34.死霊と共に踊れ
「救う、ね。悪いけど無理よ。言ったでしょ? この『妹』たちはできそこない。妹の魂なんて宿っていないわ。あんなにたくさんの娘の魂を手に入れても、金にものを言わせて死体をかき集めても」
異形の怪物は、ぼとぼとと肉片をこぼしながら首をもたげる。
(不完全なグールの寄せ集め、といったところだな)
腐乱しながらも見境なく動き回る生ける屍、いわゆるゾンビとは違い、グールはある程度意志を持ち、一見すると人間のようにも見える。
完全に死者を生き返らせる術はない。そして、死んだエリーゼは特別な魔術の素養などはなかっただろうから、ミステルのようにしっかりとした自我を保った霊魂をたもつことも難しかっただろう。その上、カタリナは死霊術や呪術は本来専門外。
恐らく、カタリナの要望をある程度叶えられる折衷案として、ミステルはエリーゼをグールにすることを提案した。グールには定期的に人の血肉を与えねばならないし、付け焼き刃の知識でできるものではない。ミステルがどこまで力を貸したのかはわからないが、カタリナは幾度も失敗を繰り返し、この怪物を量産してしまった。
「大食らいで困るのよね。だから眠らせておいたけど、もういいわ。ここを離れる前に処分しなければいけない子たちだったから。不肖の弟たちを脅す材料くらいにはなってくれたし?」
カタリナの店にはグールを作れるほどのスペースはない。恐らく、バートラン家は彼女の行いが明るみに出ないように、協力していた。弟たちはきっと不本意だったのだろうが。
「ところでカタリナ。大蝙蝠の召喚と簡単な呪詛で右腕を失っている今の君に、このエリーゼもどきたちを制御できると思えないんだが、止めた方がいいんじゃないか? 下手をすると死ぬぞ」
「別にいいわよ、死んでも」
カタリナはケロッとした様子でそう答える。
「死んだらエリーゼのところにいけるわねぇ」
「司祭として言っておこう。罪人と善人が同じ場所にいけるなどという幻想は捨てておいた方がいい。フライアは自由奔放な女神だが、罪を推奨する神ではないからね」
「……つまらない男ねぇ」
ハインツがカタリナの注意をひきつけているうちに、アローはちらりと横目でヒルダを見る。グールは不死属だ。通常の剣の攻撃では死なない。聖油を用いているのでその辺りは大丈夫だろうが、むしろ問題になるのは彼女の精神状態の方だ。
「大丈夫……大丈夫……剣で斬れる。怖くない。大丈夫。剣で斬れる……」
剣を構えて固まったまま、ぶつぶつと呪文のように唱え続けている。全く大丈夫ではない。
(ヒルダにこれ以上無理をさせるのはダメだな)
カタリナは開き直って逃げることをやめているし、この出来そこないのグール達をどうにかしなければ、エリーゼを救うも何もない。
カタリナがすぐにグールをけしかけてこないのは、まだ何か守りたいものが残っているか、純粋にグールを使役するだけの『対価』が不足しているか。前者ならばなんとかして彼女にそれを出させるしかない。前者でも後者でも、カタリナが全てを放棄してグールを野に放てば阿鼻叫喚間違いなしだ。グールは人を食う魔物だ。できぞこないでも、そこは変わらない。
「死を記憶せよ」
杖で地面を突く。恐らく周辺で死んだ小動物の骨であろう。無数の小さな骨の集まりが矢になってグールに降り注ぐ。しかし、不死属な上に、元々きちんとした形を成すことすらできていない存在では、足止めにもならなかった。崩れ落ちた腐肉が、土の上でぶきみなあぶくを立てる。
墓地の時とは違い、制御がしやすい骨を使うだけでは対処できない。ハインツの護符による聖霊魔法は、カタリナが使う呪符とは相性が悪く、相殺しかできない。彼が上位の聖霊魔法を使うだけの猶予を作りだすには、ヒルダに頑張ってもらうしかないが、彼女にグールを相手にして大蝙蝠の時と同じ立ち回りをすることを望むのは酷だろう。
そうなると、自然と使える手は限られる。
「アロー君、かっこういいこと言ったけれど、手詰まりかしら? ここは墓地みたいに死霊を使い放題じゃないものねぇ」
「カタリナ、君は少し勘違いをしている。死霊なんて別に墓地にいかなくても、本当はそこらじゅうにいる。特定の人物を呼び出すつもりならともかく、ただ死霊を呼び、力を借りるのはどこでもかまわない」
確かに、骨や死体を直接使おうと思えば、墓地が最適だ。大蝙蝠の時は単純な物理攻撃が効く相手だったから、骨だけでどうにかできた。ただし、骨を使役するのは制御が比較的容易だからである。制御できるかどうかを度外視すれば、方法はいくらでもある。
