49.少年騎士の憂鬱と影の竜
部屋に戻って、ミステルに先に中に入ってもらい、ヒルダに扉を開けてもらう。部屋に入って灯りを消すと、テオがソファにだらしなく寝ころんだ。この少年はたまに貴族であることを疑いたくなる。
「ここから辺境伯に会って、晩餐をこなして、それから地下調査ですか……一日に予定詰め込みすぎでしょう。地下は明日にしましょうよ」
「その辺は僕らに選択肢はないからな」
「わかってますけどぉ……」
グチるテオを横目に、ヒルダは灯を消した栄光の手を遠巻きにしつつため息をつく。
「それで、結局何か進展はあった」
「ああ、スヴァルトに会った」
「へー、そうなんだ……って、ええええっ!?」
ヒルダがぎょっとして声を上げたので、アローは口元に指を立て「しー」とささやいた。魔法で結界を作っているとはいえ、簡易的なものなのであまりに大声を出すとやはり気づかれてしまう。厳重に結界と作るのは魔力の無駄遣いだし、自分たちが静かにした方が早い。
「お兄さま、どういうことですか?」
ミステルもリューゲの姿と声は見ていなかった。急いで部屋に戻ったのでまだ詳しい説明もしていなかったのだ。
「妙だったな。制約に添って死霊を呼んだだけで煉獄に直結するし、スヴァルトを自称する女の子に声はかけられるし。使い魔のミステルにも見えなかったということは、僕だけを狙って接触してきたということだろう?」
「お兄さまに知らない女が……」
ミステルが若干ズレた点についてわなわなとするが、アローは気にせずに続ける。
「魔力的につながっている存在を無視して術者だけに幻覚を見せるなんて、そんな高度な術を使う理由もないだろうし、彼女……リューゲと名乗っていたが、リリエと面識があるようなそぶりを見せた。馬車を襲った黒魔術師の正体のこともあるし、少し気になるところだな」
「でも、スヴァルトって伝説上の存在なんだろ?」
ギルベルトは半信半疑のようだ。アールヴと違って、スヴァルトが残したとされる遺産はほとんどない。アールヴも宿敵の遺物を残しておくほど人がよくはなかったということだ。何にせよ、存在を証明するものがほとんどないのだ。信じられないのも無理もない話だろう。
ヒルダは難しい顔になっている。剣で斬れる敵かどうか検討しているのかもしれない。それでも死霊よりかは気分的にマシなようだ。比較的元気である。
「とりあえず、後は辺境伯に会ってみてからだな。リリエだってあそこまで言っておいて、やっぱり地下は見せられないとか言わないだろう。とりあえず見せる分には危険がないと考えているんだろうし」
「わかりませんよ? 我々を生贄代わりに捧げようと考えているかもしれません」
まだ不機嫌そうなミステルが、まるで子供のように頬を膨らませながら言う。
「教会の使者を生贄にって、疑ってくれと言ってるようなものじゃないか。いくら僕が世間知らずでもそれが悪手ってことくらいはわかるさ」
それでも警戒しておくにこしたことはない。黒魔術師の一件もあるのだ。
「ところで、テオ」
「………………なんですかぁ」
こちらはこちらでふてくされている。ソファに寝ころんだまま面倒くさそうな声を出す。
「君はコネで騎士団に入ったのか?」
「アローさん、何ですかその死体に石投げるような質問」
「いや、騎士団には入団試験があったが、君はどうなのかと思って。ヒルダは試験を受けたんだよな?」
「ええ。女は試験を受けて認められなければ、いくらコネがあってもそう簡単に入団できないわ。ものすごいお家の事情があれば別だけど」
「お家の事情とは……」
「ちょっと火遊びがすぎて、貴族と結婚もできなければ修道院からもお断りされちゃった子とかが厄介払いにおしつけられたりとか。そういう子は長持ちせずに商家とか辺境とかにお嫁にいっちゃうけれど」
