65.最善の後悔を糧にして
いつだったか、師匠、クロイツァはアローにこう述べた。
「お前は必ず孤独になるだろう。これは確定事項だ」
「でも、僕にはミステルが……師匠も、いるし」
「お前、私のことをミステルのついでのように言ったな?」
「……いえそんなことは、ないです」
慌てて目をそらしたアローを、師匠はそれ以上追求するでもなく至極真面目な顔つきで見つめる。いつもニヤニヤ笑ってからかって、気まぐれで人を振り回す師匠らしからぬ様子に、アローは少しだけ背すじを伸ばして師匠の目をまっすぐに見つめ返す。
「ミステルがいくらお前に心酔して、生涯をお前に捧げたとしても、人の命は有限で平等ではない。どんな不幸がお前たちを引き離すかわからない。別に死ではなくとも、ミステルを近くには置けなくなる日が来るかもしれない。そして、お前が孤独になったからといって、私がお前に丁寧に道を示し全てをあつらえてやるなどということもない」
弟子の将来など知ったことではないとでも言いたげな発言だが、アローは特別に不安も不満も感じなかった。
師匠はアローが知りたいと願えば、割と何だって軽率に教えてくれた。世間では禁呪とされているような危険な魔法もたくさん教わった。人を殺す方法ですら、特に知りたいとは思っていなかったのに「まぁ、たまに役立つ」と呪いから暗殺術まで一通り教えられた。
ただ、危険なこと、使い方を間違えてはいけないものは、失敗した時にどんな運命が待ち構えているかも大抵抱き合わせで叩き込まれたのでおいそれと試してみようとは思わなかった。特に、禁呪のほとんどは「私以外が使ったら死ぬから禁止だ」といったものばかりで、使ってみたい好奇心を根こそぎ奪っていく。それが恐らく真実であることを、アローは身をもって知っているからだ。それくらい、クロイツァは圧倒的な魔術師なのだ。
「お前の人生は、お前が決めなければならない。どれだけ孤独で苦しく、時にひどい醜態を晒すことになっても、それが間違いなくお前の意思によって選ばれたなら、後悔も含めてお前のものになるだろう」
「正しい道を選ぶことが大切ではないということ?」
「正しさとは結果論だ。上手くいったことがいつだって正しい。勝者が敗者の歴史を歪めるように、正しさを求め続けると時に人はとんでもない阿呆になる。その阿呆が天才の阿呆で、しかもは人殺しの才能にも満ちていたら始末に負えん。求心力のある暴君は天災みたいなものだからな。天才の天災の誕生だ、ハハハ」
「天才なのに阿呆って……笑い事でもないし」
「なぁに、そのうちお前は嫌という程思い知る。お前はそういう風に生み出されてしまった。不本意だろうがお前は人造の天災だからな。災害の方のテンサイだぞ? ちなみに私は天才の阿呆は嫌いだ。世の中に私みたいなのは何人も要らん」
その時、クロイツァという生ける伝説を前にアローは「天才の阿呆」の意味を大体理解した。クロイツァがそうだと言われたら、確かにと納得してしまったからだ。といっても、師匠は奔放すぎて求心力という点では疑問は残る。
クロイツァの言いたかったことの意味が、ミステルを失い、それでも彼女を手放せずにあがいて森を出た今ならわかる。そして、森を出て世界を知ったことで、クロイツァがアローにいいだけ禁呪や独自の魔法の知識を教えた理由もわかるようになった。
アローの死霊召喚の力は、使い方によっては非常に危険なものだ。生きてその力を欲しがる人間もいれば、危険だから殺してしまおうと考える人間も当然いるだろう。そこでどちらにとっても抑止力となるのが「クロイツァの魔術知識」だ。
危険な力に危険な魔術の知識、更に大魔術師の後ろ盾。うかつに手を出すとどうかるかわからない、と考えるだろう。実際に手を貸してくれなくても師匠はその名前と知識で、アローが自分で道を選ぶ前に他人に道を踏み荒らされないようにしてくれた。
そう、あの話の最後に師匠は言ったのだ。
