55.予算は金貨3枚まで
アローとリリエが城で話していた頃、他の面々はオステンワルドの鍛冶屋を巡っていた。元々、山に近く豊富な鉱物資源を産出する地域だけに、鍛冶屋、武器防具屋、鉄製品の市場は、王都グリューネよりも充実している。
「うふふふ、ふふふ」
その中でも、とりわけ楽しそうにしているのがヒルダである。テオの弓を選ぶため、ミステルがギルベルトとテオを街に追い立てようとしたところで起き出してきた彼女は、オステンワルドの武器街と聞いて途端に眠たげな目がぱっちりと開いたのである。
「すごい、あんな上物の鋼を使った剣だったら、グリューネなら桁がひとつ違うわよ、うふふふふ」
朝方まで命からがらの目にあっていたとは思えないほど元気だ。すでに本来の目的を忘れつつある。
ギルベルトとヒルダがいるのなら、武器の選び方の素養などないミステルは、早々に二人に任せてアローの元に帰りたかったのが本音である。そうならなかったのは、寝不足で武器屋にきてはしゃぐヒルダの様相が相当におかしく、引き留め役が必要だという冷静な判断からだ。
「あっ、すごい! 竜鋼! 竜鋼の剣があるっ」
安物は軒先に出され、それなりに良いものも店内にむき出して展示されている中で、ヒルダが見ている竜鋼の剣は明らかに扱いが違った。鍵付きの硝子の箱に入れられ、美しく磨き抜かれた刀身を見せている。明らかに他の鋼とは質感が違う。黒にかすかな青が宿り、星くずのような銀色の斑紋が美しく広がっていた。
「お嬢ちゃん、若いのに竜鋼を知っているとは大したもんだねぇ」
武器屋の主人が自慢げに笑う。
「竜鋼の剣は騎士の憧れですから! ああ、こんなところで実物を見られるなんて……! 値段……は……うぐっ」
ケースにつけられた値段のプレートを見て、ヒルダは絶句した。ここがグリューネだったとしても、豪邸がひとつ建てられそうな値段だったからだ。剣ひと振りの値段である。
「ですよね…………」
竜鋼は、スヴァルトやドワーフが住むとされる危険な山の奥深くでないと採取ができない。どんな宝石よりも高価だ。実際、見た目も美しいので、小さなものは宝石としても珍重されている。この剣を鍛えるだけの量の竜鋼と考えれば、豪邸ひとつ分はむしろ安い。
「ここ十年くらいは、新しい竜鋼が全然出回らなくなったんでね。こいつの値段はつり上がる一方さ。残念だったな、お嬢ちゃん」
「いえ、いいんです。どうせ下っ端騎士の私には手がでないものだから」
ヒルダがため息をつく。それなりの家柄の貴族であるはずなのに、実家の資金を頼ろうなどとは露ほども考えていなかったようだ。実に彼女らしい。
「はしゃぐのはその辺にしてください、ヒルダ。テオの弓矢を選ぶのでしょう」
ミステルの言葉に、ようやく理性を取り戻したようだ。ヒルダはうなずく。
「そうね。アローもいい加減起きてるかもしれないから、早く買い物をすまさないとだったわ。……って、あれ? ギルベルトさんは?」
「せっかくだから、リンドヴルムの牙を売ってくるって言ってましたよ。用事が済んだら戻るそうですので、この店の近くで待っていればいいでしょう」
「あのリンドヴルムから牙をとっていたのね。さすが傭兵、しっかりしてるわ」
竜の牙は護符の材料として需要があるし、状態の良いものなら美術品としての価値がある。幼竜のものとはいえ、それなりの価値がつくだろう。
「で、テオ。いいのはあった」
弓矢の売場でずっとうろうろしていたテオに声をかけると、彼はびくりと身をすくませた。
「なによ、その反応」
「え、いや、そのー……」
悩んでいるのかと思えば、彼の目はしっかりとひとつの弓に注がれていた。
「決まってるんじゃない。弓を見る目は実際に使うテオの方がわかるんじゃないの? みた感じ良さそうな弓だし……ああ、そういうこと」
テオが逡巡している理由を、ヒルダはようやく理解した。その弓は確かにいいものだった。普段弓を使っていないヒルダでもわかるほどに。ただ、値段があからさまに高かったのだ。アローは気前よく金貨を出してくれたが、それでもわずかに足りない。
「私は兄様からこれ以上のお金は預かってませんよ?」
「そうよねー。……じゃあ、これで足りる?」
ミステルの言葉にうなずいたヒルダは自分の財布を取り出すと、彼の手に銀貨を二枚ほど握らせた。
「えっ、そんな、俺、別にこっちでも……」
「アローが言ってたでしょ。無利子で出世払いにしてやるっから、一生使えそうな奴を買ってこいって。私も無利子にしとくから。がんばって騎士として大成しなさい」
「つまり、見習い騎士なのに借金まみれになるってことじゃないですかぁ」
