17.魔法のお店、開店予定
本当のことを言えば、七年前、ミステルが失ったのは両親ではなかった。
正確には、その三年ほど前、ミステルが四歳の時に両親はあいついで亡くなっている。亡くなった理由は知らない。幼かったから覚えていない。ミステルを引き取ったのは父方の叔父だったのだということだけは、覚えている。貧しい職人の家だった。
見目がよかったから、叔父は下働きができるまでは育てて、娼館に高く売ろうと考えていたようだ。力仕事ができない女子をいつまでも養っていても仕方がない。彼はいつもそう言っていた。叔父には息子が二人いたが、どちらも意地悪で好きではなかった覚えしかない。
その当時はミステルも、娼館がどんな場所なのかわかっていなかった。だけど、急に小奇麗な一張羅を着せられて村を連れ出された時、自分は今よりももっと酷い場所に行くのだということだけはわかった。
だから、逃げ出した。森の中を走って、走って。
だけど、まだ八歳の少女が、慣れない森のけもの道をそんなに早く走れるはずもなく。すぐにつかまってしまった。
その時だ。後ろから黒い影が現れたのは。その黒い影は赤黒い口を開き、白い牙をむき出しにして――。
もうどうなってもいいと思った。
叔父はいない。もう魔物の腹の中だ。ここよりも悪い所なんてどこにもないだろう。だから平気だ。怖いことも辛いことも、すぐに終わる。
だけど、ミステルの想いとは裏腹に、何も終わりはしなかった。
次の得物としてミステルを狙っていた魔物の頭を、突如現れた『骨』が突き刺したからだ。それは『骨』としか言いようがなかった。様々な動物の骨を繋いでできた、異形の化け物。
「うーん、動物のだったら制御が簡単なんだけどなぁ」
のんきな様子でそう言って、次に姿を現したのは自分よりは少し年上に見える少年で。
『死を記憶せよ』
彼のその一言で異形の骨はばらばらにほどけて、地に消えた。
「大丈夫? だいぶ街道から外れてるけど、両親は?」
ミステルはただひたすら、首を横に振ることしかできなかった。
手を差し伸べられても、まだ現実感が湧かなかったのだ。
わずかな木漏れ日だけが届く森の奥で、銀色の髪の美しい少年が自分に微笑みかけている。今まで周りにいた、同年代の子供といえば意地悪な従兄たちと、その仲間で、ミステルにこんな風に優しく手を差し伸べてくれることなどなかった。
こんなに綺麗で優しい手が自分に差し伸べられるなんて思わなかった。
「もしかして、さっき魔物に襲われてたの、君の親かな。ごめん、間に合わなくて」
「……いい。いいの」
「ここは危ないから、とりあえず、僕の家においで」
手を引かれる。温もりが伝わる。
その時になってやっと、自分はこの少年に救われたのだと実感した。
――それから、七年。
今、ミステルは死んで身体を失い、それでもアローの役に立ちたくて、ここにいる。あの時自分を救ってくれた、唯一の手に報いるために。
「……たとえ貴方が、私のことを間違いだと思っていたとしても」
望んだのはミステルの方だ。
アローはとても優しい。だから、自分よりもミステルの望みを優先してくれる。たとえそれが間違いでも、だ。
「貴方を間違わせたのが私だというのなら、私は貴方のかわりにいくらでも罪を背負います」
ベッドで眠るアローの横顔を見つめて、ミステルは薄く、哀しく微笑んだ。
「だけどお兄様……間違っているのは、私も同じなのです」
■
窓から差し込む光が眩しい。
森ではこんな強い日差しを浴びることがなかったので、改めて都にきたことを実感した。昨日の宿舎ではなるべく端の方を陣取っていたので、こんな風にさんさんと朝日を浴びることもなかったのだ。
「おはようございます、お兄様。階下でお食事されますか?」
「そうだなぁ。顔を洗って、食事をして、それからハインツに紹介してもらった店とやらを軽くのぞいて、教会だな」
いきなり騎士団に行ったところで、門前払いされるだけだ。騎士団側からみたらアローは「不審者として捕まったどこぞかの魔術師」でしかない。それは昨日思い知った。たまたまヒルダが近くにいて、しかも非番だったからつきあってもらえただけだ。そう何度も彼女に時間をとらせるわけにはいかない。
「素直にハインツを頼っておくのが、現状だと一番の近道だと思う」
「あの男が信用できるとは思いませんが」
ミステルはハインツに不信感を抱いているようだ。彼の言動は最初から一貫して裏に何かありそうなものばかりだから、疑われても仕方がないだろう。
「僕だって信用はしていないよ。信用できなくても手を組むことはできる。利害が一致している間はね」
彼がアローの師匠について把握していることは、ミステルには言わないでおいた。ミステルは心配性だから、師匠絡みでアローが利用されていると感じたら、猛然と抗議しにいきかねない。
