83.閉じた世界を壊すために
光もろくにささない森の中。
「ミステル……」
アローは呆然と、ミステルが消えた地面に触れる。
実際の森と同じように、湿った枯葉の感触と腐葉土の匂い。
《さぁ、どうする?》
「さぁ、どうするの?」
クロイツァの声と、ガンドライドの声が重なる。
「趣味が悪すぎるな、師匠」
《そうでもないさ。お前が今まで目をそらしていただけだ。ミステルが望んだからだと言い訳をして、自分のためにミステルを救ったつもりでいただけだ。どちらが悪趣味なのだ?》
「…………それは」
それについては、アローにも反論はできない。
ミステルを想うなら、彼女を眠らせておくべきだったと。そう考えたのは自分だ。間違っていると断罪したのも。
ミステルが、そう望んだから。
そばにいたい、と言ってくれた彼女の気持ちを利用した。ただひとりの家族を失いたくなかった。
ミステルはアローのために呪いに手を染めた。アローのために呪われて、アローにはそれを告げずに死に、死してもアローのためだけに存在しようとした。
彼女をそこまで駆り立てたものを知らずに、彼女の想いに甘えてきた。
《お前の魔術回路が治ろうと、そうでなかろうと、お前がそんなヌルい考えで生きている限り、何度だって間違うだろう》
「それは……認める。だからと言って、ミステルを巻き込むな」
《認めるなら現実を見ろ。ミステルは死んでいる。引き留めているのはお前だ。お前は自分の意思でミステルを使い魔にしたんじゃない。ミステルの甘さに付け入って甘えただけだ。私に言わせれば、お前らはどっちも砂糖で固めたみたいな甘えた同士だぞ。私が巻き込んだのではない。お前らが勝手に自滅したのだ》
「そうね、ズルいわ。もっと世界は理不尽にできているはずよ。自分たちだけは特別が許されるなんて甘えだわ」
クロイツァの言葉に、ガンドライドが賛同する。ひとつの口から聞こえてくる二つの笑い声。
(ここはガンドライドの、内側……)
恐らく、クロイツァがアローを『鍛え直す』ためにわざわざ用意した、黒き森の怨念の塊だ。
やはり趣味が悪すぎるとは感じる。一方で、クロイツァの言が正しいことも、頭では理解していた。
アローにはミステルしかいなかった。ミステルもアローしか選ばなかった。
アローは選ばなければならないのだ。これからもずっと、ミステルと二人だけの閉じた世界にいるわけにはいかない。
森から出たのは他の誰でもない、アローの意思だ。ミステルを理由にしてアローは森から出た。だから、二人だけの世界を壊さなくてはいけない。そうすることで、初めて外の世界と向き合える。
ここは、大魔術師クロイツァがそのために用意した世界の狭間。
「……わかった。僕はミステルを救う。ミステルだけではなく、お前の中にある魂すべてを救おう」
《ほう、大きく出たな》
「それくらいやらないと、師匠が納得するとも思えないしな」
無論、クロイツァの納得感のためだけにやるわけではない。
死は誰にでも、平等に訪れる。平等であるが、誰にでも死に方を選べるわけではない。死という結果は平等でも、死に至る工程は平等ではない。
だから恨む。怨む。ある者は人の世界をさまよい、ある者は怨嗟の声を上げて煉獄の扉を叩き続ける。幸せな死に方ができる方が、珍しいのかもしれない。
「僕が救う。ミステルも、理不尽に死んでいった魂も。何せ僕は『生ける死者の王』らしいからな」
《そうだな。お前は生きていながら死者を従える》
「僕がガンドライドを支配する王となろう。それでこの世界からも出られるはずだ」
ガンドライドの少女はニタニタと笑う。
その表情は、師匠クロイツァがよくするそれになっていた。
大魔術師クロイツァは多くの魔術を収め、年齢や性別も超越えて、あらゆる事象を調べ尽くして『飽きて』いる。
そんな大魔術師が見つけた趣味が、アローを『育てる』ことだ。つまり、アローが成長してくれなければ、クロイツァは退屈でたまらないのだ。
《さぁ、楽しませてくれ。そしてお前が森を出て何を得たのかを見せてくれ。その先にはきっと……お前の望むものがある》
森の風景が歪む。懐かしい枯葉と腐葉土と木々の匂いが霞む。
《期待してるぞ、不肖の弟子よ》
暗い、暗い闇の中でクロイツァの笑い声が響く。
「わかっている。間違いはきちんと、正すべきだってことくらい……」
■
その頃。
「こ、今度は蛇なの?」
