112.昔墓場にいた子供
フルーフは食卓の上に行儀悪く座り、退屈そうに足を揺らしている。その度にドレスの裾からぼたぼたと黒いものが落ちている。
「お兄ちゃんに嫌われちゃったぁ」
「それはお前が物事の順番というものを理解していないからだ」
部屋の片隅、薄暗い影の中に鎮座していた何者かが、彼女の愚痴に応えた。
「なんでぇ? 生き別れのかわいい妹が会いに来たら感動しない? これからはずっと一緒だよー、とかなるでしょ~」
「夢を見すぎだ。あれは赤子の頃からあちら側で生きている。その上、あの忌々しい大魔術師の教え子だ。簡単にはなびかぬだろうよ」
「えぇ、ヤダぁ。そんなの知らなぁい」
「わがままを言うな。好きにさせておけ。まだ時間はある。生きているうちに回収できれば良い。……まさかとは思うが、殺してはいないな?」
フルーフは座っていた食卓から、ピョンと飛び降りて、ぽんぽんとドレスについたホコリを払い落とす。
「そんなもったいないことしないよ。でも、しばらく動けなくなるようにはしてきたよ。褒めて褒めて!」
「そもそも、お前が遊ばずにさっさとあれを回収してくれば話は早かったのだがな」
フルーフはふくれっ面になりながら、自らが作り上げた黒い水たまりの中に半身を沈める。
「そんなの知らない。僕はもっとお話したかったよぉ。でもズルいの。ボクはお兄ちゃんのことこんなに想ってたのに、お兄ちゃんには違う妹がいるし、お友達もいるし……ズルいよ、ズルい、ズルい」
微笑みながら「ズルい」と繰り返す彼女の紅の瞳は、黒い深淵を見つめている。
「だからみんな殺して、お兄ちゃんを助けてあげるんだ。お兄ちゃんはボクのところにくるのが幸せだってわかるようにね」
■
頭が重い。誰かの話し声が遠くに聞こえる。
「すみませんすみませんすみません……」
呪文のように謝ってる女の声だ。誰かは聞かれなくてもわかった。
それにしても頭が重い。瞼も重い。それでも起きなければいけない状況なのはわかっていたので、何とか薄目を開ける。
「あ、よかったです」
「……誰だ」
見覚えの薄い顔に、思わず本音がだだ漏れたが、すぐに知った顔だと気がついた。エルマーだ。農民その二。若い方。
「すみません、うち、ただの農家なんで寝台固いですよね」
「……慣れてる」
とにかく身体中重くて仕方がなかったので、手短に応えた。慣れてるのは嘘ではない。森で暮らしていた頃の寝台も大差なかった。正直に言えば、だるすぎて寝台の良し悪しすらどうでもいい。
腕の怪我は丁寧に手当をされていた。思い切り貫通していたはずだが、痛みはさほどない。だからきちんと治癒術は使ってもらえたのだろう。
「毒か何かか……」
「そうらしいです。あの、パウラ様が起きるまで時間がかかったので、毒が回りきってしまったらしくて、それでしばらく安静に、と」
「ああ、なるほど……」
パウラが謝り倒しているのは、どうやらそのせいらしい。
解毒は治癒術でも難しい。治癒術は、基本的に外傷を治すことに特化している。病気を治す治癒術には医学の知識もかなり必要になるから、使い手は通常の治癒術以上に限られてくるのだ。しかも毒となると、毒物の特定ができなければ対処療法しかできないし、時間が経つほどに全身に毒素が回って治癒の難易度もあがる。
あの時点でまだパウラは気絶していたのだから、すっかり毒が回りきってからの治癒になってしまったのだろう。
(フルーフに僕を殺す気があったら、僕は死んでいたな)
毒の攻撃については考慮していなかった。彼女を一度は捕らえたのに、止められなかった。完全にアローの油断が招いた事態だ。フルーフが素直に帰ってくれなかったら、ヒルダとギルベルトを危険な目に合わせるところだったのだ。
