27.青薔薇館の危ない談話
何とかしてアローについていこうとするミステルをようやく説得し、アローはハインツと共に娼館、青薔薇館にやってきた。女性陣二人には、花街近くの昼間からやっている酒場で待機してもらっている。女性だけでは心もとないかと思ったが、ヒルダ曰く「剣で斬れる相手なら問題ない」とのこと。ミステルはそもそも、からまれても相手には触れることも叶わない。
ちょうど客待ちしていたノーラが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「なになに、どうしたの? ひょっとしてアロー君、あたしのこと気に入っちゃった? ご指名かしら?」
「違う。できれば今、暇のある人間を集めて欲しい。なるべく、貴族の事情に精通した人間だと嬉しい」
ノーラはそれだけで、何となくアローの求めているものを察したようだった。
「ねぇ、お代は教会に請求していい?」
「私は今回、アロー君の付添をしているだけなんだがね」
「いいじゃない。いつもあれだけ特別待遇にしてあげてるんだしぃ。健全な青少年のために奢ってあげるくらい、ね」
「ノーラ、僕はそこまで貧乏じゃないぞ」
「んー、アロー君はそこんとこ気にしなくてもいいの。お偉い司祭のハインツ様に、これは貸しだって釘を刺しているだけだから」
要するに、ハインツがこれを了承すれば、アローの依頼はハインツにとっても有益なものとうことであり、ノーラは情報の対価を教会に求めているということだ。やはり、この娼館で働いている女性陣は、表ざたにしていない仕事についても理解しているようだ。
「女将さんは不在だけど、いい?」
「私としては、そちらの方がいいね」
「あら、アロー君はそんなにアブナイのがお好きだったのかしら?」
「アブナイ、とは……」
「女将さんに内緒で私たちとイイお話しましょ、ってこと!」
ノーラはそのまま、いつだったかアローが押し込まれたあの部屋に案内してくれた。
そして、自分は一度出て、ほどなくして女性を二人連れて戻ってくる。どちらも女性も扇情的な胸の開いたドレスを身にまとっていて、もれなく目をみはるほどの美人だ。
「アロー君も一度会ってるわよね。この店の中でも、上級貴族の相手ばかりしている子よ。ちょっと『アブナイこと』も知ってるわ。色んな意味で、ね」
「名前は、確かバルバラとアグネスだったか」
「あっ、覚えていてくれたのね、嬉しいわぁ」
蜂蜜色の巻き毛の娘がバルバラ、栗毛の娘がアグネスだ。
「恋の護符は効果があったか?」
「あの後すぐにお目当ての方が来てくれたから、効果はあったのかもしれないわ」
バルバラが町娘のように無邪気に微笑む。しかしそれは一瞬のことで、彼女の笑みはすぐに妖艶なものへと変貌する。
「それで、アロー君の知りたいアブナイことって、どんなことかしら。護符のお礼にお姉さんが教えてあげるわ」
「では単刀直入に聞く。バートラン家について知っていることを教えてくれ」
その言葉に、ハインツが少し意外そうな顔をする。
「君がそこを探るとはね」
「ハインツ、今の状況は『君が僕の頼みを聞いて、モテの極意がわかる場所に連れてきた』という解釈で頼む。これから話すことは、僕が勝手に興味をもって首をつっこんだことだ。君は適当に『そんなわけないだろう』とか言って流しておいていてくれ」
「なるほど。ではお言葉に甘えてそういうことにしておこう。『君、馬鹿なことを言っちゃいけないよ。娼婦がバートラン公爵家のことを知っているわけないだろう』……こんな感じかな?」
「そういう感じで頼む」
酷い三文芝居だが、途中で女将が帰ってきた時の対策も兼ねている。恐らく、この娼館の女将は外部の、ハインツが言う所の『教会のしがらみ』と繋がっている。だからハインツは表立っては行動できない。してはいけない。たとえ体面だけでも、ハインツは暴走してよからぬことを聞いてまわるアローを止めていたことにした方がいい。
「そうね……私たちも何でもかんでも知っているわけじゃないわ。寝物語に貴族の話を聞いているだけだから。酔っぱらいの戯言も多いし」
「ああ、でも確か……そうね、あそこの家は、御当主の今の奥さまが二人目なのよ。最初の奥さまに先立たれて……」
