92.災厄の少年は救いを臨む
竜鋼の表面に銀色の光が集まっていく。
《……話?》
やがて、怨嗟の声に混じってその声は聞こえてきた。
「そうだ。安心したぞ。会話が成立する核でないとここまでしたのに無駄になるところだった」
核が魔石や魔獣の類ならば、この中から探し出して物理的に叩き壊すしかなかったところだ。さすがのアローも屍肉の中を漁るのは嫌だ。
相手が人の言葉を話せて、交渉の余地があるということは、何と素晴らしいことだろう。
《話すことは、ない》
「君になくても僕にはある。この呪いを解きたいと思わないか?」
ウィッカーマンは凝縮された呪いの塊だ。
ガンドライドが森で死んだ無念の魂の集合体なら、ウィッカーマンは生贄として焼き殺された人と獣の魂が悪霊となったもの。
そこには自然の摂理などはない。人間の慣習と盲信と悪辣が生み出したものには、言葉が通じたところで善意に訴えかけることは無意味だ。
《死んで殺して壊して痛い嫌だやめて死んで死ね殺す殺された死んで死ね死ね殺す》
「落ち着け。それと呪詛を吐くな。それは僕には無意味だ」
ウィッカーマンは錯乱している。と、アローは解釈した。
それはそうだろう。触れるものすべてが呪われて朽ち落ちるウィッカーマンの、腹に穴を開けて入り込むなんて普通は誰もやらない。
《なぜ、呪われない》
「だからすでに呪われているものを、呪ってどうする。こちらは産まれた時から呪いのかたまりみたいなものだぞ。今更だ」
とは言っても、アローがウィッカーマンの呪いに負ける可能性はあったわけで、弱体化させられてなければ厳しかっただろう。
(なるほど、師匠がどこまで計算していたかわからないが、仲間集めを許可するわけだ)
だが、ここからはアローの独断場とするしかない。
《話すことはない。私は呪う。すべてを呪う。呪われないものは消えろ》
「そうはいかない。これには僕の命だけではなく仲間の命もかかっているし……それに、君を救わないわけにはいかない」
《救う?誰を?何を?君とは誰?》
「君は君だろう。ウィッカーマンの核」
《私は私ではないから君にはならない。救わない。救われない。死んで死ね死ね死ね殺す》
「堂々めぐりだな。もう少し正気に戻って欲しいところだが」
時間が経てば経つほど、こちらが不利になる。悪霊をミステルたちに任せているということは、唯一強制的にウィッカーマンを浄化できるハインツの手を塞いでいるということだ。
せめてある程度簡易化された聖霊魔法で、素直に浄化されてくれる程度に『理解』してもらわなければ困る。
竜鋼を通して会話をするだけでは、なかなか上手くはいかなさそうだ。
《……お困りかしら?》
竜鋼から、急に違う声が聞こえてきた。
師匠ではない。師匠はこんなところで手を貸したりはしない。
「リューゲ、今回、君の手は借りれない」
その声はこの場から除け者にされてしまったリューゲのものに他ならない。
肉体はないとはいえ仮にも正真正銘、純血のスヴァルトだ。しかもアローの契約妖精でもある。その気になれば彼女はクロイツァの妨害を越えてアローと接触できたのだろう。
《勘違いしないで欲しいのだけど? 私は手助けなんてしないわよ。そこまでしてあげる義理もないし?》
「わかっている。君には契約以上のことは求めない。師匠が見ているだろうから、一応な」
《物分りが良い子は嫌いじゃないわぁ》
竜鋼の向こう側から、リューゲの笑い声がかすかに届く。
《だからご褒美に良いことを教えてあげる。別に助言をするなと言われてはいないのでしょう? 竜鋼はそれ自体が魔力を持ってるから、この首飾りでも一、二回なら空けた穴を通して魔法が使えないことはないわ》
「は?魔法が?」
それはさすがに聞き捨てならない。魔法が一切使えない前提で、ここまで戦ってきたのだから。
《竜鋼は使った分だけ削れるし、竜鋼を通して無理やり貴方の魔力を取り出すことになるから、それなりに覚悟はしてちょうだい》
「なるほど……」
竜鋼が削れてしまっては、ミステルの声が聞こえなくなってしまう。だから最初、彼女はこの使い方については言及しなかったのだろう。ミステルの声を聴くためにあつらえた物なのだから。
