24.墓地での戦闘はご遠慮願います
「大蝙蝠の群れか……低級な魔物だけど、数が多いな」
「わかりやすいお迎えだ。さて、共闘といこうか?」
「そうだな。結果的に墓地を選んだのは正解だった。……『死を記憶せよ』」
杖を地面に突き立てる。その地点を中心に、紅く発光する円陣が現れる。
「我が名はアーロイス・シュバルツ。汝、我が名の元に集え」
円陣が発光するにつれて、アローの瞳も本来の青から一変、紅い光を孕む。
もう一度、アローはその言葉を口にする。
「――『死を記憶せよ』」
その瞬間、この墓地の墓と言う墓から、一斉に白い破片が地を破り、飛散する。もし、この場に昼の光が満ちていれば、その白い破片が墓に埋葬されていた遺骨の欠片であったことに気づいただろう。
無数に舞った骨片は、空中を旋回し、そのまま大蝙蝠の群れへと矢のごとく降り注いだ。いくつかの蝙蝠が地に落ちて物言わぬ躯と化した。
「……君、私の返答次第ではアレをやるつもりだったのかい?」
「そんなわけないだろう。せいぜい生ける屍を大量に作って囲い込むことを検討したくらいだ」
「もっと酷い。君、意外に容赦ないな。……私を何だと思っているんだ」
「腹黒い司祭」
「否定しきれないのが辛いところだな」
「雑談している場合じゃないぞ。残りが来る」
骨を操って広範囲を撃ち落とすくらいでは、数は減っても全滅はさせられない。
墓守が鐘を鳴らしていたのだから援軍は期待してもいいのだろうが、それまでは二人でこの大蝙蝠の大軍を相手にするのだ。大蝙蝠は特殊な魔法は使わないが、吸血性を持つ肉食で、大量に群がられたらなすすべもなく失血死しかねない。しかも人間には聞こえない鳴き声を出して仲間を呼ぶ。簡単に大量の個体を支配できるので、高度な術を使わなくても簡単に使い魔として使役できる。数匹なら取るに足らない魔物だが、群れで使役されると急に厄介になるのだ。
「フライアの加護をここに!」
ハインツが懐から出した女神フライアの護符を大蝙蝠の群れへと投げつける。
護符は群れに到達すると同時に光を放ち、直線状にいた大蝙蝠を殲滅する。護身術程度の初歩的な聖霊魔法だが、特別な魔法耐性を持たない大蝙蝠には効果がある。
(それにしても、こんな初歩の魔法でこれだけの効果を出すのはすごいな)
聖霊魔法は総じて、効果の高い魔法ほど発動が遅い。最高位魔法となれば、数人の術者が半日かけて行うものまである。そして、効果の出方は術者の魔力よりもむしろ、どれだけ聖霊の――つまり、力を借りる神の加護を得られるかで決まるのだ。
護身用の聖霊護符では、本来ならば大蝙蝠を一匹倒せたらいいところだろう。数匹を一瞬で簡単に倒せているハインツの受けている加護は、相当大きなものだ。
「女神フライアは性格で人を選ばないんだな」
「君にそんなことを言われるとはね。ところで、ミステル嬢を出してあげることはしないのかな?」
「僕と君がここにいることの説明をすることよりも、大蝙蝠を叩きのめす方が面倒じゃないと思うぞ? ……『死を記憶せよ』」
再び、骨片が地を破り、舞い踊る。今度は飛散せず、巨大な槍のような形状となり、いくつかの蝙蝠の腹を貫いてから離散する。
しかし、討ち漏らした一匹がアローに肉薄して、そして。
「――『剣』」
アローの声に従って、杖の先端にある異形の彫刻が形を変え、柄となる。それを掴み、引き抜いた刃で大蝙蝠を切り裂いた。
「仕込み杖だったのか、その杖は」
「魔法道具だ。剣、槍、弓矢なら作れる」
答えながら、その剣で迫りくる大蝙蝠をどんどん斬り捨てているが、これではらちが明かない。仲間をどんどん呼ばれている。
「援軍はいつくるんだ?」
「さぁ、どうだろうね。この国は基本的に平和だから、皆こういう荒事にはなれていなくてね」
「なら、僕が何とかする。あんたは今から僕が術を完成させるまで、一人で戦ってくれ」
「これはまた、堂々とした盾になれ宣言だね?」
「そのかわり、一瞬で全部仕留めて見せよう。聖霊魔法よりは効率がいい。おまけに今は夜だ。昼程疲れもしない。精度は保障しよう」
「なるほど、君を信じよう――フライアの加護をここに!」
護符を数枚取り出すと、ハインツは次々に魔法を発動させていく。
その間、アローは剣の切っ先で空中に魔方陣を描く。要するに数が多いから厄介なのだ。
生ける屍を大量に作る必要などはない。それではむしろ時間と魔力を大幅に削られるだけだ。大蝙蝠自体は骨片でも倒せる。数が多すぎるだけだ。だから、こちらも数を用意すればいい。
『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』『死を記憶せよ』
