108.さびれた墓地クライシス
村の寂れた墓場の風景が赤く赤く塗り替えられる。冥府に近づくごとに濃さを増す、煉獄の炎の色。
(ここだ……)
物心つく前に見ていたはずのその光景を、アローは確かに覚えていた。あの頃は世界のほとんどは紅く燃えていて、どこの景色も大差ないように思っていたはずなのに、こうして改めて見ると場所によって景色はわずかに違う。ヴァルトエンデと、黒き森と、オステンワルド。どこも冥府に近づけば紅い景色が広がるが、決して同じではない。
(オステンワルドはスヴァルトの故郷への入り口が近かったし、黒き森は魔物の巣窟。冥府っていってもどこからでも同じ場所に繋がるわけじゃないんだな)
そう考えると、妙な感慨が湧いてくる。
「アロー、誰と話せばいい?」
「そうか、ベルはこの世界ではその姿か」
「そう」
杖になっていたはずのベルが、薄紅色の髪をした少女の姿に戻っている。死者の世界では彼女本来の姿に戻れるらしい。
その代わり、視界を冥府に寄せてあるのでヒルダやテオ、ギルベルトの様子はわからない。だが、この三人に関して言えば、ある程度死霊が溢れても対処できるだろう。ヒルダには多少申し訳ないことになるが。
「なるべく意識の強い死霊を探してくれ。僕も探すが、雑音がひどい」
「わかった」
ベルがきょろきょろと辺りを見回しはじめる。
アローは一度目を閉じて、聞こえてくる死霊の声に集中した。
グリューネ呪殺事件の時とは違い、今回は特定の人物を探すことに魔力を割かなくてもいい。その一方で、範囲を広げた分雑多な情報が溢れている中から正解を探す手間がある。
死霊に明確な意思を持っているものは少ない。常に騒がしく何かを話しているが、ほとんどは言葉にもなっていなかったり、生前に強い思い入れがあったものに関することを口走るだけだ。
麦、収穫、酒、天気、納屋のネズミ、猫。聞こえてくるのはある意味農村らしい素朴な呟きばかりだった。この墓場に眠っている人の大半は、ただの農民なのだから当然とも言える。
(少しでも現状を知ってる魂があればいいんだが……)
意識を墓場の奥の方へと向けていく。しかしどこまでもいるのはほとんど石を持たない死霊ばかりだ。寄せ集めて集合意識から情報を探る手もあるが、若干面倒な上に魔力を使う。ただでさえ、さして魔力もない場所で、真昼間から死霊召喚をしているのだ。時間がかかるごとに消耗してしまう。
「アロー」
ベルの声がする。目を開けると、ベルが誰かを連れてきていた。誰か、という曖昧な表現になったのは、それが男なのか女なのか、若いのか老いているのかもわからない曖昧な影だったからだ。
通常ここまで薄まった死霊が強い意思を持つことはない。だが、強い呪いをもつ死霊であるベルが近くにいても影響されていないので、これでそれなりに強い死霊らしい。
「名前は?」
名前を特定すれば、アローの魔力でより強く干渉できる。薄暗い影はゆらゆらと揺れて、何事か呟いた。はっきりと音にはならなかったが、恐らく「ヨルク」と名乗った。男の名前だ。
「ではヨルク、君に聞きたいことがある」
名前を呼ぶと、薄ぼんやりとした黒い影は男の輪郭を象った。少し腰の曲がった痩せこけた男。恐らく、老人。
農民の寿命は都市で暮らす人々よりもずっと短い。世情に疎いアローもそれくらいは知識として知っている。麦を節約するために薄めた粥を食べ、パンは保存の効く堅焼きのものを少しずつ。農作業に脂分に偏った食事で肥満も多い。そういえばオドもなかなかの腹回りだった。基本的に、健康的な食事は裕福なものの贅沢だ。
つまり、長生きしているということは、村の長老的な役割を果たしていた、それなりに尊ばれていた人物だと推測できる。だからこそ多少まともな意識体として残っていたのかもしれない。
「ヨルク、村で起こっていることを把握しているか?声に出さなくてもいい。肯定か否定で答えてくれ」
ヨルクが頷いた気配がする。肯定。つまり、村の人間が消えたことを知っている。
「では、その犯人と思われる人間を見たか?」
これは否定。想定内だ。墓場にいただけの死霊にそこまでの認識能力があるとは思えない。
「今までに似たような異変が村で起こったことは?」
こちらも否定。影がゆらゆらと首を横に振る。
「うーん……質問の方向性を変えよう。村から死霊の気配……というか、今ここに溢れているような炎が昇ったのを見た覚えはないか?」
大量に殺戮を行えば、それがどんな理由であっても、その場所は一時的に冥府に近づく。呪術対価であってもそれは変わらないはずだ。
ヨルクの答えは否定だった。
これで生きている確証ではないが、少なくとも村人たちがすぐに殺されたわけではないことはわかる。使われたのは何らかの転移魔法だ。
