46.疑心暗鬼の昼下がり
(スヴァルトの宝……?)
別に、あっても不思議ではなかった。グリューネにだって、アールヴが残した遺跡があるのだから。
「それが、具体的にどういう風に災厄を起こすと? 奇怪な音の正体は洞窟のせいなんだろう?」
アローが聞いていたのは、あくまで夜に地下から獣の吼えるような音や泣き叫ぶ声が聞こえるというものだった。そのどちらも洞窟で説明がつくのなら、わざわざグリューネから人を呼ぶ必要などない。実際、今に至るまで「音の怪異」は放置され続けてきた。
「本当のことを言うわけにはいきませんでしたので、便宜上、怪音のせいで舞踏会が危ぶまれるということにいたしました」
「なるほど。で、スヴァルトの宝とは? ごまかしはナシで頼む。僕は教会の代理人としてここに来ている。黒魔術師に見えるから言えません、はナシだぞ。僕は正確には黒魔術師ではないし、教会から頼まれてわざわざ国の端まで来たんだからな」
若干据わった目で念を押すアローに、リリエは少しだけ困ったように曖昧な笑みを見せた。
「見ていただいた方が早いかと思います。夜になるとわかりますので。それまではお部屋にご案内いたします。晩餐の前には叔父も時間がとれるかと思いますので」
「晩餐…………」
アローの目がさっきとは別の意味で据わった。そして横ではテオが黙ってそっと目をそらした。
「何か問題が?」
「い、いや……大丈夫だ。……あっ、だが、妹の、彼女の分は用意しなくて結構だ」
アローはあわてて首を振ると、ミステルの方を向く。
「彼女は魔術のために特殊な食事をしている。晩餐に同席しても大丈夫だが、食事と飲み物は自分で用意する」
「ええ。申し訳ないのですけど、お願いできますでしょうか。この国ではあまり知られておりませんが、私と契約する聖霊マリーツィアは大変な偏食なのです。ただ、約定を守れば多大なる力を貸してくれる聖霊ですので、聞き入れてくださるとうれしいです」
アローが適当にいったはったりに、ミステルが更に適当なことを重ねる。適当と適当が重なると、意外に信憑性が増すのだろうか。それとも彼女の人柄が素直なのか。リリエはあっさりと「言っておきますね」と快諾した。
「夜、またお呼びいたします。その時に『スヴァルトの宝』をお見せしましょう。お部屋には侍女をつけますので、何かありましたらご用命を。ああ、それと……」
リリエはぽん、と手を叩き。
「ドレスのご用意はありますか?」
「えっ?」
「はい?」
リリエの言葉に、ヒルダとミステルはそれぞれきょとんとして顔を見合わせる。
「せっかくですので、舞踏会に参加されていかれますよね。ドレス、お持ちでないのでしたらお選びします! オステンワルドは刺繍工芸が盛んなんですよ。素敵なドレスを見繕いますので。あ、もちろん殿方の衣装もお持ちしますよ!」
「えっ……いや、私は騎士としてここにきたので、舞踏会の時はふつうに警備を……」
「私も、その……貴族の身分ではない魔術師ですので」
「遠慮なさらなくても結構ですよ! 警備でしたらこの城のものがおりますし。舞踏会までに解決すれば、ふつうに楽しむこともできますから! 後で寸法を測りに使用人を向かわせますので」
「あ、あのー……」
ドレスの話になると急に熱がこもりだしたリリエを、ヒルダはひきつった顔で押し止める。
「仕事できていますので」
「あっ、すみません……私、ドレスを見繕うのが趣味なもので、つい。今からお部屋にご案内しますね」
リリエは頬を染めながらそそくさと立ち上がり、お付きの兵をせかすようにして部屋への案内を始める。アローたちも素直に従った。リリエが今、これ以上話すことがないというのなら、後は辺境伯本人か夜を待つしかない。
(舞踏会の話はちょっと唐突だったな。話題をそらしたかったのか天然なのか、微妙な線だ)
スヴァルトの宝がどういった種類のものかを確認しなければ、どうにも結論の出しようがなかった。
(そういえば、女中の話していた生贄のこともあったな。あれは眉唾だとは思っていたけれど)
たとえば、スヴァルトの宝とやらが何らかの形で人間の魂や肉体を対価として求めるものだった場合、生贄の話はあながち間違いではなかったことになる。スヴァルトの宝を暴走させないための対処として生贄を用意していた可能性はゼロではないからだ。
生贄が誰でもいいわけではないとしたら、生贄として求められた人間が死んでは困る立場の人間だった可能性が高い。もしかすると、リリエがその対象であるのかもしれない。
(まぁ、今のところは邪推でしかないな。結局、馬車を襲った犯人もわからないし……あれはリリエに言っておくべきなのか?)
