107.困った時は死霊に聞こう(3回目)
アローは死霊術を戦闘に使いまくっているが、本来死霊術とは霊視・交霊術と呼ぶべきものである。
死霊を呼び出すことで、知りたい情報を得ることこそが死霊術の真髄。
しかし、ほとんどの死霊は強い意思を持たず、知りたい情報を引き出すにはかなりの技術と魔力がいる。特定の誰かの死霊を狙って召喚しようと思えばさらに難しく、大抵は力の弱い悪霊を呼び出してしまうのが関の山だ。人間の霊を選ぶことすら難しい。
だからこそ世にいる死霊術師の大半は半人前か、イカサマだ。これが死霊術師がうさんくさい誤解を受ける理由に、一役買っていることは間違いない。
だけどアローは『本物』だ。死霊を目で見分け、干渉する、生まれながらの死霊術師だ。だからこそ、はっきり言い切れる。
「困った時は死霊に聞くのが一番だ。この村の村民が死んでいるなら当事者だし、当事者ではなくともことの経緯は見ている」
「言っておくけど、困ったら死霊に聞けばいいと思ってるの、アローだけだからね?」
ヒルダがげっそりした顔で釘を刺したが、アローはそこはかとなくドヤ顔で頷く。
「大丈夫だ。わかっている。久々にまともに死霊術が役に立つ場面で少し感動しただけだ」
「今までまともな死霊術じゃなかったんですか?」
「あの呪文唱えたらブワーッでやつが死霊術なんだと思ってたわ」
呆れるテオと、圧倒的な語彙のなさを見せつけてくるギルベルトに、アローは首を横に振った。
「あんなことできるのは僕だけだ。ミステルだって僕を通さないとできないぞ。死霊送還くらいならできると思うが」
「普通に使ってるから忘れそうになるけど、アローの死霊術って規格外なのよね。カーテ司祭の聖霊魔法もだけど」
「そうだ。僕は割とすごいんだ」
「アローさん、怒っていいとこで怒らないくせに、変なところで意識高いですよね」
テオにますます呆れられたのは心外だったが、些細なことだ。
問題は死霊召喚でどこまで情報を引き出せるか。
「三人とも、死霊術で聞き出してる間は僕は無防備になるから、一応周りには気をつけておいてくれ。……では、いくぞ」
村の広場にたって、杖を立てる。
目を閉じて開く。アローの青い瞳に赤い光が宿る。魔力回路を修復できてから、まとまな死霊術を使うのは初めてだ。魔力はきちんと通っている。問題はない。
ないはずだった。
「……?」
「どうしたの?アロー」
「…………誰もいない」
気配がしない。冥府を視る眼をもってしても、どこにも何も、見つからない。
「えっ?どういうこと?」
「死霊がいないんだ。ありえない、こんなこと」
この世界に、何も誰も死んでいないところはない。アローはそう断言できる。人の入り込まない黒き森の奥でも、獣ならいくらでも死んでいる。生まれて死んだあらゆるものの上で、みんな生きている。
それなのに、この村には何もない。明らかに人が生活していた場所なのに、人どころか獣の魂ひとつも漂っていない。
「アロー、呪いの臭いがする」
ベルが呟く。アローも頷いた。村にあったあらゆる魂を対価に『呪い』を発動させたら、こうなってもおかしくはない。
(だけど、一体誰がそんなことを?)
呪いの代償は基本的に、術者本人に跳ね返ってくるものだ。その呪いの代償をいかに自分から逸らすかが、術者の技術力と言ってもいい。
呪術師としてはかなりの才能を秘めていたミステルも、重なる呪術代償を回避しきれなくなって衰弱死した。グリューネ呪殺事件の首謀者であったカタリナは、呪いに飲まれて遺体も残らなかった。
これだけの人数の村人を、身体と魂を飲むこみ尽くすほどの呪術を使える敵がいるとしたら、それこそ対処できるのは師匠クロイツァくらいしか思いつかない。
「いや、いくらなんでもこんなことを、呪術だけでやるなんて……」
「あっ、アロー、どこ行くの?」
突然杖を手に走り出したアローを、ヒルダが、一歩遅れてテオとギルベルトも追いかける。
「墓地だ」
「えっ、墓地?」
ヒルダは少しだけ顔を青くしたが、それでも走るのはやめない。
「村の中はもぬけの殻だ。あれだけの代償を払う呪術があったのなら、同時にもっと酷いことが起こっていてもおかしくない。呪術は時間差で発動したりしない。ゆっくりと何かが起こる、ということはあっても変化はすぐにお骨。支払った対価の『結果』がどこかに存在するはずなんだ」
「グリューネの時みたいに、他の誰かが殺されたり、とか?」
「そういうことだ。だが、消えたのは今のところこの村だけだ。村ひとつ呑み込むほどの呪いをかければ、どこかで疫病が大発生するくらいはあってもいい。だけどそんな話は聞いていない。教会がそれを僕らに隠す理由もない。だとしたら、この村の住人は殺されたのではなくさらわれた可能性がある。呪術の代償ではなく、村ごと人間をさらうことが目的だったのかもしれない」