「最初の妻とは娘を一人。後妻の方とは三人。息子が二人、娘が一人。最初の妻の娘は、結婚もせずに出奔して、今は路地裏で骨董店を営んでいるとか」
「あら、でもお金を出しているのは家の方でしょう? 出奔とは言わないんじゃないかしら」
「そうかもしれないわね。後妻の方の息子二人は、跡継ぎ争いをしているとか。そういうのが嫌で家を出たのかもしれないわね」
「後妻の娘は、亡くなったのよね。三年ほど前だったかしら……病死と聞いているわ」
まるでただの世間話をするように、三人の娼婦は語っていく。
「後妻の娘は病気がちだったんですってね。跡継ぎ争いに巻き込まれたのではって噂もあったわ。どちらかが彼女を手駒にして、有力な貴族か他国の王族に嫁がせて縁を持とうとしたのね」
「貴族ってそんな話ばかりね。こんな平和な国なのに」
「あら、その貴族の次男坊に身請けをねだっていたのは誰かしら?」
「いいじゃない。次男坊なんてどうせ、跡継ぎじゃないのよ。お情けで小さな領地を分け与えられた夫と、一緒につつましく暮らす奥様の夢を見るくらい許してほしいわ」
「やれやれ、君たちの寝物語は根拠がよくわからないものだね」
ハインツが適当に口を挟み。
「君たちの話では、そのうち、前妻の娘と後妻の娘は、手と手をとりあって逃げようとする御大層な物語までついてきそうだ。どれもこれも、根拠がない」
「仕方ないじゃない。所詮は『酔っぱらいの戯言』よ」
だが、彼女たちはその戯言をわざわざ選んでアローに聞かせている。ハインツが口先だけで否定しながら、話題を誘導する。
「後妻の娘が亡くなったのは、呪いだという噂もあったわね」
「そうそう。今思えばあれが『美人薄命病』の始まりだったのかもしれないわ」
「やだ、怖ぁい。私たちも死んじゃったらどうしましょうね」
「大丈夫よ。私たちみたいな商売女は、いくら美人だってその手の病にはかからなくてよ。面倒な男にいれあげて身を滅ぼす心配をした方が賢明というものね」
「酷いわ、アグネス。少しくらい夢を見させて」
とりとめのない噂話のようで、バートラン家の内情はしっかりと把握している。息子たちの争い、巻き込まれる娘たち。話自体はそう珍しい類のものではない。アローが森の中で魔法書の合間に読んでいた物語の本にも、家督争いをする貴族の話くらいはあった。
(カタリナにも妹がいたんだな)
バートラン家の一人目の娘、それは今のカタリナ・ワルプルギスに他ならない。
アローが確認したかった点はいくつかある。その一つが、バートラン家の問題は教会が手出しできないものなのかどうか、だ。ハインツはアローが提案するまで、一切の口を挟まなかった。それが端的に、王家にも繋がりがあるバートラン家に教会が干渉すると、まずい立場になることの証明だ。
もうひとつは、はっきりと言えば、カタリナが味方であるかどうかだ。カタリナには、少なくともミステル以外の娘たちに関して言えば、手にかけるだけの知識と財産を持っている。彼女は呪術道具を収集しているし、使い方を知っているだろう。占いによって不特定多数の女性を集めることも容易だ。だが、彼女には理由がない。
バートラン家の家督争いについても、美しく若い娘を次々と呪い殺すこととの接点は見えてこない。何せ相手の家柄はばらばらであるし、彼らは妹をより有利な相手に嫁がせる手駒として見ていた。少なくとも妹に関して言えば、死なれては本末転倒だ。
そして、カタリナにはミステルを殺すだけの技量はない。何せカタリナの店の呪術道具は、一部を除いてはアローとミステルが納品していたものだ。ミステルは自分が作ったもので呪われるほど愚かではないし、ミステル自身が言った通り、彼女を呪い殺せる技量の者がこの国にいるとも思えない。
(いや……一人だけいる、僕にも気付かれずにミステルを呪い殺せる人間が)
理由は判然としない。だけど、確かにこの方法ならばアローも気づかない。
カタリナの背景を知ったことで、今まであまり考えないようにしてきたことが急に現実味を帯びてきた。何らかの理由で、カタリナが呪殺に加担しなければならない状況にあったとしたら。そして、それを店の常連で呪術に関しては豊富な知識をもっていたミステルに協力を請っていたら。
ミステルを呪い殺すことができる人物、それは――。
「……ミステル自身だ」