「孤独に耐えられなくなったらとりあえず傷を舐めあうやつを見つけろ。孤独なんて我慢してまでやるもんじゃない。お前を含めて、大体の奴はそんなに強くできていないからな。ただ、舐めあったあとはその都度ちゃんと乾かせよ。ヨダレまみれの奴はモテないからな」
■
「そうか……モテない、か」
朦朧とする意識をなんとか保ちながら、アローは懐かしいことを思い出した。紅い世界が揺れている。リューゲが何かを語りかけている声が聞こえる。
古代語なのだろう。話している言葉はわからなかったが、彼女がきちんと契約を果たして仲間を説得してくれているのがわかった。
時折アローを振り返るのは、アローが後どれくらい耐えられるのか知ろうとしてのことだろう。黒妖精は契約を違えない。彼女は確かにそう言った。
「門を開いて。仲間が通る道筋を作れるかしら」
どうやら仲間の説得には成功したらしい。本当に、彼女と契約を交わせたのは我ながらよくやったものだと思う。
「……何とかしよう」
「できる状態には見えないけど」
「やらなければ死ぬだけだ」
アローの選んだ道は最善ではないだろう。師匠が見ていたら文句が無限に飛んでくるかもしれない。それでも限られた時間と人員、能力で選べるやり方がこれだった。後悔がないわけではない。せっかくできた友だちやミステルを巻き込んでいる。それでも後悔も含めて前に進む未来があるのなら、今の自分が孤独ではないのなら、少なくとも最悪の選択肢ではない。
「もうそんなに長くは続けられない。手短に頼む」
「保証はしないけれど……死んだら眼はきちんともらってあげるわね」
「……死なない努力はしている。ではいくぞ――『死を記憶せよ』」
紅い世界から、血の色をした死霊の手が生きる者の世界を目指して立ち昇る。
そはを切り裂くように黒い霧が空に向かって駆けていく。リューゲはアローの手をとって黒い霧に捕まり駆けのぼった。
「しっかりなさい。全てが終わるまで貴方には生きて結界を維持してもらわなねばならないのよ」
「ああ、大丈夫、大丈夫だ……生き……てる」
リューゲに運ばれて冥界の門を抜ける。途端にふわふわとしていた五感が急に現実的な感覚とすり替わって、アローの視界はぐるりと百八十度回転した。
「ぐっ……ゲホッ!?」
「お? お目覚めか?」
グラグラと視界が絶え間なく揺れて、その度に全身が引きちぎれそうな痛みに悲鳴を上げる。何度かその痛みをどうにかやり過ごして意識を保ち、ようやくアローはギルベルトが自分の身体を担ぎながら剣を振るっていることに気がついた。
「ちょっと痛えかもしれないが我慢しな」
「ヒルダ、は……?」
「あっちだ。ハンパねえな、戦女神さんはよぉ」
ギルベルトの背中を支えにどうにか力を振り絞って、アローは顔を上げる。
まるで、踊っているようだった。魔法剣がうっすらと放つ光が、縦横無尽に駆け抜ける。
暴れ狂う死霊の群れを、結界から出ないように最大効率で斬り裂く。光の粒となった死霊が冥界に還っていく。
あんなにも人は速く動けるものなのかと、アローは信じられない気持ちで彼女の剣さばきを見つめる。声をかけたら集中力が欠けてしまうかもしれない。何せ彼女は大の死霊嫌いだ。今は責任感と戦闘への集中力で恐怖心を忘れているのだろう。
とにかく速い。迷いがない。一閃で死霊が散り、金の髪を揺らしながらくるりと回って次の一太刀で両断、足元に飛びかかってきた死霊の腕を跳躍してかわし、身をひねって閃く刃先でその腕を刈り取る。
彼女だって無傷ではない。傷だらけで服もボロボロで、もう疲弊しきっていてもおかしくないのに、不思議なほどに彼女の動きには澱みがない。
「いいねぇ、さすがの俺もあそこまで速くは動けねぇ」
「……僕を、担ぎながら、戦う……君が……言うな」
アローを肩に担いだまま、ギルベルトは片手近づいてくる死霊を剣の平でたたき返した。とんでもない力技だ。こちらの方も、ヒルダにはまねできないだろう。
