肩をすくめる。
「なるほど。君は北の果ての地から来たのか。確かにあの地にはフライアの加護は及ばない」
「よかったな、ハインツ。オンナノテキの匂いがするとか、そういう理由じゃなくて」
「アロー君、あまり君の過激な妹君の発言を間に受けないでいただきたいのだが、女の敵の意味はわかっているのだろうね?」
引きつった顔になったハインツに、アローはしれっとした顔で答える。
「安心しろ。ロクでもない意味だとはわかっている。どうせ男女の営みについてのことだろう」
ハインツの顔がさらにヒクッとしたので、アローは当たらずとも遠からずなのだと確信した。
「純粋だった頃の君が懐かしいのだがね」
「つい半日前に青薔薇館で、僕が君に何を見せつけられたと思っている?」
「あれは仕事のひとつでもあってだね……」
ハインツが深いため息と共にブツブツと何やら言い訳を始める。
それを素知らぬ顔で聞き流していると、テオが興味深げに杖を観察し始めた。
ウィッカーマンがもういないとわかると共に、彼の泣き言はピタリと止まっている。わかりやすい。
ベルの杖はすでに漆黒の闇に包まれつつある夜の森でも、ほのかに発光しているのでよく見える。
「何か見た目だけなら前の何かキモい杖よりもかっこいいですね」
「キモい杖とか言うな。アレは師匠からもらった貴重なものなんだぞ」
「いやだって、アレは何か呪われそうな感じだったじゃないですか?」
「それについては私もテオに同意するわね。不気味だもの、アレは」
ヒルダにまでそう言われて、アローもさすがに少しばかり複雑になった。
見た目は普通だけど死霊が宿った杖よりも、見た目が不気味だが便利な魔法道具の方に拒否反応を示されるとは。
(結局のところ、ヒルダの拒否反応は見た目のトラウマが発端なんだろうな……。ミステルやリューゲにはすぐ慣れたし、一度振り切れたら死霊相手でも戦えるし……)
そもそも彼女にトラウマを植え付けたのは幼い頃のアローではあるし、なかなかツッコミもいれづらい。
これはこれで、ヒルダ自身も自分が越えるべき問題だと認識しているのだから、アローが責任を感じたからといって横から口出しをするわけにもいかないことだ。
「ところでテオ、君は僕の愛用の杖を不気味だと言うが、はっきりと言えばこの杖の方がよほど呪われているからな」
「えっ!?」
テオが一気に三歩ほど後退する。ヒルダも心なしか後ずさる。わかりやすい二人だ。
「安心しろ。僕が持っている限り、周りに呪いが及ぶことはないだろう。他の術師が持った場合の責任は持てないが」
《私はアローと共にゆく手段としてウィッカーマンの檻から杖を形成しただけであって、他の術師とはそもそも共にいる意味はない》
「だそうだ。使い魔というわけではないが、これもある種の契約だな」
「私は納得してませんけどね……。せっかくお兄様との絆が深まったというのに……」
ミステルが恨めしげな顔をしているが、こればかりはアローも勝手に連れてくると決めた手前、何とも言いがたい。
「使い魔はミステルだけだ。リューゲは契約が残っているというだけで頼るわけにはいかないし、ベルは基本、杖だからな。使い魔として頼るのはミステルだけだ。それだとだめなのか?」
「……ダメではありません。そうですね、私だけですよね。ふふふ、任せてください。お兄様には虫一匹寄せ付けません」
「いや、別に虫が寄ってきたくらいで追い払わなくても大丈夫だぞ。森では虫くらいいくらでもいたのに、今更何を言ってるんだ?」
「いいえ。悪い虫を寄せ付けるわけにはいきませんので。この私が厳選いたしますので」
「厳選……?」
もちろん、同じ『虫』でもミステルが考えているものとアローが考えているものでは、天と地ほどの差が存在する。しかしミステルはあえて否定しない。
ガンドライドの中での相互理解を経て、ミステルはこの色恋にはぼんやりしすぎている義兄を守らねばならないと使命感に燃えていた。
そんな義兄妹の様子に、ヒルダ、ハインツ、テオが生温い眼差しを送る。結局、依存と執着から使命感と過保護に移行しただけで、ミステルの心境は変わってもやっていることはさほど変わっていないのだ、。少なくとも、表面上は。
「でも、その……ベルさん?の呪いが解けたわけじゃないのよね?アローは大丈夫なの?」
ヒルダが八割の心配と、二割の疑念混じりの様子でアローに尋ねる。
疑念の内訳は「無理をしたり、本当はまずいことがあるのに隠したりしてないか?」といったところだろう。
信用をなくしたものだ。元はと言えばオステンワルドで無茶をした自分のせいだから、やはり何とも言いがたい。
「ウィッカーマンの中に入って呪われなかったんだから、大丈夫だろう。僕も生まれつき呪われているようなものだからな」
「でも、ウィッカーマンの中で魔法使ってたでしょ?ミステルが言ってたから」
「ああ、リューゲが教えてくれたんだ。竜鋼を削れば魔法一回分くらいにはなると。もう一度同じ手は使えないが」
手のひらに乗せて半分を覆うくらいはあった竜鋼は、今は爪くらいの大きさだ。
「さて、師匠の合格判定がどう出るかだな」
《ギリギリ合格にしてやらんこともない》
すぐに師匠の声が返ってきて、アローは思わず空を仰ぐ。
もちろん、空から聞こえるように感じるだけで、空に師匠がいるわけではない。幾重にも重なる木々の枝で、星はおろか月明かりすらロクに届かない森の夜空は、ただただ闇で塗り込めたように黒い。
《黒妖精の助言込みだから、ギリギリだ、甘ったれめ。だが、方法論については概ね正解だ。だから合格をくれてやる》
「……そうか」
《嬉しくなさそうだなぁ、馬鹿弟子。治してやると言ってるんだぞ、お前の身体を》
「それは嬉しい。感謝する」
だけど。
ウィッカーマンは、ベルは、いつ、誰にどうして、あんな風にさせられたのか。
ベルに神殺しをさせた連中が、自分を『作った』者と関連しているのか。
そうやって各地で神を弱体化させ、力を奪い、強力な呪いを振りまく連中がいるとして、その目的は何なのか。
そして……クロイツァは何故、アローとミステルを残して旅に出たのか。
聞きたいことがありすぎて、それなのに何も言葉にはならない。
答えてもらえるとも思えない。
《お前は馬鹿だが賢いなあ、アロー。また後で、な。あははははは!》
大魔術師クロイツァは高らかに笑い、そして。
「うわっ!?」
急に視界がぐるりと一回転して、ドサドサと重い音がいくつも響き渡る。
腰や手足の痛みに顔をしかめながら起き上がると、そこはアローの店の前。
王都グリューネに戻ってきたのだ。
「やれやれ、大魔術師様は手荒ですね」
ハインツの皮肉に、クロイツァは答えなかった。
アローは王都の高い建物の隙間から見える、半ばまで欠けた月の光に目を細める。
(また後で、か)
月光は淡く街の影を落とす。
ベルを握りしめながら、アローは想う。
(僕とベルは、何のためにこんな身体にされたんだ? 僕の母さんは何から逃げていたんだ?)