77.困った時は物理で殴れ
針葉樹のような濃い緑の髪、紅い瞳。その少女は森の中に忽然と姿を現した。
森には似つかわしくない光沢を纏った白い天鵞絨のドレス。腰には赤い紐を巻きつけている。
「師匠の使い魔か?」
「答えてあげる義理はないけれど、今はそう解釈してくれていいわ。貴方には悪いけど、殺してもいいって言われているから……ふふ、久しぶり……久しぶりにだわ……人が殺せるのね」
嬉しそうに少女はくるくると回る。
「貴方、踊りは踊れるの? 私と一緒に踊ってくれる?」
彼女の笑顔が、口が、耳の辺りまで紅く裂けて大きく口を開ける。
「人狼か」
緑色のドレスは引き裂かれ、大きく口を割いたその少女は白銀の毛皮を持つきゅだいな狼へと変貌した。
アローは反射的に閃光の魔法道具を投げつける。
「誓約せよ、発動」
閃光が暗い森を一瞬眩く照らし出す。しかし踊り出た白銀の獣は傷一つなく飛び出してきた。地面を転がってそれをかわし、精霊の縄を投げつけて、一度木の枝の腕に避難する。
「あら、その程度の高さに逃げたところで、私は貴方に噛みつくのをためらったりしないわよ?」
狼の口から、少女の嘲笑が聞こえてくる。
「それと、別に私は人狼じゃなくてよ。私は森を行く者、闇から生まれる光の聖霊。いわゆるガンドライドの親玉みたいなものね」
「なるほど」
ガンドライドは亡くなったものたちの魂を冥府へと導く聖霊のたちのことだ。あらゆる死霊を取り込み、肥大化して、冥府へと渡っていく。その導き手となるのは光の聖霊アルキアと呼ばれている。
アルキアが率いるガンドライドの通り道を遮ると、そのものは死に至り魂がガンドライドに取り込まれるとされている。古い神話では、冥府の女神ヘカーティアが率いているとも。
だが、それはあくまで民間に信仰されているガンドライドの姿だ。
死霊は必ずしも冥府に導かれるとはかぎらない。それはアローが自分の目で見て散々確認してきている。そんなに簡単に冥府に召されてくれるのなら、死霊術は成り立たない。
ガンドライドの正体は、死霊を含む精霊、悪霊、魔物の集合体。その中で一番強い『統率者』が彼女ということだ。今にして思えば襲ってきた魔獣たちもガンドライドの一部だろう。
「それで、どうするの? もう少し遊んでくれないとつまらないわ。私を楽しませてくれたら、私たちの隊列に加わる名誉をさしあげましょう」
「それはとてもいらない気遣いだ」
とはいえ、死霊術が使えない状態では面倒な相手なのは事実。
何せ相手は集合体なのだ。その気になれば隊列に加わった魔物の分だけ分裂できる。狼や少女以外にもいくつか姿や特性をもっているに違いない。
『ガンドライドですか……統率者だけを叩けるのならよいのですが』
「ふーん、お困り?」
ふと横を見ると、リューゲが木の枝の隣に座って、足をぶらぶらと揺らしている。
「困ってはいるな。魔法道具と物理攻撃でどうにかできるとは思えない」
「手は貸さないわよ?」
『何のために出てきたんですか……』
ミステルがイライラと吐き捨てたが、リューゲは素知らぬ顔でガンドライドの狼を見下ろしている。
「いつでも手を貸すなんて思わないでちょうだい。高みの見物をしてみたくなっただけよ」
『今はどういう状況かわかってますか? 空気を読んでください』
「いや、リューゲのいうことは正しいぞ。彼女の手をかりたら、師匠はきっと大げさに『つまらん』を連発して、僕のことを放ってどこかへ消えるだろう。ミステル、これは単純に僕が苦難を乗り越えるかどうかの問題じゃなくて、いかに師匠を楽しませられるかという問題だ」
『わかってましたけど、本当にろくでもないですね、あの方は!』
「そう言うな、ミステル。リューゲの手を借りたら確かにガンドライドくらい倒せる。だけど、それじゃ多分師匠は納得しない。だけど、師匠は僕がリューゲの力を全く借りられない状況にはしていない」
『どういうことですか…………』
「僕が師匠を納得させられるくらい面白い機転をきかせてリューゲを説得するか、リューゲの力を直接借りずにリューゲに協力してもらうか、だ」
リューゲはちらりとアローを横目で見て「ふぅん」と興味なさそうにそっぽを向く。
だけど、彼女が狙ってそうしたのか、本当にその気はないのかは不明だが、ある意味リューゲはすでにアローに力を貸している。
ガンドライドの狼が、黒妖精の姿に明らかに警戒しているからだ。だからアローはまだ悠長にこんな会話をしていられる。
「それで、私に何をさせるの? リリエの時みたいな交換条件はないわよ? 常闇竜の件なら、お礼は竜鋼でしているはずだし」
「リューゲは基本的に何もしなくていい。僕が自力で何とかする」
