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ヒキコモリ死霊術師はモテてみたい  作者: 藍澤李色
第一部:王都グリューネ怪事件編
37/120

36.生ける死者の王

 世界が紅く染まっている。

 草のように炎の揺れる大地。夕焼けよりも紅く、今にも血がしたたり落ちてきそうな空。風の音のかわりに聞こえるのは、開かれた冥府の門に群がるおびただしい数の死霊の声。

 苦しく、哀しく、懐かしい世界。

 アローがまだ幼かった頃は、少し目を閉じて、もう一度世界を見るだけで、世界は紅く染まった。師匠に『正しい世界の見方』を教わるまで、紅い世界はつねにアローの隣に居座っていた。

(……ダメだ、ダメだ。完全に制御できなくても、少しくらいは抑えないと。ミステルもいない。ハインツが場をおさめられるとは限らない)

 死霊は制御していなくても、ある程度はアローの命令に従う。だからグールは倒せるはずだ。問題はその後だ。アローには、全てが終わった後に死霊を冥府へと送還するための魔力が残されていない。

 この世界は生きている人間が思っているよりもずっと、死に満ちている。

 人が生活している場で、近くで誰も死んでいない場所などほぼ存在しないだろう。事故で、病気で、あるいは自殺や他殺で、人はたやすく死に至る。動植物も含めてしまえば、おびただしい数の死骸の上に、人々は生きている。

 そして、そのおびただしい量の死を、その死が奪った魂を全てこの場に呼びだそうとすれば、世界が紅く染まる。特に人の命は紅い。

 怨嗟、悲嘆、羨望、懐古、絶望、諦念、切望、孤独。

 紅い世界に唸るような声が鳴り響き『外』の声は何も聞こえない。

 ――七年前。

 ヒルダと一緒に誘拐犯に捕まった時、アローは深いことは何も考えずに、死霊の力を借りた。その結果、一帯を死霊であふれさせ、師匠が止めに来るまで教会の聖霊魔術師が出動する事態にまで陥っていたという。

 あの時は師匠がいたから良かった。だが、今はいない。人を食うグールとひとまず簡単な聖霊魔法である程度対処できる死霊を天秤にかけて、あえて制御を放棄しただが、最悪の場合アローが死ぬまで死霊の召喚がとまらなくなってしまう。

(ヒルダには怖い思いをさせてばかりだ)

 彼女が死霊を苦手とするようになったのは七年前の自分の失態のせいなのに、こんなことに付きあわせて、結局こんなことになって。トラウマの上塗りだ。

(彼女に謝らないと……)

 そもそも、自力でこの死霊を収めて戻る方法を考えないことには、謝るもなにもないのだが。アローが意識を保っている限りは、死霊たちは命令したもの以外は襲わない。アローが意識を失って、かつ死んでいない状態がいちばんまずい。死霊たちは命令を見失って思い思いの行動を始めてしまう。

 遺体などを使って正式な手順を使って呼びだした死霊とは違い、アローが自分を媒介にして引きずり出した死霊たちは、機会さえあれば生きる者の世界に這いだし、侵入しようとしている強い執念をもった亡霊だ。野放しにするわけにはいかない。

(杖を……杖は、どこ、だ……)

 手には何も持っていない。自分の手がどこにあるかわからない。紅い、紅い、紅い。身体が紅い世界の一部になって、溶けてしまったように。

(ダメだ……引きずられてる)

 死霊に身体を乗っ取られかけている。魔力があと少しでも残っていれば、どうにかできたかもしれない。こんなことなら、ミステルがまだ召喚できている段階でどうにかするべきだった。

「ハインツ! 僕を殺せ! 今すぐに!」

 力の限り、叫ぶ。少なくとも、今アローが死ねば、死霊は抑えられる。

 あとのことは彼だけでも対処できるはずだ。だから――。

「その必要はないわ」

 突然、紅い世界が引き裂かれた。

 月明かり、草をちりちりと焦がす炎の名残。制御を失った死霊たちが寄り集まり、全てを呑み込んでいく。

 その光景を背景に、彼女は立っていた。アローは呆然として、彼女が地面に突き立てた剣の切っ先を見下ろす。

 アローの身体にまとわりついていた死霊が、聖油をまとった剣に貫かれて、苦悶のうめき声をあげながら地に還っていくところだった。

 その場に座り込んで、アローは目の前にいる少女を見上げる。

「ヒルダ……」

「剣で斬れるものなんて……何も、怖くない」

 自身に言い聞かせるように何度も言っていたその言葉を、彼女は改めて口にする。その声がまだ震えていることには気づいていた。それでも、彼女の手はもう震えていない。

「アローが死ぬ必要なんてないわ。私は戦女神よ。友達くらい守れる」

 ヒルダが駆ける。襲い来る死霊の群れを斬り捨て、地を蹴り、襲い来るグールを迷いのなく斬り捨てる。

「ヒルダ……君がそこまでする必要なんて……」

「私が何のために剣を手に取ったと思ってるの? 守られる必要なんてなくなるようによ。むしろ私が守れるように、よ。だから今は私に大人しく守られてて」

 振り返りもせずに彼女は、今後は統制を失い暴れ狂う死霊を両断する。

 まるで踊りを踊っているかのように、鮮やかな動きだった。

「アロー! とりあえず何を斬ればいいのかだけ教えて!」

「まずカタリナについているグールを倒してくれ! 頭を狙うんだ」

「わかったわ。思ったよりも簡単で安心した」

 ヒルダの行動は早かった。同じ標的に近づくヒルダを敵とみなしたのか、死霊の群れから一部が離れ、ヒルダに向かって襲いかかる。それを彼女は難なくかわし、斬り捨て、死霊と争って肉の半分が溶けているグールへと肉薄する。

