110.妹みたいな何かの誰か
赤い光がまるで血管のように杖を中心に赤く広がっていく。
ベルが草の根を通して通わせたアローの魔力が恐ろしい速さで村の出口へ向かって伸びていく。
「テオ!私はお兄様に魔力を全て預けています。お願いします!」
「ミステルさんに言われたら俄然やる気がでますね!」
恋する相手の声援(?)に、テオがアローの時とは段違いに張り切って大蝙蝠を撃ち落とす。デコピンのひとつもくれてやりたい気持ちになったが、あいにく手が離せない。
じきにテオのやけっぱちな声も遠ざかる。視界に見えるのはすでに村の風景ではなく、村中の草の根を伝わって張り巡らされていく細い魔力の糸。
「アロー、ついた」
ベルの、小さな声。それは、草の根を伝って広がった魔力が、村の外までたどり着いたことを意味する。
「祈りましょう、応えましょう」
ベルの言葉に誘われるように、まるで草の根が雨水を飲み込むように、じわじわと赤い光が強まっていく。
「あ、アローさぁん、まだですかぁ」
テオの悲鳴が微かに聞こえるが、残念ながら答えられる余裕はない。
「ミステル」
「はい、お兄様。さぁ、死と共に踊りましょう!」
ミステルの声に従い、彼女の魔法であるヤドリギの矢が地中から空へと放たれる。
まるで空がひっくり返ったかのように。赤い雨が地から空へと降り注いだかのように。それは村の中に群れていた大蝙蝠を狙い撃ちして、地へと落としていく。
「た、助かったぁ……」
テオの情けない声に、アローは視界を切り替える。赤い光が消え、その代わりに見えたのは弓を持ったままへたり込むテオの姿。彼のすぐそばにはひときわ大きな蝙蝠が横たわっている。矢では殺しきれずに、まさにテオを襲おうとしていたのだろう。間一髪だった。
「……一応聞いておくがちびってないよな」
「社会的にも生物的にも死んでません。っていうか、真っ先に聞くのがそれっすか」
「これで真っ当に心配したつもりなんだ」
改めて村の光景を見やる。
そこら中に大蝙蝠の死体が引きちぎられて転がっている。中にはまだ生きて動いているものもあったが、血の泡を吹いて痙攣しているところをみると、放っておいても大丈夫だろう。
村の中の草の根に魔力を通し、アローが魔力の気配を元に魔物の位置を特定し、村の外から運んできた死霊の力をミステルの魔術に乗せて撃つ。ずいぶん回りくどいことをしてしまったが、魔力の消費を最低限に敵を殲滅するのには有効だ。
しかし、もぬけの殻とはいえのどかな村の風景に魔物の死骸が散らばっているのは、なかなか凄惨な光景だった。いつぞや、王都の大教会の墓地を惨憺たる有様にしてしまった思い出が脳裏をよぎる。村人が無事でもそうではなくとも、まずは魔物の死骸を大掃除する作業が必要になりそうだ。
とはいえ、成功はした。
(ベルの植物を使った魔術は使い方次第で汎用性がありそうだな)
少なくとも、もしこの範囲で今まで通りの魔力を使っていたら、パウラたちと一緒に寝込む側になっていたかもしれない。
(師匠の忠告が役立ったというか、何というか……)
微妙に喜びきれないのは、事態が実は何も解決していないからだった。
術師はやはり、どこにいるのかわからない。大蝙蝠を狙い撃つのに魔力をたどった時にも、それらしき気配はなかった。見つからないということは、いつまた同じ危機がおとずれてもおかしくないということでもある。
「ミステル、僕が魔法を使っている間、術師らしき気配は感じたか?」
「いえ」
「墓場の方にいたのだとしたら、ヒルダとギルベルトがまずいことになるが……」
だが、そちらにいたのならなおさらアローが気づかないのはおかしい。あの時、アローは死霊を見ていた。強い魔力を感じたらすぐに気づいたはずなのだ。
「相手が大掛かりな転移魔法の使い手だとして、村人をさらったのとは逆の方法で魔物を送り込んだとするとどうだろう?」
「お兄様、さすがにそれは無理があります」
思いつきを口にしてみたものの、ミステルは少しばかり呆れた様子で首を横に振った。
「ううむ……あとは、この村に罠が仕掛けられていたとか?たとえば、ある程度の人数の一団、またはある程度の以上の魔力を感知した時に魔物を召喚するような……」
「そちらの方がまだ現実的に思えますね」
「そうだなぁ……」
いずれにしても、残してきたヒルダとギルベルトが心配だ。ひとまず、村の中の危険は排除したのだから、墓場に戻ってみるべきか考える。
