59.弓の名手と魔女の結び目
ファルクから借りたものはリリエに預けて、アローはぼんやりと城の中庭で座り込んでいる。考えることはたくさんある。だが、その大半は考えたところでどうにかなるものでもなかった。
目下の問題は、この面子で無事に生き残って無事に任務をすませることだ。そして間違いなく一番危険なのは自分だ。
「ミステル、どうやったら僕は死なずに済むと思う?」
「今すぐ全て投げ出して逃げてください」
「そういうことじゃないぞ」
「そういうこと以外に明確な回答はありません」
ミステルは不機嫌そうにそう答えた。
いくらアローでも、妖精族の魂を無作為に呼び出したら死んでも文句は言えない。通常の死霊召喚ですら、制御不能になって暴走すれば魂がすり減って死ぬしかない。そうならないように、ヒルダやギルベルトが「いざという時」用についてきているわけだが、相手が妖精族となると彼女らでも間に割って入れるかどうか。
今、ヒルダとギルベルトは、この庭借りてテオと一緒にああでもなこうでもないと騒いでいる。なにをしているのかというと、テオの弓矢の試し撃ちをおこなっているのだが、どうやら的の設置場所について話し合っているようだ。ようやく決まったのか、ギルベルトが杭を打ち込み、その先端に板をくくりつける。いささかぞんざいに円が描かれた即席の的だ。
「ずいぶん遠くないか? 僕も森にいた頃は弓の練習をしたことがあるけれど、そんなに遠くにしたことはないぞ」
「アローさん、弓使えるんですか?」
テオが新しい弓の弦を調整しつつ尋ねる。アローは肩をすくめた。
「まぁ、森暮らしが長かったので一応は。この杖も弓に変形できるしな」
「え、見たいです」
「弓の腕は期待するな」
「でも、森暮らしが長かったんですよね」
「長かったが、狩りなんて魔術を使った方が早い」
何せ森の中は獣の死骸がそこかしこに眠っているのだ。骨を少し操れば簡単に狩りができたアローはせいぜい「数撃てば当たる」程度の弓の腕前しかない。魔術を併用すれば精度は上がるが、テオが期待している答えではないだろう。
「えー。見せてくださいよ」
「うーん、本当に期待はするなよ。……『弓』」
杖の形状が変わり、弓をかたどる。テオは目を見開いて「うわああ……」と気の抜けた声をあげた。こうしていると本当に小動物だ。普段もこれくらいのかわいげがほしい。
弓矢は魔力を練って作ることができるが、練習なのでテオが用意したものを一本拝借する。
「……っ」
弓がしなり、矢が風を切る音。
矢は的に届く前に失速し、地面へと緩やかな放物線を描いて落ちた。
「ほら見ろ、届かない」
「でも真っ直ぐでしたね。的が近ければいい感じに当たったと思います」
「で、テオはあの距離を当てられるのか?」
「はい、あの程度なら全然大丈夫です」
「あの程度?」
相当距離があるのに、あの程度と言った。それどころか
テオはアローよりもさらに遠くまですたすたと歩いていく。
ようやく定位置を決め、彼は新調した弓を手に矢をつがえる。きれいな姿勢だ。アローにもそれはわかった。まっすぐでブレがない。
「……いきます!」
矢が空を切る音が、明らかにアローとは違っている。
撃ったのは十本。そのひとつひとつ恐ろしい早さで飛んび、的のほぼ中央を見事に打ち抜いた。
「おー、やるじゃねえか」
ギルベルトが的を外して持ってくる。
十本のうちの七本がほぼ中心を射ている。正確すぎて、継ぎ矢になっているものまであった。
「……これはすごいな」
それしか言葉がでない。
若干ウザい見習い騎士という認識は改めなければならない。戦場にでる機会が少なく、あまり弓を重視しないゼーヴァルトの騎士団で、彼は弓の技術で入団した。その意味をやっと理解した。かなり達人級だ。ここまでの精度があるなら即戦力だ。
それと同時に、これなら『使える』と感じる。
問題は、本番で彼がどこまでこの精度を保てるかだが。狩りが得意だったのだから、的が多少動く程度は大した問題ではないのだろう。だが実戦は狩りをするのとはわけが違う。相手が人間や魔物だ。
「あ、すごくないですか? 俺けっこうすごくないですか? っていうかこの弓すごくいいですね!?」