アローとしては、師匠の名前で取引ができるのなら安いものだ。何せ、師匠本人は今、どこで何をしているのかも知らないのだ。師匠から得た豊富な魔術知識が必要なのかもしれないが、そもそもそれが必要になる状況だとしたら、アローは取引がなかったとしても惜しみなく使うだろう。師匠から隠しておくようにと言われたことは何もない。
『隠し事なんてしなくとも、私が開発した魔法をその辺の雑魚がマネしたら死ぬだけだ』
……というのが師匠の弁である。実際、アローも知識としてわかっているが使えない、使える気がしない魔術がいくつもある。
師匠がアローに約束させたことは、一人で勝手に人里にいかないこと。それだけだ。結局、その約束も破ってしまったのだが、師匠だって突然旅に出て音信がないのだからおあいこだろう。
「とりあえず、僕らにはいずれにしても本拠となる場所が必要なんだ。今はたくわえがあるけど、ずっと宿屋に泊り続けるわけにはいかない。ナンパの道は険しそうだからな。持久戦だ。形だけでも店を構えておけ、というハインツの案は現実的だと思う」
「お金の方は、呪術道具をワルプルギス女史の店に卸せば用立てできますが……何か月もかかるのでしたら、居場所は必要ですね」
「すまないな、僕がモテないばかりに」
「いえ、私はお兄様のおそばにいられればじゅうぶんですから。実体を作ることについてはゆっくりと進めていきましょう。ゆっくりと」
ミステルはニコニコとしながら宙にふわふわと浮き上がる。
「楽しそうだな」
「はい、今日は邪魔者がいませんので! ハインツに会うまでは!」
「そうか」
義妹の力強い宣言を右から左に受け流しつつ。
(……昨日の邪魔者って誰だ? ギルベルトか?)
少しだけズレたことを考えているアローであった。
顔を洗い衣服を整え(さすがにあのローブは封印した)アローはミステルを伴って、ハインツの言っていた店の建物の場所まで歩いていく。
荒ぶる暴れ牛亭からそう離れてはいなかったので、簡単な地図だけですぐにわかった。鍵がかかっているようで、まだ中には入れないが、窓から覗くかぎりカウンターだけの小さな店のようだ。
「中を覗いてきます」
ミステルが壁をすり抜けて、様子を見に行く。
彼女はすぐに戻ってきて、奥にもう一部屋があることを教えてくれた。
「ベッドと棚くらいは置けそうですよ」
「そうか。じゃあ落ち着いたら宿は引き払って、ここに住んでしまおうかな」
森で住んでいた小屋だって、これにもう一部屋あるくらいの大きさだった。師匠が旅に出るまでアローとミステルは同じベッドで寝起きしていたくらいだ。ベッドを二つ置く場所がなかったのだ。
師匠の部屋を使わせてもらうようになった時、一人寝が嫌だとミステルにさんざんゴネられたことまで思い出したが、言わないでおく。
「しかし、この狭い店で何を陳列していたんだ?」
「教会が持っているくらいだから、元は代書屋か何かだったのかもしれないですね」
「そうか、代書屋は確か、頼まれて文書を作る仕事だったな。それなら店に何かを並べる必要もないか」
教会は代書屋と教会は切っても切り離せない。なにかと文書に残さなければならないことが多いからだ。大聖堂には専門の書記官ももちろんいるだろうが、代書屋はとにかくどんな書き物仕事でもやってくれるので、機密性の低いものは代書屋に丸投げしているものも多いのだ。
「お兄様は何の店にするのですか? 一応、形だけ、ですけど」
「うーん、僕は魔術に関する以外のことはいまいちだからな。狩りならできるけど、ここは森じゃないし………………そうだ、影占い屋にしよう」
影占い、とは俗に言う死体占いのことである。要するに、死人の霊を呼んで知りたい事を語らせることだ。昨日、ヒルダに説明した「失敗するともれなく生ける屍が完成する」あの術である。
ミステルは真顔になっていた。
「……普通に占い屋にすればよいのでは?」
「僕に普通の占いの精度を期待するな。そういうのはカタリナに任せる」
「実質がどうであろうと体面が整わないと流行らないかと思いますよ。あと、思い切り素性が怪しいままですが」
「ダメか……死霊占いへの偏見は本当に深刻だな……」
ひとまず、ミステルと相談の上結局、魔法道具屋ということで手を打った。副業で影占いも承ります。
「この平和な王都の皆様に必要な魔法道具なんて、護符程度のものですよ。あの小さな店で問題ありません」
「……その平和な王都の呪殺事件を追っているんだけどな、僕らは」
アローは苦笑いを浮かべながらも、いずれ新居となる予定の店を後にした。
「さぁ、ハインツに会いに行こう。影占い師の初仕事だ」
「……思いっきり副業が本業ですね」
「そこはカタリナを見習おうじゃないか」