14.ワルプルギスのまとまらない女子会
時刻は一刻ほどさかのぼり、ワルプルギス骨董店。
ミステルとヒルダは、その扉を開ける。
「……うっ」
ヒルダの足が止まった。幽霊が彼女にしてみれば、一歩入ったその場から奇怪で恐ろしげな呪術道具がずらりと並んだこの店は、トラウマになりそうな空気をぷんぷんと漂わせている。
「進んでください。霊体の私と会話できているのに、今更呪術道具ぐらいで怖気づかないでいただけますか?」
ツンと澄ました態度でどんどん先を行くミステルを、ヒルダは慌てて追いかける。
「ひっ……! ひゃっ!?」
棚に置かれた薬酒漬けの蛇と目があってはおののき、コウモリのミイラを見ては悲鳴を上げ、ついにミステルも呆れ果てて立ち止まる。
「戦女神様、貴方はその剣で何を斬れるというんです?」
「ご、ごめんなさい。魔物と戦うのは平気でも、この店の空気が何と言うかその……ちょっと不気味すぎない?」
「私は呪術の専門家です。こんなもの、貴方にとっての剣の鞘くらいですよ」
「そ、その程度なの!? すごいわね……」
「こんなことで尊敬のまなざしを向けられても困ります」
ミステルは心底呆れてそう言ったのだが、ヒルダの方も心底感心していた。
「本当に怖くないの?」
「私には、物理的に襲ってくる戦士や魔物の方がよほど脅威に感じます。貴方の方こそ、死の危険と隣り合わせで剣を振るうことは怖くないのですか? まぁ、この国は平和ですから、その機会もあまりないのかもしれませんけど」
「稽古でも人が死ぬ時は死ぬわ。武器を手に取ると言うことはそういうことよ。私にとってはどんな取るに足らない魔物も、子どもだったら脅威でしょう。でも、そうね。私にとっての魔物や暴漢が、貴方にとっての死霊や呪術なのね」
「そのようですね」
ミステルがそっけなく言い放ったその時、二人に近づいてくる影があった。
「なぁんか話し声がすると思ったら、こんなところで何してるの、ミステルちゃん? アロー君はどうしたの? まさか迷子になっちゃった系?」
店の入り口付近で話し込んでしまったので、気になったカタリナが様子を見に来たようだった。
「ご心配には及びません、ワルプルギス女史。お兄様の居場所は把握しております。少々不本意ではありますが」
「んー、なになに、気になるじゃない。お姉さんに詳しく話してごらん?」
「お断りします。私たちはワルプルギス女史の好奇心を満たすために、この店に来たわけではありませんので」
すげなく断るミステルに、カタリナは子供のように頬を膨らませる。
「えーっ、知りたぁい。教えてくれないと、協力してあげられるかちょっとわかんないなぁ」
「……この女」
「あっ、ミステルちゃんダメダメ! アロー君が近くにいないからって、素を出したら。美少女が台無し! お姉さん泣いちゃう」
「好きなだけ泣いてください」
「ミステルちゃん、短気な子はアロー君もがっかりだと思うの」
「……ちっ」
「び、美少女は舌打ちとかしちゃダメ!」
ポカンとするヒルダを置いてきぼりにして、ミステルとカタリナの不毛な会話は続き――結局、ミステルの方が折れることになった。ナマグサ司祭の居場所を求めて、アローがどんな場所かもよくわかっていない娼館に連れて行かれたくだりを離した時のカタリナの表情はとても酷いものだった。端から見ていたヒルダもドン引きである。
「ねぇ、ちょっと、アロー君大丈夫? ねぇ、思春期の少年として大丈夫なの? そっちの教育ちゃんと行き届いてる?」
「下世話なことをおっしゃらないでください! お兄様は純粋無垢なんです!」
「それ大体ミステルちゃんのせいだよね? だって、アロー君がブサイクでモテないって思い込んでるのもミステルちゃんが言い聞かせたせいでしょ? アロー君、基本的にミステルちゃんにゲロ甘でホイホイ信じちゃうからね」
「……あ、やっぱりそうなんだ」
「もう黙ってください、ワルプルギス女史! ヒルダ様も今のくだりはお忘れください! お兄様の純粋な心は私が守るのです!」
拳を握って力説するミステルに、ヒルダは苦笑するばかりだ。
実際のところ、アローはその娼館の役割を(男女の営みを売る店だと気づくのはかなり遅かったが)かなり邪推しまくっていて、純粋無垢でもなんでもなかった。もちろん、ミステルの愛の重さゆえの暴走には、アローはさっぱり気づいていなかったので、ある意味似た者兄妹とも言える。
