25.後始末は大切です
昼間の死霊召喚に加え、夜中にも魔術を連発していたのだから、合間に仮眠していたとはいえ疲労は相当なものだったようだ。宿に戻ったアローはミステルの封印を解き、素知らぬふりで眠りについたのだが、次に起きた時にはすでに日が高く昇っていた。
「ね、寝坊した……!」
ベッドから飛び起きて、急いで顔を洗う。支度を済ませ、杖を引っ掴んだところで、ミステルが気づかわしげに声をかけた。
「お兄様があまりに目を覚まされないので心配しました。お身体は大丈夫ですか? 都に出てきてから色々ありましたし、お疲れなら今日はお休みになられては……」
「いや、疲れてはいない。森とは勝手が違うからまだ慣れていないだけだ」
疲れている理由を詮索されると、昨晩のことでボロを出してしまうかもしれない。ハインツとの協定関係も彼女にはまだ教えていないし、今明かすわけにもいかない。そして、悠長に休んでいるほどの暇もない。
ハインツは約束を破ったりはしないだろう。ヒルダを自分の目が届く範囲においてくれるはずだ。ヒルダの方は嫌かもしれないが、仕方がない。呪いは聖霊の加護が強い人間を嫌う。ヒルダが呪わる対象なら、ハインツの側にいれば呪いの進行が遅れるはずだ。すぐにどうにかなるわけではない。アローはそう自分に言い聞かせた。
それにしても、寝坊したのは大失態だった。ハインツとヒルダが今どこにいるのかもわからない。護衛を頼んでおいて、まさか教会にずっといるわけにもいかないだろう。
「ミステル。これからハインツの元に向かう」
「お兄様、あの男にあまり関わり合いになることはおすすめできませんが……」
「僕にも考えがあってのことだ。大丈夫、彼は確かに清廉潔白とは言い難い人物ではあるけど、君が思っているほど悪意に満ちてはいないよ」
「善意が満ちていないのは確かなことですよ?」
「それについては否定しない。だが、世の中綺麗なことだけではやっていけないんだ。僕はそれをこの王都で学んだぞ……」
「あああ、お兄様がだんだん世俗にまみれていくっ! どんどん打算を覚えていく……っ!」
さめざめと泣く(フリをする)ミステルを横目に、アローは出発準備を整えた。杖を掴むと、宿の部屋を飛び出す。ひとまず、教会に行かねば話が始まらない。
「お兄様、何を焦ってらっしゃるんですか?」
「ヒルダがカタリナから呪いについての予言をされていただろう」
「ええ、そうですね。私もその場にいましたから。ですが、ワルプルギス女史は予言ではなく、『勘』だとおっしゃっていました。だから私、悪い冗談だと……」
「いや、冗談ではないと思う。なまじ病死の印象が強かったから、強くて健康的なヒルダは対象ではないように見えるが、呪いだからな」
生命力が強い相手、前向きな相手は呪いがかかりづらい。呪いは心と体の弱い部分から侵していくものだ。だから剣の鍛錬を積んでおり、若くて健康で、誠実で明るい性格のヒルダは呪いがかかりにくい人間のはずだ。だからこそ、ミステルもカタリナの言葉を冗談と受け止めたのだろう。
だが、相手はそもそも、呪術の素養があるミステルを呪い殺せるのだ。少し呪いにかかりづらい性質をもっているからといって、安全だとは思えない。
「ヒルダを呪う人間の正体と目的がつかみたい。恐らく、ミステルを呪い殺した人間と同一人物だ。雑な呪いの護符をばらまくのとは別に、個別に高度な呪いをかけているのだとしたら、血紅石程度でどうにかなるものじゃない。あれは元々、時間稼ぎのようなものだ」
「お言葉ですが、お兄様……」
話しながらも足早に通りを行くアローの背に、ミステルは呼びかける。
「私を呪い殺せる人間など、この国にいるでしょうか?」
不遜ともとれる言葉だが、彼女の言い分は真っ当だ。
アローはずっと森の中でひきこもっていたので、多くを知っているわけではない。それでも呪術の素養については、他ならぬ師匠がミステルの右に出る者はそうそういないであろうとお墨付きを送っている。直弟子ではないが、師匠はそれなりにミステルにも目をかけていたので、その評価はいい加減なものではないだろう。
「私を殺せるとしたら、それはクロイツァ様とお兄様くらいです。どちらも、私を殺す理由などありませんが」
「そうだろうな……だからこそ、犯人の目的が知りたい。どこでその力を手に入れたのか、こんなことに、何の意味があったのかを」
ミステルはもう、それ以上は言葉を重ねようとしなかった。
ただ隣にならんで、すがるようにアローの手に自分の手を絡める。ミステルには実体がないから、アローにはかすかに手がひんやりとする程度の感触にしかならない。
