33.兄妹と姉妹、永遠の断絶
カタリナは笑う。
「アロー君は優しいから、きっと私を殺せないでしょう? そこの司祭さん、騎士さんもそう。私が公爵家の人間だから、なるべく死なせたくないはずよ。死ぬんだったら事故っぽく都合よく死んでくれないかなー、とか思ってない?」
「うむ、寸分の違いもなくそう思っているよ。君とは気が合うかもしれないな」
ハインツが悪びれもせずにそう答えると、カタリナは笑顔から一転、しかめ面を作った。
「いやよ、私は腹黒い男は嫌いなの」
「これはこれは、フラれてしまったな」
「この状況で軽口叩く神経には感服するぞ、ハインツ」
アローは呆れ半分、感心半分に口を挟む。
「ひとつ勘違いをしているぞ、カタリナ。僕だって優しくする相手くらい選ぶ。現に、ここにいるハインツに優しくした覚えはない」
「そりゃあ男だったら誰しも、優しくされるなら女性にがいいだろう」
「君と一緒にするな。割と深刻に迷惑だ」
「そんな話をしてる場合ですか!」
ヒルダの叱咤が合図となったように、カタリナの左手から呪符が放たれた。
「フライアの加護をここに!」
ハインツも護符を放つ。カタリナの放った火炎魔術の呪符は、ハインツの聖霊魔法で相殺される。しかし、すぐにカタリナはもう二枚呪符を取り出して、放つ。
ハインツの魔法は、聖霊魔法としては特異な即行魔法だが、攻撃と防御を同時にこなすほどの効果はない。弱い魔法だからこそ、ハインツの有り余る加護のおかげで即時発動できているだけだ。とりあえず弾ければ良く、討ち漏らしてもヒルダが対処できた大蝙蝠とは違い、個人同士での魔法対魔法だと分が悪い。
「死を記憶せよ」
アローは杖で地面を突き、呪文を唱える。土を突き破って顕れたのは小動物と思われる骨だ。それはカタリナが発動させた呪符へと降り注ぐ。呪符による即行黒魔術は、術者本人よりも呪符にこめられた魔力を原動力とする。つまり、呪符そのものが消滅すれば、魔法の効果もかいきえるのだ。
「さすが大魔法使いクロイツァの弟子ねぇ。こんなショボいのじゃやられてくれないんだ」
「君の専門は占いだろう。非戦闘員が無茶をするな。人の話は最後まで聞け。……それと、師匠が君にまで大魔法使いなんて呼ばれていたことに、僕は割と素で驚いている」
魔法どころか体術や剣術に至るまで仕込まれたアローにとって師匠は、「本業のよくわからない何かすごい人」である。一応黒魔術が本分というのが本人の証言だが怪しいものだ。それはともかく。
アローはちらとミステルを見やった。彼女はどちらに手を貸すか迷っているようにも見えた。
「ミステル! 来るんだ」
アローは彼女を呼ぶ。
呼ばなくても、魔力を込めて命令さえすれば彼女は瞬時にこちら側につくだろう。彼女は使い魔で、最終的に主人であるアローに逆らえない。感情ではなく習性として、そういう存在なのだ。
だが、アローはあえてそれをしなかった。
ミステルは、恐らく自分が呪いに負けて死んだら、カタリナが理由をつけて遺体を引き取りにくるつもりだったことに気づいていただろう。だからこそ、自分の遺体の使い道をアローに委ねたのかもしれない。もちろん、アローを想ってのことでもあっただろう。だけどきっと、最後の抵抗として彼女はアローが遺体を焼くように仕向けた。
ミステルの真実を知らなければならない。どうしてそこまでして、カタリナに手を貸さなければならなかったのか。アローはそれを、どうしても理解する必要がある。
彼女の主として――何よりも、たった一人の家族として。
「赦して下さい、お兄様」
「赦すか赦さないかの問題なら、それは僕が裁くことじゃない。国も、神と呼ばれるものでさえも、死者に罰など与えられない。ミステル、お前を赦していないのは、僕じゃなくてお前自身だ。僕がお前にできることは赦すことじゃない」
死とは断絶である。死とは孤独である。死とはそれらによって作られた永遠である。
死霊魔術ですら、その断絶から死者を連れ戻すことはできない。死者は死者であり、生者にはならない。永遠に囚われた者に生者と同様の罰を与えても、何の意味も成さないのだ。彼らには償いの先に何もない。極刑に処された咎人も、死によって赦される。死という永遠よりも重い刑は存在しない。少なくとも、人間の国では。
「ミステル……僕は君を赦すんじゃない。救いにきたんだ」
「……っ!! だめなんです!!」
ミステルは絞り出すような声でそう叫ぶ。
「私は、お兄様が思っているような、いい妹じゃないんです。お兄様のことだけが大事で、他の人間なんて……お師匠様のことですらどうでもよくて……お兄様のためだって思えば、呪殺にだって手を貸しました。お兄様のためになんてきれいごとを言って、お兄様に全てを知られるのが怖くて、だから私なんて救わなくていいんです!」
