67.満身創痍のドラゴンスレイヤー
身体に力が入らない。
それでもせめて見届けようと、アローはどうにか首を持ち上げた。
「私が竜に傷をつける」
「おう、その傷痕にぶちこめばいいんだなぁ?」
素早く小回りの利くヒルダが竜鋼の剣で攻撃をし、彼女よりは遅いが一撃の威力があるギルベルトが彼女のつけた傷をえぐる。地味だが、何の対策もなくぶっつけ本番で考えた方法としては一番手堅いだろう。
(でも、常闇竜を倒すには、それくらいじゃかすり傷にしかならない)
リントヴルムの幼竜とはわけが違う。本物の古代竜は人が剣を振るったくらいで簡単には傷つかない。
アローが最後の魔力を絞り出して召喚した死霊の群れを足止めにしているが、そう長持ちはしないだろう。竜の弱点は鱗のない目や口などの粘膜。ここからヒルダ達が頭部のある上階に向かうのは困難だ。
ヒルダたちが少しでも竜を弱らせ、その隙にスヴァルト達の封印が完成することを祈るのが、恐らく今できる最善だ。
「こいつ、鱗なしでもめちゃくちゃかてえな!」
「ごめん、私がもっと深く斬れたらいいんだけど」
「まぁ、斬れるだけマシって部類だから仕方ねえ」
ヒルダが比較的鱗の薄い腹や、動きを奪いやすい足の腱を攻撃しているが、竜鋼の剣をもってしても浅くしか傷を作れないようだ。ギルベルトが即座に傷を深くえぐろうとしても、強靭な身体は魔法剣程度の刃物では大した攻撃力を期待できない。
(やっぱり、頼みの綱はスヴァルトか……)
リューゲとリリエは今も《詩》の詠唱を行っている。人の耳に届かないそれは、それでも確かに空気を震わせていた。
妖精族は肉体を失い、魂のみでも活動をすることができる。だが、彼らにとって肉体は人間のような生命維持の機能をもつものではなく、優れた魔力の制御機構であったとされている。だから半妖精でも肉体を持っているリリエの方が、恐らく《詩》の制御能力が高い。彼女だけでは封印として機能しなくても、今は魔力の不足をステルベンが補っている。
少なくともスヴァルトの魂のみに頼っていた時よりは、効力があるはずだ。寝起きに暴れようとしていた竜が、ひとまず動きを止めただけでもまずまずだろう。
それも、アローが冥府の門を維持できなければ上手くはいかない。幸い、冥府の門を開着っぱなしにしていることだけなら、アローはさほど魔力を使わない。この身体自体がある意味冥府の門の一部と言っていいからだ。だからミステルすら維持できなくなった今でも、死霊は冥府からあふれ出ている。
「ギルさん、腱を切るの手伝って」
「おうよ!」
腹を切るのではらちがあかないと判断したのだろう。足の腱を切ることに的を絞ったらしい。足元に回り込むのは危険だが、足の腱を切れば少なくとも二本立ちしている今の体勢を崩すことができる。なかなか刃が通らなくても、回数を重ねれば傷はつく。
もちろん、竜も腹を攻撃され続けていることには気づいているだろう。長い尾の先で、地面に落ちてくる薙ぎ払おうとする。それをヒルダは跳躍して退け、ギルベルトは瓦礫を器用に避け、そして。
「はあっ!」
「オラァ!」
足の腱をめがけて、二人の連撃。
しかし、一回では深い傷はつかない。戻ってきた尾の先の攻撃を、二人は両側に飛びのいて退き、そしてヒルダがもう一撃を足の腱を狙って放つ。しかし。
「あぐっ!!」
「んおっ!?」
一度退避せずに竜の足元に留まったのが失敗だった。位置関係から今度はよけきれず、彼女らの身体が巻き込まれる。
「ヒルダ! ギルベルト!」
ヒルダはそれでも竜の尾に叩き潰されることなく、竜の尾にしがみついて片手で果敢に剣を突き立てた。しかし、竜にふり払われて剣ごとふり払われる。
まるで人形を放り捨てるように、ヒルダの身体は高く吹き飛ばされた。アローの眼には、彼女の身体が宙を舞うのが、まるで時の流れがゆっくりと流れているかのように映って。
(……動け!)
