10.酒場での乱闘はおやめください
アローがあまりにも笑顔でさらりと答えたので、傭兵は一瞬鼻白んだ。だがそれは一瞬のことで、すぐにその顔は怒りに染まる。
「……あぁん? ちょっと女貸してくれって言ってんだよぉ。怪我してぇのか?」
「そういった言動は小物に見えるからおすすめしない。あと、怪我したいのなら別に止めはしない」
「ちょっと、貴方……」
ヒルダが間に入ろうとしたが、片手で止める。ミステルは少し同情に近い眼差しで見ている。アローではなく傭兵の方を、である。
「女の前だからってかっこうつけてるんじゃねぇぞ!!」
激高した傭兵がアローの胸ぐらをつかみあげたところで、アローは行動に出た。相手が右手で胸倉をつかんでいる、ということは、こちらは両手が自由なのに対し、相手は利き手がふさがっているということだ。よって、対処は簡単である。腕をとって投げ技に持ち込むのが一番適切だが、店内でそれをやるのは迷惑になるので控える。
「一応警告はしたからな?」
「んぐぉっ!?」
アローは傭兵の顔面、目に向かって拳を叩きこむ。完全に油断していた傭兵は、ひるんでアローを掴む手をゆるめた。純粋に力比べをすれば、もちろんこの男の方が力は強いだろう。だが、彼はアローが武術の心得など何もない、ひ弱な男だと思い込んでいた。その油断につけこんだ。目を潰さなかったのは良心だ。
彼はそれでも傭兵しての誇りがあったのか、反撃に出ようとした。目をつぶりながら闇雲に振り回す拳が当たるわけはなく、アローは今度こそ腕をからめ取って床に押さえつけた。
「うーん、体格が違いすぎるからちょっと不利かな」
これ以上反撃されると被害なし、は難しいだろう。そう思ったのだが、細身のアローにあっさりいなされてしまい、さすがに懲りたらしい。大人しくなった。
「……物理的なのね」
ヒルダが呆れまじりの顔で腕を組む。
「これくらいのことで魔法を使うのは魔力の無駄遣いだ。ただでさえ、ミステルを他人にも見えるようにするのに魔力を割いているのに。君が怖くないというなら、ミステルの姿は消してもいいが。どっちにしろ、僕には姿が見えるし」
「……できれば、このままで頼むわ。私が苦手なのもあるけど、虚空に話しかけてるのを見られたら、せっかく着替えたのに不審者に逆戻りよ」
「そうだった」
観念したらしい傭兵の上からどくと、彼と同じ卓で飲んでいた仲間らしき男が近づいてくる。
「いやぁ、すまねえな。こいつ、酒癖がわりいんだ!」
そういうこちらの男は、酒にのまれてはいないようだ。日に焼けた肌に無精ひげで、いかにも無骨な流れ者の傭兵といった姿である。使い込まれた武具が、彼の経歴を物語っている。
「この国は平和で、俺もこいつも退屈していたもんでな。よければ、ここのお代はおごるから、一緒に酒でもどうだい?」
「あいにく、僕たちは忙しい」
さらりと断りを入れたところで、カルラが鶏の香草焼きとライ麦のパン、蒸かしいもを持ってやってきた。
「はーい、お待たせ!」
「ははは、これから食べるんじゃそりゃ忙しいよなぁ!」
ガッハッハ、と笑う傭兵その二。まだ目を押さえてうずくまっている傭兵その一。皿を両手にきょとんとするカルラ。そして断りにくい空気になってひきつるアロー、ヒルダの二人。
ミステルだけが「ああ、美味しそうなのに身体がないから食べられないなんて」とこっそり小さな声で密かに嘆く。
結局、成り行きで傭兵と相席することになってしまった。
彼の名前はギルベルト・フリーデマン。戦を求めて渡り歩く傭兵だった。大陸中を旅してきたが、この近隣ではしばらく戦らしい戦がない。お金もそれなりにあったので、しばらくは休暇のつもりでのんびりと商人の護衛や魔物退治をして過ごしているのだという。
傭兵は、戦がなければ仕事にありつけない。まともな者ならば、他に収入のあてになる仕事をもっていたりするし、まともじゃなければ盗賊に鞍替えするものもいる。どちらかといえば後者の方が多い。ギルベルトのように傭兵家業だけで生きていくのは、相当な技量や覚悟が必要だ。
「こいつはトビアス・ケルン。傭兵崩れで山賊やってたんだけど、俺がぶったおしてやったんだよな。それ以来、俺の舎弟だ。まぁ、バカだ。弱い人間相手に偉そうな口を利く小物だが、どんな敵でも恐れなく突っ込んでく勇気あるバカだから許してやってくれ」
