41.死霊術師に世間は厳しい
アーロイス・シュバルツは困っていた。こういう状況で、あと何度困ればいいのだろうか。
オステンワルドを目前にして、突如襲ってきた地竜リントヴルムによって、馬車は破壊され、馬は死んだ。一行は全部で五人+幽霊一人。残った馬は二頭。ヒルダに見習い騎士のテオを任せ、ギルベルトに御者を任せる。ミステルは空を飛べるのでいいとして、アローと破壊されないで済んだ荷物を運ぶ馬が必要だった。だからアローはひとまず死んだ馬を死霊術でつなぎあわせ、使役して自分と荷物を運ぶことにした。理にかなっていたと思う。ヒルダは心底嫌そうではあったが、緊急事態だったので許してほしい。
そう、緊急事態だったのだ。どうにかする方法があったのだから使うべきだし、実際、ああしなければオステンワルドの街の門が閉まるまでにはたどり着けなかっただろう。
失態だったのは、ゾンビ馬に関して言えば、街の警備兵から見える位置にくる前に地に還しておくべきだった。
そう、アローはまたやらかしてしまったのだ。ゾンビ馬のまま門を通ろうとして、見事に不審者として捕まった。
ヒルダの連れだとは認識してもらえなかったらしい。そして彼女がアローの身分を証明するよりも早く、アローは怪しい黒魔術師として連行されていた。
(ああ、そういえばオステンワルドは土地柄で黒魔術に関しては少しばかり過敏なんだったか)
馬車の中で暇つぶしに読んでいた東を旅した交易商人の手記に、そんなことが書かれていた。このゼーヴァルトは元々アールヴと呼ばれる森に棲む光の妖精族と、スヴァルトと呼ばれる岩山に棲む闇の妖精族が暮らす地だった。二つの種族は仲が悪く、森と山の間に広がる平野部は、度々戦の舞台となっていた。そこに、今のゼーヴァルト王国の祖となる人間の一族がやってきて、アールヴと手を結び、平野は人間のものとなった。当然スヴァルトは抵抗し、アイゼンリーゼの山に棲んでいたドワルフを味方につけ、スヴァルトが得意とする黒魔術と召喚術を駆使して戦った。特に激戦となったのが、アイゼンリーゼも近い今のオステンワルド付近だったという。
結局、アールヴと人間の連合軍が勝利をおさめ、以後数百年、衰退したスヴァルトは山の奥深く逃げ込み、もう絶滅したのではないかと言われている。だが、スヴァルトの残した爪痕は大きかった。数百年が過ぎ、妖精族の戦いが伝説になった今でも、この地では何か災いが起きれば必ず「スヴァルトの呪い」とされる。黒魔術はスヴァルトの魔術なので、好まれない。
アールヴですら次第に姿を消して人間の中にとけ込んで、王家の血脈くらいにしか存在の名残がない今となっては、妙な話だとは思う。実際、黒魔術はさほど使い手がいないものの、王都グリューネでは趣味で学ぶものもわずかながら存在していた。カタリナもその一人だったのだから。
アイゼンリーゼとは友好国同士とはいえ、隣国の山にはかつて敵対した鋼の妖精ドワルフがいる。オステンワルドの山奥には、逃げ延びたスヴァルトがまだ反撃の機会をうかがっているかもしれない。何かがあれば戦場になるのはこの街だ。だからここに住む民は皆、黒魔術を警戒する。
「その結果僕がいらん誤解を受けたわけだな……僕は黒魔術師じゃないんだが」
例のごとく、荷物を奪われたのでミステルは頼りにできない。今はヒルダが早く自分の身分を証明してくれることを祈るばかりだ。
(結局、あの視線のことを言いそびれた。あれは魔術で覗かれていたな)
そして馬車に人がいることを確認した上でリントヴルムを仕掛けた。こちらに黒魔術の気配に気づける人間がいたことも、ヒルダとギルベルトが幼竜とはいえリントヴルムをあっさり倒せるレベルの使い手だったことも、相手には予想外の事態だったに違いない。
(うーん、あれが僕らの立場を知っての襲撃だったんなら、これ、単なる死霊や魔物の仕業って話じゃなさそうだぞ)
本気で舞踏会に危機が迫っているかもしれない。とにかく、オステンワルドに何かを成そうとしている輩がいるのは間違いない。それも、この地域では白い目でみられる黒魔術の使い手だ。
