111.知らない妹が来て嗤う
「あれ? 何か感想ないの? 生き別れの妹が会いにきたんだよぉ?」
自称妹がそうのたまうが、もちろん初対面だ。
「ボクはフルーフ。名前を覚えてくれると嬉しいなぁ」
銀の三つ編みを指でくるくるといじりながら、フルーフと名乗った自称妹は、どこか不満そうにしている。
「こんな可愛い妹が会いに来たのだから、もっと喜んでくれないかなぁ?」
「随分、トチ狂った妹ね。義理の妹よりもヤバいわよ。で、知ってるの」
「知らない妹だな」
「知らない妹って、斬新な表現ねぇ……」
リューゲに呆れた顔をされたが、実際知らないのだから仕方がない。しかし同じ銀髪に魔力を持った紅の瞳で、無関係の他人だと断定するのは無理がある。
「僕の母さんは僕を生んだ時に、というか厳密には生む前に死んでるし、少なくとも腹ちがいなのは確かだ。父親のことなんてかけらも知らないから、妹かどうかは判別できない」
「そうそう、腹ちがいよ。だから正真正銘初対面。忘れたとかじゃないから安心してね、お兄ちゃん。今の名前は、アーロイスだっけ?」
「まるで他に名前があったかのように言うな。僕はずっとアーロイスだ。それと、悪いが僕の妹は今の所ミステルだけだ」
自称妹フルーフは、何やらどんどんと不機嫌な表情になっていく。
「血のつながらない妹とか他人じゃない? 生き別れの妹に会ったらもっと感動してくれてもよくなぁい?ボク、一応助けてあげたんだけどぉ?」
「……一応そこには感謝する。ありがとう」
「どういたしましてぇ。もう、もっと感動的に出会いたかったのに、初対面が空から落ちてくるってどういうコト?」
気安く笑うフルーフに、アローは対処を考えあぐねていた。
この際、フルーフが本当に腹ちがいの妹かどうかはどうでもいい。問題は彼女が明らかに敵だということだ。
リューゲは契約にないから手を貸してはくれないが、助言は結構してくれている。現に今、こうして表に出てきている。アローだけで対処するのが危険だと、基本的には不干渉の彼女ですら口出しせざるをえないと感じたということだ。しかも、リューゲはフルーフが出てくるまで姿を現さなかった。
スヴァルトの彼女ですら、フルーフが姿を現わすまで存在に気づかなかったのだ。アローを助けるために突然現れるまで、彼女は一切の魔力も感知させなかった。そんな真似が普通の人間にできるわけがない。
そして、恐らくこの少女ならできるのだ。この村の人間たちを、死霊までをも道連れにして連れさることが。
アローは杖を握る。フルーフは、少なくともアローに対しては敵意を見せていない。助けたのも恐らく彼女にとっては善意のつもりだ。
わからない。ただ、背筋に冷たい汗が伝う。自分と同等、あるいはそれ以上の強い呪いを持つ存在だ。本能的にまずい相手だということだけはわかる。
「あれ?お兄ちゃん、ボクのこと怖いの? 大丈夫だよぉ、お兄ちゃんは殺さないよ?どっちかというと一緒に来てほしいなぁ。そっちのおねーさんはいらないけど」
「それは、できない相談だな。僕には僕の仲間がいるし、リューゲは契約妖精だ。僕はいけないし、僕にはリューゲが付いてくる。諦めろ」
「えぇぇ? ケチー」
フルーフの言動は無邪気なもので、だからこそタチが悪い。
村人たちの行方について問いただしたら、彼女は教えてくれるかもしれない。無邪気な笑顔で、ニコニコと。
ただ、その裏で何が起こるかわからない。きっとこの少女は村人たちを殺す時も無邪気に笑うだろう。
「お兄ちゃん、この村のこと調べに来たの?教えてあげようか?」
アローの内心を見透かしたかのようにフルーフがにこにこと笑う。
(どうする?友好的なうちに、何か聞き出しておくべきか?穏便に帰ってはくれそうにないが……)