「はぁ……」
その勇気ある無謀バカらしいトビアスは、アローからお情けかつ適当な回復魔法をほどこされて何とか視力を回復し、今は卓の隅の方で縮こまっている。大男なので、縮こまっていても正直邪魔だ。
「僕らは情報が欲しいだけなんだが」
「情報か? いいぜ? 俺は旅しているから色んな土地のことを知ってるぞ!」
「いや、他の国の話はどうでもいい。この王都のことだ」
「王都のこと? うーん、それだと、最近の変わった話なんて美人薄命病のことくらいだな」
「「それだっっ」」
思わずアローとヒルダが同時に身を乗り出し、ギルベルトは気おされたのか心なしかのけぞる。
「大した面白い話じゃねえよ。俺が今度護衛をやる仕事が、この都の商家のご令嬢を護送することだ。妙な病気にかかって不審な死に方をする娘が相次いでいるんで、森の向こうの隣国に逃がそうっていうわけよ。何でも、著名な占い師にきいてみたら、このまま都にいれば、次になくなるのは娘だと言われたとか何とか」
「……その著名な占い師を知っている気がする」
十中八九、カタリナだろう。カタリナだとすると、その占い結果は信じていいのか微妙である。彼女の占いの精度は高い。決してイカサマではない。だが、彼女は良くも悪くも客を選ぶ。客が気に入らなければ、都合のいい、当たっても当たらなくても問題ないようなことを言って、お金だけ巻き上げるだろう。彼女はそういう性格なのだ。
「まぁ、俺は占いは信じねえけど、実際若い美人ばっか死んでるからなぁ。騎士団も動いてるとかハインツの野郎が言ってたし」
「「ハインツ!?」」
アローとヒルダの声が重なって、ギルベルトがのけぞる。二回目。
「まさかとは思いますが、それはハインツ・カーテ司教ですか?」
「お、よく知ってんなぁ。あいつ有名人なの? 俺、このグリューネの娼館にお気に入りの姉ちゃんがいるんだけど、あいつもあの娼館入り浸ってるから、よく店の前でばったり会うんだよなぁ。一緒に姉ちゃんはべらせて酒盛りしたりする仲だぜ! っていうかあいつ司教なの? 金持ち貴族の次男坊とかが放蕩の末に教会につっこまれてるだけのただの下っ端僧侶とかじゃないの? それなのにあんな遊びまくってんの? 神ってフトコロでけえな!」
「もう色々ツッコミどころだらけですけど、カーテ司教には心の底から失望しました」
ヒルダが頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
「いや、待て、逆に考えよう。ギルベルトなら、個人的な友人としてハインツと接触できるんじゃないか? つまりこれから行けばいいのでは、そのショーカンとやらに!」
「お兄様、おやめください。世の中には知らなくていい世界があるのです」
今度はミステルが顔を覆って机に突っ伏してしまった。
娼館がいまいちどういう商売なのかよくわかっていないアローは(師匠もそんなことは教えてくれなかった)、二人が何にそんな絶望しているのかもピンとこない。
「ダメか」
「ダメよ」「ダメです」
机に突っ伏した二人が恨みがましい目でアローを見つめるので、さすがにこの案は廃止せざるをえなかった。
「カルラさんに、今現在、次の被害者になりそうな人の情報を集めてもらってるわ。これだけ話題になっていれば、不自然な病気で倒れた若い女性の話題は、自然と人の口にのぼるでしょう」
ヒルダがそっと耳打ちしてきた。カルラが食べ物を持ってきた時に、彼女がなにやらメモを渡しているとは思ったが、そういうことだったようだ。呪殺だと確定したわけでないしにろ、被害を食い止めると言う意味では死人の言葉を聞くよりもよほど有用な情報だ。
占いで避難を決める者がいるくらいだから、それなりに民衆の関心を買っているのだ。病にかかる人間が限られすぎている上に、一人ずつ死んでいくのでは魔術知識がなくとも妙だと考えて当然だろう。
「待てよ、占い……そうだ。カタリナがいるじゃないか」
「お兄様、まさかワルプルギス女史のところへ?」
「そのまさか、だ。ショーカンでハインツとの約束を取り付けるのをギルベルトに頼んで、僕らはカタリナのところで調べ物といこうじゃないか」