「毒自体はそんなに強いものではなかったみたいで。薬草もきちんと効いたし」
「薬草……? ああ、これか」
包帯が薄っすらと緑色に染まっている。パウラが起きるまでの応急処置だったのだろう。弱い毒といっても、ものによっては処置が遅ければ最悪、腕を失う。ここは医者のいる王都とは違うのだ。薬草が近場で手に入ったのは運が良かった。
「ミステルが探してきてくれたのかな」
「ああ、俺です。この辺に住む奴らは、山から降りてきた毒ネズミにかじられて死にかけたことある奴が結構いるんで、薬草は割と詳しいですよ」
「それは……何というか、生活の知恵だな」
毒ネズミと呼ばれているのは、北部山脈に生息している大型のネズミだ。ネズミといっても犬くらいに大きい。たまに人里に降りてきて農作物を食い荒らす。毒牙をもっていて、噛まれると三日は高熱にうなされ、運が悪ければ死ぬ。農民にとっては宿敵だ。
「ありがとう。僕のことはあまりいい気分でみてはいないだろうに」
オドのことで歓迎されていないことはわかっている。それでも助けようと思って、わざわざ薬草を摘んできてくれたのだ。
「ああ、親父のことは気にしないでください。すみません。……っていうか、この際聞いてしまってもいいですか?」
「何だ?」
「アローさんって、昔この村の墓場にいた子供、ですよね。当時は俺もガキでしたが」
エルマーがじっと、こちらを見つめてくる。言い逃れできる空気ではない。そして、アローも恩人に嘘をつくほど不義理ではないつもりだ。
「そうだ。僕はまだ物心つくかつかないかって頃の話だから、覚えているわけじゃないが、この村の墓場で死霊に育てられたのは僕のことで間違いない」
「じゃあ、俺のことも覚えてないのか?」
「は?」
意外な方向性に食いつかれて、アローは目を瞬く。
オドの反応もあって、全力で気味悪く思われていたのだろうと勝手に納得していたのだ。まさかこの返しがくるとは思わなかった。
「すまない、覚えてない。何せ二歳か三歳か、くらいの話だろう?」
「そ、そうか? あっと、すみません、いきなり」
「別に敬語でなくてもいい。君の方が年上だし、僕も別にそんなお偉い立場じゃないからな」
「いや、でも、教会の……」
「僕は教会に依頼を受けてきただけで、教会の人間ではない。たまたま大層な大魔術師の弟子にされたおかげで、色々頼まれるだけだ。気にしなくていい」
大魔術師、と聞いて、エルマーが急に遠い目になった。
「大魔術師って、あんたを連れていった、何かわけのわからないことで爆笑する魔術師? あの人、大魔術師なんて呼ばれる人だったのか」
「当時は君も幼かったのだろうに、そこまで印象に残ってるなんて師匠も大概だな」
あの暴風雨の大嵐よりも激しい師匠が、こののどかな農村に来たのだ。記憶に刻まれるのも仕方がない。
アローは重い身体を奮い立たせて、どうにか半身を起こした。エルマーと話しているうちにだいぶ頭ははっきりとしたが、身体の方はもうしばらくかかりそうだ。
「まだ寝ていた方が」
「僕もそうしたいのはやまやまだが、色々対策しないとまずい」
フルーフが、逃げる前にアローだけを狙って攻撃したのは何故か。恐らく彼女にとって、少なくとも彼女が把握している範囲では、驚異となる能力を持っているのがアローだけだからだろう。わざわざ死霊術を使えない状況を作り上げていたくらいだ。
逆に言えば、彼女はアロー以外はどうとでもできると考えている、ということだ。アローが動けないうちに何か仕掛けてくる可能性は高い。彼女がこちらの戦力を低く見積もっていてくれたらまだ良いが、そこまで甘くはないだろう。彼女が単独犯とも思えない。
「あの、俺はただの農家の息子だから大した役には立てないけど、手伝えることがあるなら言ってくれ」