息絶えたかのように思えた首なしの狼の腹を破り、今度は大蛇が現れる。
「このっ!」
ヒルダが身体を両断するが、上半分がそのまま塔を這い登り始めた。
「何でこんな見た目気持ち悪い感じのばっか出てくるんですか? 勘弁してくださいよ!」
テオは半泣きになりながら、それでも矢を放って塔の屋上に迫った蛇の目を着実に射る。
「近接戦闘は勘弁してくださいね!」
二本、三本と射て、蛇の半身は土けむりをあげながら地面に落ちた。
その流れ落ちた血の中から、無数のうごめく赤い人の手が生えてくる。
「んぎゃぁぁぁぁ!」
「ヒルダ嬢、その悲鳴は年頃の娘としてどうかと思うのだが」
蛇の下半分を聖霊魔法で灼きはらいつつ、ハインツは呆れた声をあげたが、ヒルダはそれどころではなかった。
今まで出てきたのが魔獣の系統ばかりなのでまだ冷静に戦えたのだが、血みどろの手の群れは見た目で拒否反応が酷い。
ヒルダは立ち尽くしたまま動けない。狼や蛇に比べればはるかに容易いはずなのに、剣が重石に変わってしまった。
「俺もこれは嫌です!」
テオが血塗れの手をひとつひとつ、矢で射ているが、数が多い。そして彼も別に怖いものが得意なわけではない。
「やれやれ、君たちは……」
ハインツがため息を吐きながら聖霊符を出す。
「まとめて冥府送りにしよう。下がっていたまえ。……フライアの加護をここに!」
ハインツの要請に従い、青白い光が円を描きながら地面を埋める手の群れを囲み、そして白い光の粒を撒き散らしながら一帯を浄化する。
ごく初歩の浄化魔法だが、手のひとつひとつはテオの放った矢で消える程度のものだ。
女神の加護で強さを増したハインツの聖霊魔法なら、一瞬で終わる。
「あ……おわっ…た?」
地面にへたり込みながら、ヒルダはつぶやいた。そこに血だまりもなければ、赤く染まった手もない。それどころか狼や蛇の残骸すら残っていない。
「違うわ。どうやら親玉に回収されたみたいねぇ」
その声に、ヒルダは顔を上げる。そこには浅黒い肌の美女が浮いていた。
「リューゲさん?」
「女神の匂いがプンプンする司祭がいるから、あまり出てきたくなかったのだけど」
リューゲがちらりとハインツを見やる。
ハインツはと言えば、伝説の存在であるスヴァルトの姿を見ても驚くでもなく、ただ困ったように肩をすくめた。
「こればかりは、私が加護を止めてくれというものでもないのでね」
「フライアと私たちはソリが合わないのよ」
しかし、リューゲはそれでも姿を現した。ということは、何か理由があるはずだ。
「アローに何かあったんですか?」
ヒルダは辺りを見回す。アローがどこにも見当たらない。狼の頭の残骸があったあたりで、別れたはずだったのに。
「連れて行かれたみたいね。私は身体と一緒に置いて行かれたわ」
「えっ、えっ?」
困惑するヒルダをよそに、リューゲは腹立たしげに唇を噛む。
「……何なのかしら、あの魔術師。妖精族の私を弾き出すなんて」
ヒルダは走り出した。先ほど彼が立っていたはずの場所に。
そこには、まだちゃんとアローがいた。草むらの中で、銀髪の死霊術師は眠っている。揺すってみても、ピクリとも動かない。
「ねぇ、アロー、アロー!」
その様子が、オステンワルドで倒れた時と重なって、ヒルダの背筋には嫌な汗が伝っていく。
「ミステル、ミステルは?」
遺灰の詰まった瓶に話しかけても、やはり返事はない。
「無駄よ。私が弾かれたくらいだもの。外から起こそうとしたって、起きないわ」
リューゲがヒルダの元に転移してきてそう告げる。半ば泣きそうになりながら、ヒルダは彼女を見た。
「でも、アローが……」
「冥府に連れて行かれたわけではないから、安心しなさい。少し眠っているだけ。あの魔術師、最初からこちらと分断させるつもりだったのねぇ」
仲間を連れてきていいと、クロイツァはアローに告げた。ヒルダには手伝えることがあるかも、と。
だが、共闘できるとは言っていない。そもそも、今の死霊術を使えないアローは、仲間に頼らざるを得ない。
そのやり方でクロイツァが納得するわけがなかったのだ。
「信じて待ちなさい。この坊やは、常闇竜を討つために黒妖精も動かした子よ。簡単に負けるものですか」
リューゲが微笑む。
ヒルダもまた、うなずいた。ミステルもいないということは、少なくとも彼女はアローのそばにいるのだ。
「私は、二人を信じる」