悲鳴を上げる身体を叱咤して、アローは袖の内側に縫い付けていたそれを、力を振り絞って投げつける。
『誓約、せよ……展開!』
アローが息も絶え絶えに放った言葉に従い、その魔法道具は展開する。
放射状に延びた『傘』が、洞窟の壁に打ち付けられる寸前でヒルダを受け止め、包み込む。
「きゃっ!?」
(間に合った……)
いつだったか、ステルベンに洞穴から落とされた時に使ったキノコの精の護符が、こんなところでまた役にたった。キノコの汎用性の高さに感謝するしかない。
とはいえ、これでアローは体力も限界だ。もう竜の方を向く元気もない。
「アロー、助けてくれてありがとう」
近づいてきた足音とその声で、ヒルダが無事であることを知る。
「…………ギル、ベルト、は?」
「わからない。でも死んでないと思うわ。あの人、絶対しぶといもの」
「そう…………だな」
「それともうひとつ、ありがとう。これで私、竜を倒せるかもしれない?」
「……え?」
ヒルダに助け起こされ、適当な岩肌に背を預けるように座らせられた。
彼女だって無事ではない。元々、アローが冥府から戻ってきた時点で傷だらけで、しかも竜と戦い、更に傷ついて。
それなのに彼女は笑っている。
「任せて、そこで見てて。アローのおかげでいい案が思いついたわ」
ぐっと親指をたてると、彼女は走り始めた。身体の半身にキノコの精の菌糸を纏わせたまま、迷うことなく竜鋼の剣を手に、駆けていく。
(どうして、ヒルダは…………)
ここまで命をかけて頑張って、最後までアローを信頼してくれるのだろうか。
そう思って、答えなんてわかりきっていることに気づいた。それは彼女が彼女だからだ。仲間と決めた人を信じ、自分が信じたことを全力で成す。だからこそ、彼女は女性ながらに剣を取り、ここまで上り詰めた。
ただ「友達を巻き込んで、守れなかった」という幼少期の悔しさが、彼女を迷わせない人間へと育てあげた。アローと出会わなければ、彼女はただ少しおてんばなだけの貴族の少女だった。アローが彼女をこういう生きかたにさせた。
それを、彼女は「お礼が言いたいくらいだ」という。何の迷いもなく、これが自分なのだと笑顔で言い切れる。それが彼女だ。
――それが、アローにとって生まれて初めての友人となった少女の姿だ。
■
「要するに、口や目ならもう少し攻撃が通るのよね!」
竜の咆哮。瓦礫が断続的に崩れ落ちる薄闇の洞窟で、戦女神はまだ勝利を諦めない。
再び竜の近くへと辿りついたヒルダは、腰と肩口に巻きつけていた菌糸の、肩に巻きつけていた先を竜の頭部に向かって投げつけた。菌糸は放射状に延びて、近くにあったもの――すなわち、竜の身体へととりつく。
伸縮性のある菌糸は、跳躍したヒルダの身体を一気に竜の頭部近くへと引き上げた。
「さぁ、私と一緒に踊りましょうか?」
竜の鼻先にある角につかまり、彼女は剣を構え直す。振り払うための尾はこの場所までは届かない。そして、スヴァルトの歌の効力もあってか、ヒルダを振り払う程首を振り動かすこともできないようだ。仮に落とされたとしても、菌糸があるので墜落死は免れる。
「ヒルダさん!?」
その声に気づいて、ヒルダは振り返った。上階の、崩れていない比較的安定した場所に陣取って、テオが弓を構えている。
よく見ると竜の目玉にはすでに何本もの矢がうがたれていて、半開きになった口からも、数本の矢羽がはみ出ている。
「逃げなかったの!?」
「ね、年収分の矢を撃てる機会なんてそうそうないので……!」
「何その理由!?」
自分も豪邸一軒分の剣を振るうことに腰が引けていた事実は棚上げして、ヒルダがツッコミを入れる。戦女神と名高いとはいえ、ヒルダも騎士団内では若輩者だ。見習い騎士であるテオは言うまでもない。要するに少しばかり貧乏性が出るのも仕方ない程度の収入なのである。ましてやこのゼーヴァルトは基本平和で、今回の古代竜封印などは例外中の例外。武勲を立てる機会は武芸大会くらいだ。
それはともかく。
「本当に弓矢の腕前だけはえっぐいわね」
「それだけが自慢なんで!」
「開き直らないで。私がもう片方の目を潰すから、残りの矢、全部ぶちこんで」
「わ、わっかりました!」
若干声がひっくり返っていたが、それでもテオは正確無比にドラゴンの眼に更なる矢を突き立てる。決してすぐ近くにしがみついているヒルダに当てることはない。
竜の頭が自由に動き回れるほど、この上部の空間は広くなかった。だからテオの矢は片側の眼しか射ることができていない。だから、もう片側が無傷なのだ。
ヒルダは竜の頭に乗ったまま、無事なもう片方の目の位置を確認する。
「さぁ、こっちは弓矢よりもさらに痛いわよ、覚悟してよね!」
黒い刀身に銀の光を纏ったその剣を、ヒルダは渾身の力を込めて常闇竜の眼へと突き立てた。