44.人の噂は尾ひれにはひれ
階下で人の気配がする。ミステルは音もなく階段を滑り落ち、明かりのともっている部屋を探した。
命には熱のこもった気配がある。意識を研ぎすませれば、容易にその位置がわかった。どうやら先ほどアローたちが晩餐を食べた食堂の方にいるようだ。食事が遅い時間だったので、後かたづけも自然と遅い時間となったのだろう。
ちなみにミステルは「馬車に長く乗っていて疲れたため」と理由を付けて食事を断っている。朝食は部屋に運んでもらうよう約束をとりつけたので、育ち盛りであろうテオにでも押しつけるつもりである。
食堂に近づく。すぐに中に入ろうとはせず、しばらく様子をうかがった。
今のミステルは魔術の素養がない人間には見えない。黒魔術を忌避する土地柄に加え、教会の人間もいないのであろうこの屋敷だ。警戒する必要はないように思えたが、ごく稀にではあるが天然の魔術師が存在する。アローのような、体質として魔術を使える者だ。馬車を襲ってきた相手が判然としていない以上、警戒するにこしたことはない。
扉のすぐ近くに気配がないことを確かめると、そっと壁をすり抜けた。女中が二人、食堂を掃除しながら何やら話し込んでいる。
「ねぇ、どう思う? あの客人……」
「町に入る前に練獄から魔物を召還して門を開けさせたって聞いたけれど……大丈夫なのかしら。あんな人、伯爵様は本当に呼んだの?」
(話に尾ひれがついていますね……)
馬の死体を動かしただけで、ずいぶんと壮大になったものだ。ミステルはあきれ半分に聞いていた。
実際、一般人から見れば血みどろの馬の死体に乗っていた時点で相当な衝撃であり、ある程度は誤解もやむないことではあったのだが、ミステルは基本的にアローには甘いので考慮することはない。
「でもほら、あの城って魔物が住んでいるんでしょう? 黒魔術師に相手をさせた方がよいかと思ったのじゃない?」
「そうね、あんなもの、教会の方にお願いするわけには……」
(お兄様を汚物処理係のように言わないで欲しいものです)
この辺りからミステルは相当苛立っていたが、かろうじて霊障を起こしたい気持ちを押しとどめた。ここで心霊騒ぎをおこしては、責任がすべてアローに向かってしまう。
(でも、お兄様の言っていた通り、城での怪異は元から有名ということなのでしょうね)
別邸の使用人にまで知られているとなると、ここ最近の話とは思えない。
「だって、あの城って元々スヴァルトの根城だったのでしょう?」
「それは盗賊が根城にしていた頃よりも前の話よ。確かお隣と同盟を結んだ頃に、建て替えたのでしょう?」
「でも、地下にはまだスヴァルトの抜け道が残されてるって噂よ」
「やめてよ、スヴァルトなんて絶滅してるわ。あんなの子供を早く寝かせるための決まり文句じゃない。そうじゃなかったら百年もあの城が無事なわけないでしょ」
「そうは言っても、オステンワルドの人間はみんな早寝だし?」
「貴方信じてるの? 私は信じないわよ」
片方の女中が小ばかにしたように笑うが、もう片方は笑えなかったようだ。引きつった顔をしている。
「だって、実際、あのお城の地下には毎年生贄が捧げられているんでしょ? 私の親戚にもいるの。あの城に召し上げられて、そのまま帰ってこなかった子」
その話を聞いて、先ほどまでは笑っていた彼女も少し眉をひそめた。
「やめてよ。それこそ子供への定番の脅し文句だわ。……ああ、もう、いやになっちゃう。早くお金をためて、私は王都にいくのよ。そして貴族の愛人になって夜会に出るんだから」
子供っぽい夢を語りながら、女中は黙々と掃除を再開する。もう一人も、それ以上会話を続ける気にはなれなかったのか、そそくさと掃除を再開した。
ここに留まっていても仕方がない。ミステルは食堂を離れる。
(そういえば、怪異が起こるのは地下でしたっけ。だいぶ誇張されているでしょうから、生贄の真偽は妖しいですけど、何かはありそうですね)
アローに報告すべきことを頭の中で整理しつつ、ミステルは注意深く周囲をさぐる。晩餐の片づけをしている一部の使用人以外は、床についているようだ。屋敷の中は静かで、眠りの気配に満ちている。
しかしその中でふと、静かに歩む人の気配を感じて、ミステルはそれを探った。アローとヒルダたちに与えられたのは二階の部屋。人の気配も、二階に移動する。
(お兄様……!)