すぐ近くに牢番はいない。一番奥の牢に荷物を剥いだアローを押しこんだ後、気味が悪そうに遠巻きにして牢の入り口の方に戻っていった。だから監視の目はない。覗き見はされていないだろう。何せ黒魔術が嫌いな土地柄だ。
杖をとられているし、魔法封じの護符を貼られているが、これは黒魔術対策だろう。確かに黒魔術だったら、これでかなり弱体化できる。黒魔術は杖なり魔法書なり、媒介がないと上手くいかないからだ。
ただし、死霊術なら話は別だ。そもそも、アローが死霊術に杖を使うのは強すぎて暴走しやすい力を制御するためだ。引き出すためではない。むしろ護符を貼られているくらいでちょうどいい。暴走の確率がぐっと減る。
ギュッと目を閉じ、そして開く。アローの青い瞳に紅い色が宿る。牢屋の石壁から、床から、黒ずんだ血の色をした手が這い出てゆらゆらと揺れる。
《……レダ、……ダレダ》
(死霊術師だ。君たちはここで死んだ囚人か)
《オレハ、ソウダ……》
《チガウ、チガウ……モットムカシ、カラ、イル……》
(そうか、かなり古い建物なんだな、ここは。辺境伯邸ではないか)
《ココ、ムカシ、トウゾク、スンデタ……》
そういえば、オステンワルドはきちんとした領主が統治するようになるまで、戦で疲弊した荒れ野が放置されて酷いあり様だったらしいと、例の手記に書いてあった。山から下りてきた盗賊が、この辺りに根城を作っていたのだろう。アレクサンダー辺境伯ならば、詳しい領地の成り立ちを知っているかもしれない。
(なるほど。その時に殺されたクチか。まぁ、それはいい。最近この辺りで、何か凶悪な死霊か魔物を見なかったか? ……そういうやつを使役する誰か、でもいい)
《シラネエ……シラネエ》
《オレモ……シラヌ……》
(そうか。何か変な声を聴いたとかは?)
《オシロノコトカ?》
(そうだな。今の辺境伯邸、君の言う城とはそこのことだろう)
《ソレナラ、ムカシカラダ》
《アア、アソコハノロワレテルカラナ》
(昔から……今に始まったことじゃない、と?)
《アソコノチカハレンゴクトツナガッテルンダ》
それが本当だとしたら、どうして今更辺境伯は助力を求めてきたのだろう。舞踏会があるから慌てて、というのも何だかおかしい気がして、アローは首を傾げた。幽霊の噂のひとつやふたつ、古い城ならどこでもある。それがあまりにひどくなったから依頼がきたという話だったが、この死霊たちの話をきくと、むしろ酷い心霊現象が起こっているのが常だったかのようだ。それも、恐らく百年以上はこのあたりに縛られているであろう霊が認識しているほどに。
(……わかった。もういい。教えてくれて感謝する。お礼に君たちをここから出してやろう)
《ホントウカ?》
《ソンナコトガデキルノカ?》
(できる。少しの間僕の身体の一部を間貸ししてやるから、僕がここから出る時に一緒に出ろ。後は自由だ。好きにしろ。一応言っておくけど、乗っ取れると思うなよ? 今は夜だ。夜に力が強くなるのは君たち死霊だけじゃなくて、死霊の使い手も同じだからな?)
パン、と軽く手を打つと、赤黒い手の影が消え失せて、かわりに爪が二本赤黒く染まる。死霊が渋ってなかなかでていかなかったとしても、これなら最悪爪を剥いで燃やせば何とかなる。普通に痛いし、回復魔法はあまり得意な方ではないので、できれば穏便に出て行ってほしいものだが。
「はぁ……疲れた」
再び目を閉じ、開ける。目の紅い光が失せて、元の青が戻る。それとほぼ同じくして、牢番がヒルダを伴って慌てた様子で鍵束をもってきたところだった。
「遅くなってごめんね、アロー。私の連れだって言ってるのに、なかなか信じてもらえなくって。教会が黒魔術師なんかよこすわけがない、の一点張り。嫌になっちゃったわ」
少し疲れた様子で肩をすくめるヒルダをみつめ、アローはうろんな目を牢番に向けながらうなずいた。
「そうだな、黒魔術師と死霊術師の違いを説明してもきっとわからないだろうし。僕もいい加減わかってきたぞ。素性を馬鹿正直に答えたらかえって誤解を深めるということが」
「人は成長するわね」
正直、こんなことで成長したくはないのが、アローの紛れもない本音であった。