実際、ミステルが媒介なしで顕現できるようになっていなければ、この方法がわかっていてもアローはなかなか使う気になれなかったはずだ。
「わかった。ありがとう、リューゲ。これでこの頭のこんがらがってるウィッカーマンもどうにかできそうだ」
《この呪い人形をどうにかできるほど、大きな魔法は使えないと思うけれど?》
「大丈夫だ。僕は別にこいつを滅ぼしたいわけじゃない。……救いたいんだ」
ガンドライドの時に、師匠クロイツァは「倒してみせろ」ではなく「救ってみせろ」と述べた。
つまり、倒すのではなく救うのが正解ということだろう。
ガンドライドは、集合体となると厄介だが、未練が強いだけで呪われてはいない。だから強制的に冥府に叩き込むだけでどうにかなった。
ウィッカーマンは呪術で作られた存在だから、単純に破壊しても滅ぼせないし、おそらくそのやり方では単純に消滅するだけとなる。
呪いは魂を削る。後に残るのは虚無だ。このウィッカーマンは、おそらく術者が受けるはずの代償を生贄に肩代わりさせることで機能している。だから消すことなく救うにはこの強烈な呪いそのものを解くか、呪いの干渉を抑えるしかない。そして、前者はアローの手にはあまる。自動的に後者だ。
《せいぜい頑張りなさい。私はまだまだ、久しぶりの外界を楽しみたいのよ》
「任せろ」
それきり、リューゲの声は途切れた。代わりのように、悪霊の怨嗟のざわめきが戻ってくる。
アローは竜鋼を握りしめ、目を閉じる。
《貴方、何をしたの?》
「少しばかり契約妖精と雑談していただけだ。安心しろ。君のことはきちんと救う」
《呪われろ呪われた呪われろ呪われた呪われろ呪われた》
「それはわかった。わかったから話を聞け。聞かないのなら……君自身に直接会いに行くまでだ」
目を開ける。
アローの目が紅く輝く。狭いウィッカーマンの内部が、紅く紅く燃え上がる。無数の腕が救いを求めるようきアローの身体に取りすがっている。
目が熱い。竜鋼を通して無理やり回路を開いているわけだから、やはり負担は相当かかるのだろう。
(それでも『救う』のが答えというのなら)
災厄として生み出された自分を、理由は様々でも生きて欲しいと望む人がいる。
災厄にならずに済む方法を、教えてくれた人がいる。
そういった人々に救われた結果として、今、アローは人間として生きていける。呪われた『災厄』ではなく、ただ一人の少年であることを許されている。
命は差し出すものではない、ましてや賭けるものでもない。命を繋ぐために、命を守るために、命をその先の未来へとたどりつかせるために、力を尽くすのだ。
その方法を、今までアローは知らなかった。死は常に隣にあって、隣になかった。すぐそこにあるのに、見えない壁の向こうにあった。手を伸ばせば引きずり出せたが、手を放せばまた孤独になった。
森を出て、仲間ができたから、アローはここにいられる。
(そうだ、僕は――ずっと許されたかった)
森の奥でずっと、ずっと。誰かに許してもらえるのを待っていた。本当は待つ必要などなかった。
こちらから手を伸ばして、求めて、はじめて誰かに許される。誰かに存在を認められる。それがわかったから。
(だから、僕も――全てを許せるようになろう)
それがどれほど呪わしきものであっても。いや、呪わしきものこそを、許すことができる者になる。他の誰でもなく、呪われている自分だからこそ。『災厄』の自分が『災厄』を救う。
《誰も私を救わない、救えない、救わない救わない救わない救えない……》
「勝手に決めるな。僕を見ろ。任せておけ、僕は稀代の死霊術師だぞ」
それはいつもミステルが落ち込むたびに、アローが彼女を励ますために使ってきた言葉。
そしてアロー自身が、自分を見失いそうな時に口にしてきた言葉だ。
英雄でもなにでもない、本当は特別でも何でもない、生まれた瞬間に押し付けられた力に振り回され続けた少年の、自分を強くするための呪文。
「どんな呪いでも受けてやろう。それで僕を呪い殺せるものなら、試してみるといい。誰が言い出したかは知らないが、なにせ僕は『生ける死者の王』だからな。もう君に、誰も、何物をも呪えなくしてやろう」
紅い世界の中でも、なお紅く輝く瞳で。
『生ける死者の王』は約束の言葉を口にした。
『死を記憶せよ!』