ヒルダは直接的表現を避けたが、何となく「火遊び」には「ショーカン」の時と同じ気配を感じる。
「…………騎士団は厄介ものの吹き溜まりか」
「そう言わないで。平和な国だし、適当な縁故で入ってくる人もいるけど、それなりに真面目な騎士だっているんだから」
「まぁ、ヒルダは真面目だしな」
「そうね。で、テオは試験、受けたの?」
アローに変わってヒルダが尋ねると、テオはばつの悪そうな顔で起きあがり、もごもごとつぶやいた。
「…………受けましたけど」
「受けたんだ!?」
「ヒルダさん、自分で聞いといてその反応ひどくないですか?」
「いやだって、貴方、剣も槍も下手じゃない」
「そうですけど。僕にだって特技くらいあるんです!」
必死に力説するテオに、アローは首を傾げながら首を挟んだ。
「弓か?」
「何でわかったんですか」
アローが言い当てたことがあまりに意外だったのか、テオはぽかんと口を開ける。だいぶ間抜けな顔だ。
「君は目がいい。周囲を観察する力がある。馬車から脱出した時も意外と冷静だった。馬ゾンビも嫌そうにしていたけど案外すぐ慣れていたな。動物の血抜きを間近で見る機会も多かったんじゃないか? つまり、弓矢を使って狩りをしていたことがある、と」
テオは少し嬉しそうな顔でこくこくとうなずくと、力説し始めた。
「俺、わりと放置で育ったんで、よく領地の森に遊びに行って、森番に狩りを教わっていたんです。だから弓だけは自信あるんですよ! ……それで、弓矢が使えるので……その、弓兵になれるんじゃないかって騎士団につっこまれてしまって……」
後半は苦い顔で尻すぼみ。おそらく、テオにとっては騎士団入りは不本意だったのだろう。十二歳の覚悟なんてそんなものだ。親にしてみれば領地を継ぐ望みはほぼないテオを、目の良さと弓を使えることを武器に騎士団へ入れたことは厄介払いなどではなく、それなりの真心だったのかもしれない。
親の心子知らず。子の心も親は意外に知らなかったりもするわけだが。
「でも私、テオが弓使ってるのを見たことないわよ」
「だって……この国平和だし……戦もないのに、護衛もできない弓兵なんて何の役に立つんだって……猟師にでもなれって……馬鹿にするから……」
ごにょごにょとふくれっ面で呟くテオに、ヒルダは苦笑いをしながら彼の方を叩く。
「明日、暇を見て城下に弓を買いに行きましょう。そして次にそういうことを言われたら相手に当たるギリギリで矢を射かけてやりなさい。護衛もできないなんて口は叩けなくなるわ」
「矢が刺さっちゃったらどうするんですか?」
「刺さらないギリギリで射れる腕があるなら、護衛だって何だってできるわよ」
女だと馬鹿にされても剣で容赦なく黙らせる。戦女神と呼ばれるヒルダがそれを言うのは重みが違った。テオが神妙な顔になってカクカクと頷く。
「でもアロー、何でテオに騎士団のこときいたの?」
ヒルダが首を傾げると、アローは窓から外してきた魔除けの石を磨きつつ、ため息をひとつついた。
「この面子で何ができるのか知りたかった。テオだけは実力がいまいちわかってなかったからな。何もできない子じゃなくて心底安心したぞ」
「俺は弓で身を立てるよりも可愛い貴族の女の子のところに婿入りし……」
「諦めろ」「諦めなさい」「諦めとけ」「いい加減にしたらどうですか」
「……ひどくないですかこの言いぐさ」
テオの浅はかな夢がボロボロに突き崩されたところで、迎えが来た。辺境伯との会見の時間がきたのだ。
■
辺境伯ファルク・アレクサンダーは、質実剛健の人、という印象だった。