リューゲは手を貸さないにしても、黒妖精というだけである程度抑止力にはなる。彼女がアローのことには構わず魔法を行使すれば、この小さな村くらいは消し飛ばせるくらいの力はあるだろう。
(というか、一体何の術式を使ったらあんな風になるんだ……転移魔法にしてもおかしいぞ)
あんな風に魔力の気配もさせずに転移魔法を使える人物を、アローは一人しか知らない。師匠クロイツァその人だ。しかし彼女が使っている転移魔法は、師匠のように空間と空間を切り取って繋げるものとは違う種類のもの。
強いて言うならば、アローが使う冥府の門と自由に繋がる死霊術に近い。
(なるほど、確かに妹かもな)
それも異界と繋がることに関してだけ言えば、確実にアロー以上の力を持っている。
「アロー!」
名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
後ろを振り返る。恐らく空中での異変を知って駆けつけたのだろう。ヒルダとギルベルトがこちらに向かって走ってきていた。
「来るな!」
ほとんど反射的に叫ぶ。しかし、敵がいるからといっても足を止める二人ではない。
「新手の敵?」
駆けながら剣を抜くヒルダたちの姿を見て、フルーフは悠長に「あれぇ?」とつぶやいた。
「やだなぁ。この二人、思ってたよりずっと強かったなぁ。怒られちゃう。万が一お兄ちゃんが死んじゃったらいやだからって、手加減しすぎたかなぁ」
ブツブツと、まさに自分が犯人だと隠そうともしない独り言を漏らしながら、白いドレスの裾を持ち上げる。
しかし、見えたのは細い少女の足首ではなく、漆黒のドロドロとした『何か』。まるでナメクジのように、ミミズのように、ぬたぬたとのたうつ闇。
「シラけるよね。ボクはお兄ちゃんと感動的に運命的に出会いたかったんだ。帰る場所をあげたかったんだ。ボクのところに迎え入れてあげたかったんだ」
「勝手なことを言っているが、お断りだ。僕にはちゃんと家族も仲間もいるし、一人になったとしても君の思い通りにはならない」
「そう?じゃあ、なおさら殺しちゃってもいいね。いらないもんね」
闇色の『何か』が蟲のように蠢く。「ぎえっ」という短い悲鳴が聞こえたのは、ヒルダが一瞬我に返ってしまったからか。
「君は僕をおびき寄せるために村をこんな風にしたのか」
「違うよぉ。そんなに暇じゃないもん。でも、来てくれたらいいなって思ってたし、実際来てくれたよね」
ニコニコと微笑むフルーフの周りを、闇色の異形が踊るようにのたうつ。
何故村人たちをさらう時に死霊までをも根こそぎ持って行ったのか。何故アローをあえてここで助けたのか。その答えは恐らく、アローから死霊術を奪うためだ。墓場まで行かれてしまうと、アローは死霊術が使えるようになってしまう。
それは、フルーフにとってアローの死霊術は脅威になりえるということでもある。恐らくだが、あの彼女が持つ闇色の異形には魔力攻撃は通用する。ヒルダたちの魔法剣も通用してくれるかはわからないが。
「リューゲ。君の力を少しだけ借りるにはどんな対価が必要だ?少しの間、死霊術がいつも通りに使えるようになればいい」
「あの小娘が聞いたら発狂しそうな言葉ねぇ。そうね。こんなところで貴方に死なれたらがっかりだから、少しくらいおまけしてあげるは。後で爪を三枚くらい剥がしてあげる」
「安い対価だな。では遠慮なく使わせてもらう。……『死を記憶せよ!』」
この村の中に死霊はいなくても、アローが冥府の門を開くことを封じられたわけではない。火に油を注げなくても、最初から十分な火力があるならば必要ない。
黒妖精リューゲの力があれば、それは可能だ。冥府の炎をかき集めて放てる。深紅の炎を浴びて、闇色の異形が断末魔の声をあげて蒸発していく。