(しかし、転移魔法で何を? 村人たちをさらう理由まで、この死霊にわかるとは思えないし、やっぱり国境の砦でのことも関連性があるとみるべきか)
無作為に村人を拉致するとしても、それこそ呪術対価に使うくらいしか思いつかない。ベルがウィッカーマンに罪人と一緒に詰め込まれて焼き殺されたように、大がかりな呪術には多数の生贄を対価として要求される場合が多い。呪術で大きな成果を得たければ、本人が支払いきれない対価を、外から補充するしかない。
悪霊と契約する黒魔術の方が、はるかに少ない対価で魔術の結果を出せる。しかし、呪術は対価の請求が本人に行くかわりに、代替物を用意できれば完全に対価を支払いをせずに術の結果を得られるのだ。通常、個人の呪術師がそれを成し遂げるのは難しい。ただ、ベルの住んでいた地がそうであったように、呪術体系として確率している場合、特定の悪霊に契約なしで術を行使してもらう暗黙の了解があるのならば、また話は違ってくる。
(転移魔法の規模から考えて、複数人どころじゃなく、組織的なものがありそうな気がするな)
「アロー」
考え込んでいると、不意にベルが声をかけてくる。
「どうした?」
「この人、アローに伝えたいことがあるみたい」
「は?」
ゆらゆらと、ヨルクの影が揺れる。
「アロー、この人、アローのこと、知ってる。小さい頃のこと」
「ということは、僕が墓場生活していた時の知り合いか」
「よくわからないけど、アローがそう思うなら、そうなのだと思う」
それなりに長生きをしていて、かつ、死後もそれなりの意識を持っているならば、アローがいた頃にもそれなりの死霊だったのかもしれない。当時はまだ生きていた可能性もないではないが。
「伝えたいこととは何だ?ついでに聞いていく」
ヨルクはゆらゆらと黒い影の腕を、アローの頭へと伸ばす。
「頭に何か?」
横に揺れる影の腕。
「いいこいいこ?」
「ベル、何かそうされてる予感はしていたが改めて言われると何か恥ずかしいからやめてくれ」
「ごめん」
まさかここにきて死霊に子供扱いをされると思わず、かなり複雑な気分にさせられた。
「ヨルク、それはいいから。言いたいことをきちんと言ってくれ」
まさか頭をなでたかったどけというわけではないだろう。
気をとりなおし、アローはヨルクの顔の辺りに手を差し出す。触れることはできないが、魔力干渉なら多少はどうにかできるだろう。
(というか、よく僕だってわかったな。そんなに珍しいのか、銀髪は。あ、今は赤い目だから余計にか)
ヒルダも、幼い頃のアローのことは銀髪に赤い目で記憶していた。きっと印象に残りやすいのだろう。
(ア、ロー……)
しわがれた男の声がした。恐らく、このヨルクの声だ。
「そうだ。それが僕の名前だ」
(…………、………………)
ヨルクは何事かを呟く。しかしその声はなかなか言葉になってくれない。アローの力でも、これ以上明確に声を拾うのは難しい。
「もう一度頼む。僕も何でも全部聞こえるわけじゃない」
しかし、ヨルクはなかなか次の言葉を発さない。ただ、びくりと震えるように影が一度揺れたのがわかった。そして。
(に……げ……ろ…………)
「…………え?」
今、確かにヨルクは逃げろと言った。
「アロー、何かくる」
ベルの声に、アローはとっさに瞬きをして視界を切り替える。
「アロー!伏せて!」
これは、ヒルダの声。
頭で理解するよりも早く反射的に伏せると、すぐに上をヒルダの剣閃が通っていく。
ギエエエ、と魔物の断末魔の声が聞こえてくる。気付くと身体を引き裂かれた大蝙蝠が、地でのたうちまわっていた。
「大丈夫?」
「大丈夫だが、僕が斬られるかと思ったぞ」
「安心して。仲間の首を間違って斬るほど鈍くないから」
「そ、そうか」
「また来る」
「おう、鈍ってたところだから手馴しにちょうどいいぜ」
ヒルダが駆ける。少し遅れてギルベルトが続く。
「テオ、援護!」
「わかりましたっ!」
テオが弓をつがえる。どこから出て来たのかと思えば、墓場の土の中から大蝙蝠が湧いている。ぼこぼこと土が盛り上がって、魔物が次々に襲いかかる。
(おかしい)
アローはヒルダたちの邪魔にならないように一歩引きながら、辺りをうかがう。
(こんなに魔物がいて、僕が気づかないわけがないのに。絶対に、近くに術者がいるはずなのに……)
死霊を見ている時のアローは、人よりも魔物に感覚が近い。魔力の気配には敏感になっているはずだ。それなのにヨルクに言われるまで、ベルが危機を伝えるまで、わからなかった。
(術師を探さないと)
冷や汗をかきながら辺りを探すアローの耳に、ミステルの声が届いた。
「お兄様! 村に大量の魔物がなだれ込んでいます!」




