93.神殺しの生贄
「……今」
ミステルが一瞬、死霊を攻撃する手を止める。ヒルダが彼女に向かおうとしていた悪霊を仕留め、その足で友人の元へと駆けつけた。
「どうかしたの?」
「今、お兄様が魔法を使いました」
「えっ?どうやって?」
「わかりません。すぐに魔力が消えたので、魔術回路が戻ったわけではないかと」
「つまり、どういうこと?」
状況が見えてこず、ヒルダは首をかしげる。ミステルにもはっきりとはわからないようで、首を横に振った。
「もしかしたら、ウィッカーマンの内部で魔法を使える仕掛けがあったのかもしれません。ウィッカーマンも、ある種の死霊ですから、お兄様なら従えられるかも」
「つまり、また無茶してるってこと?」
「一応庇っておきますが、無茶なしでどうにかできる相手ではないかと」
「それは、わかるけどっ!」
話をしながらも、ヒルダは剣舞のように鮮やかに動き、確実に悪霊を切り裂いていく。
しかしなかなか数は減らない。切っても消しとばしても、その端から蘇る。確実に効いているのは、やはりハインツの聖霊魔法くらいのようだ。
「まぁ、アロー君だってヒルダ嬢にあそこまで言われて、簡単に命を放り出すほど愚かではないだろう。信じて待つといい」
「軽く言いますけどね、カーテ司祭……」
余裕で聖霊魔法を飛ばしまくるハインツを横目に、ヒルダはもう一度魔法剣を振るう。
「やっぱ竜鋼の剣、もらっとくべきだったかしら」
「ヒルダさぁん、ミステルさぁん、助けてくださぁぁい」
愚痴った側から、テオの悲鳴が聞こえてきた。どうやら矢が尽きてしまったらしく、涙目で逃げまくっている。
「だから俺は近接戦闘ダメなんですってぇ!」
「……フライアの加護をここに」
ハインツがテオを追いかけていた死霊を聖霊魔法で焼きはらう。
「うおっ、やばいっすね、ハインツさん、さすがですね!」
「今さっき君は自然な流れで私には助けを求めなかったが、どういうことかね?」
確かに、助けてもらうなら大量の死霊を操るのに忙しいミステルや、強いが基本的に一体ずつしか倒せないヒルダより、ハインツの方が確実だ。
しかし。
「司祭様は女子しか助けてくれないのかと思ってました」
テオが真顔でそう答えたので、ハインツも思わず真顔になる。
「テオにまで言われるとか、本当にちょっと色々素行を改めた方が良いのでは? カーテ司祭」
「今回ばかりはジャリガキにも同情しますよ」
ヒルダとミステルの冷たい視線を一身に受け、ハインツは引きつった笑みを浮かべながら聖霊符を取り出した。
ふんわり雑談しているようで、まだまだ悪霊は尽きない。
■
その頃、アローはウィッカーマンの中で死霊術を構築していた。
竜鋼の魔力と、小さな経路から引き出せる魔力はわずか。冥府から呪いに打ち勝てるほどの強い死霊を集めるのは無理だ。
だから、アローは冥府の門を開くかわりに、ウィッカーマンの『魂』をこじ開けた。
燃え盛る紅い炎のが視界を染める。
踊る炎の先に見えたのは薄く霧が幕を落とす世界。
針葉樹の匂いに混じって、何かの焼けこげる異臭が鼻をつく。末期の叫びをあげる、人とも獣ともつかぬ声。
「殺された呪われた殺したい呪いたい」
まるで歌でも唄うように、『それ』は小さく口ずさんだ。
それは黒ずんだ人形だった。近づいてみると、人形ではなく焼け焦げた人の成れの果てだと気がつく。
「君がウィッカーマンの本体か?」
アローは尋ねる。
ここがどこかはわからないが、少なくとも先ほどまでいたウィッカーマンの内部ではないのはわかる。
(ウィッカーマンの『核の中』といったところかな)
どうやらうまく潜り込めたようだ。
ぶっつけ本番の術で、呪いの内部に入り込むなんで、我ながらどうかしている。ヒルダが怒るのもわかる。少し反省した。
「呪いたい呪われたくない呪われた」
「呪いたくはないだろう、別に」
ただ繰り返しているだけだ、呪いを魂に焼き付けられただけだ。
アローが生まれることで魂に呪いを込められたのだとしたら、この『核』にされた『かつて人だったもの』は死ぬことで呪いを込められた。
生贄というのはそういうものだ。代償を術者以外に受け止めさせるための呪詛避けと、呪詛そのものを兼ねた存在。
それが悪意をもった呪術によって行われたものでも、たとえばその土地での信仰の形であっても、生贄は呪いだ。呪いにしかなれない。祝福などされない。
祝福されてはいけない。
薄く靄がかかった景色は、次第に晴れていく。そこにあったのは、森の近くにあったらしい集落の跡。
燃えて、焼けて、朽ち落ちている。