「しかし、ヤッベェな。これは全部お前がやったのかよ」
ギルベルトが感嘆の声を上げる。紅い光が踊り狂う世界で、黒い霧があふれだす。それが駆け上がり、眠る竜の身体にまとわりついていく。
「正確には……ほぼ、リューゲが、やった。僕は……門を開くだけで、精いっぱい、だ。もう少し、がんばって、くれ」
「おう、了解だぜぇ」
軽く答えて、ギルベルトは襲ってきた死霊の血か炎かもわからぬ紅に染まった腕を切り落とす。
次の瞬間、ギシリと空間が揺れたように思えた。すぐに気のせいではないことに気が付く。
紅が溢れだす世界の中で、瓦礫がバラバラと崩れ落ちる。それ一つだけで人間の身体などたやすく引きちぎることができそうな漆黒の爪が地面に深い溝をつくり、暗く穿たれた穴からギラリと赤く光る眼が眼下のアローたちと死霊の群れを睨む。
「……常闇竜!」
「封印できるんじゃねえのか? 目ぇ覚ましているだろうが!?」
ギルベルトの疑問応える術が、アローには持ちえなかった。かわりに、リューゲがアローの元に戻ってくる。
「大人しく眠ってはくれないようね」
「……城は?」
「この地下自体が強力なスヴァルトの魔法でできているから、多少なら崩れても城には問題はないわ。まぁ、多少大きな地震に怯えているかもしれないけれど。ただ、竜を縛り付けている封印魔法を解かれたら、どうにもできないわね。死にかけとはいえ、古代竜は人間にどうこうできるものじゃないわ」
リューゲは淡々と事実だけを述べる。
「スヴァルトが封印に手を貸してくれるんじゃなかったのかよ?」
「黙りなさい、契約もない人間風情が。同胞が故郷からここまで手を貸してくれているだけでも感謝するべきところよ。……分が悪いのは認める所だけれども」
そう言っている間にも、瓦礫がどんどん降ってくる。このままでは竜を封印するどころか、アローたちが瓦礫に潰されかねない。
「ちっ、こっちにも落ちてきやがる」
ギルベルトがアローを担いだまま瓦礫を回避する。もちろん、その間にも死霊は暴れまわっている。そもそも、竜が本気で動きはじめたらアローは冥界の門はもちろん、結界も維持できない。今ですらギリギリなのだ。死霊の制御を結界と、ギルベルトとヒルダによる物理的な攻撃で担ってやっと維持している。
「アロー、ギルベルト、避けて!」
ヒルダの叫び声。
死角から落ちてきた瓦礫を、ヒルダが跳躍し、剣で両断する。
「ヒルダ……」
「アロー、結界維持はあとどれくらい持つ」
「……今すぐに、気絶したい」
「わかった。リューゲさん。封印が無理なら、抑えている間に竜を殺すことはできますか?」
「人間風情に古代竜が殺せるわけがないでしょう。冥界から仲間の協力を取り付けても、大人しく封印されてくれない竜なのよ? 状況を理解して言ってるの、小娘が」
リューゲが睨み付ける。
竜が咆哮を上げる。空間全体が振動し、肌が粟立つ。常闇竜の爪がゴリゴリと地面を深くえぐる。
絶望的な状況で、脆弱な人間であるヒルダは、それでも真っ直ぐにリューゲを見返した。
「どうせみじめに失敗するというなら、せめて後悔しないやり方を選ぶだけよ。上手くいく可能性が皆無じゃないんだったら、それは少なくとも最悪の一手ではないわ」
(ヒルダ……)
彼女の言葉に、アローは何故か師匠の言葉を重ねる。後悔も含めて自分のものになるのなら、それが正しくはなくても、失敗しても、その時の自分の最善を尽くす誇りは無意味なものではない。
「そうですよ。まだ諦めないでください」
そこに突然現れたのは、本来この結界内にはいるはずのない人で。
「リリエ、貴方どうして……ステル、どうしてこの子を連れてきたの!?」
声を荒げるリューゲに、彼女――リリエは微笑み、ステルベンは不本意そうにため息をついた。
「それは私が私にできることをするためです。元々私は、封印を維持するという名目で生かされ守られてきたのだから」