「ひー、面白かった。で、本題だけどさぁ、何の用事? それとそっちのミステルちゃんとは方向性の違う美人さん紹介して欲しいなー」
カタリナはひとしきり笑ってにじみ出た涙をぬぐい、カウンター奥の椅子にどさっと腰かけた。
「お兄様が、貴方に教えてほしいことがあると。それと、こちらの呪術道具に散々悲鳴を上げまくった情けない女性は、戦女神と名高い騎士ヒルダ様です」
ミステルの若干悪意混じりの紹介に、ヒルダは苦笑しながら頭を下げた。
「王国騎士団の騎士、ヒルデガルド・ティーヘと申します。とはいっても、今日は非番ですので、あくまで個人的にアローの手伝いをしているだけですが……」
「へぇー。噂に聞いたことあるわ。まだ十代で、しかも女性なのに王宮主催の武芸大会の騎士新人戦でぶっちぎりの優勝しちゃった戦女神さんね」
「その通り名を連呼するのは恥ずかしいのでやめていただけると」
「うちの店を出るなり、アロー君を逮捕しちゃった戦女神さん」
どうやら、ヒルダがアローに剣を突き立てて連行したことには、気づいていたらしい。ぐっと押し黙るヒルダをすり抜けて前に出たミステルが、据わった目でカタリナを睨む。
「ワルプルギス女史、わかっていたなら止めてください」
「えー、やだやだぁ。面白くないじゃん? 普通に出てこられたみたいだし、気にしないで。世間知らずなアロー君にはいい社会勉強よ?」
「私に生身があったら殴っていました」
「やだ、こわぁーい!」
これ以上カタリナの調子に合わせていると、一向に話が進まない。
ミステルは会話をうちきって、アローからの依頼を伝える。
最近、美人薄命病の件で相談された件数、そして相談してきた相手の名前、職業、家柄など。そして取引先であったアローたち以外に、呪術道具を買っている人間がいたかどうか。この店ではなくても、そういった呪術に関する道具を所持している心当たりがあるか。
騎士団の捜査では見えてきづらいこれらの情報は、次の事件の防止はもちろん、表ざたになっていない被害者の割り出しにも有効だ。
「うーん、普段だったら取引にするところだけど、アロー君には宿の紹介代を無駄にさせちゃったし、今回は特別にタダで教えてあげるわ」
「当然です!」
カタリナは事件に関係がありそうな客の名前や、相談の時の状況などを簡単に説明していく。ミステルはペンを持てないので、情報はヒルダが紙に書きとめた。数はそう多くない。後ろ暗い人間の全員が占い師にすがるわけでもないだろうし、カタリナのところに来るのはある程度裕福な者たちだけだから、必然かもしれない。貧しい者には占いに金をかける余裕などないのだから。
「私が話せるのはこれくらいね。後のことは聞かれてもわかんないから、アロー君にはそう言っておいてくれる?」
「承知いたしました」
情報をもらったなら、ここにはもう用事がなかった。ミステルも、ヒルダがいる前で依頼した死体の斡旋について語る気はない。
「では、お兄様にお伝えします。また、協力をうかがうことがあるかもしれません。その時はお兄様と一緒に参ります」
「そうしてちょうだい。アロー君いじって遊びたいし」
「いじるのはおやめください」
はぁ、とため息をつき、ミステルはヒルダを急かす。
「さぁ、こんな店は早く出ましょう。一刻も早くお兄様を迎えに行かねばなりません。商売女によっていけない教育をほどこされる前に!」
「い、いけない教育ね……」
何だか苦笑いばかりしている気持ちになりながら、ヒルダも踵を返す。その時。
「あ、戦女神さん」
カタリナがヒルダの背に声をかけた。
「……? 何か? それと、戦女神はよしてください」
「いいじゃん、別に。帰る前にお姉さんからちょーっと忠告。美人薄命病、本当に呪術かどうかまでは私にははっきり答えられないけど、ヒルダちゃんも年齢とか容姿からすると呪われる可能性があるから、注意してねぇ」
「……それは、占いですか?」
「んー、そうね。お姉さんの勘よ。アロー君にも伝えておいて。じゃーねぇ」
ヒラヒラと手を振られて、きっとこれ以上問い詰めても、彼女は何も答える気がないのだと言うことがわかる。
(私も……呪われる可能性がある? まさか……)
ヒルダは気味悪さを感じ、足早に出口へと向かう。
ミステルはその後を、悲愴な顔をして追いかけて行った。