ヒルダは理解が追いつかないのか、走りながら渋面になっている。
「うーん……私にはピンとこないんだけど、つまり……生きてる、ってこと?」
「そうとは限らないが、可能性はある。期待し過ぎるな、最悪の想定で動いておいた方がいい。転移の魔術は呪術ではなく黒魔術の範疇だが、元々この二つの違いは対価を自分で用意するか、悪霊や妖精に肩代わりしてもらうか、という点だ。呪術的な意図を持って黒魔術を使うことはできるし、さらった理由がこれから使う呪術のためかもしれない」
とにかく、ベルやミステルも感じ入るところがあるようだし、厄介な術がらみなのは確かだ。アローも全員、五体満足で無事だとまでは考えていない。
大体、呪術を使うためにしても、この村を選んでさらった理由が不明すぎる。基本的にこの村はただの小さな農村でしかない。かといって「たまたまこの村だった」というのも不自然だ。
昔、アローがいたのは事実だが、アローの母親だってこの村に何かの縁があって逃げ込んだわけではないはずだ。それなら、アローは墓場で育つ必要はなかった。
他に気になる点があるとするなら、この村が北部国境に近いと言う点だ。不穏な話のあった国境の砦にも近い。
「墓場に向かうのは、村はずれの墓場ならまだ死霊が残っている可能性が高いからだ。死霊は基本的に代償にならない。そして、呪いの対象にもならない。だから村の中は死霊ごと根こそぎ持って行かれていても、墓場は多分無事だ。墓場を範囲に含める必要がない」
「生きてる人じゃないと呪術って意味がないんですね」
「それはそうだろう、テオ。僕は死霊を呼んで魔術に近い術を行使できるが、死霊に直接触れることはできないぞ。何かそこにある、くらいは感じるけどな。契約しているミステルだって、触れるわけではない。生きてる人間と死んでる人間は、同じ場所にいても別次元の世界にいるようなものだ」
死霊を呼んで戦っていても、死霊はアローの干渉から離れたら暴走するか、力が弱まった時点で冥府に送還される。ミステルのように強い意識を持った魔術師霊でも、アローが呼ばなければこの世界に留まれなかった。基本的に魔力干渉であって、物理的な干渉はできない。魔力が物理に影響を及ぼすことはできても、逆は難しい。
「僕は死霊術師の中でも相当な異端だから、僕を基準にしない方がいい。師匠を魔術師の基準にするようなものだ」
「謎の説得力ですね……アローさんのお師匠様色々ヤバいですもんね」
遠い目になるテオに、ギルベルトが好奇心に満ちた眼差しを向ける。
「そんなにヤバいなら俺も見たかったぜ」
「やめとけ」「やめておいた方が……」「やめてください」
三者三様の受け応えに、ギルベルトが「お、おう」と引きつった顔でうなずいた。
そんなことを言っているうちに、ついに墓場へとたどり着く。
死んだ母親の腹の中から、自分が生まれた場所。師匠に拾われるまで過ごしていた場所。
(……ということは、ここに母さんの墓もあるってこと、だよな)
アローは母親が息絶えた後に生まれた。棺の中で産ぶ声をあげ、死霊に育てられていた。当然ながら、母親の顔など覚えていない。どこに埋葬されているのかも覚えていない。
煉獄と魂の燃える赤い炎の色しか、覚えていない。多分、それ以外には何も見えてもいなかった。人と同じ世界の見方を教えてくれたのは、師匠クロイツァだから。
ここには、赤い記憶しかない。現実にみたそこは、王都で見た大教会の墓地とは似ても似つかない、墓標も粗末なものばかりの小さな墓地だった。
(もし、母さんがまだここにいたら……)
ふと、そう考えてしまった。すぐにその想いを振り払う。他のことに意識が向くと、死霊から欲しい情報を得られなくなってしまう。
目を閉じる。開く。赤い炎がゆったりと世界を満たしていく。
魂の気配を感じる。やはり墓場までは範囲に含まれていなかったらしい。
「今度こそ、死霊から情報を得てみせるぞ。あのオッサンに役立たず扱いされたら腹が立つしな」
「アロー、全然気にしてないって感じでいたけど実は結構怒ってたでしょ?」
「そんなことない、そんなことはないぞ、ヒルダ。後になってジワジワときてなんかないぞ」
「何ですか、その、遅効性のムカつき方。アローさん、ヒルダさんと俺につっこまれて思い出しムカつきしてません?」
「そんなことは! ないぞ!」
「あるんだな。素直になった方がいいぜ」
「ギルベルトにまで言われたくない!」
もちろん図星なわけだが、ひとまず今はムカつきを忘れるしかない。
「今度こそ死霊術師の本分を発揮しようじゃないか。さぁ、……『死を記憶せよ!』」