呪文を紡ぐごとにアローの瞳に宿る紅が、色濃くなってゆく。
「――薙ぎ払え」
墓場が震動したように思えた。
ようやくたどりついた援軍の僧侶たちが、後に語ったところによると。
無数の巨大な剣が墓地の地面から空へと向かって一斉に突き立ち、大蝙蝠の群れを一匹残らず殲滅した、と。
剣に見えるそれは、アローがこの墓地全体からかき集めて操った、遺骨である。大蝙蝠を全て駆逐するとともに、ばらばらとほどけてまるで雨のように地面へと落ちていく。
「…………」
アローはじっと目をつぶり、何度か深呼吸した。
じっと動かず、しばらく経った後小さく『死を記憶せよ』とつぶやく。
それと同時に、地面に散乱した骨の欠片がずぶずぶと地面に呑みこまれ、消えて行った。後に残ったのは半壊した墓場と、大量の大蝙蝠の死体のみ。
ゆっくりと顔を上げたアローの瞳からは、紅い色は消えていた。
「……やったぞ……制御しきった……ははは」
疲労に濁った目で怪しく笑うアローに、護符を切らすまで聖霊魔法を使っていたハインツはうろんな目を向ける。
「……それはつまり、制御できない可能性が高かったということなのかな」
彼がこういう顔をするのを初めて見た。これが素なのだろうか。だとするとなかなかに貴重なものを見ている。
「いや、できると思わなければやらない。危険性がゼロとは言えなかっただけだ。何せぶっつけ本番だからな。動物の骨ならともかく、人間の骨をあんなに大量に使ったのは初めてだ。もう二度とやりたくない。元の場所に戻さないとならないし……」
「そうか、私は君のぶっつけ本番のために盾にされていたのだね」
「君もこれで、他人の掌の上でころころ転がされる側の気持ちが理解できたんじゃないだろうか」
「……善処しておくよ」
ランタンは地に落ちて、油の残りがわずかに燃えているだけだ。灯りとしては心もとないが、アローにはハインツが苦虫をかみつぶしたような顔になっているのが十分にわかった。
「君への評価を変えないといけないようだ」
「別にそんな大層な評価をしてくれなくていいぞ?」
ハインツに警戒されると、それはそれでやりづらい。完全に手の内で、いいように使えるとは思わないでほしいものだが。
「カーテ司祭、今の魔法は何ですか? 見たことがありませんが……」
ついた途端に大蝙蝠が殲滅されてしまい、呆然として成り行きを見守っていた僧侶の一団が、ようやく我に返ったらしい。隊長らしき男が、ハインツに事情の説明を求める。
「死霊術だよ」
「正確には、死霊術の黒魔術の複合魔術だ」
「……だ、そうだ」
この男はきっと、上位の司祭であるハインツの聖霊魔法だと思っていたのだろう。魔物を一方的に殺戮したのが、見知らぬ少年であるアローが使った魔法だと知り、再び呆然としてしまった。
しかし、すぐに気を取り直し、辺りに散乱した大蝙蝠の死骸を眺める。
「この魔物の群れは一体……」
「結論から言うと、私かアロー君、もしくは両方が狙われたようだね」
すっかりいつもの調子で、ハインツは肩をすくめて笑う。
「そのようだな」
アローも頷いて、元の形状に戻した杖の先で大蝙蝠の死骸をつついた。特別に変わったところはない。黒魔術によって使役された弱い魔物だ。ハインツ一人だったとしても殺すところまではいかなかっただろう。彼が一人なら、聖霊魔法で適度に対応しつつ逃げることができた。アローでも同様に対処ができる。殺すつもりできたというよりは、威嚇のつもりだったのかもしれない。
「カーテ司祭、騎士団に調査と護衛の依頼を致しましょう」
「いやいや、それには及ばないよ」
軽く流そうとしたハインツに、アローが横から口を挟んだ。
「いや、依頼してくれ。ぜひしてくれ。ヒルダにかけあってくれ。彼女は剣の腕前なら護衛として申し分ないのだろう?」
「……確かに、ヒルダ嬢は護衛には良いと思うよ。素晴らしい剣技の才能を持っているし、若いからまだ騎士団内での地位はさほどではない。ゆえに自由もきく。だが、彼女にこだわる理由は何だい? まさか青春の話かな?」
「青春の話ではない。恐らく彼女が次の標的だからだ」
「何故、そう言い切れる?」
「良く当たる占い師の予言だからだ」
「……なるほど、それは」
占いなんて信じていなさそうなのに、ハインツは訳知り顔で頷く。
「わかった。君の思惑通り動いてあげよう。何せ私は、君が犯人を探し出してくれないと困るのでね。……というわけだから、明日、騎士団に護衛の依頼を出してきてくれ。ヒルデガルド・ティーヘ嬢をご指名だと、しっかり伝えてくれたまえ」
「は……はい」
状況がさっぱりわからない会話を見せつけられて、急に話を戻された僧侶は、目を白黒とさせながらそれでもしっかりとうなずいたのだった。