もどかしくなって、ホールまでくると一気に二階の廊下まで飛ぶ。見られてしまったら、その時はその時だ。
人の気配は廊下を歩いていた。獣脂の安い蝋燭が、紅い火をくゆらせる。年配の女中だった。この別邸を取り仕切っていた執事と共に、挨拶にでてきた女性だ。恐らく女中頭なのだろう。
彼女は夜の見回りをしているように見えた。魔術の素養はないようで、後ろをるけるミステルの気配には全く気付いていない。
彼女はアローたちの部屋の前で立ち止まると、ろうそくを扉に近づけて何やら調べ始めた。
(……仕掛けをしているようではないですね)
むしろ、仕掛けがないかを調べているようだった。ひとしきり扉を探り、そっと扉に耳を当てている。聞こえるのは恐らくギルベルトのものと思われる、品のないいびきだけだ。
彼女はどこかほっとした様子で、ヒルダの部屋の前は素通りしてそそくさと戻っていく。
(……これも一応、朝になったらお兄様に報告しましょう)
女中頭の姿が消えたのを見計らい、ミステルは部屋に戻った。霊体の彼女は、アローがそう指示しないかぎり完全に眠ることはないし、眠りを必要ともしていない。後は黒魔術を使えると思しき馬車襲撃犯だけを警戒していれば良いはずだった。
■
そして、翌朝。
「生贄……?」
アローはバターのかおる白パンをもふもふと食べながら、しきりに首をかしげている。
朝食をそれぞれの部屋に運んでもらった後、ヒルダとミステルは、多少行儀が悪いとは思いつつも自分たちの食事をアローの部屋に運び込んだ。そして簡単な魔術で話声が外に漏れないようにすると、ミステルに昨晩のことを話してもらったのだ。
「話を整理すると、辺境伯の城は昔スヴァルトの住処だった、と。そこがアールヴとの大戦後に長く荒れて放置されていた間、盗賊の根城となり、そこが綺麗に掃討され、街ができ、百年前、アイゼンリーゼとの盟約の時に今の姿に改築なりされたと。この時点ですでに数百年経過していると思うんだが」
少なくとも、ゼーヴァルトが今の国名で地図に刻まれてから三百年ほど。途中何度か危機には瀕したが、自然が作り上げた迷宮である黒き森と、これまた自然が作り上げた砦である山脈に囲まれていたために安寧に平和ボケの歴史を歩んできた。オステンワルドがゼーヴァルトの国領として定められ、街が成立したのがいつごろなのかは歴史書を紐解く必要がありそうだが、少なくともスヴァルトとの戦争は三百年以上前の話なのだ。しかも間に盗賊が普通に根城として使っていた時期がある。
「その城の地下にいまだスヴァルトの呪いが? 生贄なんていう前時代的なものを要求してくると?」
「何かアローが生贄を前時代的とか言うの、すごく違和感あるわね」
ヒルダは微妙な顔で豆のサラダをもぐもぐと食べる。
「どうしてだ、ヒルダ」
「そもそも貴方が王都でナンパしていたのって、生贄探しじゃなかったっけ?」
「……それはそれ、これはこれだ。僕は命なんて奪わないぞ。僕はミステルに生身の身体を用意するために、魂をほんの少しだけ分けてもらうだけだ」
「きりっとした顔でいうこと?」
ヒルダはますます微妙な顔になったが、テオは逆に目を輝かせた。
「つまりミステルさんが生き返ると! 俺にもまだ恋の舞台に立つ機会が!」
「ないな」「ないわね」「ないです」「諦めろ」
「何で皆一斉に俺にトドメをうつんですか!!」
大げさに嘆くテオの朝食の皿(ミステルの分を押しつけられて二人前)からフォークで肉をかすめ取りながら、ギルベルトは彼の頭をくしゃくしゃ撫でる。
「男はなぁ、未練がましいとモテないんだぜ?」
「うわああああ、ギルベルトさん、ついていきます!」
「いや、くんなウゼぇ」
「やっぱ酷いっ!」
テオとギルベルトの中身が薄いやりとりを横目に、アローは考える。
生贄の話はまず、単なる噂話だろう。仮に城に召し上げられた人間が失踪したのが事実だとして、それが呪いのせいだとは考えづらい。スヴァルトの根城になった後、今の辺境伯城になるまでに、盗賊が潜んでいた時期があるからだ。いくら恐れしらずの盗賊でも、定期的に生贄を要求してくるようなところを根城にするとは思えない。だが、何らかの怪異はその当時からあった。これはアローが牢屋で話を聞いた霊の証言からわかる。
「……仮に、誰かを生贄に捧げなければいけない事態があったとして、それはきっと今の城になってからのことなんだ。少なくとも、ここ百年の話ということだな」
「じゃあ、スヴァルト云々は単に話に尾ひれがついただけ?」
「そうとも言い切れない。今は姿を消したというだけで、アールヴもスヴァルトも、確かに存在した種族だ。ドワルフだって、今でもアイゼンリーゼでごくまれに姿を見せるというしな」
妖精族の実在自体は、彼らが残した文字や遺跡で確認されているし、何よりもゼーヴァルトの王家はアールヴの血を引く一族だ。それが事実かはともかくとして、人間の技術では作れないものがグリューネの王城には多数存在し、それらが妖精族の存在を示していると言える。アールヴが何故姿を消したのかは、純血がいなくなって人間と同化した説や、彼らの故郷であるアルヴヘイムへ帰ったとする説など諸説あるが、滅びたという証左を書いている文献はどこにもない。そしてこれはスヴァルトも同様である。
「……まぁ、結局のところ、行ってみるのが早いということだな」
「結局そうなりますね」
アローとミステルが顔を見合わせ、ヒルダとギルベルトも頷き。
「えー……俺、スヴァルトとかやだなー」
テオだけが、歳相応にむくれて不満を示したのだった。




