81.ガンドライドと死者の王
ガンドライドが森から王都にたどり着くまでの間。
その間にアローは、魔法道具の追加をし、ハインツに聖油と聖水を用意してもらった。
「テオはやじりにとにかく全部、聖油を塗りつけておいてくれ」
「これの代金って……」
聖油の瓶を受け取って、テオが据わった目になる。弓で多大な借金を抱えてしまっているだけに、悲壮感があった。
彼は生まれこそそれなりの貴族といえども家に居場所がなく、騎士団に放り込まれた身分だ。家に泣きつくなどという選択肢もないのだろう。流石に若干哀れである。
「安心しろ、ハインツに持たせる」
「そうですか、よかった……流石にこれ以上借金が無限に増えていくのはちょっと」
二人のやり取りを側で聞いていたハインツが、少しだけ遠い目になっている。
「君たち、自然な流れで教会にたかったね?」
「迷える信者を救ってくれ、フライア様」
「確かに偉大なるフライアは私を救ってくれるが、残念ながら君たちまで救う義理がない」
「女神は不条理だな。では言い方を変えよう。グリューネの教区を守るための必要経費だ」
「それなら女神フライアも許すだろう」
即座にハインツがいい笑顔で言ってのけたので、アローとテオは二人で全力の白い目を披露した。
しかし女神フライアに愛されし司祭は動じない。
「いくらフライアに愛されていても、経費で落とす理由がつけられないと予算は降りないのだ。それが世界の摂理だ」
「世界の摂理ではなくて、教会のしょっぱい規則だな……」
女神フライアの寵愛は、教会の大人の事情の前に容易く負けた。
「テオ、アロー、こっちは大丈夫、使えるわ」
近くにあった石造りの小さな建物の屋上から、ヒルダが顔を見せた。
ここはグリューネの城下から馬で一刻ほどの場所にある古い物見塔だ。とはいっても、一般家屋の三階建てほどの高さしかない。
おそらく百年単位で放置されているものだ。昔はこの辺りに村でもあったのかもしれない。辺りにはいくつか井戸の跡や家の跡らしき痕跡はある。
街道沿いにあって見晴らしがよいためか、この塔だけは残されている。ヒルダの言う通り、建物の状態は案外悪くないようだ。
王都の城門が開いている時間に城下に入れなかった旅人が、一晩をしのぐのにも都合がいい。
きっと定期的に誰かしらが使っているのだろう。今のアローたちのように。
「じゃあ、テオは塔の上からひたすら射手として頑張ってもらうことになるな」
「あ、良かったです。さすがにあの時みたいに最前線に放り込まれたらどうしようかと」
テオはあからさまにホッとした顔になる。
「ちなみに敵は多分空も飛べる」
「あれっ、俺、逃げ場なくないですか?」
「多分、だ。ガンドライドの内訳に空を飛ぶ系統の魔物がいないことを祈ってくれ」
「それ絶対いるやつですよね!?」
そうは言いつつも彼は素直に塔へと上がっていく。度胸があるのかないのかわからない。
入れ違いになるように、ヒルダが降りてきた。
いつも持ち歩いていた杖ではなく、普通の剣を帯びているのを見て、彼女は興味深そうに覗き込んだ。
「アロー、今回は普通の剣なのね」
「ああ、あの杖は魔力がないと使えないからな。だが、これも魔法剣だから死霊にも効くぞ」
「つまり、死霊が出る……と」
「だから最初は君を呼ぶつもりはなかったんだが」
「だ、大丈夫よ。私だって魔法剣を持ってるから。剣で斬れる……剣で斬れるわ、大丈夫よ」
全く大丈夫そうではない。
オステンワルドでアローが冥府から戻ってきた時は、普通に戦っていたように見えた。多分あれは色々振り切った後だったのだろう。
カタリナの時のことを考えると、振り切れるまでの時間が短くなったことに格段の進歩を遂げているといっていい。
とはいえ、彼女に精神的な負担をかけるのはアローの本意ではなかった。
『お兄様、私には見えてないので状況はよくわからないのですが、勝算はお有りで?』
ミステルの問いに、アローは唸り声を上げる。
ハインツとヒルダ、そしてテオと、魔法、物理攻撃、遠隔射撃の達人を連れてきているのだから、常闇竜よりは遥かにやりやすいはずだ。
しかし、アローは決して参謀として優れているわけではない。いつもなら自分で、死霊術を駆使して戦えるからだ。綿密な作戦などなくても、死霊は即座に思い通りに呼び出せた。
そして、仲間に頼りきりの戦法であの師匠が納得するとも思えない。
「ひとまず、ここで迎え撃てば僕らがやられない限り王都に影響はないだろう。いくら師匠の根性がねじれ曲がっていても、こちらを無視してガンドライドを王都に突っ込ませるとは思えないしな」
『そうですね。我々はだいぶガンドライドを怒らせましたし。素直にこちらに向かってくれるでしょう』
「アロー、そのガンドライドっていうの、森で一度倒してきたのよね。死霊術なしでどうやって倒したの?」