「あら? お兄ちゃん、普通に死霊術使えちゃったり?」
「爪三枚分でありがたいことだな。……ベル!」
「杖使いが荒い」
文句を言いながらもベルは枝を伸ばして、フルーフの体を絡め取る。完全に油断していたのか、あっさりと枝に持ち上げられた。
「ええ。お兄ちゃん、感動の出会いはぁ?」
「残念ながらそんなものはない。村人たちをどこにやったか教えろ」
「ええ、やだなぁ。っていうか、いいのぉ? ここまできてボクのこと殺さないとか、優しすぎない?愛してくれてるのかなぁ?」
「知らない妹的な何かに初対面で愛も何もあるか」
「妹的な何かじゃなくて、妹だよぉ。ボク、特別いかしておいても得はないと思うけどねぇ」
枝に絡め取られたまま、フルーフはにんまりと笑う。銀色の髪、魔を帯びた紅の瞳。
殺そうと思えば殺せた。恐らくフルーフは自分がどこから来たかなど言わない。何が目的かを告げたとしても、それが本当かもわからない。そして確実にアローにとって災いを為すものだった。
アローは恐らく、この時に彼女を殺さなければならなかった。
「何かよくわからないけど、敵だということはわかったわ」
「あんま気はすすまねぇが、この嬢ちゃんを倒せばいいのか?」
たどり着いたヒルダとギルベルトがそれぞれに剣を構える。
殺さなければならなかった。だけど、アローは考えてしまった。
(彼女は、誰に『造られた』んだ?)
フルーフは笑う。
「ねぇ、お兄ちゃん、仲間がいっぱいいるんだねぇ。ズルいなぁ」
どこか楽しそうに、笑う。
「ボクだって、好きでこんな風に生まれてきたワケじゃないのに」
彼女が無邪気な笑顔で放ったその言葉が、アローの胸に突き刺さって。
だから、一瞬だけ、術に隙を作ってしまった。そして、フルーフはそれを見逃さなかった。
「アロー!」
ヒルダの声が妙に遠くに感じた。
何が起きたのかはわからない。気づいた時にはアローの腕を黒い塊が深く貫いていて。
「ぐっ!?」
杖を取り落としたところで、フルーフの拘束が完全に解ける。
ドレスの裾をひるがえして着地した彼女は、そのまま背後に溢れだした闇色の中にすっと身体を隠した。
「待ちなさい!」
ヒルダがその闇へと剣を振ったが、空を切っただけだった。魔法剣であっても、物理攻撃が効かない。
「お兄ちゃん、殺しはしないからね。いつかそのお仲間よりもボクときた方がいいってわかるようになるよ。だから今はバイバイ」
そんな声が聞こえてきて、そして闇色の何かは跡形もなく空の中に消える。
「おい、大丈夫か?」
ギルベルトが駆け寄って、アローの腕に突き刺さったままの黒い塊を見る。アローは答えられなかった。不思議と強い痛みは一瞬のことで、今は鈍い痛みしかない。ギルベルトの声が遠い。――遠い。
「なんだかわからないけど、抜くぞ、これ」
「ギルさん、そんな大きな塊抜いたら出血がひどくなるわ」
「いや、むしろ血を出した方がマシだ」
二人の会話を聞いているはずなのに、意識がまとまらない。視界がぐらぐらと、揺れる。
「多分、これ、毒だな」
「えっ?」
「あのわけのわかんねぇ女が殺さないって言ってたから弱い毒かもしれねえけど、一回これ引き抜いて、止血して、あの教会の姉ちゃんに治癒術使ってもらうのが、一番いいと思うぜ」
「はぁ、爪もらうどころじゃないわねぇ」
リューゲの呆れたような呟きを最後に、アローの意識は途切れた。
■
アローはフルーフを滅ぼさなければならなかった。彼女の運命をここで終わらせるべきだった。迷ってはいけなかった。
――好きでこんな風に生まれてきたワケじゃないのに。
その言葉は呪いのように、その後もアローにずっとついて回ることになる。