「そりゃ、奢ってあげるとは言わないわよ」
「ですよねー! 知ってました!」
それでも彼はしっかりと良い方の弓を手に取った。軽くてだらしのない発言も目立つテオだが、こういう真っ直ぐに人の好意を受け取れるところは美点だ。
ミステルもその点は認める。言い寄ってこられるのは大変な迷惑だが。
「無事に決まったようですね。……ギルベルトが早く戻ってきてくれるとありがたいのですけど」
弓が決まったのなら、早く兄の元に帰りたい。
肉体を持たないミステルは、仕草だけでため息をついた。
■
その頃、ギルベルトは鍛冶屋街の片隅にある路地裏にいた。
「はい、リントヴルムの牙の代金」
「ケチってねえか?」
「うちのツケの分は引いておいたわよぉ」
「ちっ、しっかりしてやがる」
ぶつぶつと文句をいいつつ金貨と銀貨を受け取ると、相手の女はクツクツと笑いをかみ殺した。
ブルネットの巻き毛を指に絡めて、艶っぽく笑う女。
「全く、ハインツもお前を連れてくるくらいなら自分でくればいいのによ」
「やめてよ。こういう機会でもなければ、店から出ることあんまりないんだからぁ。久しぶりに羽伸ばせるのも、みんなハインツ様とアロー君のおかげ! ねぇアロー君またつれてきてよぉ。美少年だったし、あの天然すぎてウブなところが超かわいいわぁ。おねーさんが手取り足取り教えてあげるの」
「やめとけやめとけ、もれなく義妹の呪いがぶっ飛んでくるぞ」
「あらやだこわーい」
彼女――青薔薇館の娼婦、ノーラはわざとらしくしなを作って甲高い声で笑って見せた。今の彼女はドレス姿ではない。露出が激しいのは相変わらずだが、身体にぴったりとした皮のビスチェと丈の短いパンツ、魔法文字を刺繍したケープを軽く羽織っている。腰には柄に魔晶石の入った短剣をさげているので、パッと見は女冒険者に見えるだろう。
青薔薇館の娼婦たちの中でも、彼女のように一部の女たちはたまにこうした「副業」をする。あの娼館自体が、ただ高級娼婦を扱っているわけではない。王家とも教会とも繋がっている、ある種の秘密結社だ。それぞれに何かしら特技があり、ノーラの場合それは偵察や暗殺である、ということだ。何故それほどの技術を持ちながら娼婦に身をやつしているのかは疑問だが、彼女なりにギルベルトのおよび知らぬ理由があるのだろう。
ハインツが教会の手駒を使えない時、こうやってノーラを間諜ないし、つなぎ役として使っていた。
「そんなにあの世間知らず坊主がかわいいなら、ハインツの奴に無茶ぶりすんじゃねえって言ってやってくれ」
「あら、優しいのねぇ。一緒に寝てる時だってそんな気遣いしてくれないくせに」
「馬鹿言うんじゃねえ。俺はあいつのせいで街ごと竜に吹っ飛ばされるかどうかのがけっぷちに立たされてんだぞ」
「その割には報告のついでに竜の牙換金とか余裕じゃなぁい? アロー君放り出して逃げないでよぉ?」
ノーラはぷりぷりと子供っぽく頬を膨らませる。ギルベルトはため息まじりに空を仰いだ。
「逃げねえよ。受けたのは俺だ。受けた以上は、それで死んでも俺の自己責任だ。ただ、あの頭のいいバカは何を考えてやがるって、言いてえんだよ、俺は」
「さぁね。あたしはハインツみたいに頭良くないからわからないけど、アロー君が平穏に暮らしていけるかどうかは今回の件にかかってるんじゃないかしら。ハインツ、お姫様から色々絞られてたみたいだから。……あっと、これは私の独り言よ、忘れてちょうだい?」
「忘れるための酒代をくれよ」
「もう、がめついわねぇ」
「お前が言うな」
結局、相場どおりの牙の代金をもらい、ギルベルトはノーラと別れた。
ハインツが会った「お姫様」が誰なのかを、ギルベルトは知らない。ただ、ハインツが度々王宮に呼ばれていることは知っているので、恐らくそういうことなのだろうと思う。
「……あいつ、とんでもないのに目をつけられてるのな」
娼館がどんな場所なのかも知らずに「妹を復活させるためにモテる男を目指す」などと斜め上の言動をする、その実全くモテる方向には進化しない、アーロイス・シュヴァルツというボケの塊のような少年のことを考えると、微妙に憂鬱な気持ちになる。顔はいいのだから黙ってればモテるだろうに、自分からモテる機会を叩きつぶしまくっているあの少年は、暴走すれば辺り一帯を死霊の海にできる危険な存在だ。だからこそ、ギルベルトは物理で抑止できる護衛としてあてがわれてしまった。
「くっそ、グリューネに戻ったらあいつから酒と女の金むしりとってやるからな」
褒められない決意を胸に、ギルベルトはミステルたちのまつ武器屋へと戻って行ったのだった。