純粋に不思議だったのだろう。首を傾げるヒルダに、アローも特に隠すことでもなかったのでつらっと答えた。
「潰した」
「はい?」
「木を倒して潰して、その中にありったけの魔法道具を詰めて爆破した」
「思ってたよりエグい!」
「僕は持てる力で全力を尽くしただけだが」
「ミステルが言ってた、アローが怒ったら怖いっていうの、よくわかったわ……」
心なしか後ずさるヒルダに、さすがのアローも少しばかり傷ついた。森の中は弱肉強食。物理的に叩きのめすのが一番公正だと思うのだが。
「ガンドライドが来るまで推定、あと半刻だが……」
「いや、もう来たね」
ハインツが聖霊符を掲げる。
「フライアの加護をここに!」
即時発動の聖霊魔法が光の円を描いて、中空に展開されていく。その中心に血肉を滴らせた銀の狼が現れ、食らいつく。
「でかいな!?」
「えっ、そこ、アローが驚くの?」
「僕が倒したのはあの半分くらいの大きさだったな」
「えええ?」
混乱しながらも、ヒルダは剣を抜いた。血みどろだが、最初に出てきた姿が狼だったのは助かった。魔獣の外見ならヒルダの動揺は最小限に抑えられる。
「さて、私も乙女の告解を聞くのに忙しいのだ。できれば手早く済ませたいものだね」
聖霊符を取り出しつつ言い放つハインツに、ミステルのツッコミが瓶からボソボソとこぼれ落ちる。
『貴方が忙しいのは男女の営みでは?』
「それは誤解というものだな、ミステル嬢。……フライアの加護をここに!」
聖霊魔法の光が狼の銀の毛皮を灼く。
(相変わらずでたらめな早さだな)
祈りを捧げ、女神に承認されるまでどうしても時間がかかる聖霊魔法が、願えば一瞬で出てくるのだ。
リューゲがハインツと会った途端に、だんまりを決め込んでしまうのも致し方ない。
「ヒルダ、聖霊魔法が途切れた隙を願う」
「了解!」
ハインツが再び放った一閃の後に、ヒルダは跳ねるように地を蹴り、そして確実に狼の喉笛を切り裂く。アローも一歩遅れて腹に一撃。とはいえ、やはりヒルダほどにはきちんと急所を狙えはしない。
「クロイツァの弟子!」
狼のから聞こえてきた怨嗟の声は、すでに少女のものではなかった。
「「「「貴様は」」」」
「「「「絶対に、絶対に」」」」
「「「「許さない」」」」
幾重にも重なった声が呪詛を吐く。男の声、女の声、老人の声、子供の声。
「「「「死ね!!」」」」
半ばで切り裂かれた頭部が身体を離れて、頭だけでアローを追いかけてくる。
「ひぎゃぁ!」
色々台無しな声はヒルダのものか。
アローはとっさに避けたものの、剣を弾き飛ばされた。
「……っ、と」
腰にもう一つ短剣も持っているが、これでは魔獣には刃が通らない。そもそも、態勢を立て直している間に噛み付かれる。しかし、追撃はすぐに来なかった。
(どうする!?)
巨大な狼の頭は、テオの放った矢によって目を潰され咆哮を上げてのたうっていたからだ。
そこに、ハインツの聖霊魔法が追撃をかける。
「わかってはいたが、今一番役立ってないのは僕だな……」
一通り武器は使えても、それなりに使えるというだけの器用貧乏だ。各部門の手練れの前では、二歩も三歩も劣る。
「落ち込むのは後にして、アロー」
「ああ、すまない」
ヒルダが魔法剣を拾ってきてくれたのを、受け取る。
「君も大丈夫か?」
「だ、大丈夫よ。さっきはちょっとびっくりしただけ……そう、あれはただの大きな狼……ちょっと首のイキがいいだけの……狼」
やはり全然大丈夫ではなさそうだった。しかし頑張ってもらうしかない。
首を失った胴体の方は、塔の壁をガリガリと爪で削っている。
「うえええ、ある意味竜の時よりもいやなんですけどぉぉ」
嘆きの声をあげながら、それでもテオはしっかりと首にバシバシと矢を撃ち込みまくっている。
「テ、テオの援護、してくる。大丈夫、あれはただの魔獣。ちょっと首がないだけの魔獣……」
「……頼んだ。剣では斬れる、ぞ?」
「りょ、了解」
ヒルダが駆け出していく。その背を見送り、アローは手持ちの魔法道具を確認した。
閃烈魔法が二つ、爆破魔法が三つ。あともう少し時間をかけられたら、もっと持ってこられたのだが。
(だけど多分、魔法道具を使って倒すということに意味はない)
それが正解ではない。師匠が自分に何をさせたがっているのか、それをわからないと意味がないのだ
師匠が何故、ガンドライドという『死霊と悪霊の寄せ集め』を、今のアローと戦わせたのかを、知らなければ。
《そうだ。お前はもっと知らねばならん。倒すだけなら、お前の仲間で事足りる》
師匠クロイツァの声が耳朶に響く。
《さぁ、これからが本番だ。私の連れてきたガンドライドは『森で不条理に死んだ魂』の集合体。お前はそれをどう受け止める?なぁ、『生ける死者の王』よ》
その声が、聞こえて。
『お兄様!』
ミステルの悲鳴のような声で我に返った時には、アローの身体は地から這い出した死霊の手に絡め取られていた。