「どうやって?」
手持ちは魔法道具と剣のみ。しかし、師匠は魔法道具と剣の使用は許可している。
「力を込めて物理で殴る」
『お兄様、何でそこでそんな脳筋な判断をされたんです!?』
ミステルの悲鳴をものともせず、アローはキノコ製の聖霊の縄を数本肩にひっかけて、木の枝から飛び降りた。
「スヴァルトの手は借りないのかしら?」
「借りなくても君は倒せる」
「……ずいぶんとなめられたものね」
強大な狼が地を蹴った。アローは攻撃には移らず、精霊の縄を木にひっかけて枝を飛び移り、時折地に降りて駆け、を繰り返しながら逃げ続けた。
普通に走って逃げてもすぐに追いつかれる。しかし精霊の縄の強靭さと、思い通りに伸縮する力を上手く利用すれば、飛びかかってくる寸前に木の枝に退避する、といった逃げ方が可能だ。もちろん失敗すれば命はない。じぶんの縄さばきを信じるしかない。
納品する前に使い方の仕様書を作るため、自分で一通り能力を試しておいたのが功を奏した。思っていたよりもかなり使える。
「おのれ、ちょこまかと……!」
『お兄様、いくら精霊の縄が便利でも、このままではいずれ追い詰められてしまいます』
「いや、追い詰めたのは僕の方だ」
アローはただやみくもに逃げ回っていたわけじゃない。逃げるだけならもっと高い場所で、木の枝同士で渡った方が安全だ。
わざわざ地面に降りて、相手の目の前ぎりぎりでかわすということを繰り返した理由は、ひとつは相手をいらだたせて冷静さを失わせること。もうひとつは、相手の注意を自分だけに集中させることだ。
そして今、木と木の間を幾重にも張り巡らされた精霊の縄が、ガンドライドを囲む檻のようになって、淡く光を発している。
「これくらいで追い詰めたと思われるのは心外だわ。私はガンドライド。狼や人以外にも姿はあってよ? これくらい飛び越えて――」
「誓約せよ、発動!」
アローの命令に従って、一斉に木が爆発する。
アローが逃げ回りながら仕込んだ最後の仕掛け、それはガンドライドの周囲を囲む木々に、爆風の魔法道具を仕込んでおくことだ。
ガンドライドを殺すことは出来なくても、木を倒すことならできる。きちんと仕込む場所だって計算した。何せアローはこの森で育った。薪を得るために木を倒すのは、師匠クロイツァがそんなことをやるわけがないので、ずっとアローの仕事だった。
縄と合わせて、全ての気が円の内側に向かって倒れるように仕向けたのだ。
轟音を立てて、幾重にも折り重なって倒れてきた木々がガンドライドに降りかかる。
「――なっ!?」
物理攻撃では簡単には死なないかもしれない。しかし、ガンドライドであっても、実体のあるものであるならば、この物理的な木で造られた檻から抜け出すには一瞬でとはいかない。ほんの数秒でも、相手が全く手を出せない時間を作る。それが重要だ。
アローは天然の木でできたその牢屋の隙間に、閃裂魔法を込めた水晶を全て押し込んだ。
「誓約せよ――発動!」
木の檻の中で、光がほとばしる。獣の咆哮。死霊の悲鳴。悪霊の放つ怨嗟の声。
「魔法道具でも、数をぶちこむと立派な暴力だな」
『………………お兄様』
恐らく、音だけでも何となく状況がわかったのだろう。ミステルが若干呆れたような声を漏らす。
リューゲは木の上で見物をしたまま。
「かわいい顔してえげつない倒し方するわね、坊や……」
心底ドン引きした表情で見下ろすリューゲに、アローはにっと笑う。
「別にかわいくはないと思うが。僕は男だし、別にそんなかわいい見た目でもないぞ。でもいいんだ、ミステルだって言っている、ひとは外見ではない、と」
「そういう問題ではないし、貴方は妹のいうことをもう少しよく考えてから信じた方がいいわよ。……あと」
「……あと?」
「魔獣が寄って来てるわよ。ガンドライドの一部か、元々森にいた魔獣かはしらないけど」
「ああ……」
アローはそっとリューゲから目をそらす。
『お兄様……まさかとは思いますけど、魔法道具全て使い切ったりとかしていませんよね?』
「勘がいいな、ミステル。そのまさかだ」
『どうするんですか? まさか物理で殴るおつもりで?』
「……逃げる!」
ガンドライドだけなら物理と数の暴力ができたが、魔法道具なしで魔獣全てを剣で相手にするなんて、アローには無理だ。確かに剣が使えるが、あくまで本業は死霊術師なのだから、たかが知れている。せめてヒルダかギルベルトくらいの剣の才能が欲しい。
「しまらないわねぇ」
呆れた様子で、しかし手を貸す気はやはりないらしいリューゲをよそに……。
かくして、アローは再びミステルの瓶を抱えて森の中を走りまわる羽目になってしまった。