――その時だった。
ざわり、と背筋に悪寒が駆け抜ける。まるで冷たいものに背中を撫でられたような感触。
出所はよくわからないが、ウィッカーマンと対峙した時と感覚が似ている。ミステルも気づいたようで、注意深く辺りをうかがっている。
「ミステル、パウラたちを頼む。テオ、ミステルと一緒にここに残ってくれ」
「え? え? そういうことですか?」
若干引け腰になりつつも、不穏な空気を察したのだろう。テオが弓に矢をつがえた。
「お兄様、どうされるおつもりで?」
「ヒルダとギルベルトが心配だ。大蝙蝠に殺されるような二人じゃないが、もし今感じているわけのわからない気配がこの村をこんな風にした奴の正体なら、剣だけでどうにかできる相手じゃない。一度墓場に戻る。こちらにも戦力は必要だ。だからテオはこちらに残れ」
「……………………お兄様」
ミステルが、何か言いたげに、しかし後ろで硬直しているエルマーと、依然として気絶したままのパウラとオドを見てぐっとこらえたようだった。治癒術師のパウラを守るのは最優先事項だ。彼女がいれば多少の怪我はどうともできる。村人の二人はおまけといってしまえばそれまでだが、死んでいいと思っているわけでもない。
「お兄様言っておきますけど」
「ああ」
「お兄様は私の唯一の主様ですが、ヒルダは私の唯一の友人です。ギルベルトにはオステンワルドでお兄様に助力していただいた借りもあります。私にもそれを理解する程度の分別はございます。だから、無事に戻ってきてくださいね。ゆめゆめお忘れなきように」
「わかってる。……それじゃベル。気はすすまないが、もう一度あれをやってくれ」
悠長に地面を走っている場合ではない。また空を飛ぶしかない。空を飛ぶというか、放り投げられると言うのが正しいが。
「杖づかいが荒い」
「……すまない」
「待ちなさい、ドルイド杖女。お兄様に文句をつけるなんて一千万年早いですよ!?」
「アローの妹がこうるさいのでいくね」
「あ、ああ」
杖から細い枝が伸びてからみつき、ゆっくりとアローの身体を持ち上げる。
「さぁ、一思いに吹っ飛ばしてくれ。着地さえ無事にできれば過程はこのさい問わない」
「わかった」
ぶおんっ、っと重苦しく風邪を着る音が耳朶に響いた。目の前の景色がものすごい勢いで下方に離れていく。
「た、高い!?」
「……やりすぎた」
「今不穏なことを言ったな!?」
テオがいない分、羅格跳ね上げられたのか。はたして本当に無事着地できるのか。最悪少しばかり怪我をする覚悟を決めながら、アローの身体は重力に従って真っ逆さまに効果していく。
しかし、心配する必要はなく、アローは地面に激突することを免れた。ベルが上手いことやってくれたわけではない。アローがとっさに魔術でなんとかしたわけではない。
ただ横から現れた何かが、アローを受け止めたからだった。
それは影。ただひたすらに、濃い闇の塊とも言うべきもの。ぶよぶよとした、まるで軟体生物の身体のように気持ちの悪い感触をする『何か』に、アローは受け止められていた。
「あーあ、出てくるつもりなかったのになぁ、何をやってるんだか」
それは、少女の声だった。この闇色をした何かから響いているように思えた。
「このまま君をさらってしまおうか、そっちの方が早くない? いいよねぇ?」
アローに語りかけているのか、それとも彼女の近くに誰かがいて、その相手に言っているのか。
「坊や、ちょっと目をつぶってなさい」
不意に耳元でリューゲの声がして、アローはハッと我にかえった。
闇が割ける。アローは地面に放り出されて尻もちをつき、傍らにいつのまにか立っていたリューゲを見上げる。
「リューゲ、久しぶりに出て来たな」
「御託は後にしなさい。貴方、ずいぶんと変なのに絡まれているわね」
彼女の視線の先を追う。そこには空をぱっくりを割る、闇色の裂け目が発生していた。そこからどろどろと溶けた脂がこぼれるように、黒い『何か』が落ちている。地面にぼとぼとと落ちて、ゆっくりと形をなし、やがて人の形をとる。
それは『少女』と呼ぶべき姿をしていた。
黒い色から生まれたとは思えないほどに、現れるように白いドレスが浮かびあがる、彼女のゆるく編まれた長い髪は、銀色。瞳は紅。
「変なのとは失礼だね。ねぇ、会いたかったよ、お兄ちゃん。ボクは見てわかるとおり、君の『妹』さ」
「……………………は?」
突然現れた自称『妹』は、確かにアローと似た姿をしていた。