「呪ってしまった呪われるべきだった呪わなければならなかった呪うしかなかった」
「あれは、君の故郷か?」
「わからない、わからない」
(返事をしたな)
あれだけ会話がぐるぐると同じところを巡っていたことを考えると、どうやら相手も多少なりとも頭は冷えてきているようだ。
アローはこの場所を知らない。
そもそも、黒き森とグリューネと、あとはオステンワルドとその旅路以外に見たことがないのだから当然だ。
だが、空気でこの国ではないように思えた。身体の芯が冷えていくような冷気。間違いなく、ゼーヴァルトよりもはるかに寒い、北方の国を思わせた。
ウィッカーマンは北東の国に伝わる儀式呪術。おそらく本来はその土地の神に捧げる生贄の。
神と呼ばれるものの多くは、本来は人間のことなど考えてはいない。アールヴやスヴァルトのように肉体を伴い社会を築くことはしなかったというだけの、高次元の聖霊、悪霊の類だ。
当然、人に対して暴虐な神も存在する。ウィッカーマンは、その暴虐の神を鎮めて力を借りるための術式として開発されたのかもしれない。
気まぐれに人を気に入り気まぐれに手を貸してきたが故に、広く信仰されるフライアとは対極の存在。生贄を捧げるという条件付きで、自分の領域に人がいることを許す神だ。身勝手なようだが、基本的にこういった神は契約を重視する。だから生贄を順当に捧げていれば、少なくとも村は護る。それが絶大な呪いの力によるものでも、信仰する民にとっては神の奇跡となる。
「君は生贄にされた。でも、神はそれを受け入れなかったと?」
そして、村は滅ぼされた。そういうことだろうか。
しかし、炭化した黒い身体をカタカタと揺らしてソレは否定した。
「違う違う違う。私は呪われた呪わされた!」
「呪わされた?」
「あいつらがきて、神を殺した。だから呪われた、私は神の元に行けなかった、私に神を呪わさせた、神の呪いが私になった」
言っていることが支離滅裂のようだが、何気なく真理に近づいている。
(あいつら、ってことは第三者が村を……もしかしたら、その村と契約してた聖霊を殺した?まさか、聖霊なんて簡単に滅せるものではないぞ?)
それはつまり、人が神殺しを果たしたということだ。神に名を連ねる、強大な聖霊を滅ぼした。その結果として集落も滅びを迎えた。後に残ったのは、生贄にされたものの悲哀と絶望と、殺された神の怒りをも内包した呪詛の塊であるウィッカーマンだけ。
(そんなことが、本当にできるのだろうか?)
だけど頭のどこかで納得していた。
クロイツァはどうしてウィッカーマンをアローに差し向けたのだろうか。
このウィッカーマンは『どこから、何のために連れてこられた』のか。
もちろんクロイツァがこのウィッカーマンを作ったわけではない。かの大魔術師はこの手の儀式呪術を好まない。ましてや弟子を鍛えるためだけに、多くの人を殺して木の人形に閉じ込めるなんて悪趣味なことはしない。
それだけは、直弟子であるアローには誓って信じられることだ。
それに、アローは知っている。強烈な呪いを生み出そうとしている人間が、この世界のどこかにいることを。
何故なら、アローがそうやって生み出された呪いだからだ。
「そうか……だから僕が、君を救わなければならないんだな」
他の何者でもなく、自分が。
このウィッカーマンの件と、自分の件はきっと無関係ではない。こんな強力な呪いを生み出す存在が、いくつもあるとは思えない。
「救う?救われない?呪われたから、救われない。誰も誰も誰も……」
黒い塊がカタカタと震える。
「誰も、助けてなんてくれなかった……」
「これから、僕が助ける」
黒く焼け焦げて縮んだその手を取る。熱が自分の指先を焦がしても、構わなかった。
「僕が、僕を呪い、君を呪った者と戦う。だから行こう」
この身体は呪われていて、世界は常に冥府の隣にあった。それが当たり前で、それが全てで、受け入れられるはずもない生きるものの世界を遠くに眺めてきた。
だけど森を出て、アローには今、全てを知っても手を取ってくれる人がいる。
「僕が君の手をとろう」
「助けられるの?呪われないの?」
「助けられるかはこれからの僕の頑張り次第だが、少なくとも僕は君に呪われない。僕は君を呪わない」
黒い指先から、少しずつ、少しずつ焼け付いた炭が剥がれ落ちていく。
細いその指先は少女のもの。
薄紅の髪をした少女が、泣いている。
「私は……呪いたくない」
「僕もだ。だから、一緒にいこう。君の命を救うことはできなくても、魂は救えるだろう」
今度はしっかりと手を握る。
「君の名前を教えてくれ」