隣にいるのに、世界が違う。言葉は交わせても触れあえない。死は永遠の断絶だ。
孤独と孤独が隣り合わせて存在するだけだ。
「ミステル、これだけは信じて。僕は何があっても、お前を見捨てない」
「…………お兄様」
話している内に教会についた。ハインツの行先に心当たりがないか、僧侶を捕まえてきいてみようかと探していると、向こうから勝手によってくる。
「アーロイス・シュバルツ様ですね。カーテ司祭がお待ちです」
「ん? 待っているのか?」
アローの予測に反して、ハインツはまだ教会にいるようだった。恐らく、ヒルダも。
「墓地荒らしが発生したので、騎士様と調査をされております。シュバルツ様がいらっしゃったら、ご案内するように仰せつかっておりました」
「あー……」
アローは術で使役した遺骨だけを墓に帰して、そのまま後の始末は教会任せにして宿に帰ってしまった。だが、夜中のうちにあの大量の大蝙蝠の死骸を片付けられるはずもないし、ついでにあれだけ派手に魔法を連発しておいて、墓石が無事で済むはずもない。
「お兄様、何か心当たりでも?」
「いや……何もない……何も……、うん。ハインツもさすがに教会で事件がおこると、娼館に逃げることもできないのだな、と謎の感慨を抱いただけだ」
「そういえば妙ですね。雑事は真っ先に人に押しつけて逃げそうな印象があるのですが……」
「ハインツも教会のしがらみからは逃れられないんだろう」
必死に話題をハインツの方にそらして、自分が関わっていることを誤魔化そうと試みる。
幸いにも、ミステルは墓場荒らしの実態についてはあまり興味がないようで、そこはつっこまないでいてくれた。
「仕方がない。呼ばれているようだし、僕も事件の後始末を手伝ってこよう」
「お兄様の手を煩わせることではないと思いますよ」
「いいんだ。どうせハインツには会わないといけないし」
墓地の遺骨を勝手に使って戦った手前、手を貸さないのは寝覚めが悪い。
「それに、幽霊が苦手なヒルダが、人格的に苦手なハインツと一緒に墓地にいかされているのかと思うと、さすがに同情どころじゃすまない」
「調査に来ている騎士って、ヒルダ様だったのですか? ヒルダ様、この事件を押しつけられすぎではありませんか?」
ミステルの声音が若干疑わしげになる。
「僕がハインツを通して口添えを頼んだんだ。ギルベルトに伝言を頼んだ時に。今更、新しい騎士に一から事情を話すのも面倒だったからな。彼女には悪いことをした」
アローがしれっとした顔でついた嘘を、ミステルはひとまず信じたようだった。特に疑うような要素もない。ハインツは話を合わせてくれるだろう。
僧侶に連れられて、祈祷所裏の墓地へと向かう。その場で見たものは――。
「……………………」
「……………………あの、お兄様、これは呪殺事件よりもよほど大事なのでは?」
「……………………いや、うん、人的被害は出てない、と思うぞ?」
墓地の片隅に積まれた大蝙蝠の死骸の山。墜落した大蝙蝠によって(それと多分、主にアローが使った魔術のせいで破損し、血のりで汚れた墓石の数々。何とも言えない異様な空気を醸し出している。その中で、数人の僧侶が黙々と墓石を拭き、死骸を片付け、という作業を繰り返していた。
「酷いものですよね。昨晩、流れ者の魔術師がこの墓地に入り込み、私闘を行ったようでして……。カーテ司祭が異変に気づいて、聖霊魔法で不届きものを追い払ってくれたそうなのですが、ご覧の有様なんですよ」
この僧侶は昨晩、アローがその場にいたことを知らないようだ。あの時召集されていた援軍の僧侶たちは、有事の際に駆り出される聖霊魔法部隊なのだろう。教会内でも特殊な扱いの部隊なのかもしれない。下級の僧侶には、適度に誤魔化された情報が回っているようだ。
(結果論だが、これはありがたいな)
昨晩お会いしましたね、などと言われてしまうと、さすがに誤魔化しきれない。
「あ、ハインツ司祭とヒルダ様はあちらにいらっしゃいますよ」
ハインツは僧侶に指示を出しているようだ。その隣で、顔面蒼白のヒルダが突っ立っている。
ただでさえ、死霊の類が苦手なヒルダが、この血みどろ大惨事の墓地が怖くないはずがなかった。彼女はアローとミステルの存在に気が付くと、気が抜けたようにその場にへたり込む。
「アロー……貴方、何ていう現場に私を呼んでくれたのよ」
「うん、いや、その…………本当にごめん」
今回ばかりはアローも本気で謝った。