「ミステル……」
ミステルは泣きそうな顔をしていて、だけど泣きはしなかった。霊に涙などない。
彼女は、アローのために、と言った。
呪殺に手を貸したのも、カタリナが犯人だということを隠したのも。カタリナと取引をしてまで、彼女がアローを守る方法は――
「そうか。黒き森の管理者は、バートラン家だったな」
「あら、アロー君、ご理解が早くて助かるわぁ。もうちょっと鈍かったら、お姉さん、気を使ってネタ晴らししてあげたのに」
「必要ない」
「なーんだ、つまらない」
ミステルはアローの住む黒き森を守るために、カタリナに手を貸した。
恐らく、条件は黒き森に手を加えず、人を近づけないこと。カタリナならばそれができる。腹違いの弟たちにどれくらい話を通せるのかは別として、彼女だったら何らかの強迫材料を作って意のままに動かすくらいはやるだろう。
ミステルの望みはとてもささやかなものだった。あの暗い森の奥で、いつまでもアローと一緒に穏やかに過ごしたかった。きっと、それだけだったのだ。
「黒き森の管理件は王領にもあります。バートラン王家だけの采配でどうにかできるわけじゃないはずですが」
ヒルダの言葉に、カタリナは肩をすくめる。
「黒き森には資源の山が眠っているわ。森を越えた先には手つかずの鉱山。街道が整備されたら、交易も便利になる。バートランもそう簡単には譲らない。もめごとひとつで数年事業が停滞するなんてよくある話じゃない? でも私はそんなのどうでもいいの。ミステルちゃんはアロー君と仲良く暮らせばいいと思うし、私はかわいい妹のエリーゼが戻ってくればそれでいいわぁ」
アローが森に引きこもっていたのは、人に会わないためだ。持て余した霊媒体質を気にせずに、自由に、誰にも迷惑をかけずに過ごせる場所が、森の奥にしかなかった。少なくとも、アローが子供の頃には。
ミステルはその場所で一緒に育った。二人で狭い世界でいきていたから、あの世界を守ることだけが全てになってしまったのだろう。
「馬鹿だな、ミステル。結局僕は森を出たし、そりゃあ不審者がられたり牢獄につっこまれたりはしたけれど、ヒルダと話したり、服を着替えたり、宿に泊まったり、娼館が何なのか知ったり……それでも、全然平気だったじゃないか」
「でも、お兄様……ああ、お兄様」
ミステルはその場にへたり込んで、兄を見つめる。
「私を……捨てないでください」
「どうしてそんなことを思ったのかしらないけど、僕は君を捨てたりしないよ」
「使い魔だからですか」
「家族だからだよ。死とは断絶、孤独、だけど生者はそこまで割り切れない。続いている未来に、続かなかった未来を重ねてしまう。人間ってね、そういうものなんだ。そこにいるカタリナだってそうだろう」
急に話の矛先を向けられ、カタリナは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「あら、アロー君ってば、私も救うつもりなわけ?」
「悪いが、そこまでは責任を持てない」
「なーんだ、残念。あ、今からでも協力する気ない? もちろん、ミステルちゃんのための遺体だって調達するし。アロー君の死霊術を貸してくれるなら、死んでとか言わないから。まぁ、そこの司祭とヒルダちゃんは死んでもらうしかないけど」
「カーテ司祭はともかく、私を巻き込まないでください」
ヒルダが聖油をまとわせた剣を構える。
「アロー、気を付けて、何かくるわ」
「あははは、ヒルダちゃんすごいわ。さすが戦女神様。本当はこの子たちが目覚める前に、私は逃げておきたかったけど、いいわ。見届けてあげましょう」
地面が、ごぼり、と。
まるで溶岩のように泡立った。ごぼり、ごぼり、ごぼり。
ある場所からは人の腕が。
ある場所からは乱れた頭皮と髪の毛だけをまとった頭蓋骨が。
ある場所からは蛇の尾が。狼の腕が。巨大な目玉が。蝙蝠の羽が。
それら全てが、腐臭を放ちながら地面から湧きあがり、ぐねぐねと動き、巨大な塊になって、それはやがて上半身だけが少女の姿を形作っていく。だが、それも長くはもたず、耳が落ちては拾い、目玉が落ちてはかき集め、と繰り返しながら蠢く。
「……カタリナ、これは何だ」
アローの問いに、カタリナはまるで愛しい者を見るかのような眼差しで腐った化け物を見つめながら、答える。
「私の妹のなりそこないよ」
「そうか。わかった」
アローは目を閉じる。そして、開く。
紅い光を宿した目で、カタリナを見つめる。
「それじゃあ、僕がこれから君の妹を救ってやろう。ミステルのついでで悪いけれどね」