白髪に近づいた髪と顎髭で、眼窩に収まった琥珀色の目が鋭い。リリエは姪だと言っていたが、孫と言われても信じるだろう。
会見は淡々と進んだ。ようやく情報がいったのか、街の門で誤認逮捕した件のことについて謝罪され、何か入用なものがあれば何でも言ってほしいと申し出てもらったので、遠慮なく魔術に必要そうな鉱石やテオに使わせる弓を用立ててもらうことにする。
スヴァルトの宝の詳細については「リリエに案内させるので直接見て確かめてほしい」以外のことを聞きだすことはできなかった。会見の後、再び晩餐会に連れて行かれ、慣れない作法にぎくしゃくしながら食事をする羽目になったからだ。
肉のかたまりにナイフを入れながら、何度「もうこれかぶりついちゃだめかな」と思った頃だろうか。森で自給自足をやっていた頃が懐かしい。骨がついたまま肉を煮込んだり炙ったりして、豪快にかじり、食べ終わった後の骨は死霊術の練習台にしてから森に帰ってもらった。あの生活に今だけ戻りたい。
ふと、リリエの方をみやる。彼女は貴族の子女らしく、上品に肉を切り分けて食べていた。ソースも飛ばさない。
前の失敗で変に力が入っているのか、テオはアローよりもギクシャクしてヒルダにこっそり足で小突かれている。ヒルダも密かに行儀が悪い。
辺境伯邸の食堂には窓がなかった。城の中では洞窟側に位置するらしく、明かり取りはわずかにしかなく、いくつものランタンが炎の穏やかな色で食堂を照らしている。
「城の構造が気になりますか、アロー様」
アローの視線に気づいたのか、ちょうど主菜を食べ終えたリリエがナイフとフォークを置く。
「様はいらない。舞踏会はここでやるわけじゃないのだろう」
「いつもでしたら離宮でやるのですけど、今回はこの城の庭と一階の広間を開け放ってやる予定です。さすがに洞窟側は暗すぎますので」
(まぁ、確かに暗いと色んな意味で危ないな)
何せ塞がれているとはいえ、城の向こう側にはいくつも洞窟があるのだ。要人を迎え入れるには警備が大変だろう。
「晩餐の後、一刻ほど休まれてから件の場所にご案内いたしますね」
「よろしく頼む」
リリエは薄く微笑んでいたが、少し疲れているようにも見える。何か言いたくても言えないような視線が一瞬だけアローを見つめ、そして離れた。
「…………」
この食堂は、薄暗い。
ランタンの灯りのみなのもあるが、もっとこう、ファルクとリリエの間にある空気が。二人とも言葉をあまりかわさない。
ファルクの妻は他界しているという。息子夫婦もいると言うが、今はアイゼンリーゼに出ているという。舞踏会の時に、客を引きつれて戻ってくるのかもしれない。リリエの良心はわからない。ファルクはそこには言及しなかったし、リリエ自身も語らない。
(一瞬だけ、視るか)
これくらいの灯りなら、一瞬目が紅く光ってもごまかせる。
そう思って、アローは一度まぶたを閉じ、そして目を開ける。
「――――っっ!!」
ガタンッ、と。
静かな食堂に椅子が倒れる音が響き渡り。
「ど、どうしたの、アロー?」
「お兄様?」
ヒルダとミステルが驚きの声をあげたのを聞いて、アローは自分が驚いて立ち上がったのだと理解した。
「……いや、何でもない。……何でも、ないぞ?」
心臓がばくばくと音を立てている。
アローが視界を切り替えたのはほんの一瞬だけ。それでも確かに見えた。
黒く大きな竜が牙をむきながら食卓を飲み込もうと首をもたげている姿が。だが、それだけだった。黒い竜は何かに阻まれるように、そこに静止していた。
(あれは一体、何だったんだ? 死霊でも、煉獄のものでもなかった)
その答えは、この城の地下にあるのだろうか。
視界を切り替えなければ、気配すらわからなかったあの黒い竜の正体が。




