32.死と妹と呪われる愛
バートラン公爵邸は、貴族の中でも位が高い者が多い、王宮近くの一等地にある。公爵領は公国としての自治権を認められているので、常に王都の公爵邸に公爵が在宅しているわけではない。ちなみにバートラン公爵領は、アローたちが住んでいた黒き森近くの一帯であり、王の直轄領のすぐ隣である。黒き森の管理については半分がバートラン公爵にゆだねられている。
三人は馬を走らせここまでやってきた。公爵邸の窓には灯りがともっていない。外から見れば、不在のように見える。もちろん、家を管理させるための使用人は常駐しているだろうが、この時間は眠っているか、使用人部屋にこもっているのだろう。
「アローが馬に乗れて助かったわ。二人乗りだと速度も落ちるし」
「森で育ったから乗り慣れているわけではないが……狩りもしていたから大抵のことは一通りできる」
自給自足だった森での日々と、師匠の容赦ない教育の成果で、アローは狩り、乗馬、家事は当然として、剣や弓、槍、体術など、一通り使い方は覚えている。もちろん剣術だけでは、ヒルダくらいの使い手が相手だったら普通に負けるだろう。それでも、ただの魔術師よりは物理戦闘をこなせる。
「……そういえば、結局戦女神の本分を発揮しるところを見ていないな」
「戦女神はいいから。地味な聞き込み調査ばかりだったから仕方ないわ」
苦笑交じりにヒルダは馬から降りる。夜番の兵はいなかった。門扉は微かに開いている。鍵がかかっていないのだ。
「おやおや、これはこれは……入ってくださいと言わんばかりだね。随分と手厚い歓迎だ」
「おどけないでください。つまり、アローの推測がほとんど当たっていたってことですよね」
「いやいや、驚きの真犯人がいるかもしれないよ? カタリナ・ワルプルギス本人が望んで行っていることなのか、裏に黒幕がいるのかも今の時点ではさっぱりわからないんだからね」
「行けばわかる」
アローはためらうことなく、門の中に入る。
「あ、ちょっと待って、アロー!」
ヒルダはそれを追いかけ、刹那、横から襲いかかってきた大蝙蝠の牙をとっさに剣で受け止める。
「魔物!?」
大蝙蝠を振り払い、両断。後ろから迫ってきたもう一匹を振り返りざまに突く。
実に鮮やかな動きだった。戦女神の通り名は飾りじゃない。
「小出しにしてきたな」
ミステルはここにいる。アローにははっきりと存在を察知できる。
しかし、ここまで近くに来てしまうと、ミステルの方にもアローがここにきていることが知られているはずだ。だからこそ、アローたちを死なせない程度の魔物をけしかけて威嚇している。
「今の、ミステルさん?」
「さぁ、どっちだろうな。殺す気はないみたいだから、ミステルの方かもしれない」
「うむ。進むたびに大蝙蝠につつかれるのは面倒だ。ここは私が何とかしよう」
ハインツが聖霊の護符を出す。
「フライアの加護を!」
中空に白い光による円陣が浮かび、飛びかかってきた大蝙蝠一匹を弾き飛ばす。
「これでしばらく盾になるはずだ。アロー君、ミステル嬢のところに案内してくれるかな」
「カ、カーテ司祭が真っ当な聖霊魔法を!?」
さんざんナマグサぶりを発揮してきたハインツが、時間がかかるはずの聖霊魔法を即時発動させたのがよほど衝撃的だったらしい。それでも彼女は職務を忘れなかった。盾を避けて襲来した大蝙蝠を瞬時に斬り捨てる。大蝙蝠は聖油がなくても剣で斬ることができる魔物だ。彼女は怯えることなく冷静に敵を屠っている。
ハインツの魔法とヒルダの剣があれば、ひとまず大蝙蝠に邪魔される心配はないだろう。
アローは落ち着いてミステルの気配を探す。
「……多分、屋敷の裏手だ」
「了解。そこまでなら護符一枚で魔法は維持できるな」
三人は広い公爵邸の庭園を駆け抜けて、裏手へと向かう。ハインツの魔法に弾かれ、ヒルダの剣に斃された大蝙蝠の死骸が整った庭園を凄惨にしていくが、こちらも庭師の苦労にまでは構っていられない。
屋敷を回って裏庭にたどりつく。そこは使用人たちのための離れ、彼らの使う井戸、納屋が配置されており、庭というよりは作業場に近い場所のようだった。夜の今はひっそりと静まり返っているが、そこには一人の人間と一人の死霊が三人を待っていた。
バートラン公爵家の長女で、骨董店主人にして占い師、カタリナ・ワルプルギス。そしてアローの義理の妹――であった死霊、ミステル・シュバルツ。
「お兄様、どうして来てしまったのですか。私は……私は、貴方に危害が及ぶ前に何もかもを隠してしまうつもりだったのに」
ミステルが悲しげに目を伏せる。
「どうしてって、そんなの、簡単じゃないか。わからないのか、ミステル」
「わからないです。私が何をしているのか、気づいたからここにいらっしゃったのでしょう? それなのにどうしてですか? お兄様、何でそんな風に、いつも通り……妹を見るような目で私のことを見るのですか?」