 そこまで、わずか数秒。

 柄でグールの頭を突き飛ばし、カタリナから離れたところで首筋に剣を突き立てる。

 耳を引き裂くような断末魔とともに、グールの身体が肥大化し、ごぼごぼと泡立ち、崩れ落ちた肉と骨が地面でのたうちまわる。

「う、うわ……あっ、これ、これっ、斬らないとダメ!?」

 若干素に戻ったヒルダが慌てふためいたが、彼女が行動に移すよりも早く、死霊たちがその残骸に食らいついていた。

「あーっ、やだ、やだ、ひゃああああっ」

 口では悲鳴をあげつつも、ヒルダはまだ残っていたグールの残骸をひとつずつ剣を突き刺していく。

「さて、そろそろ私の出番かな」

 気が付くとハインツがアローの隣に立っていた。

 彼の護符を数枚取り出すと、地にばらまく。

「……いやぁヒルダ君も何とか立ち直ってくれてありがたいね。さすがに君を手にかけるのはためらわれた」

「…………ためらわれた理由は聞かないでおこう」

「邪推しないでくれたまえよ。私は君の味方だよ、今のところはね」

 ハインツの放った護符から光が放たれる。

「だからこれは貸しにはしないでおくよ、安心したまえ――フライアの加護を!」

 アローが死霊をあえて暴走させたその時から、彼はこの聖霊魔法を組み立てていたのだろう。護符から放たれた光が巨大な円陣を描き、暴れる死霊たちを呑み込んでいく。

 紅い光と白い光が混ざり合い、死霊たちがその光の中にゆっくりと溶けて、消える。

 聖霊による亡霊の異界送還魔法だ。この規模で展開しようと思えば、本来なら最低でも数人の術者が必要となる。

「君の聖霊魔法はでたらめだな」

「いやいや、それはアロー君にだけは言われたくないな。君の死霊術は死霊術の枠を逸脱しすぎだ。君は冥界の門番の生まれ変わりか何かかい?」

「さぁ? 僕にもわからない。僕がどうしてこういう風に『生み出された』のか」

 ゆっくりと光の粒が月夜の薄闇に溶けて、後に残されたのはアローたちと、カタリナ、そして一人の死霊――エリーゼ・バートラン。

「カタリナはまだ生きてるな」

 アローが尋ねると、エリーゼは少しだけ困ったようにうなずいた。

『ええ、まだ……時間の問題だと思うけど』

 カタリナの身体は腰より下が存在していない。グールに食われたのか、それとも今までミステルに肩代わりさせていた対価が、ここにきて全てカタリナの元へと向かったのか。どちらにしろ、彼女は長く生きられないだろう。カタリナもそれがわかっていたので、逃げずにアローと相対した。

 かつては確かにエリーゼだったものを、守ろうとして。

 アローは杖をついて、重い身体をひきずりながら彼女に歩み寄る。

「カタリナ。何か言い残すことは」

 カタリナは苦笑しながら、濁った目をアローに向けた。

「……ないわ。本当、嫌になっちゃうわね。死霊を無条件で従えるなんて、何なの、アロー君」

「僕が何者なのかは、僕自身もわからない。だから答えることはできない」

「君は生きながらにして死者の王にだってなれるってことよ」

「まぁ、普通に制御できないし、普通に乗っ取られかけたが。死霊が無条件で従うのは僕が僕である間だけだ。だから残念ながら、そんな大層なものじゃない。……でも、君にエリーゼと話す時間くらいはあげられるぞ」

 魔力はすっかり尽きているが、アローは元々魔力なんて使わなくても死霊を見て、話せる。カタリナの手をそっと握ってやるだけでよかった。そうするだけで、彼女にもエリーゼが見える。

『カタリナ姉さん』

「エリーゼ……ごめんね……私、エリーゼを生き返らせたかっただけだったのよ。最初は本当に、それだけだった」

『それを私が望まなくても、ですか』

「そうよ。憎んでくれてもいいわ。私、こんなことになってもあんたを生き返らせようとしたこと、後悔していないもの」

 ただ、大切なものを取り戻したいだけ。

 それだけの願いを、『死』は無慈悲に切り裂く。生きている者は皆、自分もいつかたどりつくその終りを、受け入れることも待ち望むこともできない。

『憎みはしません。ただ、同じ場所に姉さんが来てくれないことだけが哀しいです』

「そうね、私は……ずいぶん、呪われたものね」

 呪いをかけた分だけ、人は呪われる。カタリナは死してもなお、呪いの対価を払い続ける。魂さえも対価とされ、安寧の地へ旅立つことはないだろう。

「私にはお似合いの最期だわ」

 自嘲めいた声音でそう言って、ふと思い出したように彼女はアローを見つめる。

「アロー君、ミステルちゃんを怒らないであげてね。彼女に取引を持ちかけたのは私の方よ」

 それが彼女の最期の言葉だった。

 カタリナ・ワルプルギスの身体は、呪いに呑みこまれて、闇の中へ消えて行ったのだ。

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