「ああ、ありがとう、エルマー」
父親のオドとは違い、エルマーは実に好青年だ。話してみるものだ。彼に手伝ってもらえるようなことはなさそうだが、怯えられているわけじゃないとわかっただけでも気は楽だった。
(怖がられているのかと思って、話をしようとしなかったのは僕も同じということか)
この力との付き合い方を考えるのは、何も死霊術に関することだけではない。師匠に散々絞られたのに、なかなかすぐに、全てに気づいて変わるのは難しいものだ。
「そういえば、エルマー。君はなんでさっき、覚えているかと尋ねたんだ? 僕は君に何かしたことがあるのか?」
覚えているか、と。わざわざそう尋ねてきたのは、彼がアローに覚えていて欲しいと思うことがあったからだろう。何かしらの期待がなければあの呼びかけ方にはならない。
「ああ、それは……」
エルマーが口を開くのと同時に、扉が開いた。外から涙で顔をぐしゃぐしゃにしてるパウラと、困り顔のヒルダ、そしてあからさまに不機嫌なミステルが入ってくる。
会話を続ける空気ではなくなり、アローとエルマーは顔を見合わせ、苦笑いをした。
アローはエルマーたちの家を借りているようだった、素朴で小さな農家だ。森で暮らしていた頃の家よりも手狭で、大人数が入るような場所でもない。寝込んでいるアローに気づかったのと、警戒の意味もあって家の外にいたらしい。
テオとギルベルトは、外で見張りを続行だろうか。オドもそちらだろう。
「アロー、目が覚めたのね」
「ずびばぜん、わだじが、だよりなぐで……」
「すみませんで済むことですか! 治癒術師が治癒が必要な時に気絶してスヤスヤ寝てたんですからね!?」
「ずびばぜん……」
ミステルが激怒しているし、パウラは号泣している。ヒルダは困惑している。
「別に怒ってない。ミステルも、僕はこの通り無事……ではないが、命に別状ない範囲だから、そこまで怒るな」
「いいえ、お兄様はもっと怒ってください! 怒って下さらないから私が怒っているんです!」
「でも僕は、怒ってないかわいいミステルが一番好きだぞ」
「ぐっ……」
ミステルが黙り込む。パウラが土下座している。手に負えない女子に挟まれてどこか疲れた顔になっていたヒルダが、ぐっと拳をにぎった。義妹の扱いなら任せろと、アローも目配せをして頷き返す。
「アロー、動ける?」
「正直に言う。無理だ。それと、僕が復活する前に、絶対にもう一度あの知らない妹が来ると思う」
「知らない妹って」
「本当に知らないし初対面だったんだ」
「お兄様の妹は私だけで十分ですのに、何ですかその不届き者は。その上お兄様を傷つけるだなんて、死をもって償わせるしかないのでは」
ミステルがぶつぶつと不穏な呟きを漏らしている。はっきり言って目がヤバイ。
フルーフは少なくともアロー以外には興味がないようだった。むしろ言動からすれば、アロー以外は排除しにかかる可能性の方が高い。しかし、現時点ではアローは動けないので、対処は難しい。
情報が足りなさすぎる。フルーフが饒舌なうちに、やはり色々聞きだしておくべきだった。
「フルーフに関しては対処法を考える。それと、ギルベルトとミステルに手伝って欲しいことがある」
「ヒルダではなく、ギルベルトですか?」
ミステルが小首を傾げた。
「ああ。さすがにヒルダに僕を背負えとは言えないし、パウラの護衛も外せない」
「ちょっと待ってください、お兄様。身体が動かないうちから何をなさるおつもりです?」
うろんな眼差しを向ける義妹に、アローはそっと目をそらす。
「ちょっと知り合いに話を聞いてくる。大丈夫だ。身体が動かなくても死霊と話すことくらいはできるぞ」
「全然大丈夫じゃないですーーーーー!!」
もぬけの殻の農村に、ミステルの絶叫が響き渡った。