「だから、簡単なことだろう。ミステルが僕の大事な家族で、大事な使い魔で、何よりも僕のことを大好きでいてくれたミステルが、何の理由もなくこんなことをするはずがないと確信しているからだ」
アローはそこまでつとめて穏やかな声で答えた後、軽くカタリナを睨みつける。
「……右腕がない。ミステルの助けなしでの呪術は君には難しかったようだな」
「そうねぇ。まぁ、私の作ったイマイチな依代でも、命全部は持って行かれなかったんだから、褒めて欲しいくらいよ。大蝙蝠との舞踏会は楽しかった?」
「翌朝、大寝坊して大変だった。次は昼間に開催してくれ」
「あら、昼間だったら死霊術で簡単に、とはいかなかったんじゃないの?」
「君だって昼間だったら右腕じゃすまなかったぞ」
死霊と同様に、魔物も夜間の方が活発なものが多い。とくに大蝙蝠は、蝙蝠の習性ゆえに夜目はきくが昼間はあまり役に立たない。昼間も動ける魔物を使役するのは、それなりの魔力と技術が必要なのだ。
「僕はわからない。君が何で若い女性ばかり狙って呪いをばらまくことになったのか。わかることは一つだけだ。君はミステルを巻き込んだ。ミステルに自分が受けるはずだった呪いの反動を肩代わりさせ、ミステルを死に追いやった。それだけだ」
「うーん、惜しいわね、アロー君。確かに、呪術についてミステルちゃんからやり方を教わったのは私。呪術を使ったのも私。それは否定しないわ。今更だし? でもひとつだけ勘違いしてる。呪いの反動を肩代わりするのは、ミステルちゃんが提案してきたことよ?」
「……本当か? ミステル」
ミステルは少し迷ったように見えた。しばらく顔をそらし考え込んだ後、やがて観念したようにうなずく。
「本当です。ワルプルギス女史の呪いを肩代わりすることは、私が提案いたしました。そのかわり、いくつか彼女に条件をのんでいただきましたが」
「私とミステルちゃんは利害が一致した共犯ってことね。ああ、この家のことなら別に気にしなくてもいいわ。私が主犯。裏に誰かなんかいないわよぉ」
あはははは、とカタリナはたちの悪い酔っぱらいのように高らかに笑う。
わからなかった。彼女の目的だけはどうしてもわからなかった。
カタリナに関してわかったことは、公爵令嬢であったこと。妹がいたこと。妹はすでに亡くなっていることだ。公爵家の家督争いに関しては、少なくとも彼女自身は蚊帳の外だった。
だけど、その時アローは何かが引っかかったのだ。
前妻の娘で、金は家から持ちだしながらも、その金で商売にもならないような趣味の店を営んでいる。それだけ見ていれば彼女は家からも厄介者扱いで遠ざけられていたように思える。
しかし、本当にそうだろうか。貴族の娘は、二十歳を超える前に大半が嫁ぐなり婚約者を持つなりする。カタリナは貴族の娘としては結婚適齢期をすぎていることになるが、公爵令嬢であることには変わりない。家柄だけで、結婚の相手はいくらでも探し出せるだろう。
妹の婚姻を手駒と考えていた公爵家の息子たちが、カタリナに目を向けないなんてことがあるだろうか?
彼らには、カタリナの婚約を手駒にすることをためらう理由があった。
ひとつは、呪殺の主犯格であることを知っており、公爵家の醜聞が明るみに出ることを恐れていた可能性。もうひとつは、カタリナ自身が彼らの弱みを握っていた場合。呪殺が始まった時期を考えれば、後者の可能性が高い。
「ふふふ、アロー君。めちゃくちゃ考え込んでるわねぇ。そんなに不思議? 妹想いのアロー君になら、私の気持ちわかると思ったんだけどぉ」
カタリナの言葉に、アローの脳裏にはグリューネにたどりついたその日、カタリナの店に行った時の出来事が蘇った。
ミステルの遺体を焼いて灰にしてしまったことに、やけに焦った様子を見せた彼女を。
そして、ミステルを生前の姿そのままに、まるで生きた人間のような肉体を持った存在で蘇らせる方法があると聞いた時の、輝くような笑顔を。
「……まさか、妹を蘇らせるつもりだったのか?」
女性ばかりが狙われる呪殺事件。
家柄も職業もばらばらで、若く美しい女性であること以外に共通点がない。
なぜなら、若く美しい女性の身体と魂こそが、犯人の欲するものだったからだ。
「カタリナ、お前……ミステルの遺体を奪うつもりだったのか?」
「あら、人聞き悪いわぁ。私、ミステルちゃんのことは大好きよ。外見的に申し分ないし、お兄さん想いなところもいいわ。だからミステルちゃんなら、私の妹にするのに最高の素材だと思ったんだけど、残念だったわ。アロー君、燃やしちゃうんだもん」
カタリナは微笑み。
「でも、もうおしまいねぇ。そろそろおしゃべりしている時間もないわ。だからアロー君、私の妹のために死んでくれないかしら?」