手をぶんぶん振って色々主張するテオに適当に手を振りながら、アローは考える。テオの弓の技術を、遠くから死霊の狙い撃ちをさせるだけにするのはもったいない。
(たとえば、魔石を決まった場所に正確に撃ち込むとかも、テオの技術があれば可能かもしれないな)
「テオ、つかぬことを聞くが君は本番に強い方か?」
「あっ、今すごいよからぬ気配感じるんですけど、強いように見えますか?」
「騎士団試験に弓で受かるくらいだから、そこそこ強いんじゃない?」
「ヒルダさん、何で普段雑な扱いするのにこういう時に限って素直に評価してくれるんですか!?」
「ダメなの?」
「ダメじゃないですけど、今それを言われると確実に危ないことさせられるじゃないですか。俺はいい感じにお金持った貴族の女の子と出会っていい感じにまったりとした生活をするのが夢なんですからね!?」
ヒルダに向かって猛然と抗議するテオの背後で、ミステルが野菜を洗ったら巨大な芋虫が出てきた時みたいな顔をしている。
「テオ、僕の頼みをやり遂げてくれれば、きっとミステルの見る目も変わるぞ」
多分、芋虫から人間くらいには昇格する。
もちろん、テオは自分に都合良く解釈した。
「本当ですか、アローさん!?」
「少なくとも、見直しはするだろうな」
「…………ええ、そうですね、多少は評価を改めます」
ものすごく不本意そうに彼女はそう言ったのだが、テオの目の色は変わった。
「ミステルさんのためなら頑張ります!!」
鮮やかな手のひら返しである。もちろんだが、ミステルは貴族の子女ではないし、そもそも生きてすらいない。アローの使い魔であるから、アローと長時間離れることもできない。その辺は完璧に忘却の彼方らしい。
それだけミステルがテオにとって理想だったのだろうか。
(僕もあれくらい攻めの姿勢でいった方がモテるのか? いや、ないな……あれはないな……)
いささかズレた方向に感心するアローだった。
「お兄様、いったいこのジャリガキに何をさせるおつもりで?」
「うーん、テオにももちろんだけど、ミステルにも頑張ってもらうかな」
「待ってくださいアローさん、俺のジャリガキ呼ばわりは訂正しといてください」
「いや、そこは訂正しなくてもいい」
「何でですかぁ、してくださいよぉ!」
不本意そうなテオに、ヒルダとギルベルトは助け船を出さず白けたまなざしを送っている。そういう言動をしなければ助け船のひとつくらい入ったかもしれないものを、絶妙にウザさである。
テオの微妙な主張についてはともかく、だ。
「ミステル。魔女の結び目を覚えているか?」
「ええ、簡単な呪術ですから」
「あれを応用する。段階を踏んで煉獄の門を開けば、少なくとも僕が消し飛ぶことはない」
「え、ちょっと待って、消し飛ぶ可能性があったってこと
?」
ヒルダがあわてて割って入る。今まで散々ミステルが反対していた理由に、ようやく思い当たったようだ。ミステルがアローに過保護な言動をとるのは珍しいことではないから、あまり危機感をもっていなかったのだろう。
「可能性というよりは……そもそも妖精族の魂など、本来は人間がどうこうできるものではないからな。聖霊魔法、黒魔法、呪術はどれも高次存在から力を借りるものだが、死霊術は魂そのものを人間、動物の死体を媒介にして呼び出す。僕の場合は自分自身の生きている体を媒介にしている」
「ええと、つまり……アローの体を通してスヴァルトの魂を呼び出すことになる、ってこと?」
「そういうことだな。普通に消し飛ぶ」
「…………逃げてもいいんじゃない?」
ヒルダまでミステルのようなことを言い出した。もちろん、今更逃げる気はない。
「師匠は、僕がその気になれば妖精族の魂も呼べると言った。あの人は努力しても何をしてもできないことは絶対に言わない。だから僕はやればできる。僕は師匠の言葉と僕自身を信じる」
「でもねぇ、命をかけるところそこなの? 違うでしょ」
「まぁ、投げ出してもハインツには俺から何とか言っておいてやるけどなぁ」
「危ないことはやめてグリューネに戻りましょうよぉ」 まさかの賛同者皆無の状況に、さすがのアローも真顔になった。それと同時に、なんだかむずがゆい気持ちになる。