馬車を襲ってきたのが辺境伯の縁者である可能性も一応考慮して、あの一件はあくまで野生のはぐれたリントヴルムのが襲ってきたということにしている。
部屋に向かう途中、テオが急に立ち止まって、窓の外をじっと見つめる。アローたちに用意された部屋は、日当たりを考慮してか城の表側だったので、窓のむこうにはオステンワルドの街並みが見下ろせた。
「どうかしたのか、テオ」
「んー、ちょっと気になることあったんですけど、多分気のせいですねー」
「気になること?」
「あー、いや、そのー……ほんとに気のせいっす」
今まで散々いらないことをしゃべり倒していたテオらしからぬ言動に、一同はそろって妙な顔になったが、問い詰めるよりも早くリリエが立ち止まった。
「左側の部屋に男性の方、右側の部屋に女性の方用に整えてあります。個室でご用意してもよろしいのですが……」
「いえ、それには及びません。ありがとうございます」
ヒルダがさらりと断った。人間ですらないミステルと、まだ若く一人で置くには不安が残るテオがいる。今後の作戦を練る意味でも、個室でない方がありがたい。
「では夕刻、叔父の準備ができましたらお呼びいたします。夜のことは晩餐の後にまた改めて」
リリエはしずしずと去っていき。
一行はひとまず男性側の部屋に集まることにした。
「色々と不可解なことだらけね」
「そもそもスヴァルトの宝を見ないことには」
「何かよくわからんけど、危なくなったら斬ればいいんだな?」
「すみません、俺怖いの嫌なんですけどー」
真面目に考えている女性陣に対し、男性陣の投げやりさが半端ない。
「ヒルダとミステルはともかく、ギルベルトとテオはもうちょっと真剣に考えろ」
「俺は護衛が仕事であって、頭使う仕事にゃむかねえよ」
「すみません、今までの流れですでにちんぷんかんぷんなので無理ですね!」
「ドヤ顔決めるところじゃない」
はぁ、とため息をついて、アローは部屋の窓辺からオステンワルドの街並みを見下ろした。山肌にあるこの城を起点に、扇状に広がる街。窓にはバルコニーの類はなく、石の壁はすらりと地上まで伸びている。しかし、落下防止のための手すりはついていた。
(いざとなれば綱を作って下に降りられないこともないか)
万が一のための脱出経路は一応考える。ミステルは幽霊だし、この中で壁を伝って下に降りる芸当ができなさそうなのはテオくらいだ。一人なら魔法で何とかできないことはない。
「オステンワルドって国境近くの華やかな交易都市って印象だったんだけど、思ってた以上に変なところね……」
ため息をつくヒルダに、ミステルがむすっとした顔でうなずいた。
「変というよりは、失礼ですね。いったい、黒魔術師が何をしたっていうんです?」
ミステルは死霊術が専門のアローよりも黒魔術師寄りなので、オステンワルドに着いて以来の黒魔術師差別が気に入らないようだ。
「お兄様も! 地下牢にいれられたんだから、もっと怒ってください。辺境伯を土下座させるくらいのつもりで」
「いやいや、グリューネでも散々黒魔術と死霊術を勘違いされたし、地下牢は二回目だし、今更怒るほどのことでも」
「いや、怒っていいと思うしその節は本当にごめんなさい」
何故かヒルダが深々と頭を下げた。生真面目な彼女は、未だに最初の誤認逮捕のことを気にしているらしい。
「……というか、リリエが何も言ってこなかったところを見ると、城まで僕が捕まった話がきていないのでは?」
馬車の事故の件も、アローの逮捕も、リリエは全く話題にもしなかった。となると、知らなかったか、知っていてあえて知らない振りをしたかのどちらかしかない。
「……揉み消されたかしら」
「揉み消されましたね」
「なぁ、女中頭のばーさんが探りいれてたのって、もしかしてその件じゃねえよな」
「あっ、もみ消したのがバレてないかどうか気になったってやつですか? キナ臭くなってきましたねー」
テオが何故か一番楽しげである。
「お兄様、馬車を襲った黒魔術師がリリエ・アレクサンダーの刺客という説はありませんか?」
「それは可能性としては低そうだぞ。わざわざ呼んだ相手を攻撃するとも思えない。ただ、何かを知ってる可能性はありそうだ。そもそも、僕をあそこで捕まえたのは計算通りだったということも考えられるな?」
「ん? でもあれはアローが馬の死体を使ったからで……」
「そもそも、門兵は僕が黒魔術師かどうかも確認せず、馬の死体を動かしたという建前の理由だけで捕縛した。だが、いくら黒魔術師を忌避しているといっても、それだけで捕縛するのは無理がありすぎる。きっと僕があんな登場をしなかったら、彼らはこうしていただろう。『黒魔術で馬車を襲った犯人である』とね」
「そんな、明らかにアローも連れの一人なのに……」
「明らかに連れの一人なのに、こじつけでつかまったじゃないか」
ヒルダの言葉に、アローは反論した。
「何らかの事情で、一晩足止めする必要ができたんだ。そうすると、不自然な僕の逮捕も、いやに準備がよかった別邸も、不審な探りをいれてきた女中頭も、そして言葉を濁してばかりのリリエの態度にも説明はつくな」
時間を稼ぐ理由が何なのか、結局襲ってきた黒魔術師が誰なのか、それはスヴァルトの宝や城の怪異と何が関係あるのか。
「もちろんだけれども、辺境伯が準備を整えるのを待ってやるつもりはないぞ?」