「ミステル。頼みがある」
「何ですか、お兄様」
まだ少し迷いのある眼差しで、しかし彼女はしっかりとそう答えた。
ミステルの世界は今まで、アローだけでできていた。彼女はアローだけを守ろうとしてきた。守るべきものには自分自身すら、入っていなかった。
「僕が制御しきれなくない分は、お前が制御してくれ」
「ですが、お兄様……」
「大丈夫だ。あの時と違って僕は一人でもないし、小さな子供でもない。それと……」
ハインツとヒルダを振り返る。
「二人とも、僕が暴走しそうになったら殺す気でとめろ」
「お兄様!」
気色ばむミステルをアローは手振りでなだめた。
「ミステル、殺す気で、だ。殺せとは言ってない。でもまぁ、手加減したら止まらないと思うから、殺さない程度に殺す気で頼む」
「難しい注文だね」
「わ、わわ、わか……った」
ガクガクしているヒルダはともかく、ハインツは頼ってもいいだろう。
そして、ミステルは何だかんだ言っても最後にはアローを助けてくれるだろう。
だから、アローは杖を掲げた。
瞳の紅が煌々と輝く。
「この世界に誰も、何も、死んでいない場所など、ない」
中空に燃える紅の円陣。煉獄の緋色。数多の屍を越えた戦士がたどり着く、永遠の野の、花の色。血の色、生まれいずる命の色、傷つき流れ出る魂の色。
『死を記憶せよ』
円陣から紅い炎が燃え上がる。その血の紅から、腕が、足が、獣の牙が、尾が、翼が、本流のように押し寄せる。
「な、何……!?」
さすがのカタリナも驚いたようで、数歩後ずさる。
「死霊魔術は死霊を呼び戻すことが本質。通常なら、媒介となる死体や人間を用意して、それに降ろす。だが、僕にはその必要はない。僕は僕自身の身体を媒介にして、いくらでも死霊を呼べる」
死霊との距離があまりに近すぎる、特異体質だからこそできることだ。通常の死霊術ならばこんな簡単に、大量の死霊は呼べない。
ただ、死霊を呼べば呼ぶほど制御が利かなくなる。今もアローは、死霊術の基礎とも言える召霊呪文で死霊を辛うじて繋ぎ止めているだけだ。制御を間違えば、それこそグールどころじゃなくなる。
「お兄様、多少のことは気にしないでください。制御不能になった霊は私が送還します」
「ありがとう、ミステル」
ミステルは迷いを振り切ったのだろうか。制御を離れて暴れ出した霊に、ミステルは手をかざす。
『死と共に舞踏せよ』
彼女の声に従い、死霊は霧散する。彼女が霊体でも問題なく術を行使できることを確認して、アローは呼びだした死霊の群れに杖をかざす。
「剣」
杖を剣の形状に変化させ。
『死を記憶せよ』
次の呪文で死霊を束ね、一元化させる。それは人の形を取り、やがて血濡れの甲冑をまとった騎士の姿へと変貌する。
「死霊騎士レヴァナント、汝の敵を殲滅せよ」
アローが向けた剣の切っ先には、カタリナの呼びだしたグールの群れ。
死霊の騎士は人ならざる者の咆哮をあげながら、グールへと斬りかかる。通常の物理攻撃ならば効かない不死属のグールも、同じ不死属が霊体で作り上げた剣で斬れば、話は別だ。
グールにまとわりつかれ、腕を食われ、足をかじられながらも、死霊の騎士は一つ一つ、着実にグールの頭を潰していく。死霊の集合体であるこの騎士は、身体の一部を失ったくらいでは止まらない。
「できそこないとはいえ、私のかわいいエリーゼだったものなのよ。そう簡単に全部殺さると思わないで」
カタリナが火炎魔術の呪符を放つ。ハインツがすぐに聖霊魔法でヒルダと自分を防御するが、その加護はアローの元には届かない。ハインツの魔法が届かないのではない。ハインツはアローの元まで魔法を展開しなかったのだ。聖霊魔法は黒魔術以上に、死霊魔術との相性が悪い。聖霊の加護はせっかく呼び出した死霊を送還してしまう。ミステルのように使い魔として契約されているのならともかく、レヴァナントは呼び直しになる。
それに、そもそもアローは聖霊魔法に守ってもらう必要もない。
『死を記憶せよ』
アローが呼びだしたのは、罪人の魂と、彼らを焼く贖罪の炎。
カタリナの黒魔術の炎を、はるかに大きな炎で持って飲み込み、打ち返す。
草が焼け焦げる匂いと共に、グールの一体が巻き込まれて消し炭となった。
「そろそろ観念してくれないか、カタリナ。君の妹を救うためにも」
アローはレヴァナントをどうにか制御しながら、必死にある魂を探していた。
絶対にこの場にいるはずの死者の魂。カタリナの妹、エリーゼ・バートランの魂を。
(もうそんなに長く持たない。そろそろ見つけないと)
内心焦りながら、探したその時――大地が、揺れた。