ここにいる人間は、誰も別にオステンワルドに恩義もなければ、教会に命を捧げているわけでもない。ハインツの腐れ縁であギルベルトですら、命を懸けることはないという。ギルベルトは傭兵だから、命以上に大切なものなどないのだろう。
しかし、ヒルダが反対するのは意外だった。彼女は性格的に、オステンワルドのために力を尽くそうとすると思ったからだ。いや、力を尽くそうとは思っているかもしれない。それにアローを巻き込まない、と。彼女はきっとそう考えている。
それでも命をかけなくてもいいと言い切ったのは、彼女なりにアローを心配してくれるからだろう。ミステル以外にこんな風に心配されたのは初めてのことだから、とにかくひたすらにこそばゆい。
「投げ出すわけにはいかないさ。それに、死なない方法は今思いついたところだしな。……な?」
「アローさん、俺をみないでください。っていうか、何ですか、ヒルダさんとギルベルトさんまで。何で俺にそんな多大な期待しちゃってるんですか! ただちょっと弓が上手いだけのジャリガキですよ!?」
「ついに自分でジャリガキだと認めるわけですか」
ミステルの呆れきったまなざしにもめげず、テオは猛然と抗議をする。
「認めざるを得ない状況に追い込まれてますよね、俺!?」
「比較的安全な場所を頼むことには変わりないぞ? ミステルも一緒につかせるしな。それにやり遂げたら君は英雄だ。きっとモテるだろうな、君がお望みの貴族の子女とやらにも」
「んんっ……」
テオが小さくうめいて頭を抱えた。そこで悩むのか。呆れたというべきか、ある意味その精神力に感服するんべきなのか。きっとアローには言われたくないのであろうが、テオはたまに損得勘定の仕方がおかしい。
(まぁ、この歳で老後までの人生計画をしなければならないのには同情しておくか……)
生ぬるい笑みを浮かべつつ、今後のことを考える。魔術への偏見が根強いオステンワルドでは、聖霊魔法以外の魔術に関するものを手に入れるのは難しい。ただでさえ、ゼーヴァルトは聖霊魔法ばかりを重用している国だ。期待できるとしたら、あのファルクの秘蔵書庫くらいのものだ。それも、めぼしい資料と魔術書はすでに調べてある。
「魔女の結び目は、結び目の数を増やすごとに呪力強まる。しかも紐さえあれば簡単に、それなりに強い呪力を発揮する便利な品だ。問題は男の僕では使えないことなんだが、ミステルに術を使ってもらえば間接的に僕も使える、ということになる」
ミステルは魔力でアローと繋がった使い魔であるから、彼女が使う術はアローにも無関係ではないということだ。
「なるほど、結び目の魔術で段階的に魔力を解放するんですね。それならお兄様が瞬時に吹き飛ばされるなんて事態には……」
「逆だ、ミステル。最初から全力でいかなければ妖精族の魂なんて呼べない。そのかわり、僕の周囲を封印する。少なくとも消し飛ぶまでの時間稼ぎくらいにはなる。その間にスヴァルトの二人に何とかしてもらうという寸法だ」
「それで、このジャリガキに何をさせるので?」
「テオくらいの弓の腕前があれば、たとえば事前に用意しておいた封印の魔術道具を、結び目の魔術が進行するごとに順に弓で撃ち落としてもらう、なんてこともできる。結界だって作れるぞ」
「つまり、呼びだすだけ呼び出したらすぐに閉じ込める、ということですか?」
「付け焼刃だがな。後はステルベンとリューゲが協力的になってくれることを祈るばかりだ。制御するのはスヴァルトじゃなければ無理だろうな。師匠もさすがに、僕が妖精族を呼び出せるかも、とは言ったけど制御できるとは言わなかった。実際、僕は死霊だって完全に制御できるわけじゃないし、そこは人の身の限界ってことだろう」
アローが一人で全てを成し遂げるのは無理だ。
それでも可能性を積み上げれば、活路は見える。オステンワルドを救うこともできる。
きっとそれを成し遂げるのは、アローにとって大きな意味を持つ。何せあの師匠があえて言及したくらいなのだから。師匠は大概な人物であったが、できると言ったからにはきっと意味があったのだ。
「テオ、改めて頼もう。君を含めて、危険が少なくなるように最大限の努力はする。だから今回は僕の賭けに付き合ってくれないか?」